アーケード街の片隅で女三人が肩を寄せ合っている。
うちの一人ははっきり泣いていた。声こそ漏らさないが肩を震わせしゃくり上げている。
「そんな、ハルちゃんが悪いんじゃないよ」
「そうよ、ハルちゃん。あんなに小さな仔が、あんなに急に走り出すなんて思わないもの」
「きっと親切な人がもう保護してくれて、それで見つからないんだと思うの。きっと」
「軽い方がいいと思ってあんなヒモを首輪につけてたおばさんが悪かったわ。ハルちゃんのせいじゃないの」
残る二人がそれを慰めている。けれどその二人も泣き出す寸前、動揺と悲しみは隠せない。泣いている女もその他の二人もけっこうな美人で、ここがイタリアなら男たちの人だかりが出来、一大捜索隊が組織されただろう。
が、ここは日本、並盛商店街の一角。
けれどもそこに、イタリア人は居た。
「DEーい!」
フェミニストではいが体育会系の、実はけっこう、親切なイタリア人が。
「オマエぇ、ササガワリョーヘイの妹じゃねーかぁー?」
ショーウィンドーのガラスを震わせる大音量で話しかけられ、びっくりした三人は揃って顔を上げる。涙をぼろぼろ零している方にも、声の大きなイタリア人は見覚えがあった。
「おー、なんだぁ、こっちはサワダツナヨシのダチじゃーねかぁ。どしたぁ?」
長い足でスタスタと近づき、手は伸ばさずに屈んで泣き顔を覗き込む。
「オレのこと分かんねーかぁ?」
「あ、いいえ、覚えてます」
笹川了平の妹ははきはきと答える。容姿は可憐だが見た目ほど大人しくはない。泣いている方も記憶はあるらしく、鼻水をすすり上げながら同意を示して頷くが、咄嗟には喋れない。顔に押し当てていたハンカチは濡れそぼっている。
「山本さんの先生で、えっと、スク、アーロさんですよね」
白蘭戦では暫くの期間を一緒に過ごしたし、キャバッローネのカジノで行われたビアンキの第二誕生日のパーティーでも同席した。キラキラの容姿と大きな声をよく覚えている。
「おー、そーだぁ。ツレはなに泣いてんだぁ?どしたぁ?」
黙っていれば王子さまじみた外見の若いイタリア人が、口を開けばガテン系の、でも親切なアンチャンというギャップに、通り過ぎる一般人たちが驚く。
イタリア人の問いかけは泣いている女に向けられたもので、ついでにハンカチを差し出してやった。
「鼻かめぇ。返さなくていーからよぉー」
「うぇ……、えぇえぇぇ、ぇえぇー」
「泣いたって分かんねーぞぉ。おら、どしたんだぁー」
「い……、いぬ……、ハルの、ハルのせいで……」
「イヌぅ?」
「居なくなっちゃ……、ハルのせい、ですうぅううぅー」
うわあぁぁぁあぁぁーん、と、また泣き出した声は大きい。
「つ、ツナさんちの、子犬をお散歩に、行かせてくださいってハルがお願いしたのに、途中で子犬が走り出して、ヒモが手からすりぬけて、追いかけたんですけどおいつかなくって……。うわあぁああぁぁぁーん」
「あー、逃げて見つかんねーのかぁ」
「まだ、小さいのに、ホントにちっちゃくて、ちっちゃ……」
「泣くんじゃねーぞぉー」
「おかーさん死んじゃって、まだミルク呑んでて、目が見えるようになったばっかりで、自分ではゴハンも探せ、ないのに……、うえぇええぇぇー」
「そーかよ」
泣く女には手を触れないまま、銀髪の若いイタリア人は背後を振り向いた。そこには背の高い男が立っている。
「いーかぁー?」
手助けしてやってもいいかと銀色の鮫は自身のボスに尋ねる。強面だがハンサムな黒髪のイタリア人は頷いた。ここは沢田綱吉の本拠地。そこで沢田綱吉の彼女『たち』が困って泣いているのに無視して去ることも出来ないだろう。
「手伝ってやるから泣き止めぇ。何処でどー逃げてどっち行ったんだぁ?拾われたんならまーそりゃそれで保護されてある意味安心だかなぁ、怖がって隠れてんのかもしれねーぞぉー?」
どんな子犬だ、大きさは、毛色は、名前はと、銀色の鮫はてきぱきと尋ねる。逃げ出した場所から方向を教えられ、とりあえず店員に目撃しなかったかどうか、尋ねていくことにして。
