男が、暮らしている『家』に『戻った』のは六日後。

「メシは喰ってる」

 帰宅時刻は真夜中。また緊急の『避難』かと辛うじて起きていた鮫とオカマは顔色を変えたが、今回は違った。祝賀会という名の会議は終わったらしい。ボンゴレ本邸で一泊も余分に滞在したくないヴァリアーのボスは、そのまま、車を戻して帰ってきたのだった。

「寝る」

 コートを預かる銀色を眺めながら男が言った意味は分かっている。一緒に寝るぞと、同じ寝室を使う『妻』に告げている。

「……おぅ」

 彼らの周囲には幹部たちが居た。双子と別れて寂しそうな王子や、ルッスねーさん夜食を食べたいですとねだる幻術使い、留守の間の部下他の報告をこれから読もうと執務室へ向かうレヴィらにも、男の台詞ははっきりと聞こえた。

イマサラそんなことを恥ずかしがる付き合いではない。ではない筈だが、銀色はつい俯く。嬉しい顔を隠すタメだった。こんな真夜中、自分を抱きに戻ってきてくれたのだと思うと緩む、口元を隠すため。

「イテッ」

 その顔面に男が脱いだ皮手袋を投げる。ごつい拳銃を楽々と扱うその手で投げた手袋は真っ直ぐ、殺傷能力さえ備える勢いで銀色の麗しい顔にクリーンヒット。

「ンだよぉ、てめえっ!」

 銀色が怒鳴る。行くぞ、とも言わずに男は、自分の居住スペースへ通じる階段を上っていく。コートと手袋を抱えた銀色がその後を追う。なんとなく見送った幹部たちの中で、一番若い、カエルの被り物を頭に載せた幻術使いが。

「あぁ……、甘ったるい……」

 勘弁してくださいよもぅ、という風情で泣き言を漏らす。

「慣れろよ、新入り」

「慣れました。慣れたつもりデス。あの二人のエロビームには心の盾を作り上げました。隊長の恥ずかしさにも相当の耐性がついたつもりです」

「そうねぇ、昔はもっと、大騒ぎしていたわよねぇ」

「けどナンですかアレは。ボスがツンデレさん聞いていませんでしたよーっ!」

「……そうねぇ」

「ソッチはオレらだって、知ったの最近だし」

 俯いていた銀色は、手袋を投げつけた瞬間のボスの表情を見ていない。優しく笑いかけそうになるのを精神力で抑えていた。眉根がピクピクとしていたから間違いない。脱いだ手袋を投げつけたのは照れ隠し。

「夫婦和合は、目出度い事だけど」

「ミーはルッス姉さんが何を仰っているか分かりませーん」

「あの二人が喧嘩してっとヴァリアーってムチャクチャ暮らしにくくなるぜ」

「はーい、いま理解しましたー」

「仲良しでナニヨリ、ってことにしておきましょうねぇ。ほんとはちょっと妬けるけど」

「外の女にボスんこと盗られるよりマシじゃね?」

「おお、お姑さんと養子さんの利害が一致しましたー」

 何の気なく、目の前の合意をそうやって茶化した幻術使いは。

「ひでぶっ」

 二人の時間差攻撃を避けきれず、王子の拳を下腹に深々とくらい。

「オマエ、イクツ?」

 ティアラの王子様に首を傾げさせることになった。

 

 

 

 

 毛布の下で、開いた瞳には、男が酒を飲んでいるのが見えた。

 枕に背中をもたれさてシーツの上に座り、執務室に届いていた合計で十日分の外国語の新聞を手に、読みながら飲んでいる酒の色は濃い琥珀色。その香りに鼻腔がくすぐられて銀色は目を覚ましたのだった。ごくり、と、男の喉が動く様子をひどくセクシーだと、思いながら銀色は男を眺めていた。

 男の顔が、そこでしかめられる。喉を降りていく酒精が濃すぎて引っかかったらしい。素直な表情の変化に銀色がふんわりと笑う。息が漏れたのに男が気づいて銀色の方を見た。

起きたか、と、表情だけで告げて視線を戻す。長い時間を一緒に過ごして来たせいで目を見ただけで会話というか、意思の疎通が、出来るようになっている。

銀色は男が酒精にむせたのを笑った。笑ったけれど、同時に気が付いた。本来、この程度のアルコール度数に顔をしかめる男ではない。つまり、久々だったのだろう。本邸での『会議』中は酒を遠ざけていたの、だろう。

