優しい雨・10

 

 

 

 顔立ちや体つき、言葉使いや立ち居振る舞いを含めた『格好』がよくなければ一流と認められないのはヤクザもマフィアも変わりない。粗野を売り物にするファミリーも居ないでなないが大抵、そういう手合いは三流の弱小、猿山の大将で終わる。

 だから。

「どこのデルモかと思ったぜ。よく見りゃついこの前にも見たツラじゃねぇか」

 というボンゴレ10代目の側近、獄寺隼人の台詞は、褒め言葉でないことはなかった。

「遥々日本に、よく来やがるな。もしかして地元の居心地が悪いのか?」

 そう言う獄寺本人も、ポケットに両手を突っ込んだ態度の悪さと裏腹に容姿は素晴らしい。リング争奪戦の頃から顔だけは小奇麗な悪ガキだった。二十歳をこえた今ではガラの悪さも少しは減って、玄人の女たちに溜め息をつかれる程度には洗練されてきた。

「面会の許可は下りるのかぁ?」

 ボンゴレ日本支部を訪れたヴァリアー幹部は挑発的な挨拶を黙殺して用件を促す。来訪の目的は出発前に文書を流してある。ボンゴレ次期統率者、十代目に会いたい、と。

面会が許可されるにしろされないにしろ、それを伝える為にこの側近は支部の大ホール、先般には大規模なパーティーが行われた広間まで出てきた筈。

「下りてる。案内するぜ。ただ少し待て」

 距離をとったまま返事をする獄寺の視線はチラチラ、来客の襟元に注がれた。実は気になって仕方がないのだが驚いた顔をしたりするのは、ましてや自分からそれを口にするのは相手に興味を持っているようで口惜しい、と、まだ若い頬に書いてある。

「ちゃーす、ス、……、うわ、っ、わ、な、す、くあーろ……ッ」

 獄寺からやや遅れて登場した相棒は素直だった。名前を読んだきり絶句し、来客の頭を指差しかけて、それが欧米人にはしてはいけない仕草だったことを思い出しおろす。けれど視線はそこに張り付いて剥がれない。

「どーしたんだよ、かみ、カミーッ!」

 どうしたもこうしたも、ない。

「な、んで、ええぇっ!うわぁ、なぁんでーッ!」

 北ヨーロッパでも珍しい、最も珍重される銀髪、プラチナブロンドの長い髪が、うなじの生え際にそって短く、切り揃えられている。前髪はディップでざっと後ろへ梳き流されて形のいい白い額が惜しみなく晒され、それはそれでたいそう魅力的だった。

「かみ、髪、どうしたんだよ、えぇっ!」

「切った」

「切ったって、そりゃ見りゃ分かるけど、ああぁぁああぁぁー」

 ホールの入り口で立ち止まったままの獄寺を置いて山元は来客のそばに早足で、というよりも小走りで近づく。うなじに手を伸ばし髪に触れる。敏感な指先に触れる髪の感触はほんの数日前と同じ。だが梳けばさらさらと流れた手ごたえが一瞬だけで終わる。

「シツレン、したのか?」

 悪気なく尋ねる若い男に来客は額に青筋を立てた。が、上げられた両腕は山本を殴るでもなく組んで頭の後ろへ当て、自分から脇の下の弱点を晒す。その肩から脇、背中から腰から脚までを山本の手が撫でる。武器を持っていないかどうかの身体検査。それだけ、にしてはのしかからんばかりの立ち位置の近さと腰に回した掌できゅっと、黒と見まがう濃いグレイの上等なスーツ生地に包まれた尻の膨らみを掴む、手つきには邪気があったけれど。

