乱れ六講     その二

乱れ発生の機構

 

 今回は乱れがどのようにして発生するかを解説します。

 

1.遷移

 流れの有様を調べるために簡単な実験をしてみましょう。水道の蛇口をほんの少し緩めてください。糸のような、細い水のすじが静かに流れます。太さの変動が無いので、まるで止っているように見えます。これを層流といいます。流れが層を作って、混ざり合わないからです。蛇口をもう少し開くと、水の筋の表面は波を打ち、下の方ではバラバラに砕けて乱雑な流れになります。これが乱流です。

 このことをもっと突っ込んでみましょう。層流には変動が無いと言いましたが、不純物を全く含まない金属が存在しないのと同じく、全く変動の無い流れはありません。一方で、”完全に乱雑な”流れというものも想像することができません。ですから厳密な意味での層流と乱流は左右の両極端で、実際の流れはその間にあります。変動がある程度より弱ければそれを層流と言っても良いでしょう。また乱雑そうな、強い変動を含む流れを乱流と呼びましょう。またその両方の間の流れがあります。例えば規則正しい、周期的な変動を含む流れです。いくら変動が強くてもそれを乱流とすることはできません。勿論層流ではありません。このような流れについては適当な名前が無いので、仮に中間流と呼んでおきます。これは私だけの発明です。これで流れについて、層流−−中間流−−乱流 という区分がはっきりとしました。二つの境目をどこに置くかについては個人差があります。地表の風は乱流と考えられていますが、日本付近の天気図を見ると、低気圧や高気圧などの構造を持った乱雑でない部分があります。その意味では日本のまわりの風は中間流に入るでしょう。しかし、私たちの身の回りの風は不規則に、乱雑に変化する乱流です。流れについてはいつも、その規模を考えに入れるべきだという一つの例です。

 流れ以外でも社会が静かに治まっている層流から、方々で小競り合いが起きる中間流から、全国的な戦国時代という乱流になるというプロセスがあります。このように層流が乱流に変っていくことを”遷移(transition)”と呼びます。これが今回の話題です。

 

2.レイノルズの実験

 一般的に、どのようにして乱れが発生するかを考えてみましょう。流れに限らず、どのような場面でも、そこを乱そうとする力と、乱れを抑えて秩序を維持しようとする力が拮抗しています。ここでいう力とは、物理的なものだけではなく、もっと一般的に経済力とか政治力とかいうときの力です。例えば個人の行動として、お金が欲しいから泥棒や殺人をしようかと思い立った時、他人の物を盗んではいけないという道徳や、捕まったら罰せられるという法律の力がその行動を引き留めます。政治が段々と悪くなって、それを打ち破るために立ち上がらなければ、と思っても官憲の力が強ければ抑えられてしまいます。しかしその抑止力が衰えると、革命の第一歩が踏み出されて、乱が始まります。流れについて、この力関係がどのようになっているのかをはっきりさせたのがイギリスのレイノルズです。彼は流れを乱そうとする力が慣性力で、それを抑えるのが粘性力であることをはっきりと示しました。今から100年ほど昔の話です。

 もう少し解説しましょう。慣性力というのは動いている流体が運動を続けようとする力です。一方の粘性力というのは摩擦力のように動きを止めようとする力です。空気や水に粘性があるというのはぴんときませんが、粘性の無い流体はありません。ただ水飴や蜂蜜などに比べて、空気や水の粘性が小さいだけのことです。レイノルズは3種類の、直径の違ったガラス管の中に水を流す実験をしました。また水温を変えて粘性を変えました。そして流れの中に細い色素を流して、その動きから乱流の発生を観察して、慣性力と粘性力の関係がどうなっているかを調べました。その結果、後年”遷移レイノルズ数”と呼ばれるものを発見しました。レイノルズ数というのは慣性力と粘性力との比です。もっと具体的には、流速と流れの規模(大きさ)と流体の密度の積を分子にとり、粘性係数を分母にとったものです。遷移レイノルズ数というのは、流れのレイノルズ数がそれより小さい場合は層流で、それを超えたら乱流になるという限界です。よく調べてみると管の中の流れは彼の考えていたほど単純なものではないことが分かってきました。彼の実験について現在の知識から種々な批判を加えるのは容易ですが、それは決して彼の業績を軽くするものではありません。左の図はレイノルズの実験装置です。図中の人物は彼の助手と言われています。人物の前に水平に置かれた管の中を水が左から右に流れるようになっています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

3.渦列の乱雑化

 レイノルズのあと100年間に世界各地で遷移の実験が行われました。遷移のメカニズムは流れによって色々に違うことが分かりました。それらのすべてをここで紹介することはできません。ここでは物体の下流にできる流れだけを取り上げます。これは私のお気に入りの流れです。

