優しい雨・11
回廊を抜けると温室へ出た。夏季には外されるドーム形のガラスの天井は先週、鉄製の枠に嵌めこまれたばかり。透明な強化ガラス板の外は秋が深まっていても、内側はほかほかと暖かい。ばさ、っと小粒なレモンが実った小枝を揺らして小鳥が飛び立った。夏の間は鳥籠の中に飼われていたヒバリが何羽も放たれ、きれいな声で鳴き交わす。ピーチュクリーチュルと、取り戻した自由を喜んで。囲い込まれた自由に過ぎないことを、知っているのか居ないのか。
「冬さぁ、あったけーんだこの中。よくみんなでここでメシ食うのな」
組んでいる右腕をいっそう、深く絡めながら山本が言った。
「電話、してくれりゃ好かったのに。空港まで迎えに行ったのにな」
にこにこ笑う若い男に、冴えた美形はちらりと視線を流す。
「うそ笑いがぁ、」
「いつまでこって居るんだとか、聞いても大丈夫か?」
「一番ブスに、なるぞぉ」
「えー、うそ笑いしてねぇよ。こんなに早くまた会えてすげぇ嬉しいのなー。メシ食いにいける?」
「今じゃねぇ」
さっきまで、この快活な男が自分に向かってその冷淡さを訴えた、爆弾使いの相棒の前で。
「うん」
無理をしている自覚はあるらしい。若い男は笑顔を納める。俯く目元は痛みに耐えて、少しやつれたようにも見える。
「すげぇブスになるよ、俺きっと、そのうち」
「なりすぎっと才能まで潰れるぜぇ、ぐしゃっとなぁ」
「助けてくれって、言っていい?」
「コッチも今はてめぇどころじゃねぇ」
話しているうちに温室の中央、白い大理石のテーブルが置かれ広場になったような場所へ出る。そこにはボンゴレの次期統率者、十代目となる予定の青年が。
「こんにちは、いらっしゃい」
自分でティーポットを持って待っている。横では獄寺隼人がお湯で温めたカップの中身を棄ててナプキンで拭っている。仏頂面だがその手つきには心得のある手馴れたもので育ちの良さを感じさせる。
透明なポットの中の茶葉をじっと見つめていた十代目、沢田綱吉が客人の姿を認めて少し笑い、獄寺から受け取ったカップに水色の紅茶を注ぐ。ふくらみのある上等の茶葉の香りが客人の鼻先にまで香った。
「いらっしゃい、スクアーロさん。こんなに早く、またお会い出来て嬉しいです。どうぞ」
席の一つに受け皿に載せたカップを置き客人を招く。手づからの接待は最高の国賓待遇。それを見て山本は美形の腕を惜しそうに解いた。解いた手はさわり心地のいい背中にあて、立ち尽くす客をテーブルまでエスコート。
「お前たちも席に着け。母さんがイギリスから送ってくれたお茶だ」
獄寺と山本の二人にも紅茶を注いで十代目は勧めた。
「ありがとうございますッ」
「さんきゅーな。お袋さんのかー、嬉しいのなー」
「本日は」
勧められた椅子の横に立って、髪が突然短くなった来客が普段自分のボスに向かっても決して下げない頭をさげて会釈。十代目になる青年は白いうなじに思わず見惚れた。少し唇がほころぶ。
「急な申し入れに応じてお会いいただき、嬉しく思います」
「うん。でもあなたが会いにきたのはホントはボクにじゃないでしょう?」
客の最後にまわった獄寺が不平そうな顔のまま、それでも椅子を引いてやると、素直に客はそこに腰を下ろす。
「居るよあなた君が探してる人。案内するけどその前に、ボクの話を少し聞いて欲しい」
十代目本人の為には腹心の獄寺が、ポットの底の濃い部分を使って別のポットのミルクを足して、ミルクティーにして差し出す。
「長い話じゃないんだ。なんていうか、ボクは、色々……、君たちに、あの、主にザンザスとあなたになんだけど、話したいことがあって。この前もそのために来てもらったんだけど……」
そこで少し十代目が笑う。山本は背中を揺らしテーブルの下で組んだ片足をぶらぶらさせる。獄寺がその足を蹴ったのは、山本が飲ませ過ぎたせいで話をするより先に酔い潰してしまったからだと思っているから。無邪気なものだった。
「君たちと、父さんっていうか門外顧問の、確執は聞いている。僕はその沢田家光の、確かに息子なのだけど、それだけでもう、あなたはボクを拒むだろうか」
「……」
美形の客が顔を上げる。十代目となる予定の青年を見る。話、というのがどうやら、退屈なものではなさそうだと察して瞬く。
「どうぞ姿勢を崩して、足を組んでください。ちょっと椅子低かったですね。座りにくいでしょう」
日本人としても比較的小柄な十代目にぴったりのサイズで作られていて、山本や客人には座面が少し低すぎる。
「なんていうか、ボクはザンザスほど激しくはないんだけど、父さんにだけは色々、思うところがあって。……要するに親子関係が、うまくいっていないんだ。どこにでもある話で、あなたには珍しくもないでしょうけど」
