「いいよなぁ、アイツ。オマエにあんな、可愛がられてよぉ」
「てめぇほどじゃねぇ」
「オレと比べてンじゃねえよ」
「なら、なんだ」
「一緒に寝てくれぇ」
銀色のオンナの要求を。
「分かった」
男は受け入れた。言われなくともそうするつもりだった。オンナの胴に廻した腕を微妙にうごめかす。オマエが欲しいと、肌越しに伝える。正妻と別居して以来、ずっと隣に侍らせていたのにここ二日間、声も聞かなくて、落ち着かなかった。
「いや、そーじゃなくってよ。そーなんだけど、ちょっと意味が違ってぇ、オレとじゃなくって、オレともだけどよぉ」
はむ、っと、男は銀色の耳たぶを噛んだ。
「うおっ!」
「テメェが何を言っているか分からん」
「いや、だからよ、あのな、ってぇ、おい、やーめーろー。ひぃーっ、カムなぁーっ!」
「うえに、行くぞ」
この家の二階がある。夏の避暑でも二人の寝室になっていて、ずいぶん繰り返し愛し合った。
「んー」
「イヤなのか?」
「ヤじゃ、ねぇ。イヤな訳ねーだろ」
「……どうだかな」
オレを拒んだことがあるだろうテメェはと、男が恨めしそうに呟く。思いがけなかったその体験はこの男にトラスマを残した。養父や実母や正妻に抱いている嫌悪感とは全く異質の、不安と背中合わせの恐怖を刻み込んだ。
「二階に行って、セックスしよーぜぇー」
男の腕の中でうっとり、気持ちよさそうに目を細めながら銀色のオンナは言う。子供たちは食事をさせて眠らせている。時差のせいでぐっすり眠っている。ストーブを消してもコートに張ったホッカイロは朝まで暖かいだろう。それは心配がない。
「そんでよぉ、セックス終わったら降りてガキどもと、一緒に寝て、くれよ」
男の腕に自身を明け渡しながら、歌うように願った。
「……ガキどもと?」
思いがけない要求をされて男は問い返す。
「おー、そーだぁー」
「なんでだ?」
「イヤとは言わせねーぞぉー。アッショグレイとはセックスしねーで、仲良く眠ってたじゃねーかぁー」
「イヤミを言うな。イヤとは言ってねぇ」
のぞみを言え叶えてやるとは男の方から言った。だから要求に否と言うつもりはない。ただ、思わぬことを言い出されて戸惑う。
もっと別の、たとえば二度とアッシュグレイの美形には声を掛けるなとか、言われるかと思っていたのに。
「だって、あいつら、かわいそーじゃねーか」
という銀色の返事は、男の疑問の答えになっていない。
「ただのお気に入りがオマエにダッコされて寝たことあんのに、子供が一緒に眠ったこともねぇなんて可哀想だぜぇ。オレぁなぁー、実はすっげぇ、焼きもち焼いてっかもしんねーぞぉー?」
「……そうか」
「オマエはぁ、ヤんねーのとは寝ないってキャラだから今まで、思いつきもしなかったけどよぉー」
情婦ではないのに寄り添って眠っていたのを見て、胸がチリッと焦げたのは自分に関する嫉妬ではなかった。
「ガキどものことも、抱いてやってくれよ。一遍だけでいいからよ。なぁ、頼むからよぉ」
「どうして……」
テメェがそれをオレに頼むのかと、男は問いかけて、止めた。この銀色が双子のことでこの銀色が、まるで自分の連れ子のように一生懸命なのは今に始まったことではない。
「なぁ、頼むから、いっぺんだけ」
「……覚えてられねぇだろ」
今、一緒に眠っても、と、男は言った。
「本人たちが覚えてらんなくても、いっぺんだけでも、そーしてくれたら、一生言ってやれるだろ」
「言ってりゃいいじゃねーか」
どうせ覚えていないのだからと、男が口にしたのは拒否する理由を探して、ではない。頭のいい気性のせいでつい、モノゴトを理屈で考えてしまうクセがある。
「ウソはつけねーよ」
ごく当たり前の口調で銀色は反論。押せば転がるコロコロとした幼児が相手でも、『身内』には誠意を尽くす気質。
「どーしても、イヤかぁ?」
「別にイヤじゃねぇ」
コロコロと一緒に眠ることで腕の中の銀色のストレスが減るというのなら、拒否するほどのことでもない。
日本と違って欧米の生活習慣には『子供と添い寝』というものはなく、親子であっても同衾は近親相姦の疑いをもたれかねないが、さすがにあんな幼児ではそれもないだろう。
逆に言えば『一緒に寝る』ことにはセックスが伴う。それをヌキでも『一緒に寝た』、愛情というか親しみを、銀色が羨ましく思う気持ちは、分からないでもない。
「おー、マジかぁ。ありがとよぉー」
銀色の声が明るくなる。背中から抱かれた姿勢で振り向いて男の唇の端にキスをする。
