大丈夫か、と、銀色は小さな声で尋ねた。
「床で眠れんのか、オマエ?」
広間でどんちゃん騒ぎの後、ドアを開け放したままでの雑魚寝。ルッスーリアと銀色が運んだ毛布や枕、寝袋にクッションをそれぞれに使い、頭から被って沢田綱吉の一行も部屋の片隅で転がっている。スーツのネクタイを外して喉元を緩め、スラックスの前も外した楽な姿勢で、でも服を着たまま、『酔い潰れています』という格好で。
夜が明ければ譴責にやって来るだろうボンゴレ本邸からの使者、おそらくは沢田家光に対するアピール。反逆の意思はないという証明さえ叶えば、あとは気にすることは無い。
「マットレス、持って来っかぁ?」
ザンザスも同じく、着衣のままで毛布を被って床に横たわる。沢田綱吉が横なった壁際とは反対側の広間の隅っこで。二人のボスの間にはそれぞれの部下たちが転々と転がっているが、その位置はそれぞれの立場を物語るようだった。
山本武は獄寺の厳命で沢田綱吉の隣。その横には獄寺本人が間近く横たわっている。ホストの『妻』、ひと悶着会った銀色の鮫に近づかせないよう警戒している位置。金の跳ね馬は別の角に部下二人とともに眠り、笹川了平とルッスーリアは部屋の中央近くで体を寄せ合って仲睦まじく並んで眠っている。
銀色は当然、ザンザスの隣に横たわった。けれども御曹司育ちの主人が心配で、そっと起き上がり唇を耳元に寄せて眠れそうかと尋ねる。
「……」
男は眠っていなかった。暗闇の中、ルビーの瞳が薄く開かれる。明度を落とした常夜灯の光の下でも、その瞳は光った。
「せめて、シーツとかよぉ」
部屋から持って来ようかという銀色の申し出に男は頷かない。メインゲストである沢田綱吉も、それに準じるドン・キャバッローネもクッションを枕にして絨毯に転がっている。なのにホストであるこの男が、自分だけマットレスやシーツを使うわけにはいかない。
「ザン……、っ、ちょ……!」
いかないが。
「なに、おま……、おい……」
シーツの代わりに銀色を引き寄せる。腕の中に収めようとした。が、途中で思いなおして。
「おま……」
枕にしていたクッションを外し、代わりに銀色の義手の左手を掴んで頭の下に、敷く。
「……」
銀色は驚いた。そんな真似はさせられたことがなかった。戸惑い、しばらくは硬直する。来客たちが眠っているせいで声を上げることも出来ずにされるすがまま。
「ちょ……、なぁ……」
義手で腕枕をさせられて、どうやら男がその姿勢のまま、眠るつもりだと悟って。
「かてぇ、ダロ?」
武器の剣は外してあるけれど義手はチタン製。枕にはどう考えても向かない。
「コッチ……」
腕枕にするなら生身の右手にしろと、銀色が姿勢を変えようとする。毛布の下から手を伸ばし、男はその手を取った。取って、頭の下ではなく、自分の肩の上に置く。
抱くのではなく、抱かせる。
その方がよりアピールできることを、賢い男は知っていた。
「……さみーのかぁ?」
小さな声で銀色が尋ねる。知能に問題は無いが、時々どうしようもなく愚かなオンナ。自分が着ていた毛布を男の肩にそっと被せる。暖かい。カラダを寄せ合って体温を与え合う上に、二枚になった毛布の暖かさに男の意識がとろんと緩む。
「眠れ、そうかぁ?」
心配そうな銀色が尋ねる。返事は穏やかな寝息だった。
夜明けの時刻、カーテンをあけっぱなしの、明るくなりかけた広間に。
「ねぇ」
現れた人影はまっすぐ奥へ進み、床に転がる幾つもの毛布のふくらみの中から正確に『自分の』を選び出した。
「何がどうなっているの?」
屈み込み、毛布を剥いで尋ねる。
「むにゃ、むにゃ」
