寂しい。

 と、ボンゴレ十代目雲の守護者が、呟いた。

「……」

 未来の十代目は辞書を引き引き書いていた十代目は万年筆を置いて机から立ち、ふかふかのソファで高々と長い脚を組む雲雀恭弥の隣に腰をおろす。

「緑茶でいいか?」

 荷造りに余念がなかった山本も立ち上がり、手を洗ってポットのそばに行く。滞在中に会った人間をカードに記入して分類整理していた獄寺も自分の机の上から、

「黒豆の、全部とっていいぜ」

 日本から持ち込んで残り少ない煎餅の箱を差し出す。雲雀が好きな醤油味の黒豆煎餅はちゃんと残されていた。獄寺はサラダ味、山本は海苔、沢田綱吉はザラメが好きで、詰め合わせを分け合うのに実に都合がいい。

「ごはん、食べに行く?」

 肩が当たるほどそばに座り、美しい横顔を見つめながら尋ねる。その沢田綱吉の膝に、横向いた雲雀恭弥が、すっと掌を置いた。

「……」

「……」

 獄寺と山本が目を見合わせる。ヤバイぞこれはと、二人とも警戒心でいっぱい。ただし諦めも警戒と同量もしくは凌ぐ量、同時に二人の頬に浮かんでいた。雲雀恭弥が何をたくらんでいても、ボンゴレ日本支部ではコレが法律。逆らうことは不可能。

「寂しいんだ」

「え、え、え……、っと、えー、っと」

 沢田綱吉が狼狽の様子を見せる。しかし。

「お昼寝、する?」

 言うべきことは間違えない。照れて目を逸らしてみたところで、部下たちの前でぬけぬけとそんなことを口にする度胸の良さはごまかせない。

「うん。あとで」

 あぁ、ダメだ、と。

 山本が天井を仰ぎ、獄寺はピカピカの靴にため息をついた。もうダメだ、これで決まり。未来のボンゴレファミリーのボスは国立美術館の中庭に鎮座するミケランジェロの絵画でも奪いに行くだろう。

「でも今は違う寂しいだ」

「どういう寂しいなの?」

「ここが、寂しい」

 言いながら雲雀恭弥は腕を軽く組み懐に何かを抱きしめる仕草をする。それだけで全員に分かった。

ヴァリアーのボスの双子の子供、ボンゴレ九代目の孫たちはこの本邸に滞在中、ずっとナイフ使いのティアラの王子様にしがみついていた。ティアラの王子が警護していたザンザスは日本支部の暮らす一角に起居していたから、自然、子供たちは日本支部の面々とも仲良くなった。

