「どんなもこんなも、話にならないぜ」

 跳ね馬の空腹は相当だったらしい。とりあえず出されたツマミ、チーズとサラミとセミドライトマトのオリーブオイル漬けを口に運ぶ手が忙しい。合間にはシャンパンを、勧められるままに飲み干しながら、ぺらぺらと喋る。

「ボンゴレの次代体制を決める会合だっていうから、オレの参加は筋違いかとも思ったけど足を運んだんだ。ツナにアドバイス出来ることもあるかと思って」

「兄貴面のついでにボンゴレから甘い汁吸うつもりで?」

「うるさいな。聞き出したいなら茶々を入れるなよ」

 ぐいっ、と、1995年のクリュッグを飲みながら金髪の跳ね馬は学生時代に戻ったような口を利いた。

「オレは、ツナの後見役にはなる気がないでもなかったさ。可愛い弟分だし、同盟ファミリーだし。けど条件がボンゴレの血を引いた女を妻にすることっていうのは何事だ。血で繋がなきゃ信用出来ないくらいなら、部外者のオレにそんなこと頼むなっていうんだ、チクショウ」

 自尊心を複雑に傷つけられた跳ね馬はここに居ない誰かを罵りながらクラッカーにトマトとチーズを載せて食べる。この期に及んでも固有名詞は出さないが、それが誰に対するものなのか、その場の全員が分かっていた。

ルッスーリアがベーコンとキノコのクリームパスタとシーフードのフリットを出してくれて、それに貪りつく。健康な食欲は見ていて気持ちのいいものだった。フォークにパスタを巻きつけては大きく口を開け、食らいつく様子は自分が二枚目であることを一時放棄している。

「オレに政略結婚しろなんざ、マジ有りエネェ。オレは確かにハンサムで女の子の扱いは上手いぜ。けど、ボンゴレのキラキラの令嬢のご機嫌を何十年も取りつづけられるほど、我慢強くもなきゃ人間が出来てもいないんだ」

「まぁ、そうよねぇ」

 ちゃんと噛んで食べなさいよと、母親のような口をきいた後で、同情に耐えないという口調でそう言ったのはルッスーリア。

「結婚ってのは生活ですねものねぇ。天下のドン・キャバッローネが、一人じゃごはんも上手に食べられないなんて、知られて言い触らされた日には威厳も何もなくなるわよねぇ」

 上等のスーツを食べこぼしの染みから守るために、跳ね馬の首にはルッスーリアのスカーフが巻きつけてあった。塩コショウの味付けと絶妙に絡むパスタのクリームがべたべた、そこに落ちてはまだら模様を作る。

「生活史や趣味が合わなくても、愛情があれば一緒に生きていけるけれど、前提が欲得じゃ、これじゃもたないでしょうねぇ」

「……」

 ザンザスを『正妻』から奪った『愛人』として、銀色の鮫はそれに関するコメントを控えた。シーフードフリットの欠片で汚れた跳ね馬の口元を拭ってやる。山本武は少し離れたソファでうとうと、毛布を被って、眠りかけていた。

 狸寝入り、意識のないフリかもしれないが、それはホストの二人とも追及しないでおく。

「おかしな男よねぇ。自分は何も知らない日本人の女を娶っておいて、ボスやアンタにボンゴレの女を娶らせようとするなんて。アレはどういう心理なのかしら」

「復讐だろう」

 からりと揚がったシーフードを口に運びつつ、跳ね馬はなかなか、喰えない聡明さを見せる。

「むかし、自分が日本人の血を引いているっていう理由で、ボンゴレの後継者候補から外された復讐だろう。コンプレックスの裏返しかもな」

 ボンゴレ九代目には実子が居なかった。沢田家光は若い頃、ボンゴレの若獅子と称された傑物だった。腕も頭もとびきりで、本人に野心もあったし、周囲から九代目の跡取りにと推薦する声もあった。結局は、あれは『外国人』だから候補外だとする意見が通って、十代目の座からは遠ざかった。

紆余曲折の末、息子を自分が欲しかった地位に就けた。最終的な勝利者。けれど最近、その行動に焦りが見えている。肝心の息子が父親からの干渉を嫌っている様子を露骨に見せているから。だから自身ではなくこの跳ね馬を後見役にして、息子の反発とボンゴレ幹部たちの警戒を和らげようとしてのだろう。

