その日、ヴァリアー本部では椿事が起きた。

「いやあぁああぁぁあぁぁああーッ!」

 というオカマの叫び声が、

「うるせーぞぉ、ルッス」

 銀色の鮫の怒鳴り声よりも大きかったのだ。

「いやぁ、そんなのゼッタイにイヤぁ!聞いてなかったわよ!断固として拒否するわ、いやぁ!」

「ンだよ、誰だぁ?レヴィかぁ?」

 仲間とボスの留守に二人して、本部に秘密の匣平気の点検をしていた。雨と晴以外の属性のものは開匣できないが、二属性だけでも次々と開いて状態と性能を記録していく。地味で根気のいる作業。

「お断りよ、別のコにしてちょうだい。そう、了平がいいわ、ねぇそうしてよ、お願い」

「なにしゃべってんだ?」

「猫とカツオブシを一緒に預かるなんてゴメンよーっ!」

 絶叫が地下室に響く。なのに無常に回線は切られてしまう。その薄情さはティアラの王子様だ。言いたいことを言ってさっと身を翻す器用な性質。

「あぁーん、うあぁああぁあーん」

 かなり真剣にオカマの格闘家は絨毯に突っ伏して嘆き。

「なんなんだぁ?」

 その感情表現が大げさであるこに慣れている銀色が眉を寄せつつ、けっこうどうでもよさそうに尋ねた、返事は。

「山本君が、ここに来るんですって」

 くっすん、という風に涙を拭いながらオカマの格闘家は答える。

「ああ、人質かよ」

 案外あっさり、銀色の鮫はその理由を察した。有り得る事だった。ボンゴレ九代目は最近、健康を損ねていた。小康状態をようやく得て、本邸には幹部が勢ぞろいして快気祝いが行われる。

それは建前。本当の目的は快気祝いではなく、九代目の隠棲の後の体制についての話し合い。もっと炉蜜に言ってしまえば、利権と権益を誰がどれだけ握るか、という、綱引き。

「あたしたちが、ね」

「なるかぁ?」

 十代目は門外顧問・澤田家光の息子に決まっている。日本人の血を濃く引いた少年に腹の中で不賛成な幹部は多く居るが、他に候補が存在しない現在では表立った反対をすることも出来ない。だから連中は別のことを言い出す。門外顧問の力がボンゴレファミリー内部に侵食するようなことがあっては一大事だ、と。

 そんな話になるだろうことは分かっていた。だからこそ日本支部の澤田綱吉は辞を低くして、幾度もヴァリアーのボス・ザンザスに同盟を申し入れた。父子の相克は権家の病理のようなもので、アレも実の父親を嫌っている。

「アイツ、短気起こさねーでやってるってか?」

 少しだけ心配そうに銀色は尋ねた。それが気になって仕方が無い。誰よりもボンゴレのボスに相応しいと周囲に認められながら、最初から資格がなかったという裏切りを受けた愛おしいオトコが痛めつけられていないだろうか、と。

「そんな話はしなかったわ。まぁでも、大丈夫なんじゃない?」

 山本武が送り込まれる理由が、人質になる為であっても人質をとる為であっても、それは見ないの十代目との『交渉』の過程で必要になる事態だ。つまりは今のところ、うまくいっている証拠のような、もの。

「スクちゃん」

 その場に銀色が呼ばれないのは、そこにヴァリアーノのボスの正妻が居るから。九代目の姪であり養子の妻である彼女はボンゴレの血統に連なる一員として、九代目の快気祝いに連なる権利がある。一年前に男が出て行ったきり、顔を合わせることを避けてきた夫婦の、一年ぶりの再会。