「腕、やべぇだろ、そいつ」

 オッケーだぜ、という相棒の合図に、ポケットに手を突っ込んだままの獄寺が答える。ポケットの中では当然、自動着火式のダイナマイトが握られている。

「んー、まぁそうだけどな」

 獄寺の指摘に山本はあいまいに笑う。左手は武器だが身体の一部でもある。外させるのは酷い気がしたから。本人は何の躊躇もなくスーツの上着を脱いで山本に投げ、シャツのボタンに手をかけて袖を捲くり上げ手袋を嵌めたままの義手を外そうとした。が。

「うなじきれーだなぁ、あんた」

 山本が先に動く。されるがままの客人の左腕に自分の右腕を絡める。肘から巻きつけるように。手袋の指まで絡め、いわゆる。恋人つなぎのやり方で手を繋いで。

「いーだろ?」

 相棒の獄寺を見てニッと笑う。獄寺は一瞬だけ考えたが大人しく頷く。相手はかつて敵対したとはいえボンゴレの一員、それも有数の幹部。突然の、しかも私用での来訪とはいえ辞を低くして面会を申し込まれた以上、そう恥はかかせられない。

「上着は着せて、100数えてから連れて来い」

「おぅ」

 獄寺が先にホールを出た。にこにこ、指を絡めつつ、山本は身体を斜めに倒して愛嬌たっぷりに客人の顔を覗き込む。

「なぁ、怒んないでくれな。ツナの警護はあいつの役目なんだ」

 相棒の露骨な警戒をそんな風に取り成す。

「分かってる。それより、着るから、手を離せ」

 ロンゲでなくなったが相変わらず美形の客人が、怒鳴りたいのを我慢して丁寧になった口調で言った。

「あ、うん」

 硬い感触の義手に絡めたままだった指を山本が惜しそうに解く。肩に投げつけた上着を取り戻して美形の客は袖に腕を通す。きちんとボタンを全てはめるのは面会を許可された相手への表敬。

「黒ずくめじゃねーの初めて見たなぁ。スーツも似合うけど、なんでいつもの格好じゃないんだ?」

「私用に制服は着れねぇんだぁ」

「へー。ヴァリアーってそーなの?」

「ウチだけじゃねぇ。マフィアってのはそんなもんだ」

 隊の制服だけではない。黒のスーツ自体もイタリアでは、葬儀でもない限り市井の男が着ることは許されない。それはファミリーの正式な構成員だという証であって、そうでないチンピラや不良少年が粋がって身に纏えば、本物たちから制裁を喰うことは避けられない。日本でも同様に、ヤクザでもないのに夜の盛り場でスーツの上着を肩にかけポケットに腕を突っ込んで歩けば細い路地に引き込まれ暴行を受けるだろう。

 スペルピ・スクアーロが黒だがよく見ればグレイというスーツを着ているのは、同じファミリーの一員だがよそ者という立場に則った仁義を心得たやり方。スクアーロと同じく生粋の玄人である獄寺が、山本のとりなしがあったとはいえ義手のまま十代目との面会を肯ったのも、その礼儀を評価した結果。

「そんなもんなのかぁ。オレまだ、そこらへん、よく分かんねぇけど」

「分かんねぇで、いつまでも逃げてられると思うなよ。貴様はもうコッチの一員だ。そのうち思い知るだろうぜ」

「はは。怖いな。なぁそれよりさ、髪、どったの?なんで切ったんだ?」

「てめぇにゃかんけぇねぇだろぉ」

「自分で切ったのか?」

「うるせぇ」

 若い男のしつこい問いに、客が被った礼儀の皮がほつれかける。何人にも何度も問われていい加減うんざり。どうして、なぜ、そんなことは知らない。果たしていない誓いの長髪をぷっつりと、切った男が何を考えていたか、誰より知りたいのは銀髪の美形自身だった。

 

 

 二十二時間ほど前。

「ザンザスが居やがらねぇッ!」

 怒鳴ると同時に城の、幹部のたまり場のドアをその長い脚で蹴り開けた。ちょうど昼時、そこにはルッスーリアのパスタの大皿を囲んだ幹部の面々が、ジャポネからいつの間にか戻った王子様を含んで揃っていた。

