イタリアの空港から、獄寺隼人が掛けてきた緊急通信の。

『十代目、申し訳ありません。まかれました』

 内容は想定の範囲内。

『一瞬、ってーか、もぅ正直、いつ消えやがったのか見当つきません。ふがいないです。申し訳ありません』

 獄寺早との後ろでは、オレも一緒に謝るぞ電話を貸せと、笹川了平が言っているのが聞こえる。

「うん、まぁ、しょーがないよ」

 相手はヴァリアーのボス。戦闘力で劣るつもりはないが、存在を晦ますということにかけては一枚上手でも仕方がない。

 家出した『妻子』を探すのに他人の助けを受け入れるタイプでも、ない。

「ザンザスのことはいいから、イタリアに戻ったディーノさんやルッスーリアさんたちと合流して、子供たちのこと捜して。多分ザンザスも同じことしてると思うから」

 双子の子供たちは銀色の鮫と一緒に姿を消した。同行しているとすると、子供を捜すのもザンザスを探すのと同じ。

「そっちはまだ寒いでしょ。風邪をひかないでね。ヴァリアーの人たちと喧嘩しないでね」

 最後は管理職らしいことを言って沢田綱吉は電話を切る。

「かれ、無能じゃないけど、アドリブに弱いね」

 ボンゴレ日本支部の最奥、ボスの寝室にはその夜、美しい客人が居た。

「見張ってたVIP見失ったぐらいで時差を忘れるなって、言ってやればいいのに」

 ベッドの中で毛布を頭から被ったまま、眠そうな顔で半分寝ぼけつつ苦情を言う。まともにが目いていなくても、常夜灯の薄明かりに照らされた美貌は冴えて、振り向いた沢田綱吉の表情をしまりないものにさせる。

「仕事熱心なんだよ」

 口先では部下を庇いつつ、心の中で舌を蠢かす。

「それよりオレは、眠っているところ起こされると腹を蹴る、あなたのクセを、どうにかして欲しいけど」

「反射神経は制御できないよ」

「条件反射でさえないワケ?」

 がっくり肩を落としながら沢田綱吉はベッドに戻る。電話が鳴った瞬間に部屋の中央まで吹っ飛ぶほどの勢いで蹴られた腹を撫でながら。

「ヒバリさん……」

 かすかに身動き場所をあけてくれたことにニヤつきながら、気分を出して恋人の名前を、呼んだ直後に、さっと低く屈んだ。

「チッ」

「い、いまチッて言った?言ったよね!」

 雲雀恭弥の長い足が空を切ることはなかった。けれど繰り出すつもりだったことを、膝をかすかに曲げる予備動作で察した沢田綱吉は咄嗟に避けたのだ。

「あなたに腹、二回も蹴られたらアバラが折れちゃうよっ!」

「大きな声を出さないで」

 ごそごそ、毛布の下で眠りやすい姿勢に戻りながらボンゴレの女王陛下は答える。

「二度も腹を狙ったりしないよ」

「そ……、そぅ……?」

 そろり、自分のベッドにおずおずと近づき、毛布の端をそっと持ち上げながら沢田綱吉は背中を向けた恋人を恨めしく見る。

「そう。二発目はもっと下を狙う」

「下?したって……、やーめーてーっ!」

「うるさい」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 北フランスの春は遅い。特に、スイスとの国境にほど誓い高地の夏の別荘地は雪解けが遅くて、石造りの家の周辺もそこへ行く道路も、雪に覆われていた。

「いよいしょ、よ……、ッ!」

 雪道は斜面をタンデムシートのスノーモービルで登って無問題だった。が、家の出入り口が腰まで届く雪に覆われていたのは大問題。麓の村で買ってきてスコップで、重くて固い根雪を掘っては放り投げ、掘っては放り投げ、という肉体労働をしている銀色の鮫は、真っ白な雪の中で額に汗を浮かべている。

「がんばれー」

 肩を痛めていて手伝えない少年は口先で応援する。銀色の鮫はそれには答えなかった。が。

「しゅくー、しゅごーい、きゃーっ!」

 雪がざくざくと掘られていくのを喜ぶ幼児が嬌声を上げるのには、少しだけ手を止めて笑ってやる。ヴァリアーの砦にもボンゴレ本邸にも雪が積もることはあるのだが、積雪量が少なくてこんな根雪にはならないので、迫力のある雪壁を見るのは初めて。
「あったまったら、雪だるま作ろうなぁー」

 銀色の鮫がそう言うと、雪だるまというものを知らないだろうに、キャーッと嬉しそうに笑う。もこもこのダウンを着込んで少年の腕に抱かれた幼児は銀色の世界にご機嫌だ。スノーモービルで登ってくる間も、一心に景色を見つめていた。

「ホントになぁー、オマエらは寒くても暑くてもあんまりグズらねぇで元気で、ほんっとーに助かってるぞぉー」

 と、銀色の鮫が言うのには実感がこもっていた。

「ベルのヤツがガキの頃にゃあなぁ、暑いとバテてメシ食えねーで弱るし、寒いとすぐ風邪ひきやがるし、手間がかかって大変だったんだぜぇ」

 それに比べるとお前たちは丈夫で健康で育てやすいと、銀色の鮫はスコップを振るいながら呟く。

「手間がかかるほーが可愛いんじゃないの?」

 という、少年のツッコミには、王子さまではなく自分たちの父親のことが含まれていた。

 三十分ほどの格闘の末、なんとか扉を掘り出し、地面近くの煉瓦に偽装された隠し場所の蓋を凍えかけた指であけて、冷たく冷えた鍵を取り出す。樫の一枚板で作られた大きな扉と煉瓦の狭間から金属の触れ合う音がして、彼らを匿う空間の扉は開かれた。

