乱れ六講   その四

乱れの作用

  

 今回は乱れがどんな作用を持つかを考えます。これは乱れの内部横造というよりも外部へのかかわり方の問題です。乱れは我々の側から見たときに良いことも、悪いこともします。

 

1.風害  

 最初が風害です。我が国は台風の通り道で、強い風と、大量の雨に悩まされます。風速が40 m/sを越えるようになると、かなりの被害が出ます。風の力は速度の2乗に比例しますから、力は20 m/sの時の4倍です。高い木や鉄塔が倒れます。このとき、木は風に押されるように後ろに倒れるのではなく、風に直角な方向に揺すぶられて倒れると言われています。それは木の後ろに周期的な渦が発生して、それが木を左右に揺すぶるからです。揺すぶりの周波数は風速に比例します。その周波数が鉄塔などの固有周波数に一致したときには被害が大きくなります。また、風は一方向に吹き続けるのでなく、地形によって大きな渦ができて、いわゆる”息をする”ことが屡々あります。この風の息と、建物や木の固有振動数が一致すると悲劇的な被害が発生します。最近になってビル風も大きな問題となりました。背の高いビルの周りに乱流が発生して、歩きにくくなったり、ものが飛ばされたりします。アメリカのMIT(マサチユーセッツ工科大学)で、新しいビルを建てたところ、隣の建物の正面のドアが開かないほどの風が発生しました。設計した建築家が悪い、いや流体屋がぼんやりしていたからだと、責任のなすりあいが始まりました。このビル風は以前に紹介した剥離流で、強い乱れを伴っている始末の悪い風です。

 

2.水害 

 雨で川が増水したとき、橋脚のすぐ下流に渦が巻いていて、川底が削られます。そこに橋脚が倒れ込むと、橋の流失となります。また堤防が心配になります。流れに中の乱れによって堤防の土がもってっゆかれる以外に、川の流れの中には数多くの、大小さまざまの石が含まれていて、それらが堤防を叩いて崩そうとします。川が蛇行して乱れが強くなっている場所では堤防が決壊し、水害となります。何年か前に多摩川が増水して、堤防がつぎつぎに”かじり取られて”岸に建っている家が一軒、また一軒と流されていくのを、指をくわえて見ているしかないという口惜しい事件がありました。テレビで見ていると、岸の近くの流れに強い乱れが発生して、そのために岸の土が持って行かれているのがはっきりと分かりました。

 

3.堆積

 強い乱れを含んだ川の流れは川底を浸食して深い峡谷を作ります。有名なグランドキャニオンがその例です。削り取られた砂や土は乱れによって持ち上げられて下流に流され、そこに堆積します。ナイルの下流のアレキサンドリアや太田川の下流の広島三角州などがそれです。浸食と堆積という正反対な現象に、乱れが複雑な形でかかわっているのです。右図を見て下さい図の中央の北から南に流れる太田川が瀬戸内海に流れ込む下流に三角の形になって、堆積したのが広島三角州です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

4.飛行機

 空気に乗っている飛んでいる飛行機にとっては風の乱れは大敵です。大気の中で乱れが強いと、空気が強くかき回されますから、雲が発生するのが普通です。パイロットはいやな形の雲を見つけると、それを避けるなり、覚悟をして進入しますが、厄介なのは雲の無いところにできる”晴天乱流”というものです。気象条件によっては、いくら乱れが強くても雲ができないことがあります。その中に突っ込むと、飛行機はいきなり上下、左右に翻弄されます。シートベルト着用のサインも出ていませんから、お客さんは天井に叩きつけられます。もっと深刻なのは滑走路の近くにできる規模の小さい乱れです。小さいので飛行場に配備した風速計も感知することができません。突然下向きの風が吹くと危険です。上から真下に吹かなくても、斜めに飛行機に吹き付けるだけで、飛行機の翼の迎角が減って、揚力が不足して、急降下します。飛行機の後ろからくるいわゆる追い風も危険です。帆掛舟には最適の、この追い風は、瞬間的に飛行機の空気に対する速度を下げて、揚力の急激な低下に結びつきます。飛行機にとって乱れは良いことは一つもありません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

