その一言を、いうために。

「……おい」

 男はかなりの努力をした。加速して最後へ向けて盛り上がりかけていた自分自身にプレーキをかけるのは、相当の忍耐を必要とした。額にじわり、冷や汗が滲むほど。

「なんだ?」

 それでもたずねてやったのは苦い経験があるから。この銀色の従順につけこんて言いたいこともろくに言わせず押し流していたら、気を病ませてとんでもないことに、なった。

「……、ぁ……」

 せっかく尋ねてやっているのにオンナは正気ではなくて、オトコの努力にすぐには応えない。形が良すぎて薄情そうに見える唇からは言葉でなく浅い喘ぎだけがこぼれる。

「ぁ……、ア」

 オトコの激情が緩んだ隙にオンナは息を吸い、そのままぽろぽろ、まなじりから涙をこぼす。震えるカラダを抱きしめ、撫でながら、オトコは腹筋が攣りそう。かなり、相当、切羽詰った痩せ我慢で口を開く。

「どう、した?」

 低くかすれた声にビクンとオンナが反応する。濡れた瞳をうっすら開いて、力の抜けた右腕をだるそうに持ち上げてオトコの首に回す。オンナが身動きすると、筋肉のしなる動きが繋がった下腹を通じてオトコにも伝わって、ぶるり、意思では止めようのない胴震いをさせた。

「ん……」

オンナが零した甘い声音がオトコにぐっと奥歯をかみ締めさせる。攻め込まれ息も絶え絶えだったオンナは余裕を与えられ、オトコの熱を甘く味わい始めている。

 続きを、してくれ、と、言葉でなく強請られて。

「いいかけた、だろ」

 何かをと、オトコはオンナを優しく受け止めてやりながら尋ねる。焦らすつもりはないが、オンナが言いかけた言葉をそのまま流してしまう訳にもいかない。言いたいことはいわせてしまわないと後で祟るということを、したたか思い知らされた。

「なんだ?」

 頬を摺り寄せ喉を撫でてやりながらオトコは尋ねる。胸に詰まった言葉を吐き出しやすいように、らしくないほど、優しい指使いで。ひく、っとオンナの白い喉が震えた。

「……、キモチ……、イィ……」

「そうか」

 それは分かっている。言葉にされなくても伝わる。繋がりながら絡み合って、今夜はもう、何度も境界をなくして溶け合った。

「それで?」

 一緒に揺れながら、腕の中でビクビクしていたオンナが微かに唇を震わせて、自分に告げようとした言葉がそんなモノでないことをオトコは知っている。嘘ではないから嘘をつくなとは言わなかったけれど本当のことも告げない、強情なオンナを。

「がまん、させんな……」

 陥落させるには殴っても脅しても無駄。押して強いコレを転がすには、自分が引いてみせるに限る。面白いほど、つられてコロンと手元に転がってくる。

「……、あん、まり……」

 女々しい本心を。

「長居……、すんな、よォ……」

 言わされたオンナはひどく悲しそうな、表情。

「時間は、わからねぇが」

「あ、ァ……、ぁ、ン……ッ」

「寝室は別々だ」

 安心しろとオトコは言わなかった。裏切らないと誓いもたてなかった。けれど愛撫は何よりも雄弁にオトコの愛情を証明する。

「…………ぁ……」

 熱を受けてオンナが透明な声を零す。呻きに近い満足の息をこぼす、オトコにぎゅっと、抱きしめられながら。

 

 

 

 翌朝、ヴァリアーのボスとサブは朝食の席に起きてこなかった。

「出発って何時だったっけ?」

 二人が揃って顔を見せない時、幹部たちはその不在には触れない習慣になっている。けれどその朝、ティアラの王子様はパンケーキにメープルシロップを垂らしながら、ホイップバターを掬い足してくれるオカマの格闘家に尋ねる。

「十一時よ。ボスにも十時には起きて頂くわ」

 ヴァリアーの朝食時間は九時。あと一時間もない。

「んじゃ、王子は十時半に玄関で、イイ?」

「いいわよ。フランちゃんとレヴィと一緒にね」

「えぇー。ガキとムッツリかよー。ヤだなー。ルッス、一緒に来てくれよー」

「ガキで申し訳ございませんー。ミーも王子のお供はとってもイヤですがー、ボンゴレ本邸にはちょっとだけ興味ありますー」

「オレの補佐役にオマエでは少々役者不足だが、ボスのお為とあれば致し方ない。足を引っ張るなよ」

「だぁれが補佐だぁ、だぁれがぁー」

「ほらほら、喧嘩しないのよ。今日は忙しいんだから三人とも、早く食べて身支度をして頂戴。あとでチェックに行くわよぉ」

 ヴァリアーのスタイリストを以って自負するルッスーリアにそう言われ、三人は目つきを尖らせたままだが食事を進める。ザンザスのお供としてボンゴレ本邸へ出向く以上、身支度に手抜きは許されない。入浴して髪をセットしてスーツを着込んで、となると確かに、時間に余裕は無い。