「ザンザスぅ、オマエ先に、ホテル帰ってて……」
いいぞ、と、告げようとした銀色の視界に黒髪の男の姿はなかった。
「お?アイツどこ行ったぁ?」
同行している女たちに尋ねる。それは無意味なこと。銀色が気づかなかった気配を女たちが察するはずがない。
「ど、どうしましょう。探しますか?」
「ま、コッチの迷子は自分で帰るだろぉ」
ホテルは分かっているのだからタクシーを拾って先に戻ったのだろう、と、銀色は思った。沢田綱吉の彼女『たち』に奉仕するのが面白くないのだろう、と。
「どれくらい前にはぐれたんだぁー?一時間?じゃあなぁ、通行人には二人一組で、反対側に聞きに行けぇー。行きにすれ違ったヤツが戻ってきてる可能性の方が高いからなぁー」
実にてきぱき、銀色の鮫は創作の指示を出す。はい、と、女たちは素直に頷いた。銀色の鮫と面識のない沢田奈々も。
「別れて、一時間後に集合だ。それで見つからなかったらエサ持って隠れ場所を探しに行くのと、迷子ポスター作るヤツとに別れるぞぉー」
待ち合わせ場所はここだ、目撃証言を尋ねる相手は親切そうなのを選べ、連れて行くって言われても着いていくんじゃねーぞ、見つかったら教えてやるって言われたら連絡先には沢田綱吉の携帯教えとけぇ、などと言っている銀色の。
「お?」
横から、ずいっと、差し出された腕。
「あ?」
掌の中には、本当にまだ小さいけれど子犬が載っていて。
「うぉっ!」
銀色の鮫の、頬をぺろんと舐める。
「な、なんだぁ、えっ?!」
驚く銀色が、いつの間にか戻ってきたボスに向かって発した疑問の声は。
「「「キャーッ」」」
女三人の黄色い悲鳴にかき消されてしまう。
「サンパチ君、サンパチ君ですぅ〜!」
「サンちゃん、サンちゃんーっ!」
「探して下さったんですか?ありがとうございます」
「サンパチ君、何処行ってたんですかぁ!心配しましたよぉ!」
「でも、元気そうで、良かった」
「本当にありがとうございました」
子犬を抱いた年かさの女が深々と頭を下げる。ちょっと綺麗な他にはなんという特徴もない、服装も態度も普通の女だ。が、背筋を伸ばして会釈するその姿勢に、育ちの良さがふっと漂った。
「ツナのお知り合いですか?わたくし、沢田綱吉の母です」
「……」
「……」
それは、つまり、仇敵であった沢田家光の妻だということ。
銀色の鮫がうげっという顔をしかけて、意思の力で表情を晦ませる。強面の男は動揺を表には出さなかった。
「あの、お名前をお伺い、してもよろしいでしょうか?」
「……」
男は名乗りたくなかった。名を知られたくないのではなく、知相手にとってヤバイことだから。沢田家光はかつて妻子の存在をひた隠しにしていたて、現在も息子はともかく妻のことは全く表に出していない。危険な世界に巻き込みたくない、という強い意志の表明。
「あの……?」
沢田家光に遠慮をする義理はない、ないが、敵同士でも女には手を出さず、必要があれば庇いあうのがファミリー内の鉄則。アレは敵方だがボンゴレ内部の対立者であって、ボンゴレという広いくくりの中では同種同属。
「……きゃっ」
オスである以上、おなじ種族の、メスは保護する必要がある。男が突飛な行動で場を誤魔化したのはその為。決して、自分を見上げてる瞳の透明度に見惚れたからではない。
近くでよく見れば、かつてボンゴレの若獅子と呼ばれた家光に惚れ込まれているだけのことはある、なかなかの美女だった。
屈んで頬をそっと当てる。艶やかな感触にほんのかすかに、男は笑った。沢田綱吉の母親と聞いたから余計に笑ってしまう。いったい幾つだ、バケモノめ、というのは正直な賞賛。
日本人の女の若々しさは全世界的に異常だ。
「わりーなぁ。ソイツ日本語、あんま分かんねーんだぁー」
流暢なガテン語で、銀色の鮫は連れの無礼を謝罪する。言葉は分からないが何かを話しかけられ、ボディランゲージの挨拶を返したと、外国人に慣れない一同はそう解釈した。
「んじゃ、オレらは行くぜ。またなぁー」
「あ、はい」
「ありがとうごいましたッ」