乱れ六講     その三

 

乱れの構造と理解

 

 今回は出来上った乱れの構造と、それをどのように理解できるかを考えます。

 

1 平均と変動

 乱れを理解するためには、いくつかの基礎知識が必要です。その第一歩は平均と変動の分離です。乱流では流れの中の一点での速度が時間的に変動します。その速度の時間平均が平均速度で、瞬間速度から平均速度を差し引いたものが変動速度です。この場合、変動速度は正と負に揺れて、平均はゼロです。台風が来たときに、最大風速40m/sなどと放送されることがあります。風は”息をする”のでこれは普通、1分の平均を表しています。これに対して最大瞬間風速と言われるのはもっと平均時間の短いものです。

 流れは質量を持った流体の運動ですから、運動エネルギ−を持っています。そのエネルギ−も平均と変動に分解できます。

 

2 大きさと強さ

 次に乱れについての基本的な表現を吟味しましょう。それは強さと、大きさです。日本語ではこの二つが混同されることがよくありますが、この区別は重要です。大きな声と言いますが、これは本当は強い声と言うべきでしょう。乱れの強さというのは変動の振幅の平均速度に対する割合です。一方、大きさというのは乱れが何となくまとまっている大きさです。風が吹いたとき、木の下流に出来る乱れよりも、ビルの後ろにできる乱れは大きく、それよりも山のまわりの乱れの方が大きい、といった案配です。強盗が入って、3人が殺された。というのは強い乱れですが、大きくはありません。風邪が流行したので全国で100万人の患者が出た。というのは大きな乱れですが、弱い乱れです。台風が接近した時、”今度の台風は小型だけれど、非常に強い。”と放送されることがあります。これは完全に正確な表現です。これに比べて、地震があったとき、”地震の規模を示すマグニチュ−ドは4.2です。”というアナウンスが出ますが、これは全くの誤りです。規模というのは大きさ、広がりを示す言葉で、強さを表すマグニチュ−ドに使ってはなりません。

 

3 エネルギ−

 もう一つ大切なのはエネルギ−の出入りです。床の上で独楽(こま)が回っていると思って下さい。独楽には二つの力が働いています。一つは軸の底面と床との摩擦力で、もう一つはまわりの空気の粘性力です。もしこれらの力が無かったら、独楽は永久に回り続けるでしょう。しかし実際にはいつかは止まって倒れてしまいます。独楽に適当に息を吹きかければ回り続けさすことができるでしょう。江戸時代に、息を吹きかけて独楽をどれだけ長く回すことができるかという遊びがあったそうです。独楽が止まるのは床と空気との摩擦で運動のエネルギ−が熱に変わってしまうからです。息を吹きかけるというのは運動エネルギ−の補給です。餌を与えると言ってもいいでしょう。餌が十分であれば熱への損失があっても独楽は回り続けます。この回っている独楽のようなものをを”散逸系”と呼んでいます。エネルギ−がどんどんと熱になり、そのエネルギ−はもはや運動エネルギ−としては回収できないからです。それに対するものがエネルギ−損失の無い”閉鎖系”です。閉鎖系は簡単で、考えやすいのですが、世の中の大部分は散逸系です。

 

4  剪断流

これだけの予備知識で幾つかの乱れを考えてみましょう。

_jsimg0 図は前号でも紹介した、薄い板の後流が乱流になったときの平均速度(黒実線)と乱れの強さとの分布(赤線)です。流れは左から右で、図の中の矢印は流れの方向の3つの断面での横方向への平均速度の分布を表しています。(1)は上流側で、(2)(3)と下流になります。Xは中心線で平均速度が最小になります。それは物体の真後ろだから当然です。流れに直角な方向(図の上下)に速度が増えています。すなわち平均速度の勾配があります。このような流れを”剪断流”と呼びます。我々が日常目にする流れのほとんどはこの剪断流です。この平均速度の勾配が乱流について決定的な重要性を持っています。