駅のプラットホ−ムで電車を待っているとき、止まらない電車が通り過ぎた後で、電車を追っかけるように吹く風を経験したことがあるでしょう。この流れを電車のお伴をするという意味で、”伴流 ”とも、電車の後ろにできるから”後流 (wake)”とも呼んでいます。走りすぎる流れはうまく表現出来ませんので、電車が止まっていて、一様な流れがあると考えます。風洞の中の実験はそのようになっています。

 上等な風洞の中に細長い円柱を流れに垂直に置きます。上等というのは流れが空間的に一様で、乱れが弱いということです。円柱の直径が 10 cm で、風速が 1.5 m/s ならレイノルズ数は10,000 です。このときは円柱の後流は乱流になります。円柱の直径を1cmにするとレイノルズ数は 1/10 になり、これでも乱流になります。ここで風速を 1/10 にすると、レイノルズ数は 100 になります。このとき後流には互い違いに規則正しくならんだ渦の列ができます。これがいわゆるカルマンの渦列(うずれつ)です。上図は種子田定俊さんが撮られた水の中の渦列の、世界的に有名な写真です。一番左に見える円柱の表面から離れた白い染料が下流では渦を巻く有様が見事に捕らえられています。もっと下流ではこの渦列はこわれて、さっきの中間流になって消えてしまいます。さらにここで円柱の直径を 1 mm にするとレイノルズ数は 10 で、このときは下流は層流で、渦ができることも、乱れることもありません。この流れで層流が保たれるレイノルズ数の限界は 40といわれています。レイノルズ数によって流れがどうなるかが理解して頂けたと思います。相手が水の場合には、例えば円柱を 0.1 mm、流速を10 cm/s にすればレイノルズ数が 15 の層流になります。水の中をゆっくり泳ぐ小さなプランクトンなどは粘性力で縛られた層流の世界に住んでいるわけです。

 

 

 

 

 

 

 

4.非線型干渉

 乱流発生のもう一つのタイプを紹介しましょう。円柱の代りに、薄くて細長い短冊のようなアルミニウムの板を持ち出します。その板を風に垂直に向ければ円柱と同じ流れになりますが、風に平行に置きますと空気は板に沿って流れて、乱れはできません。板の表面では粘性力が乱れを抑えているのです。板の巾は有限ですから流れはやがて板から離れます。板の両側からの流れが一緒になって、板の下流には粘性力で速度が下がった部分ができます。これが後流です。この後流は板の近くでは層流なのですが、面白い性質を持っています。外からの音を受け容れるのです。流れの外にあるスピ−カ−から、ある周波数の音を送り込んでやると、後流の中に同じ周波数の弱い速度変動が発生します。その変動は下流方向に伝わりながら成長します。即ち振幅が大きくなります。但しどんな周波数の音でも良いというものではありません。好みがあります。どんな好みかという事は理論的に究明されていますが、ここではそれは省略します。

 気に入られた周波数の変動は平均流からエネルギ−を貰ってどんどん強くなります。子供が親のお陰で成長していくのに似ています。1つだけでなく、周波数の違った2つの音を入れると、別の事が起きます。速度変動の振幅が小さい間は両方はお互いに知らん顔をして成長しますが、ある振幅になると相手の成長を邪魔するようになります。別の言葉で言えば、相手の存在で自分の成長率が鈍化します。兄弟喧嘩のようなものです。もっと成長が進むと、もっと強いやりとりが始まります。2つの周波数の和や差の成分、2倍、3倍、−−の周波数の成分、さらにそれらの和、差の成分が発生して、成長するのです。このような状態を非線形干渉といいます。その反対の、知らん顔の成長が線形成長です。

 非線形というのは数学の言葉で、色々な所で使われますが、ここでの意味は烈しい絡み合いです。すいた電車に乗っている客は居眠りしようが、新聞を読もうが勝手で、他人に文句を言われることはありません。これは線形状態です。しかし電車が混んでくると、背中を押した、足を踏んだ、いや俺の物を盗んだなどと騒ぎが始まり、はては喧嘩という、乱になります。これが非線形干渉です。ギリシャに端を発するアトミズムは、複雑な現象も幾つかの簡単な事柄に分解して、それが分かれば今度はそれらを組み合わせることによって元の複雑な現象も理解できるという、典型的な線形思考です。しかし、すいた電車の客をいくら詳細に調べても、混んだ電車の中の有様を理解することは出来ません。複雑なものは複雑のままで理解するほかありません。

 