沢田綱吉は幸福そうに眠っている。雲の守護者の登場にも目を覚まさない。起きないことにムッとした雲の守護者が鉄拳正妻という実力行使をしようとした、時。
「あれ。オマエ何処から入って来たワケ?」
広間の入り口に人影。昨夜と同じく双子を小脇に抱えた姿のティアラの王子様。
「ザルの隙間から」
尋ねられ、律儀なところのある雲雀恭弥は答えた。ふぅん、と、王子様はやや納得しかねる表情。確かに昨夜のヴァリアーは警備体制を放棄していた。が、それでも不審者があれば報告があった筈だ。誰にも見咎められずに最奥のこの広間まで、勝手に辿りつかれたことは想定外の出来事。
「ま……、エース君だし……」
というあたりで面白くない気持ちを宥めることにしたのは、腕に双子の子供を抱いているせい。
「何がどうなっているか、君は知っている?」
「オマエはどー聞いて来たのさ」
「宴会をするって。ご馳走が食べられるっていうから、帰国の途中で寄ったんだ。そうしたら全員が行方不明で大騒ぎになっていた。どういうこと?」
「話すと長くなるから後でツナヨシに聞けよ」
王子さまはあくまでも面倒なことは避ける。
「けど暫くは、みんな起きないんと思うぜ」
目が覚めても起き上がらないだろう。酔いつぶれて眠っていましたというパフォーマンスが必要だから。その為に、こうして全員が同じ場所で、雑魚寝で転がっているのだから。
「ボンゴレ本邸、大騒ぎだったワケ?」
「凄い騒ぎだった」
「ふーん」
当然といえば当然。権力の継承におけるとりきめをするぞという集まりなのに、『次』を継ぐメインの人間が退去して抜け出してきたのだ。反逆でこそないけれど反抗。詰問の使者はすごい剣幕で乗り込んでくるだろう。
「なぁエース君」
「前も言ったけどボクはそんな名前じゃない。一文字もあってないよ」
「朝市にアサメシ喰いにいかね?」
思わぬ相手からの思いがけない誘いに。
「美味しいの?」
「うん」
「何がある?」
「なんでも。パンも肉も魚も酒もチーズも野菜もミルクも、なんでも売ってっから。バニーに買ってフリット買って広場のテーブルでワインあけれるし。実は王子、その相談しに来たんだよね。ソルとルナに市場でパンケーキの朝ごはん食べさせたくて」
母親に構われず、愛情や食卓をあまり知らない二人の子供に、屋外でものを食べる『イベント』を経験させてやりたくて。
「けどさすがに、勝手にはさぁ」
九代目の孫たちを勝手に連れ出すのもどうかと思ったから、一応、ボスにいいかと訊ねに来たのだった。
「でも、ま、エース君とならいいか」
「意味がよく分からないよ」
「エース君と王子なら何が起こっても何とかなるんじゃね?」
子供たちに危害を加えようとする敵が現れても防げるだろう。それに勝手な外出の言い訳にもなる。空腹でやってきたゲストを案内していたのだ、と言い張ることができる。やがて怒鳴り込んでくるだろうボンゴレ本邸からの詰問の使者とも顔をあわせずに済むし、一石二鳥。
「意味はまだ、よく分からないけど」
言いながら、雲雀恭弥は一歩を踏み出す。王子様の腕の中の双子に向かって手を伸ばす。ボンゴレ雲の守護者の美貌に双子は揃って見惚れていたが、さし伸ばされた手に先に反応したのはソル、太陽という名を授けられた女の子の方。
「子供に朝ごはんを食べさせるのは、大人がちゃんとしなければならないことだと思う」
意外と子供好きの雲雀恭弥だった。子供というより小動物の一種と思っているのかもしれない。
「行こうか」
「行こうぜ」
案外気のあうところを見せて、双子と一緒に、二人は広間から出て行く。