「とにかくオレは、そんな条件なら後見役は受けられない。そう言ったんだが、照れるな、とかって背中を叩かれて」

「目に見えるよぅだわねぇ。デザートは食べる?」

「ぜひ、いただきたい」

「シャンパンもー一本飲むか?別のにするか?」

「ブランデーをくれ」

「おぅ」

 跳ね馬は今夜、ヴァリアーのボスが招いた客人。その望みを叶えるべく銀色の鮫は部屋を出て行った。最上階のザンザスの居間のサイドボードからロマネコンティのブランデーを持ってきてやるつもり。

「オレだって、好きなオンナは居るんだ……」

 銀色が居なくなった後で金の跳ね馬はそんなことを呟く。

「ダメよぉ、好きでも、手をだしちゃ。夜這いしたら背骨をへし折るわよぉー」

 冷凍庫から出して暖めたレモンケーキにレモンのジェラードを添えた皿を目の前に置いてやりながらルッスーリアが釘をさす。ちゃんと山本武にも聞こえるように大きな声で。分かっていると、跳ね馬は答える。

「オレは行儀のいい男だ。密通はしないぜ」

 その言葉も大きな声だった。山本武の前科を知っているらしいとオカマが気づく程度には。

「そもそもボンゴレは発想が古い。オレたちは個人だ。父親のことは好きだし、息子も出来たら可愛いと思うだろうけど、基本的に別々の人間だ。血で同盟を繋ごうなんていうやり方はクラシック過ぎる。あのクラシックなザンザスにさせようとして失敗したことを、まさかオレにまで、言い出すとは思わなかった」

「まぁ、ウチのボスはねぇ、色々と状況がねぇ」

 ふぅ、とため息をついたルッスーリアの台詞の、途中で部屋に戻ってきた銀色が、つい口を挟んだ。

「アイツもなぁ。十代目継げてりゃ、結婚したまま、ガマンしたかもしれねぇけどなぁ」

「ンなこと、ねぇんじゃね?」

 間髪おかずにことは背を返したのは酔って眠っている筈の山本。毛布を被って背中を向けた、その姿勢のまま。

「ナニがどーなってたとしても、絶対アンタのこと選んだと思うぜ。だってアンタが、色々イチバンじゃん」

 抽象的だか強い言葉だった。確信に満ちていた。銀色は唇の端で笑う。年下のガキに生意気に慰められたことを察して複雑な気持ち。けれど深いにはならなかった。好意が一途だったから。

「オレも、そう思うぜ」

 レモンケーキを口に入れていたせいで出遅れた跳ね馬も素直に同意する。そっちに銀色はプランデーの瓶を振り上げ、ごくごく軽くだが、後頭部を叩いた。

「いてっ」

「ディーノのくせに、ナマ言うんじゃねぇぞぉ」

 言いながら瓶の封を切ってやる銀色は笑っている。グラスに注がれた液体の色は深みのある朱色。ワインのロマネ・コンティがぶどうの出来の悪かった1986年に蒸留され、二十年以上の熟成を経て2007年に瓶詰めされた、トメーヌ・ド・ラ・ロマネ・コンティ。

 ワインの搾りかすからつくるマールではなく、ワインそのものを蒸留した高級品。値段はワインに比べれば高価ではないが希少価値が高い。香りが鼻腔をくすぐって、跳ね馬はうれしそうに口をつけた。

「美味い」

「はは。……おぉい、そこのガキ、起きねぇのかぁ?」

 ベーコンやクリーム、フライの油の匂いを一瞬で霧散させた芳香が満ちる室内で、酒を嫌いではない若者がそわそわしているのに銀色は気づいて声をかけてやる。むくり、毛布を被っていた山本が素直に起き上がった。

「えへへー」

「エヘヘじゃねぇよ、バァカ」

 罵りながらも銀色の声は優しい。ルッスーリアが渡してくれたグラスを山本に持たせてブランデーを注いでやる。香りに目を細めながら山本はグラスに口をつける。にこにこ上機嫌な様子に跳ね馬が複雑な表情を見せたが、行儀のいい男は嫌味をぶつけたりはしなかった。

「アンタはやっぱ、飲まねぇの?」

 アジトに帰ってきても、と、山本が銀色に尋ねる。絨毯に直接座り込んだ姿勢で見上げる表情はあどけないくらい、若いというよりも幼い。二十歳を超えて、すでに立派な男なのだけれど、日本人の若々しさは異常だ。肌がつるんと何時までも子供じみていて、そのせいかもしれない。