5.摩擦力

 流体の粘性の作用が強調されるのも乱れのせいです。例えば平たい板に沿って流れがあるとき、板の表面では粘性のために速度がゼロで、外側には流れがあるので、板の表面付近には速度の勾配ができます。これを境界層と呼ぶことは先に述べました。粘性によって板に加わる摩擦力は板の表面での速度勾配に比例します。層流の場合はこの勾配が小さいのですが、境界層が乱流になると速度の速い流れを板の表面付近にまで送り込むので、勾配が大きくなって摩擦力を大きくするのです。なんとか境界層を乱流にしないで、層流に保っておこうという研究が莫大な予算で世界中で行われています。この問題の研究者にとっては乱れは不倶戴天の仇です。下図はレイノルズ数によって摩擦係数がどのように変化するかを示したものです。境界層が層流ならば左下隅に赤線で示したように摩擦抵抗はレイノルズ数とともに減少するはずですが、途中から右上がりに増加しています。これは境界層が乱流になるためで、技術者は何とか、その増加を食い止めようと一生懸命なのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 摩擦力と似ているのが流れによる物体の表面からの熱の出入りです。物体の方が流れよりも温度が高いときは流れが熱を取り去る形になります。その逃げる熱の量は表面での温度勾配に比例します。境界層が乱流ならば外側の温度の低い流れを表面の近くに持ち込みますので、温度の勾配も大きくなり、逃げる熱が増えます。寒い冬山で、風が吹いて体のまわりに乱流境界層が出来ると、体温がどんどん奪われて遭難することになります。物体の温度の方が低い場合は熱が物体に流れ込む形になります。熱い風呂に無理して入っている時、じっとしていれば我慢できても、誰かが飛び込んで乱流を作ると堪らなくなって飛び出すことになります。

 

6.拡散

 乱れの作用で誰にでも分かるのは混合と拡散です。どちらも混ざり合いですが、混ざり合う流体の量が同じようなときが混合で、一方の量が圧倒的に多いのを拡散と呼びます。100 mlのウイスキーを100 mlの水で,”割る”のは混合で、煙突から出た有害ガスが広い大気の中に広がっていくのが拡散です。両方とも機構としては大きな差はありません。種類の違った二つの流体が接していると、両方は接触面から他の流体に流れ込もうとします。これが分子拡散で、拡散の度合いが拡散係数というもので表現されます。水とアルコールは混ざりやすくて、大きな拡散係数ですが、水と油は混ざりにくくて、拡散係数はうんと小さいのです。コップの下半分に水があり、上半分にアルコールが静かに乗っている図を想像してください。拡散の仕方は接触面積と、濃度の勾配に比例します。何もしなければ接触面積はコップの断面積です。スプーンでかきまわして乱れを作ると、両方の流体が上下、左右に不規則に動き、接触面はひどく変形して、接触面積が増えます。規模の大きな乱れは大きくかき回しますし、小さな乱れは小さなでこぼこを沢山作ります。それによって接触面積は何千倍、何万倍になり、混合は促進されます。乱れのもう一つの仕事が接触面より離れた所にある水と、濃いアルコールを接近させることです。すなわち濃度勾配を大きくすることです。それによっても拡散が促進されます。このような拡散を乱流拡散と呼んでいます。乱流拡散の程度は乱れの大きさと、強さの積で評価されます。大気中に放散された有毒なガスがどのように拡散するかを決めるものが大気の中の乱れです。この乱れは気象状況によって決まります。いろいろな気象の時の拡散を経験的に見積もることができます。風が弱く、乱れが弱いときには、高い濃度の有毒ガスが長時間滞留します。大気の中に逆転層といって、冷たくて密度の大きい空気の層の上に、暖かくて密度の小さい空気が乗っているような時は乱れが弱く、拡散係数が極端に小さくなって、スモッグのような大きな被害を受けます。こんなときには”乱れよ、来い”と叫びたくなります。

 乱流拡散は海の中でも重要です。二つの例を挙げましょう。一つは瀬戸内海の問題です。瀬戸内海は面積の割に太平洋や日本海につながる開口部が狭いのです。沿岸の都市から汚い水が流れ込んでくるので、海はどんどん汚れます。どうすれば瀬戸内海を生き返らせることができるのでしょうか。四国を南北に横断する運河を作って太平洋と結べ、という雄大な案も飛び出しました。もう一つの例は海水による炭酸ガスの吸収です。地球の温暖化に関連して、大気中の炭酸ガスがどれほど海水に溶け込むのかを精度良く見積もることが重要となりました。溶け込みの量は濃度勾配に比例しますから、ここでも乱れの出番があります。今のところ此の問題に対する研究は十分には進んでいません。海面の波で取り込まれた炭酸ガスがどのようにして深い海の中に拡散するかによって、海面の炭酸ガス吸収量は大きく変わってきます。海の広さを考えますと、吸収の機構によって炭酸ガスの濃度の見積もりが大きく変わり、場合によっては今の温暖化の予測を根底からひっくり返す可能性すらあります。このような事情は流体と固体の間にもあります。水の中に角砂糖を放り込んだとして、表面で砂糖が少しずつ水の方に溶けていきますが、表面付近にできた濃い濃度の砂糖水を取り去って、新鮮な水で置き換えるのが乱れの役割です。それによって砂糖がどんどんと溶けます。空気の中に放り出された煤(すす)のようなものは空気に溶けることはありません。このときの乱れの役割は煤と煤との間隔を大きくするところにあります。それが煤の濃度を薄くすることにつながります。太平洋の真ん中で船から海の中に二つのビール樽を放り込んだとしましょう。もし流れが全然無いか、層流であればこの二つの樽はいつまでも一緒にいるのですが、乱流が存在する場合は樽の間隔はどんどん大きくなります。太平洋の真ん中で放り込まれた2つの樽の一方が中国に、もう一方が北海道に流れ着くことにもなります。このとき、樽の間隔の程度の大きさの乱れが重要な働きをします。間隔に比べてずっと大きい乱れは二つの樽を一緒に運びます。逆にうんと小さい乱れは間隔を広げるのには何の役にも立ちません。