 乱流の速度変動の運動エネルギ−は流体の粘性の為に絶えず熱エネルギ−に変わっています。乱流はすべて散逸系なのです。補給がなければやがては乱れは死んでしまいます。それでは餌はどこにあるのでしょうか。平均流が大きなエネルギ−を持っていることは確かですが、そのままでは餌になりません。調べてみると、その餌は図の平均流の勾配という窓口を通してだけ与えられることが分かりました。平均流のエネルギ−がいくら大きくても一様な分布では餌になりません。これは肉を食べるのが目的のギョ−ザに皮が必要なのに似ています。肉も皮も食べられてしまいます。別の言い方では、平均流のエネルギ−が変動に移るには、速度勾配という、触媒のようなものが必要なのだということです。速度勾配の大きい場所では乱れも強くなっています。勾配が最大の点で乱れ強さが最大になっています。流れ方向では、(1)の方が(2)よりも、(2)の方が(3)よりも勾配が大きく、沢山の餌を供給しています。下流にいくにつれて後流は拡がり、速度は一様に近付き、勾配は食べられてしまったように小さくなります。(3)の断面では速度分布がほとんど平坦で、勾配は極端に小さくくなっています。こうなると乱れは生きていけなくて、死んでしまいます。とりあえずこれを”短命乱流”と名付けます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

5 境界層

 次の例は境界層です。飛んでいる飛行機の翼を想像して下さい。空気が翼に沿って流れます。翼を止めて考えると、翼のまわりには高速の流れがありますが、翼の表面では速度はゼロです。即ち流れは表面で滑ることはできません。それは空気の粘性のためです。翼から離れていくにつれて速度が大きくなりますので速度の勾配ができています。この勾配の存在する範囲を境界層と呼んでいます。これは典型的な剪断流です。この境界層は翼の前縁付近では層流ですが、まもなく遷移をして乱流になります。それが乱流境界層です。この場合は翼の先端から翼の後縁まで速度勾配がありますから、この乱流は餌に困らず、死ぬことはありません。”長命乱流”と言ってもよいでしょう。境界層が乱流になると、摩擦抗力が増えるので、燃費が悪くなります。どの様にして境界層を層流に保つかと言うことが航空技術者に与えられた永遠の課題です。

 

6 気温 体調 叛乱 

 季節の変わり目には毎日の気温が気になります。昨日と今日で気温が10度も違うことも珍しくありません。過去100年以上の観測の結果から、毎日の平均気温が計算されています。平均気温そのものは季節と共にゆるやかに変わります。ある日の気温がちょうど平均気温になると平年並みと言われますが、その通りになることは殆どありません。気温はひどい乱れです。その乱れの原因は高気圧や低気圧を含む大気の大規模な乱流です。この乱れを維持する餌は結局は太陽から降り注ぐエネルギ−にほかなりません。

 

 体調の崩れも一種の乱れです。無事な日常生活が平均で、それからのずれが病気です。世界中に拡がるエイズのような大きな乱れがありますが、一番小さいのが個人の病です。その中でも典型的なのは癌です。遺伝子の情報が乱れて、余計な細胞が際限なく増殖します。そして肺や肝臓などの臓器の機能を破壊して、ついには死に至ります。遺伝情報の乱れの原因はまだ完全には解明されていませんが、細胞の異常な増殖を支えている餌は、供給される栄養であることははっきりしています。この栄養の補給を断つことが出来れば、癌という乱れが制圧されます。

 

  最後の例は叛乱です。落ち着いた生活を送っていた普通の人々が政府による、あまりの圧政に反抗して立ち上がり、革命を目指して乱を起します。その時、武器や食料のような叛乱軍を支える餌が必要です。その補給が絶えたら叛乱軍は消滅してしまいます。住民の支持を得られない叛乱は必ず失敗するのです。

 