「あのさぁ、ルッス」

 食事を終えて立ち上がり、王子はオカマの格闘家に何かを言おうとする。けれど、他人を心配することの少ない王子には、自分の気持ちをどう伝えればいいか分からない。

「なぁに?」

 優しく問い返してくれるオカマに、あのさ、と、繰り返すうちに。

「おごちそうさまでしたぁ。これから数日、ルッスねーさんのご飯が食べられないのは寂しいデース。ボスに置いてきぼりにされちゃう隊長のフォローをヨロシクお願いいたしマース」

 新入りの若いのに、言いたいことを先に言われてしまう。

「任してちょうだいな。フランちゃんもベルちゃんとレヴィをよろしくね」

「王子様とムッツリのお世話なんてミーには荷の重い役目ですがぁ、帰ってきたらミートグラタンを作って下さるとお約束いただければ頑張りまーす」

「言ってろ」

 

 

 

 仕立て下ろしのスーツでキメて、ヴァリアーのボスがボンゴレ本邸へ出発した後も、サブにして副官の銀色は起きて来なかった。

「部屋のに餌をやっておけ」

 というのが彼らのボスの出立の言葉。玄関で見送ったルッスーリアは深々と頭を下げてボスの意を承る。そうしてトレーを、ボスの部屋へ持っていく。皿は二つ。

一つにはジャガイモと鶏肉とキャベツを牛乳で似て荒く裏ごしした猫用の手作り食。もう一つには、骨付き手羽元をビーフのブイヨンとカボチャとカリフラワーで煮込み、セミドライトマトと塩コショウで味を調えたスープ。ボスの『部屋』には日本から連れて帰ってきた愛猫のほかにもう一人、綺麗な毛並みの生き物が残されていたから。

「ニャーッ!」

 その部屋に飼われている愛猫は腹が減っていたらしい。オカマの登場にソファから飛び降りてレザーパンツの足元に纏わりつく。ドライフードと水は常時、用意してあるのだが、日本でもここでも手作り食を与えられて暮らしてる猫はよほど飢えないとカリカリに乾燥したペットフードには口をつけない。

「はい、ネコちゃん。たくさんお食べなさいな。今日からボスは暫く居ないのよぉ。寂しくなるわねぇ」

言いながらランチョンマットを絨毯の飢えに敷いて、皿をその上に置く。はぐっと猫は皿に頭を突っ込む勢いで食べ始める。うれしそうな様子が大変に可愛らしくてオカマは目を細めた。そして。

「スクちゃーん、もういい加減、そろそろ起きなさいよぉ。お腹すいたでしょうー?」

 意識して能天気な明るい声を出し、寝室のドアをオカマの格闘家は開けた。中にボスの『情婦』が居るのにそんなまねを出来るのは、オカマがオンナの一種だとヴァリアー内部では認識されているせい。

「……おぅ」

 返事は一応、あった。けれどそれがベッドの中からなのに、オカマは内心で怯んだ。彼らのボスは髪と服装を整えて部屋を出て来たから、てっきりこの銀色が起きて身支度を手伝ったと思っていたのに。

「何時だぁ、イマ……。アイツもう行ったかぁ……?」

 カーテンを引いたままの薄暗い部屋の中、大きな寝台の上、毛布の下で銀色が身動く。きらきら、流れる銀髪が薄い光を弾いて部屋の中で光った。

「出かけられたわ。アンタにご飯を食べさせてって、それが言い置きだったわよぉ」

「あー……。寝過ごしたぜぇ。しまった……」

 銀色が起き上がる。毛布の下から現れたのは裸の肩と胸。腰から下は見えないがオールヌードは間違いない。見送りに出てこなかったのは送り出すのが辛いからではなく、本当に眠っていたらしい。

「別にいいんじゃない。ボスが起こさなかったなら」

 オカマは驚きを押し殺してナンでもないことのように言った。息をするのと同じくらい自然に贅沢をしているザンザスの私室空間は広く、入浴していても寝室に物音は聞こえにくい。けれど、この銀色が目覚めなかったのは寝室の防音機能のせいではなく、共寝の相手が寝かせてやろうと、そっと起き出したから。

「ナンか、この部屋、目ぇ覚めにくぃんだよ……」

 あくびをして背伸びをしてベッドから出てくる銀色から、オカマはそっと目を逸らした。長い付き合いで、裸を見たことも何度もあるけれど、これがボスと同じ部屋で寝起きするようになってからは色々、オカマはオカマなりに慎んでいる。

「日が当たんねぇからかな。なぁ?」

「ちょっと、アンタ、ごはんはどうするのよ」

 シャワールームに向かう背中にオカマが慌てて尋ねる。

「喰うぜ、もちろん。置いといてくれぇ。喰ったら広間に行くからよぉ」

 ひらっと肩ごしに背中で手を振って銀色は寝室を出て行く。シャワールームに踏み込むと自動で照明が点いて、アカネ差にひかれてついそっちを向いてしまったオカマは、赤い痣と歯形を幾つか、白い背中と腰に見つけてしまった。

「……恥ずかしい夫婦だこと……。ちょっとだけ羨ましいけれど……」