「……いやぁ……?」
ゆっくり、客の、表情が溶けていく。
「そーでも、ねぇぜぇ。面白そうな話じゃぁねぇか」
十代目に勧められるまま、足を組み椅子の背もたれに腕をかけ、斜めに構える。左手を引いた格好は、それが一番楽な姿勢で無意識にしたのだが、山本が椅子ごと移動してきて客の左側にぴったりと身体を寄せた。肩が触れるほど近い。客人のその姿は確かに、居合いの構えに、似ていないこともなかった。
「ザンザスほどは激しくないんだけどね」
「アイツぁ規格外だぁ」
「うん。でも、今になって彼の気持ちが、分かるっていったらあなたは怒るかもしれないけど」
「……いいやぁ?」
にやりと笑みを浮かべながら、美貌の客は、笑い飛ばしはしない。
「わかるぜぇ。分かってきたなって、ことはなぁ」
「うん。色々とね」
時間がたった。いつまでも、何も知らない子供ではいられない。その覚悟と自覚が、こちらの『ボス』である沢田綱吉を否応なく襲って、立場というものに飲み込まれて、表皮を溶かされ吐き出され、鏡の中に見慣れぬ男を発見し、それが自分であるという驚愕に胸を潰されのたうちながら、大人の男に近づきつつある悲しみの年輪がまだ柔らかさの残る頬に翳になって浮かんでいるのを、客人は認めた。
「強いられた、望まない、未来っていうか、人生っとかて、言ったら笑われるかなぁ?」
「他の言い方があるかぁ?」
「ないね。そのものだ」
十代目を継ぐのは自分だと思っていたのに継げなかった九代目の養子と、そんなモノがあることも知らなかったのに十代目にさせられた門外顧問の息子。
「ボクはザンザスとあなたと、ずっと話をしてみたかった。……そんなに心配しないで獄寺君。今さら継ぎたくないとかは言い出さないよ」
敵と味方の血で購われた王座。けれどその戦いさえも。
「父さんに仕組まれたんじゃないかって、疑いをボクは棄てきれないでいる」
「食えねぇオトコだからなぁ、イエミツはぁ」
「何も知らなかったんだ」
十代目が甘いミルクティーに口をつける。それを待ってから客はしなやかな右腕をテーブルに伸ばしてカップの持ち手に指を絡める。節高だが白くて長い、水仕事とは無縁の指をしている。
「父さんのことも、自分のことも、ボクは何も知らなかった。教えてもらえなかった。騙された、と思っているよ」
「トーゼンだぁなぁ」
「そう思ってくれる?」
「思うぜぇ。当たり前だぁ」
「よかった。あなたに、聞いて欲しいことが、実は他にも、っていうか、続きなんだけど」
「聞くぜぇ、言えぇ」
「抱いていていい?」
カップを置いた沢田綱吉が尋ねる。
「あぁー?」
「内緒の話だ。誰にも聞かれたくない。抱きしめて耳元で囁きたい」
「あー、」
「抱かせてくれたよ、ザンザスは」
爆弾発言だった。
「あっはっはぁー」
美形が笑う。重ねた膝をテーブルにぶつけながら、大きな声で。
「そういう、ことかぁ……、あははーっ」
「スクアーロ、紅茶さきに飲めよ、こぼれる、あぁ、スーツに染みがッ」
「うるせぇヤツ」
「うん、まぁ、そういう事なんだ」
「傑作じゃねぇかぁ、俺が知らねぇうちに、デキてやがったとはなぁ」
「あなたにも話をずっとしたくって、機会を待っていたんだ。正直言って、ボクと彼とじゃ、なんの話も進まない」
「やるじゃねぇかぁ、オイ。あんな甘っちょろいガキが、よくまぁこんなに、育ちやがったぜぇ」
「あの人の」
上機嫌な哄笑をほっとした顔で聞きながら、父親のことを、沢田綱吉は本音の言い方で呼んだ。
「思い素通りに、なりたくない」
「来い。膝に乗せてやる」
「……、それはご遠慮します」
美形の客が座った椅子を後ろに引く。山本は左側からはなれた。手招きされて組んだ膝を差し出された十代目は立ち上がり、歩み寄る。膝には座らなかったが。
「おい」
テーブルの上のスコーンを獄寺が山本に向かって投げる。山本は受け取り、もう一つを手にした獄寺と一緒に、大きな掌で掴み潰し、ぽろぽろにしてから地面にまいた。おいしそうな匂いに誘われてあちこちの茂みに姿を隠していたヒバリが出て来る。スズメより一回り大きな茶色の身体を膨らませて、スズメにはない冠羽根を揺らしながらビュルッ、ビュルッとにぎやかな地鳴き。
「門外顧問が、あの人なのはイヤだ」
その鳴き声に紛れて、美形の客人のスーツの胸をぎゅっと抱きながら。
「ボクは、ザンザスに……」
口元を緩め目じりを蕩かして、心地よく、銀色の鮫はその告白を聞いた。
※ 作者の告白・以下反転※
「抱かせてくれたよ、ザンザスは」
これが一番、書きたかったです。