「なんだぁ?」

「不貞を犯しちゃ、ダメよ?」

 ずいっと身を乗り出し、ドマジな表情でオカマが銀色に力の入った口調で念を押す。

「しねぇ。心配すんな」

 前科もちの銀色はしらっとした顔で言った。あれは特別、特殊な事情があった。今はその事情も解消されバリバリ現役の愛人。可愛がってくれる主人を裏切るつもりは無い。

「本当ね、ゼッタイね、約束よ、何があってもよ?」

「しねぇ」

 オカマの念押しに銀色は素直に答える。以前の『事情』のあった時、心配をかけてしまったから。

「何時に来るんだ、アイツ。メシはどーする?」

「今からボンゴレ本邸を出るそうだから、夕方には着くんじゃないかしら。何か食べに行きましょうか」

「だなぁ。郊外のどっかに行こうぜぇ」

 そんなことを、話した日の、日暮れ。

 

 

 猫にお土産のカツオ節とともにやってきた雨の守護者は。

「うん。ザンザス、ずーっと、こっちに居ついてるぜ」

 ヴァリアーで留守番していた二人が聞きたいことを話した。来客用の応接室で、連れてこられた猫に、灰皿の端でトントンと叩きほぐしたカツオブシを食べさせてやりながら。

「ザンザスの奥さん初めて見たけど、すっげー別嬪なのなー。ちょっと派手だけど」

 話題の男の愛人の前でその正妻を褒めるのは、わざとか。

「奥さんの周りに九代目の親戚が集まってて、ザンザス、そっちに行きたくないみたいで、ずーっとツナんとこ居るぜ。親戚たちがツナのこと嫌いみたいで、宴会とかでもパックリ分かれてるからさぁ。九代目が時々、そばに呼ぶ以外は。でもツナより、獄寺と話してる方が多いけど」

 ボンゴレ十代目に内定済の澤田綱吉は話題の豊富な男ではない。洗練された話術も持たない。愛想は悪くないのだが、相手にあわせるということをしないザンザスと一対一で向き合えばぎこちない沈黙に陥ることが多い。

「獄寺さぁ、国家公務員T種試験ってゆーのに合格して、警察庁採用になったんだ」

「ンだ、そりゃ?」

 久しぶりの『おやつ』を喜んでごろごろ、喉を鳴らしながら絨毯の上で転がる猫を撫でながら銀色の鮫が問う。

「オレもよく分かんねーんだけど、日本の警察の、幹部採用試験、みたいなのに合格したってこと。春からアイツ、警視庁警部補なんだ」

「ンだ、そりゃ?」

「だから、オレもよく分かんねーんだけど」

 警視庁と警察庁の違いからしてよく分かっていない山本は、獄寺の就職先を理解しなかった。だから首をかしげる銀色の師匠が満足する説明も出来ない。ただ、あの獄寺が珍しく真剣に勉強して、合格通知が送られてきたときはとても喜んでいたので、凄いことなんだろうなと感じている。

「踊る大走査線のギバちゃんの立場ってことね?」

 銀色よりも先にオカマの格闘家が本質を理解する。そうそれ、と、山本が言って、あぁ、と、銀色も納得。俳優が好みだというオカマに付き合って、日本語の勉強も兼ねてそのドラマはテレビシリーズも映画も何度か見た。

「なるほどな。さすがにやるじゃねぇか」

「頭よさそうな顔してるものねぇ、あのコ」

「うん。頭いいんだ獄寺。んで、ナンかザンザスが興味もったらしくって、日本の警察のこととか、色々」

 かなり熱心に二人で話しこんでいた。山本にはよく分からない難しい話だった。

「そうか。まあいいさ、喧嘩してねぇなら」

 ボンゴレ一族の出身である正妻を捨て夫の義務を放棄した時に、ザンザスはボンゴレの『身内』であることを棄てた。九代目の養子であることには変わりないが個人財産の相続権も全て、一代とばして双子の子供たちに渡すことが決まっている。だから、九代目の隠棲に伴う権益の配分には、本来、無関係の筈だが。

「みんなすげぇ、ザンザスんこと意識してんのな」

 長年、ボンゴレの中央で門戸を張っていた存在感と実力は無視することが出来ない。

「ツナにニコニコしてる訳じゃねーけど、おんなじテーブルに居るってだけでナンか、ナンてーか」

 他は一人も、実父である門外顧問の澤田家光を除いて寄り付かないというのに。

「重心コッチ、みたいなカンジなのなー」

 息苦しいほどの存在感がある。ボンゴレ一門がどんなに澤田綱吉を無視しようとしても、その重心の前では浮薄な抵抗になってしまう。

「ナンかさぁ……。ナンにも怖くねぇカンジ?」

 山本武は言葉は巧みではない。けれども頭は悪くなく、勘は恐ろしく鋭い。重石の外れた『一族』の白い目などは少しも気にすることはないのだと、ソレをかつて牛耳っていた男の態度から察した。