そういうトコ真面目だよなぁオマエ、と、銀色の見上げる瞳は言っていた。オマエのそーゆートコを大好きだぜ、とも、顔に書いてあった。男はその目元に乗じて、自分を笑った銀色を許してやった。

「……さっさとオチやがって」

 やや慎重にグラスに唇をつけながら男が呟く。うん、と、銀色は素直に事実を認めた。

「ナンか、天国、行ってた……」

 久しぶりの刺激が強すぎて、途中で意識を、失ったというより混濁した。妄言を口走りながら男にしがみついていたトコロから記憶が途切れている。ずるり、と崩れた自分を男の腕が抱きとめてくれた嬉しさだけは欲深く覚えているけれど。

「言い訳ばっかり、うまくなりやがって」

 男は呆れた声を出した。が、それでも機嫌は悪くない。寝返りを打った銀色がしなやかな腕を自分から伸ばして、広いベッドの隣で新聞を読む男の膝に触れてきたから。

「なぁ」

「なんだ」

「……ダッコ」

 銀色がそう言ったのは、王子様が広間で、ダッコするものがなくなって寂しいと愚痴っていたから。マーモンをよく抱いていたティアラの王子様は小さなものが好き。あの双子を会議の期間中、ずっと抱いていたのだろう。それがなくなって、さぞ寂しいだろう。代わりにクッションを抱いていたのを、不意に思い出した。

ぶ、っと、男が噴出す。珍しくはっきりと笑う。その勢いで新聞をサイドテーブルに置いて銀色のそばに戻ってくる。男の逞しい裸の肩に右腕を廻した銀色の美形は、その肩に押さえ込まれて抱きしめられる幸福をじんわり感じて、そっと目を閉じる。

 ロマンチックな、甘酸っぱい気分を。

「オナニーしてねぇのか?」

 男の、露骨過ぎる言葉が掻き回す。

「……してねぇよ」

「どおりで固かった」

「イイコにしてた証拠だぁ。褒めろぉ」

「した方がいいんじゃねぇか、たまには」

「あぁぁ?」

 何を言い出すんだこいつは、と、うなじを逸らせて銀色は男を見る。意外なほど真面目な顔で見返されて戸惑う。口先で嬲っている訳ではない、らしい。

「これからてめぇは、遠出が増える」

「門外顧問に就任したかぁ、ボスさんー?」

「なるかよ。ただ、色々、な」

「なにが色々だぁー」

「アレはまだ日本支部に引っ込む」

 アレ、というのがボンゴレ十代目のことだと銀色には分かった。ボンゴレ中枢に棲みついた年寄りどもの目を避けてことだと、それは分かる。反感を畏れて引っ込むタマでもないが、遠くで何か、色々と、やらかすつもりなのだろう。

「慰め方は知っているか?」

「いるも、なにもよぉ……、分かるって……」

 拳銃を扱う男のゴツイ指先に犯されて、散々、ヒンヒン、泣き喚き悶え狂った。されているとおりに自分ですればいいだけの、こと。しようと思えば簡単極まりない。でも。

「必要、ねぇよ」

「あるだろ」

「ナニがぁ?」

「……肌寂しくても、ガキに手ぇ出そさねぇように、な」

「しつけぇなぁ、オマエ」

「当たり前だ。てめぇが目え瞑るまでだ」

 一度の過ちを、二度目がないようしつこく言い続けるぞ、と、男はいっそ、堂々と答える。

「したことねぇなら練習しとけ。指を貸せ」

「んー。オマエがそれで気が済むンなら、するけどよぉ」

 男が右手を探ってくるのに逆らわず委ねながら、銀色はそっと息を吐く。

「たぶんしねぇぜ、日本支部では。他でも。オマエが居ねぇフツーの時は、オレもオスだからなぁ」

「……」

 言われた男は複雑な表情。一度はヤったその口で言う台詞か、という反感がありありと顔に出ている。けれど、思い詰めさせた挙句にそんな破目になった責任が、自分にもないでもないと思っているから、一概に責められもしない。