「ってーか、中も寒いなぁー」

 建物はもともと、夏季に放牧にやってくる麓の酪農家たちの為の避難所を兼ねた教会だった。冬季の滞在は想定されていなくて、建物にはガスも水道もない。発電機はあって、温水は屋根の上の太陽熱温水器でシャワーは浴びれるが、凍結防止のため夏の退去時に水抜きをしてあるからすぐにはムリ。

 水のボトルや肉・魚・トマトの缶詰、インスタントコーヒーに茶葉、パスタといった数年の保存に耐える食料は、夏に置いていったものがあるので、十日や二週間の生活は出来るけれど。

「お茶沸かすよ」

 子守以外は役立たずだった少年が肩を庇いながら台所へ。戸棚からヤカンを取り出し、ボトルの水を汲んでカセットコンロの火を点ける。

「慣れてんなぁ、オマエ」

「毎年きてるから」

 慣れもするさと、少年は笑う。

「学校の夏季休暇の間、ずーっとここに居るんだよ、オレ。ソルとかアンタとかルッスとか、代わる代わるに遊びに来たりするけど、基本は一人で、篭ってるの好きなんだ」

「そーかよ。何してんだぁ?」

「たいてい、本を読んでるか、コンピューター弄ってるか」

「ふーん」

「別に寂しいショーネンじゃないよ?」

「別にンなことは思ってやしねーよぉー」

 と、銀色が答えたのには、ウソが混じっている。気質の基本が体育会系のこの美形は、ガキはおんもでヤンチャに遊んでろ、というのが好みではあるけれど。

「まぁ、邪魔になるってのは、分かんねーでも、ねぇなぁー」

 同級生や周囲の大人の『レベル』が馬鹿馬鹿しくて、必然的に一人になってしまうことには、身に覚えがあった。広い世間には似たような変種の大物がけっこう居て、その中からボスも見つけたし仲間も出来たけれど。

「今時のマフィアはアタマも要るからなぁー。腕っ節よりコンピューターに強いのが、貴重かもしんねぇしなぁ」

「なにその慰め口調。ボンゴレ未来の頭脳って言われてんだよ、オレ」

 自慢というわけではなく、だから心配しないでと告げた少年に、そうかぁと銀色の鮫がようやく笑う。これの父親も頭はいい。それを少尉に認められているのなら、後援者もつくし役目も与えられるだろう。

「マフィアになるって、決めたわけじゃないけど」

「十一代目になるんじゃなかったかぁー?」

「なる時はトップになるよ」

 はい、と、銀色の鮫にインスタントコーヒーを渡しながら少年は笑う。じっと自分を見る幼児には粉末の蜂蜜レモンドリンクを、ぬるく作って紙コップに入れてやった。

「おにーちゃん、ありがとぉ」

「……どういたしまして」

 本当の『姉』からおにいちゃんと呼ばれて少年は苦笑。それでも優しく笑いかけ、頭を撫でてやる仕草には愛情が篭っている。

「確か、一応、ストーブが……、おー、あったー」

 コーヒー片手に狭い室内を探していた銀色の鮫が、食堂の壁面の裏の物置から古い石油ストーブを探し出す。暖房なしの夜はさすがに辛いと思っていたところでほっとする。

「オレぁ麓の村に灯油買いに行ってくるぜぇ。オマエ、ちゃんとソルの面倒みとけよぉー」

 二人乗りのスノーモービルの後ろに荷物を積み込むつもりで銀色の鮫はそう言った。分かった、と、少年の返事に重なって、外からのエンジン音。

「お」

 銀色の鮫は嬉しそうな表情。この山の別荘は前の所有者である跳ね馬と、ヴァリアーの仲間たちしか知らない。誘拐犯であることを隠さなければならないドン・キャバッローネは身軽にこんなところへ来れるはずがなく、やって来るのは、仲間に決まっている。

「やべ……」

 という少年の呟きを背中で聞きながら、銀色の鮫は扉を押し開けて屋外へ出た。

気温は低いが太陽の光は強く、雪の結晶の先端が溶けて輝く光を受けながら、スノーモービルはシュプールを描いて建物の前の空き地に止まる。フードつきの黒い革ジャケットに革の手袋、同じくズボンを身に付け、かなりの大きさのサングラスを掛けた男のことを。

「ザンザスーッ!」

 銀色の鮫はたいそう嬉しそうに出迎える。

「よく来てくれたなぁーっ!一人でかぁ?すげぇなぁ。オマエ、道、覚えてたんだなぁーっ!」

 去年の夏に来たとき、ハンドルを握っていたのはこの男だった。だから微妙に失礼な物言いだが、銀色自身に悪気はこれっぽっちもない。世間知らずの箱入り息子、ボンゴレ九代目の御曹司だった印象がいつまでも強くて、お供なしで何かをすると『偉いなぁ』と思ってしまう。

「……」

 男は眉を寄せた。けれども何も言わなかった。

「ちょーど良かった、頼みがあるんだぁー。灯油買って来てくれよぉーッ!」

 それにも否を口にしなかったのは、弱みがあったから。