7 束縛

 乱流の性質を決めるものは、それに加えられている束縛です。流れに加えられる束縛は、それが連続体であることと、ニュ−トンがはっきりさせた力学法則です。乱流はこれらの束縛を逃れることはできません。これが乱流が全くのでたらめにならない理由なのです。

 

 乱流以外の乱れでも束縛は重要な役割を果たします。いくつかの例を挙げましょう。

 戦争という乱れは無茶苦茶な殺し合いのように見えますが、そこに民族性という束縛が現われます。戦闘で負けがはっきりしたとき、手を上げて降伏するか、全員突撃で玉砕するかの選択があります。”生きて虜囚の恥かしめを受けず”という束縛では玉砕以外にはありません。一方では命を惜しんで、何万という大軍が全員捕虜になることもあります。

 

8 モデル

 乱れの理解に欠くことのできないのがモデルです。私達は何かを表現し、理解しようとするときするとき、”−−−のようなもの”と言って、自分の経験に結びつけようとします。例えば経済の変調を”バブルがはじけた”という、経済とは全く関係の無い言葉をモデルとして使います。この方法を乱れにも使ってみましょう。

3−2図 図は乱流境界層の中の一点で観察された速度変動の波形です。横軸は時間で、縦に瞬間速度をとってあります。水平の直線は平均速度です。すぐ分かることは、周期の長い、緩やかな変化と、周期の短い急な変化とが乱雑に混ざり合っていることです。ちょっと想像力のある人なら、乱流というものは色々な波長、色々な振幅の波の混ざり合いで出来上がっているのだろう、と考えるでしょう。これが乱流の波モデルです。研究によると、速度勾配を通じて入ってくるエネルギ−はまず波長の大きな波に与えられます。そして非線形干渉によって、大きな波は段々小さい波に分解します。気取った言い方をすると、波長空間の中で、エネルギ−が大きな波長成分から小さな波長の成分に流れます。そしてそのエネルギ−は粘性によって熱に変わるのです。このモデルはいわゆるフ−リエの級数展開に基礎があります。すなわち、どのような不規則な変化も波の集まりとして表現できるという数学的な原理があるのです。

 今の波の話はそれを渦で置き換えても全く同じように言えます。これが渦モデルです。”乱流は色々な形、大きさの渦が乱雑に、沢山集まったものだ。”というのです。私達は水面の渦をしょっちゅう見ていますから、この渦モデルでなんとなく分ったような気がします。大きい渦は壊れて小さい渦になる、といわれます。小さな渦は粘性によって消滅します。このモデルは広い応用を持っています。例えば戦国時代の大名や、領主たちは強さや、大きさが色々に違った渦と思ってもよいでしょう。これは足利将軍という大きな渦が壊れてできたものですが、弱い渦は段々と大きな、強い渦に呑み込まれて、秀吉が最大、最強の渦になりました。しかし家康がそれを潰して唯一の大渦になって、乱れは無くなってしまいました。

 第3が数学モデルです。数学が得意の人にとっては、数式はペットの猫のように可愛いくて、数式が与えられると、何となく分ったような気がするのです。乱流の数学モデルとしての一番人気はナビエ・ストウクスの方程式です。これは非線形偏微分方程式という、数学的にはひどく厄介な代物です。読者のしかめつらが見えるようなので、数学に深入りすることは止めますが、コンピュ−タ−を使って乱流が少しずつ計算できるようになったとだけ言っておきます。

 それではこれらのモデルのどれが一番いいのか、という問いが出ます。流れや乱れに限らず、なんでも目で見なければ承知しない人があり、また抽象的でも厳密な記述が一番分かり易いという人もいます。これらは恐らく遺伝的な性質でしょう。学生時代から数学が苦手だったという人にとっては、数学モデルは論外でしょう。しかしその人にも乱れを理解する権利があるのですから、自己流のモデルを選べばいいのです。