「飲まねぇよ。今夜は余所者がアジトに泊まるからなぁ」

「そっか、残念。んじゃ、酔いつぶれるよ」

 害意を持っていない証拠に、と、若者が笑った瞬間、壁のインターホンが和音を奏でる。

「もしもーし」

 ルッスーリアは洗い物をしていたので銀色が子機を手に取った。盗聴と音声漏れを防ぐ為のヘッドホンタイプ。イヤーマイクを耳に押し当てて、そして。

「はぁーっ?なんだぁ、そりゃあ?」

 大きな声で口元のマイクに向かって怒鳴る。

「え、なに、ナンかあったの?」

「どうした、スクアーロ。事件か?」

「ツナヨシ連れてくるって、マジかぁ?オマエも帰ってくる?いーのかよダイジョーブかぁ、ンな真似してぇー!」

 怒鳴り声を聞いたディーノと山本は、互いの間に流れる微妙な空気も忘れて顔を見合わせた。

「……ツナもやられたのかな」

「みたいっスね」

 そうして二人、揃って銀色へ視線を戻す。銀色は舌打ちをしてインターコムを壁に戻した。

「なによ、どういうこと?」

 皿を洗い終わり、エプロンで手を拭いながらのルッスーリアの問いに。

「クソボスがツナヨシ連れて戻ってくる」

 銀色が答えた。

「それは分かってるわ。どうしてそんななことになったのよ」

「知るかぁ。そいつらに聞けぇ」

 心当たりのありそうな様子のゲスト二人を銀色は形のいいあご先で指し示した。えへ、っと、山本がまた笑う。

「オレよく分かんないんだけど」

「テメェその枕詞そろそろ省略しやがれ」

「跡取りとかの話になると、結婚とかも、絡んで来るもんだろ?」

「絡んで来るのは百も承知だぁ。ソレとてめーのボスがここに来るのと、どー関係があんのかって聞いてんだぁー」

「んー。オレさぁ、最近、ちょっとナンか、そーじゃねーかって気がしてきたんだけど、ザンザスってさぁ」

「ウチのボスが、なに?」

「縋りつかれたら蹴り飛ばせねぇタイプ?」

「それは」

 山本以外の三人の声が綺麗に重なった。

「ねぇ」

「ない」

「ありえないわぁ」

「うぜぇヤツには容赦ないぜぇアイツ。お坊ちゃんだからなぁ」

「ザンザスにマトモな感情を期待するな山本。あいつはマフィアの闇そのものなんだぜ」

「うちのボスは女でも子供でも蹴るわよ。女と子供は、怪我をさせないように蹴るけど」

「……ふーん」

 大人の意見が一致して、山本は自身の推理を軌道修正する。

「じゃあ、実は案外、ツナを好きなのな?」

 無邪気な疑問符つきの言葉に。

「……」

「……」

「……」

 大人たちは沈黙する。即座に否定いきれないものを感じて。

「イエミツよりは、多少、マシだろうなぁ」

「門外顧問に煮え湯を飲ませる為なら手を取るかもしれないな」

「ウチのボスって手段を選ばない男よねぇ」

「まー、とにかく、連れて帰るから食い物用意しとけ、だとよ」

 伝言を告げ銀色が壁の時計を見た。時刻は夜の十時を過ぎている。ボンゴレ本邸を出たばかりだとすると、到着は日付が変わるころだろう。

「ボスたちもお夕食をたべていないのかしら?」

「まさか。夜食だろ。とりあえず、地下行ってくらぁ」

 地下の酒蔵から酒を木箱で持ってくるつもりで銀色の鮫が立ち上がる。沢田綱吉が単身でやって来る筈はなく、守護者たちを連れてくるのだとすると、饗応もそれなりの量が必要になる。個人の在庫では足りない。

「えーっと、オレ、ナンか手伝えることありますか?」

「気を使わないで。お客様ですもの」

「でも、ほら、ツナの為なら、オレのボスの為だし」

「てめーは料理得意だろ。ルッス手伝ってろ。跳ね馬、なにいつまでも座り込んでんだ。来い」

「分かったから怒鳴るなよ」

「了平も来るわよね。うふふふふ。何を作ろうかしらぁー♪」

 らんらん、ルッスーリアが嬉しそうに、大型冷蔵庫のドアを開けた。

 

 

 さすがに作りすぎではないか、という大皿料理の数々が。

「メシ喰ってなかったのかぁ?」

 消費される速度で、まさかの事実を、銀色は悟る。