「ギャーッ」

「きゃあああぁぁ、いやぁーっ!」

「おまえ、誰?」

「す、スクアーロかい?」

「ど、どうした、その頭は」

「髪、かみぃー。いやぁん、スクちゃんの髪がぁ〜」

「え、もしかして王子の先輩の人食い鮫さん?」

「スクアーロ、うなじが出ていると若いね」

「よ、妖艶だ……」

「んな場合じゃねぇっ、アイツが居ないって言ってんだ聞こえねぇかッ」

「プラチナブロンドの髪はスクちゃんの商品価値の三割を占めていたのにぃ〜」

「センパイ首ほっせー。ナヨっちー」

 流石のスクアーロの大声も、五対一では旗色が悪い。

「運転手が探して部屋まで来やがったんだ。誰か行方を知ってるか。ジジイとのメシの約束すっぽかして、どっかに」

「家出しちゃったのねぇ、ボス。まぁスクちゃん、とりあえずあなたゴハン食べなさいな。お腹すいたでしょう?」

「メシなんか喰ってる場合かよッ」

「焦ったって見つかりゃしないわよ。ボスが自分で出て行ったのならね」

「ここからボスをボスの意思に反して連れ出すことなど神にも不可能だろう」

「えー、ボスが家出?蒸発?王子もしかしてチョーラッキー?助かったッ」

「念写はしないよ。殺されたくないから」

「取り急ぎ影武者を手配する。九代目には風邪をひいて寝込んだとお詫びを」

「ま、ボスが仮病で九代目とのお食事をさぼるのは珍しくもないし」

「……ッ!」

 ざっくり、ざんばらに切られた髪を振り乱したままで銀髪の美形は立ちすくむ。仲間たちが自分の訴えに耳を貸してくれない理由に思い当たって。

「ドレッシングはオリーブとサウザンド、どっちにする?」

 艶々とした緑色のサラダを皿にとりわけながら尋ねてくれたルッスーリアに向かって。

「お、れの、せい……、なのか?」

 悪いことをした子供のようにあどけなく問いかける。

「わたしはスクちゃんが冷たくし過ぎたせいだと思うけど」

「オレのせいだって言うのか?」

「他の原因は思いつかないけど、本当のことはボスにしか分からないわね。髪はボスに切られたの?」

「わ、からねぇ。起きたら……」

「まさかと思うけどセンパイ、切られた髪そのへんにちゃんとあったぁ?」

 大皿からパスタをお代わりしながら王子が尋ねる。

「いくらなんでもまさかって思うけどさぁ。ボスが髪の毛もってったとか、そんなおベタな展開じゃないよなぁ?ウシシっ」

「ベルちゃん、王子様らしくなくってよ」

「だって笑っちまうじゃん。まーともかくメシ喰えばセンパイ。お疲れだろ?」

 王子があいた椅子を引いてやっても、短くなった髪のまま美形は暫く部屋の入り口に立ち尽くした。

「ごはんを食べたら、苛めすぎましたごめんなさい、って、ボスを迎えにいってあげてね?」

 ルッスーリアが優しくそう言ってくれるまで。

 

 

「もう」

「ん?」

「百、たったんじゃねぇかぁ?」

「だな。んじゃ、行こっか」

 腕を組み指を握りあったまま、十代目の雨の守護者とヴァリアーのナンバーツーは歩き出す。館は大きく奥行きがある。長い廊下や中庭を、実際以上に歩かされていることを美形は察したが文句は言わなかった。

「遠くて、ごめんな」

「当たり前のことだぁ」

 本拠地の最奥、こっちのボスが居る場所へたどり着く経路を知られたくないのは当然。目隠しさえ強いられれば応じるつもりだった。

「なぁ、すくあーろ。髪、さぁ」

「言うな」

 それに関することは聞きたくも聞かれたくもなかった。何もかも、誰からも、たった一人を除いては。