中でも女の子はヒバリがお気に入り。その膝によく座りに来た。小さな可愛い生き物を実はキライでない雲雀は女の子にとても優しくて、髪にリボンを結んでくれたりしていた。

「可愛かった」

「借りてくる?」

「日本に持って帰りたい」

「持って、って、えぇっ?」

「可愛らしかった。欲しい。二人とも」

「ひ、ヒバリさん……」

「マジだよ」

 それは分かっている。この美形はいつでもドマジで、ある意味で生真面目。獄寺隼人にもそんな所があるから、それは頭がいい人間の習性かもしれない。

「ムリだよ。無茶言わないで」

「ボクを愛していないの?」

「愛してないわけないって知ってて聞かないでよぉ」

「さっさと子供を作らないキミが悪いんだ」

「だって、ハルは大学院に進学したし京子ちゃんは就職したばっかりだし。女の人って妊娠するとキャリアが中断されちゃうからタイミングが大変なんだよぉ」

「寂しいよ。連れて帰りたい」

「よ、幼児誘拐は、ニンゲンとして、どうかと思いマス」

 佐和田綱吉の必死の説得は。

「子供のごはんの時間を気にしないほど悪いことじゃないさ」

 この世の常識を踏みしめ、自分の心のままのルールを目の前の世界に敷いて生きてきた雲雀恭弥には通じない。

「ボクを愛してないの?」

「愛情の証明に犯罪を教唆しないでよぉ」

「じゃあ犯罪にならない程度でいい。寂しいのをなんとかして」

「え、っと。……失礼シマス」

 寂しいと、雲雀恭弥が示した膝の上に、自分が乗ろうとして跨ぎかけた未来の十代目は。

「なにするの」

「はぎゃっ!」

 横殴りの鉄拳を受けて、床にごろごろと転がる。

「ひ、ヒバリィ」

「おぉい、手加減してくれよー」

 山本と獄寺が心配して声をかける。が、もちろん、外野の言うことが耳に入る体質ではない。ソファから美貌の持ち主は立ち上がる。自分が殴り倒した恋人のそばへと移動する動きはしなやかで体重を感じさせない。顔立ち以上に、そんな動き方をする肢体は実に蠱惑的。沢田綱吉の鼻の下が伸びっぱなしデレてばかりなのも、仕方がないかと思わせる風情。

「ねぇ」

 転がった恋人のそばにヒバリは座り込む。

「はい」

 転がったまま、頭も上げない降参降伏の姿勢で沢田綱吉は、絨毯に顔を伏せたまま、ちゃんと聞いていますという意思表示の為に返事をした。

「あの子達が心配なんだ。だから、余計に寂しいんだ。それをなんとかしてよ」

「あー、それ、オレも心配かも」

 山本がヒバリに同感の声を上げる。

「……だからって親でもないのに、将来の責任もとれないのに、手出しはどうでしょう……」

 降参状態のくせして沢田綱吉が、珍しくヒバリの要請を素直に受諾しない。不在ばかりだった父親に反感を持つ未来のボンゴレ十代目は、ヘタレな外見に反してそれなりに自分の意見や考えは持っている。

「福祉施設による緊急保護措置だよ」

「ナニがどーして、ドコが緊急なんですか?」

「無関心に殺されることもあるってこと。子供たちの縋り付き方がおかしいとキミは思わなかったの?あっちの雨の人やナイフの人や、ボクにもだけど、しがみ付き方が尋常じゃない。普通の子供はもっと気まぐれで移り気だ。ただ好きっていうだけじゃ、ひとつの行為が、あんなに長く継続したり、しないよ」

「……」

「……」

「……」

 雲の守護者は聡明で感性が鋭い。いつも皆とは違うところを見ている。獄寺隼人の方が学校の成績は良かったが、獄寺は理論に傾くあまり全体を見失ってしまいがちなところがある。

「あれはSOSだ。助けてって言ってる。溺れそうなのさ。だから掴んだものを離さない。言葉でそれが説明できるようになるまで放置していたらその前に死んじゃうよ。かわいそうだと、キミは思わないの?」

「……」

「思うよね。キミは優しい男だ。ボクはキミの優しさを、とても好きなんだ」

「……」

「この世には、キミの母上みたいな人ばかりじゃないんだよ」

「……えー、とぉ……」

 沢田綱吉の声の質が変わる。どうやって断ろうかと悩むえーと、ではなく、どーやって叶えようか、という、えーと、に。

「あ、オレに、考えがあンだけど」

 山本が肩先で手を上げ遠慮がちな挙手のポーズ。

「なに?」

「さらって、スクアーロに、取り戻すってカタチで、迎えに来てもらば、よくね?」

「?」

「いっそスクアーロたちが育てた方がいいんじゃって思うンだオレ。ザンザスにもそう言ったら、まんざらその気がないでもなさそうだったのなー」

「やるじゃない」

 自身が意図した落ち着き先の根回しを、既に済ませている山本をヒバリが褒める。

「でもさぁ、それはムリじゃない?」

 むくり、沢田綱吉が顔を上げる。まだ立ち上がらないで、床に伏せた降参姿勢は保ったまま。

「ヴァリアーの人たちが子育てって、ムリだよ」

「……マフィアの家じゃ、ドコでも同じよーなモンですよ」

 実際、マフィア幹部の息子として生まれ、その家庭の様子をよく知っている獄寺が口を挟む。

「問題は、そりゃあイロイロありますが、マフィアのガキに生まれちまったんだ。自分で先々、解決していかなきゃならないでしょう」

 現在進行形で、異母姉や父親のことに心理的な決着をつけようと頑張っている獄寺が言うのには、とても説得力があった。

「……ごはん食べに行こうか」

 そうして、ボスである沢田綱吉が決断する。

「ザンザスの子供たちも誘って」