5.スペクトル

 ガラスの三角柱のプリズムで太陽や、電球の光を波長によって色に分けることを分光といい、できたものをスペクトルと呼びますが、乱流でも同じようなことが出来ます。乱流は色々な周波数の変動が含まれたものと考え、周波数に応じて分けられたものをスペクトルと呼ぶのです。数学的な表現では変動波形のフ−リエ分解を行うのです。単一周波数の正弦波的な変動は線スペクトルで、色々な周波数成分から成り立つ乱流は連続スペクトルです。下の図は両方のスペクトルの例です。流れは一樣流の中におかれた円柱の後流です。横軸は周波数で、縦軸はエネルギ−がデシベルで表されています。左は上流で測られたものですが、そこでは270Hzの近所に鋭いピ−クがあり、これは円柱の後流に作られる渦列の線スペクトルです。右はずっと下流の速度変動のスペクトルで、線スペクトルが消滅して、全域にわたって、連続スペクトルになっています。この二つを比べて見ると、乱雑化という過程は、線スペクトルが連続スペクトルに変わっていく過程だ、と言うことが出来ます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

6.乱雑化

 非線形干渉の段階になると数多くの変動速度の波が作られて、乱流に近付きます。しかしこれらはきちんと並んでいて、乱雑さがありませんから乱流そのものではありません。まだ中間流です。それでは乱雑化はどのようにして起きるのでしょうか。この点については学者の間にもまだ定説がありません。私は自分なりの説を述べることにします。

 乱れの全くない流れは存在しないと述べましたが、いくら上等な風洞でもごく弱い乱れがあります。その乱れが後流の中で線形成長をします。これは目立たない第3の男です。成長した乱れが第1、第2の成分との非線形干渉で、それらを乱雑化して乱流らしくします。それでは風洞の中の乱れはどこから来たのでしょうか。恐らく送風機あたりからでしょう。それでは送風機の乱れはどこから−−−と辿っていきますと、この宇宙が作られたときに、神様がほんの耳掻き一杯の乱れも一緒に作っておいた、という結論になります。これは流れだけではないでしょう。人の住む社会が進歩するには乱れが必要なのですから、そこにも神様は乱れの種を作っておいて下さったとも言えましょう。神様が気に入らない人は人間の遺伝子の中に、争いを好み、場合によっては相手を殺しかねないような機構が組み込まれているといえばよいでしょう。こうなると、乱れの発生の鍵を握るのは昔からある古い乱れの種と、非線形干渉であると断言できます。

 レイノルズ数がある程度大きいときは、乱流の作られるプロセス次のようになります。

    層流−−−線形成長−−−非線形干渉−−−乱雑化−−−乱流

 この図式は一般的で、どのような流れにも成り立ちます。ただ前の円柱の場合にはカルマンの渦列という強い撹乱が加えられますので線形発達が無く、あっと言う間に乱流になりますので、それを突発遷移と名付けましょう。後の例は緩慢遷移です。この分類は遷移のスピ−ドを表現するだけのことで、さして本質的なものではありませんが、この区別は便利です。いくつかの例を挙げてみましょう。

 健康な体は層流に対応し、病気は乱れと考えられます。例えば癌は初期には緩やかに進行し、やがて致命的な段階に到達します。これに対して脳内出血や心臓発作は突発遷移です。夫婦喧嘩は人生の彩りとも考えられますが、それが段々に烈しくなり、やがては離婚にまでいく場合と、浮気の現場が見つかって有無を言わさぬ突発的な破局になることもあります。明智光秀がいきなり本能寺の信長を襲ったのは、表面的には突発ですが、光秀の内心を推測すると、色々な憤懣が緩やかに蓄積してきた緩慢遷移でしょう。

 

7.乱流の一生

 このようにして作られた乱流はどのような一生を送るのでしょうか。流れの中の速度変動のエネルギ−は流体の粘性の為に絶えず熱エネルギ−に変わっています。すなわち絶えざる消耗です。エネルギ−の補給、別の言い方では何か餌が無ければ乱れは生き延びることはできません。現実には乱流はかなり生き残っています。それでは餌はどこにあるのでしょうか。結論を言えば餌は平均速度の勾配です。速度そのものではない事に注意して下さい。後流の中の平均速度はある分布をしています。すなわち平均速度には勾配があります。乱れはそれを食べて生きているのです。随分風変わりな餌です。後流のAという断面とBという断面を比べてみると、Bの分布は緩くなって、勾配が小さくなっているのが分かります。それは勾配を乱れに食べられたからなのです。C断面では分布がほとんど平坦で、食べるべき勾配がありません。こうなると乱れは生きていけなくて、死んでしまいます。

 流れ以外の乱れでも事情は似ています。例えば圧政に反抗して立ち上がり、革命を目指して乱れを起こしたとしても、武器や食料のような叛乱軍を支える餌がいりますし、それらは常に消耗します。その補給が絶えたら叛乱軍は消滅します。中国で国民党軍と共産党の人民軍が戦ったとき、人民軍は軍規厳正で、住民に迷惑を掛けなかったために、住民の支持を獲得して補給がなめらかに行われ、勝利したといわれています。住民の支持を得られない叛乱は必ず失敗します。また癌は体の中の乱れですが、それが栄養の補給を受けて成長します。その補給を断てば癌を制圧できることは言うまでもありません。