乱れ六講   その五

乱れの中の秩序

 

 今回は一見すると乱雑に見える乱れの中にも秩序が存在するという話です。典型的な例として、流体の乱流境界層と、社会の中の乱れを取り上げます。

 

1.境界層

 まず境界層の研究がどのようにして行われるのかを解説しなければなりません。流れを作ることから始めましょう。空気の流れを作るには風洞が適当です。風洞には大小いろいろとありますが、境界層研究用のは中型風洞で、測定部の断面が1 m l mぐらいのものです。この風洞では風速が高い必要はありません。何よりも大切なのは流れが一様で、乱れがぎりぎりまで弱いことです。これが低乱風洞と呼ばれるものです。その中に、流れに平行に平らな板を立てます。居たの前縁に丸みを付けておくと流れは板に沿って流れて、表面に境界層が作られます。板の上流部分に適当な凸凹をつけておくと境界層は乱流になります。次には乱れを正確に測る測定器が必要です。それは熱線風速計というものです。測定の原理は簡単です。冬の暖かい日にも風が強いと寒く感じます。風のために体から熱が奪われるからです。これを風速の測定器にするには、二本の支持棒の先端に橋をかけるように細い金属線をハンダ付けして、電流を流します。すると線から熱が出て、線の温度が上がります。それを流れの中に入れると、風速によって線の冷やされ方が変わり、温度が変わります。金属線は温度が変化すると電気抵抗が変わりますから、電気抵抗を測ると風速が分かるというわけです。流れが乱れて、速度が変動していると、電気抵抗も時間的に変化して、出力電圧が変動します。これが熱線風速計の大まかな説明です。線が太いと風速の速い変動に追随出来ないので、白金やタングステンの、直径が5ミクロン以下といった非常に細い線を使います。それでも周波数の高い変動にはついていけませんので、適当な電子回路を使って周波数特性の補正をします。速度が電圧に変換されれば、アナログやディジタルの技術を使って、データをどのようにでも処理することができます。

 

2.多線熱線風速計

_jsimg0 乱流境界層の中は決して一様ではありません。板に近いところでは時間平均の速度が小さくて、乱れが強く、板から離れるにつれて、平均速度が上がり、乱れが弱くなります。ある時刻に境界層の中で何が起きるかを知るために沢山の熱線を境界層に入れてみます。これが多数熱線風速計です。それを使った結果が第5図です。これは境界層の中で板からのいろいろな距離に14本の熱線を入れて、同時記録した速度変動の波形です。横軸は時間で、左から右に流れます。下の方は平板の近くで、上の方は板から離れた場所の波形です。これらは典型的な乱流の不規則波形です。しかし2つの円の中を見て下さい。3本か4本の波形に共通な特長が見られます。細かい鋸のような波形を無視すると、赤線で示したように、周期の長い波がゆっくりと下がった後に、鋭く立ち上っています。これらの観察から、ここには時間軸、即ち流れの方向と、それに直角な上下方向にまたがって、一緒になって動く大きな空気の塊があることが分かります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

3.条件付抽出 

_jsimg0 緩やかに下がって、急に上がるという特長を条件にして、長時間の記録から条件に合った記録だけを抜き出すことができます。これが条件付抽出です。選び出された一つ一つが大規模な秩序運動というわけです。これは小学校の全校生徒の中から色の白い生徒だけを選び出すという抽出に似ています。しかしこの抽出は、1月生れの生徒を集めるというのとは決定的に違います。後者では全く間違いのない客観的な抽出が可能なのに、色の白いという条件は厳密ではなく、どこまでを白いというのか分かりません。乱流の場合も同じ不確かさがあります。区別の線引きが実に曖昧なのです。物事がはっきりしないことを憎む人にとっては、このいい加減さは我慢できません。しかし乱流屋はタフです。境界層の中のある点で、さっきの条件が満たされたとき、その周りの流れがどのようになっているのかを執拗に追いかけます。これで秩序運動の3次元的な姿を見出そうというのです。そして抽出された秩序運動の平均をとります。これは今度は色白の生彼達の顔の平均をとるという暴挙です。

 このやり方には全く正統性がありません。しかし実際問題としては、そうでもしなければまとまりがつきません。我々も悪いこととは知りながらそれをやりました。そして平均的な秩序運動の形は、2本のつながったバナナが平板の上に、くぼんだ方を上にして置かれたような物だと結論して、それをバナナ渦と名付けました。第6図は境界層の中のバナナ渦です。太いのや、細いの、背の高いのや、チビなどが混ざり合っています。世の中には、なんでも目で見なければ承知できないという人がありますし、百聞は一見に如かずという格言もあります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

4.煙線写真

_jsimg0 秩序運動が実際に存在するのなら、それを目で見ようということになります。見るための技術としてここで紹介するのは煙線です。流れに直角に細い金属線(煙線)を張って、それにベビーオイルを塗っておきます。その線に急に電流を流すと、線の温度が上がるので、オイルが揮発して白い煙になります。すぐ電流を止めると細い煙の線が出来て、それが線から離れて流されます。煙が発生してから少し時間をおいてフラッシュを光らせて煙を撮影します。カメラのシャッターを開いたままにしておいて、また少し時間をおいてフラッシュを何度か光らせます。このようにして何枚も重ね撮りをすると流れによる煙の変形が見られます。下図は境界層の中に煙線(一番左の真っ直ぐな白い線)を平板に垂直に立てて、フラッシュを10回光らして撮影した結果です。風速は2 m/s、フラッシュの時間間隔は1 6 msです。ここに写っているのは0.16秒の間の乱れの姿です。いくつかの煙の線はまるで踊っているように見えますが、細かい凸凹を無視すれば、煙線はある形を保ったまま下流に流れています。この形が秩序運動なのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