 混合は流れの中だけにあるのではありません。社会の中でも階級の混合、民族の混合、宗教の混合が進みます。社会に大きな乱れができて、人々が遠い所にも移動するようになると、その混合は促進されます。同じ場所に住んでいる複数の民族が自分たちの結束だけを堅くして、頑なに混合を拒否していればいつかは悲劇が起こります。社会に強い乱れができて、権力の垂直方向の混合が盛んになると、支配階級に新しい血が入ります。戦国時代や明治維新ではそのような強い混合がありました。これは乱れの良い方の効果といえましょう。

 このような乱流拡散の役割はいろいろなところに現れます。例えば植物の葉で行われる光合成です。葉のそばにある炭酸ガスは光合成で固定されて葉の中に取り込まれますから、そこでは炭酸ガスの濃度が低くなります。乱れはその炭酸ガス濃度の低い空気を取り去って、濃度の高い空気と取り換えます。それによって光合成の生産量が増えます。風を吹かしたり、植物の全体を振動させることによって作物の収量が増えることはいろいろな実験で示されています。

 海でも乱れが仕事をします。魚礁というものがあります。割に浅い海底に古い船とか、コンクリートのブロックとかを沈めると、そこに魚が寄ってきてよい漁場になります。なぜそうなるのかは魚に聞いてみないと分かりませんが、どうやら乱れが関係しているようです。一つの理論はこうです。乱れで海水がかき回されると海底の養分が巻き上がって、それを食べるプランクトンが増え、今度はそれを追いかけて魚が集まってくるというものです。もう一つの理論は、魚はもともと静かな流れが嫌いで、乱流の中で運動し、成長するのだというものです。いずれにしても乱れの効果は無視できません。

 

7.化学変化

 二つの流体が拡散だけでなく、化学変化をする場合も同じようなことが起きます。化学反応で発生した物質を取り去って、新鮮な物質同士が接放する機会を提供するのが乱れの役割です。そのお陰で化学反応はどんどんと進みます。試験管の中で化学反応を起こさせようとすれば、誰でも必ず試験管を振って乱流を作ります。もっと規模が大きいのが化学工場の反応塔で、どのような乱れを、どのようにして作れば化学反応が速くなるのか、という技術が化学工学の核心です。

 もう一つの例は自動車のエンジンです。エンジンの中ではシリンダーと呼ばれる空間でガソリンが燃えるわけです。気化したガソリンと空気がうまく混ざらないと、燃えないままに排出されたりして、効率は上がりません。一方、よく混ざり合って、燃え方が均一ならば燃焼後の温度が高くなって、高い効率が期待できます。すなわち燃費がよくなるのです。拡散や混合に役立つ乱れは我々の味方です。

 

8.音

 乱れの作用で最近になって重要性を増したのが音の発生です。流れの中での音の発生にはいろいろなタイプがありますが、純粋に乱れから出てくるものがあります。ジェットエンジンが典型的な例です。この種の音は流れの速度がうんと速くないと強くなりません。ジェットエンジンのジェットは音速を超えるほどのスピードですから、もの凄い音が出るのは当然です。音を弱くするには乱れを弱くすれば良いことは分かっています。しかしいろいろな研究にもかかわらず、推力を下げないで乱れを弱くすることは容易ではありません。ジェット機の音は現在でも御承知の通りです。このときの乱れは完全に悪者です。

 新幹線のスピ−ドが上がると、それにつれて音も強くなり、公害となります。音は主にパンタグラフから出るので、最近は色々な形の音の出ないようなパンタグラフが考案されています。

 笛は世界中にどこにでもある楽器ですが、音が出るのは乱れた流れによっています。適当な共鳴箱を伴うと、澄んだ音色や、びっくりするほど強い音を出すことが出来ます。

 

 このように乱れは毒にもなり、薬にもなります。強い毒ほど良い薬になると言われています。なんとか毒を抑えて、よい薬を提供するのが乱れ屋の神聖な使命です。