「テメェは?」
「んー?」
「テメェは、いいのか?」
「あー?何がぁ?」
「セックス抜きでも、抱いて寝てやるぞ?」
プラトニックな愛情が欲しいのなら。
「なんだぁー、テヌキすんなぁー?」
「そうじゃねぇ」
「オレとは、セックス、してくれよ」
腰骨と胸元に廻された腕に、手を添えながら、オンナは言った。
「いっぱい可愛がって、くれよ」
「そうか」
どさり、と。
枕元に荷物のように、幼児が二人、置かれた。
「しゅくー」
「しゅくあーろー」
「しゅーくー、しゅーくあーろぉー」
「しゅぅくぅー」
幼児は口々に銀色の名を呼び、その肩や頭に顔を押し付ける。
「……@A?」
熟睡していた銀色は咄嗟に、何が起こったのか分からない。
「あたま、いたいー?」
「おなか、いたいー?」
「うえぇぇーん、しゅくあーろぉー」
「しゅく、イタイ?」
小さな手で銀色の頭や肩を撫でようとされてようやく、子供たちが自分を誤解していることに気がつく。
「あー、病気じゃねぇよ。大丈夫だぁー」
二人の幼児とここ数日、寝起きを共にしていた。いつも早起き、朝からテンションMAXの銀色に慣れた幼児は、なかなか起きてこない銀色を病気と思って心配しているのだ。
「いま、何時だぁ?」
部屋には掛け時計がない。改装で二重ガラスを嵌め込んだ窓から注がれる日差しは明るくて、天気のいい朝であることが知れた。
「九時過ぎだ」
男が答えながら、上体を起こした銀色にカップを渡してやる。中身は湯を沸かして作ったインスタントのカフェラテ。粉を湯で溶いただけだが、さすが日本製だけあって、味も見た目もなかなか、らしく出来上がっている。
「マジかよ。昨日、ちょーっと、お前らのオヤジに可愛がられすぎたなぁー」
軽口を叩きながら銀色は起き上がろうとした。したのだが、疲労感に負けてへたりとシーツに戻ってしまう。
「あぁー」
痛いとか苦しいとかではないけれど、昨夜、思い切り緩んだ関節がまだ、うまく動かず、身動きが思い通りにならない。
「寝てろ」
「ンな訳にいくかぁー。ガキどもにメシ、食わせねぇとぉー」
「もう食わせた」
男があっさりと答える。えっと銀色が驚く。驚くだろうと男は思ってびっくり顔を楽しみにしていたが、あえて正視せず、カップを片付ける為に背中を向ける。気配だけでも銀色の驚愕は男に生々しく伝わってきた。
「メシを、オマエがぁ?まじかよォ。……マジだなぁ」
子供の腹に手を当てて胃が膨らんでいることを銀色は認める。血色もよく空腹も訴えないから、ちゃんとした朝食を摂ったのだろう。
「おい」
子供二人によじ登られている銀色の前に、男は紙の包みを差し出した。
「あ……?」
「食え」
紙袋の中身はバニーニ。この男が何種類か買って来たうちの、チーズとセミドライトマトで、一番日持ちするモノ。
「あ……、りがと、よぉ……」
そんな風に『世話を焼かれて』銀色は戸惑う。けれども空腹には勝てず、袋の中から具の挟まれたバンを取り出し、齧りつく。
「おい、なんだぁ、ドコ行くんだぁー?」
この建物は古くて、一階と二階を上下するのは階段ではなくて梯子。子供を置いたまま階下に降りようとする男を、銀色は呼び止めた。
「仕事がある」
それは勿論、あるだろう。生活態度は怠惰だが情報収集と組織の掌握は怠らないこの男は、一日の前半、配信されてくる新聞や報告書を読んで過ごす。
「てめぇは子守してろ」
オレも行く、と言い出す前にそう告げられて銀色は言葉を呑む。言外に、オレはもううんざりだ、という気配が含まれていた。それはつまり、今まで階下で、子供たちの面倒を見てくれていた、ということ。
銀色の鮫が二階で眠っていた昨夜から、ずっと。添い寝をして、食事をさせて、ちゃんと着替えさせて。
「……奇跡を見そこねたぜ……」
シーツの上で足を組み、左右の肩に幼児を乗せながら、銀色の鮫は呟いた。
銀色の鮫と幼児たちは結局、二階で一緒に、もう一度、眠った。
「おい」
銀色の鮫は色々あって疲ていたし、子供たちは早起きをしすぎて『お昼寝』の時間だった。コトリとも物音のしない二階へ上がってきた男は、並んでくーくー、眠る三人を発見した。
「起きろ」
ぺち、っと銀色の頬を叩く。んー、と、唸りながら銀色が目を開ける。ぼんやりとした表情が珍しくて可愛いと、男は思ったが、それどころではなかった。
「ガキを連れて、丘を迂回して麓に下りろ」
「んあ?」
「来るぞ、ヤツが」
そう告げられてはっと目を覚ます。