5.秩序発見の歴史

 乱流の中に秩序らしいものが最初に発見されたのは30年ほど前のことです。その始まりは水の中の境界層に注入された色素の観察からでした。普段は色素はひどく乱れていますが、時々、色素が一つのまとまりとなって、ふわっと動くことがあります。これが大規模な秩序運動として報告されました。その報告を聞いた時の乱流研究者たちの反応は冷ややかなものでした。しっかりした乱流にそんな秩序があるわけはない、何かの見間違いだろう。いや彼の境界層が不完全だからだ。と悪口をいわれました。また、たとえそれが本当に存在したにしても、それがどうだと言うんだ、と切り捨てられました。ところが別の人の空気の中の精密な実験でも同じような結果が報告されました。また過去の実験で得られた乱流境界層を維持するための平均流から変動へのエネルギー流入が壁のごく近くの狭い範囲で起きるという結果を説明できるのは、この秩序運動だけだということがはっきりして、俄然注目を集めました。また基礎方程式の直接数値計算の結果からも秩序構造が見出されました。このようにして乱流の中の秩序運動は確乎たる地位を占めることになりました。しかし議論は続いています。我々のバナナ渦も誰にでも受け入れられているわけではありません。いつまでも続いている議論は風洞が違っているとその中で発見される秩序運動も違っているのではないか、というもので、これに対しては、はっきりした結論は得られていません。                     

 

6.社会

 ここで目を社会の方へ移しましょう。人類の歴史は乱と治の繰り返しです。中でもそれがはっきりしているのは中国の歴史です。王朝が興っては滅び、次の王朝が跡を継いではまた滅び、という具合です。歴史の中のある時点での社会の状態を数量的に表現するために、乱雑度というものを考えてみましょう。乱であるとか、治であるとかの、黒か白かと言うかわりに、すべては乱であって、その乱の強さを乱雑度というもので表現しようというわけです。社会が平和で、もめ事が少ないときには乱雑度は小さいのですが、烈しい権力争いがあったり、外敵が攻め込んできたりすると、乱雑度は大きくなります。失政が続いて、領土のいろいろなところで反乱が起き、それが”燎原の火のように”全国に燃えさかるとき、乱雑度は頂点に達します。反乱軍と政府軍とが、また反乱軍の間でも激しい戦いが展開されます。やがて最終戦争の勝利者が覇権を握って、新しい国家の成立を宣言し、皇帝の位に即きます。新王朝の誕生で乱雑度は急減してゼロに近づきます。このようにして中国の歴史の乱雑度は100年、200年という周期で変動することになります。

 

7.日本史

 日本の歴史には王朝の交替はありませんが、乱雑度は変動します。下図はそれを現わしたものです。横軸が時間で、縦軸が乱雑度です。何千年も前のことはよく分かり_jsimg0ませんが、神武天皇と称する人が国の統一をして、乱雑度が下がりました。大宝律令などが出て国の秩序が整うにつれて、乱雑度はまた下がります。しかし平安時代の後期から乱雑度は上り始めます。頼朝が鎌倉幕府を開いたところで乱雑度が下がりますが、室町幕府が倒れて、戦国時代が始まり、乱雑度は史上最大になります。全国で大小の徒党が激しく争います。しかし完全に乱れる事はありません。面白いのは、どの徒党も似たような秩序構造を持つことです。すなわち大将と、それを補佐する軍師のような知恵者と、実際に敵と闘う強い豪傑がいて、その下には出世を狙う沢山の足軽がいるといった具合です。これが戦国時代の乱雑の中の秩序の姿です。家康が全国を統一してから、乱雑度の低い250年の江戸時代が続きました。慶喜の大政奉還のあと戊申の役がありましたが、明治政府が秩序を取り戻しました。その後、何度かの戦争を経て、大東亜戦争の時は国内は警察や憲兵に抑えられて、乱雑度は極端に小さくなりました。乱を企てる危険分子はすべて投獄されたからです。敗戦で大混乱が始まり、ゼネストの直前までいきましたが、GHQの指令で阻止されました。安保反対や学園紛争もありましたが、現在は歴史の上でも珍しい程の低い乱雑度になっています。学生さんはデモもストも忘れています。将来どのようになるのが望ましいかという質問にはいろいろな答えがありますが、乱雑度が小さくて、がちがちに固まった社会では息が詰まります。乱暴なようですが、私はもっと乱雑になる方が活力に満ちた社会になると思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

8.経済

 経済の乱雑度を考えてみましょう。社会主義経済は計画経済で、頭の良いテクノクラートの作った経済計画は完璧で、経済は間違いなく発展する筈でした。しかし紆余曲折の末結局、勝利を収めたのは自由主義経済です。社会主義は秩序で、乱雑度は小さく、資本主義は高い乱雑度です。自由が勝ったというのは、高い乱雑度が勝ったと言い換えても良いのです。日本の経済はバブルがはじけてから乱雑度がだんだんと大きくなり、金融秩序を維持する銀行までも潰れました。これは大変な事件のようにいわれますが、堅い秩序の中に安住して、程々の利益を上げているような経営では経済の新しい発展はありません。乱雑の中にこそ新しい未来が潜んでいるのです。芸術についても永い間に培われた秩序の伝統と、それを破って乱雑にしようとする異端が存在します。伝統をあまりに守りすぎると、固体化してしまって、化石のようになります。反対に伝統をあまりに軽蔑すると、根無し草になってしまいます。面白いのは同じ芸術でありながら、音楽についてはリズムやメロディーを乱雑にするやり方は許されないのに対して、絵では子供の描いた乱雑度の高い絵がもてはやされます。写真のように正確な写生は馬鹿にされて、ピカソの乱雑で、怪奇な作品に最高の賛辞が与えられたりします。