「ツナがさ、すっげぇ、あれ助かってると、思う」

 あの重石がなければ澤田綱吉は、白眼視されて孤立する、辛い立場になっただろう。他人からの敵意に傷つきやすい優しいところがあるから。集団は萎縮した個人を見つけると嵩にかかってくる。数の価値をまったく認めないザンザスのような男の前では目を伏せながら退くしか出来ないが。

「で、テメェが礼の進物か?」

「んー。たぶん違う」

 カツオ節を食べ終えた猫はニャアと鳴いた。その声で山本は眠りたいのだと気づく。ザンザスが『拾った』この猫を半年、預かって世話していたのは山本武だった。

「墓地に、墓参りに行く車に、一緒に乗れって、ツナがザンザスに言ったのなー」

 九代目は澤田家光の介添えで別の車に乗った。その次に車を出す権利があるのは、次代を継ぐ澤田綱吉の一行。一緒に乗っていこう、というのは最大の好意。けれど。

「けどナンか、ツナんじゃなくって、後ろついてく俺のに、ザンザス、乗っちまって」

「あー、テメェのアレ、アイツお気に入りだからなぁ」

 数ヶ月の滞在になるかもしれない、という事で、日本からわざわざ持ってきた山本の愛車。ボンゴレには多くの高級車が倉庫に揃っているし、ザンザス自身もリンカーンコンチネンタルを乗り回しているが、今回は澤田綱吉より高い車で行くわけにはいかず、別の公用車で出かけていた。

「あらそうなの?ボスが?」

「あ、そーなんだ。がっかり」

「おぅ。日本に行くたびに空港までこいつに迎えに来させてんだけどよ、ナンか、気に入ってるみたいだぜ」

「刀の坊やの車ってなぁに?」

「RX7っていう日本のスポーツカーッス。ロータリーエンジンっていう、ちょっと珍しい駆動系で、乗り心地はハッキリ言って、すっげぇ、悪いンスけど」

 言っているうちに山本の表情が暗くなる。音がうるさい、シートが固い、尻が痛くなるといって恋人は隣に乗ってくれない。澤田綱吉も、山本の車に乗ると酔っちゃうんだと言って避けている。

「そっかー、ザンザス、あの車を気に入ってくれてたのかー」

「おぅ。カーブ曲がる時の動きが面白いって言ってたぜ」

「そっかー、がっかり。オレんこと好きなんじゃないのかー」

「……オイ」

 銀色が嫌な顔をする。ニッと山本が顔を上げて笑った。したたかで強情で、死ぬほど気の強い本性を少しだけ見せて。

「とにかくそれで、ツナの機嫌がすっげぇ悪くなって、まー、はっきり言うと、オレ、追い出されたんだ……」

 しょんぼりそう言う山本に、ぶ、っと、銀色とオカマが同時に噴出した。

「笑わねぇでくれよ。なんかマジで睨まれて、ちょっと落ち込んでるんだからさ……。しかも好かれてんのはオレじゃなくて車だったなんて、余計なんか、ショック深いのなー」

「ほほほ。男は嫉妬されるくらいが良いのよぉ。いい男だっていう証拠じゃない」

「アイツが気に入るなんざ滅多にないんだぜ。すっげぇレアだぁ。ま、気に入られたのはテメーじゃなくってテメーの車だったみてぇだけどなぁ」

「追い討ちかけねぇでくれよスクアーロ。マジ、オレ、なんか、ちょっと、辛い……」

「ま、とりあえず、着替えろ。ボンゴレのパーティーより美味いメシ、喰わしてやるぞぉ」

「荷物はそれだけ?客間に案内するわ」

「ありがとう」