「固くなって手間かかンのが面倒なら、ヤる前に……、ン」

 自分でほぐすぜ、と、男の質問よりさらに身も蓋もない具体的なことを口走ろうとしたオンナの唇を男が塞ぐ。ムードや雰囲気を大切にするのは、この二人の場合、明らかに男の方。

「二度、抱いた」

 唇が離れた後で、男がそんなことをオンナの耳元に囁く。

「分かるか……?」

「ナニがだぁ?」

「違うか、なにか」

「分かんねぇ」

 オンナは正直に答えた。男は内心、少しがっかりする。男の真面目さとオンナの正直さは時々、微妙なすれ違いを見せる。かなりの覚悟で裏切りを告白したのに、あっさりと聞かれて、その上。

「オマエがイマサラ、オンナの一人二人、抱いたからってナンか代わるかよ。玄人だろ?」

「……そうだ」

「色々ちゃんと、すげぇ頑張ったンだなぁ、オマエ」

 真正面から褒められて男はますます複雑な気持ち。『進呈』された娼婦を、相手の顔を潰さず断わらずに、『ちゃんと』抱いてきたことを『妻』に心から褒められて、なんだか。

脱力を感じた。嫉妬されたり塞ぎこまれたりしたら、それはそれで面倒なことだが、こうもあっけからんとされていると、自分の苦悩はナンだったのかという虚しい気分になる。

 本当の本音としては、少しは妬いて欲しかったかも、しれない。

「どっからだったんだぁ?家光あたりかぁ?」

「…………そうだ」

 日本人のガキはまだそんな真似はしない。将来もしようとしないだろう。男がこの銀色のオンナを最近は大切にしていることを知っているし、売春買春は嫌がりそうに気質。

 養父であるボンゴレ九代目の立場では、男の正妻が居る本邸に娼婦は招けない。たとえ男が用意された『夫婦』の部屋には寄り付かず、かつての私室で寝起きしていたとしても。

「あー、あの部屋かぁー」

 懐かしいなと笑うオンナが、男は不意に不憫になった。昔、短い時間だったけれど、何度かコレを招き入れた部屋。コレが剣帝テュールを倒した後の誓いもその部屋のバルコニーだった。

「オマエはよぉ、全然分かんねーよ。ちっとも痕、残ってねぇ」

 オンナがそんな風に言う。差し入れられた娼婦を意地と義理で食ってきた男を慰めるように。男は黙ってオンナを撫でた。そして。

「……、」

 何かを言いかけた口を閉じる。オンナは聞きたがらず、黙って撫でられている。

「……」

 久しぶりに娼婦を抱いて違いに気づいた、と。

 男は言わなかった。それを言えば自分が結婚していた、ひどく痛めつけたことを思い出させてしまう。あれでどうにも、メスがトラウマになって、本当に久しぶりだった。

 シーツの上でオンナが身じろぎする。前髪を撫でる男の掌に顔を押し付けて、撫でるだけかよと柔らかな抗議。

「……」

 掌でそのまま枕に押し付ける。自身の体重で押し開き、カラダを開かせる。肌が深く重なる。自分から誘ったくせにオンナがびくっと、怖れる様子を見せた。

「……」

 酷くはしない。そう知らせるつもりで抱きしめる。自分勝手に抱くよりオンナにあわせてやった方が美味く喰えることを、何十年も知らずに過ごしてきたのは娼婦を抱きすぎていたせい。そうしてセックスはオンナの方が疲れるということを、知らずに居たのも、同じ理由から。

 男の寝床に侍った娼婦は終わると服を着て部屋を出て行った。このオンナは、たいてい事後に、暫く目を閉じる。カラダを丸めて休んでいるのを可愛いと心から思った。

「……」

 抱きしめる。肌を擦り合わせる。オンナがゆっくりと安心して和らぎ、歓んで潤みだす。いい子だと、心の底から男は思って頬を寄せる。口にはしなかったが。

「ン……、ッ!」

 繋がろうと楔を押し付ける。反射で逃げようとするのを押さえつける。閉じようとするのを開かせる。ヒクリと、またこわばりかける耳元に囁く。焦らすな、と。

「……、ん」

 聞いたオンナが目をぎゅっと閉じる。怯えながら震えながら自分の為に開かれるオンナを、男は悠々と、抱いた。