デレやがって、と、部屋に届いたカフェを一応、毒見して持ってくる銀色のオンナが言うのに。
「……」
男は反論しなかった。仇敵の妻の、しっとりした頬の感触を思い出して口元を緩める。理由はともあれ男が笑ったのに驚いた銀色は、でも、つられて一緒に、ふにゃんと笑ってしまう。嫉妬は真剣なもの出来なく、それより、この男が上機嫌なのが嬉しい。
「ちょっといい女だった」
「だなぁー。サワダツナヨシもいつまでも童顔で、よく見りゃ可愛いツラしてっからなぁー」
あれは母親に似たんだなと頷きあう。父親の家光はイタリア系の面影を残した、若い頃はニヒルな二枚目だった。息子も顔立ちは悪くない、どころか整っている方だが愛らしいばかりで、ハンサムとか美形とかの形容は似合わない。
「あな可愛い顔してすげぇの産んだんだなぁー。イエミツのヤローもなぁ、女房とガキをよく十何年も、隠し……、うおっ!」
ソファに座った男が飲み終わったカップを受け取ろうとした銀色のオンナは、伸ばした手を逆につかまれ引き寄せられ、そのまま男の腕の中に包まれてしまう。反射的に抗議の声を上げようと口を一応、開いたが。
「産んだより育てた功績の方が高い」
男に先に声を出されてその口を閉じた。
「オレにとっては悪いことだったが」
十代目ボス・沢田綱吉は初代以来の戦闘力を誇る傑物。その強さは、この男自身にとっては敗北の理由で悪いことだった。が、ボンゴレ全体にとっては利益になる。血統を認めれずボスの座を手に入れられなくて尚、ボンゴレを愛している男のことが、銀色のオンナには愛しくも切なくもある。
「なぁ、ボスさんよォ」
「なんだ」
「オマエ、もしかして気ぃつかってんのかぁー?」
子供たちを一時的とはいえ『奪い返され』て寂しく、かつ、この男の正妻で子供たちの生母であるという絶対的な権威に少し、しょんぼりしている自分を慰めてくれているのだろうか?
「事実を言っているだけだ」
「だけ、かよ……」
銀色のオンナは笑う。くすくす、おかしそうに。そのまま目を閉じ慰められるまま、逞しい腕と胸の中におさまる。長年、抱かれてきた相手だけれど、ベッドの外でこうやって抱きしめてくれるようになってからは、そんなに日がたっていない。
好きな男に優しく抱かれていると、キモチがよさ過ぎてとろんとなってしまう。そんな自分がちょろ過ぎるという自覚はないでもない。けれど惚れ込んでいるのはもう、どう仕様もない。その子供たちさえ自分と無関係とは思えないほど愛している。
「なぁ」
暖かな優しさをたっぷり堪能した後で。
「大丈夫だぞぉ、オレぁ。ちょっとまぁ、心配だけどよォ」
生母に、連れて行かれた子供たちがどうしているかは気になっている。使用人は一緒だから放置されることはないと思うけれど、慣れた環境から離れた子供たちは戸惑っていないだろうか。
そんなことを考えると胸が疼く。けれど。
「シャコーカイとかってモノに披露されんのも、必要だしなぁ、アイツらにゃあ」
ヴァリアーは暗殺部隊という性質上、その存在も内容も謎めいた存在にしてある。世間から姿を隠して実力を磨き上げるというスタイルを銀色自身は気に入っているが、それは名を世間に響かせた今だから言えること。
もっと若い頃、銀色は剣士として名の知れた相手に他流試合を挑んでは注目されていた。現在は引き篭もり気味の男も、少年時代は九代目の養子として会合やパーティーに出席していたのだ。「そーゆー方面にゃ、このオヤジは役立たずだからなぁー」
社交家の母親と一緒に居る方が顔も売れるだろうと、銀色は無理をして笑う。
「てめぇがドン・キャバッローネの膝に乗せてやるほど、タメになりゃしねぇと思うがな」
文化人とやらや貴族の知り合いは少なくとも、この業界に限っていればオマエも棄てたものではないぞと、また慰められて。
「はは……、心配、すんなよぉ、ボス」
銀色は笑う。男の様子が真剣なことに気づいて自分から、顔をよせ男の唇の端を舐める。男がくっと、その唇を綻ばせた。
「なんだぁ?」
「イヌみてぇだぞ、オマエ」
「あー、あのワンコな」
男の掌の中から銀色に差し出され、ぺろんとその口元を舐めた。イヌにとってその仕草は親愛の証。
「どーやって見つけたんだぁ、オマエ?」
「……」
男は言葉では答えず、銀色の背中を撫でていた手を外し、親指と人差し指で輪を作って自身の口元にあてた。
「お?なんだぁ、イヌ笛かぁー?」
「聞こえたか?」
「なんとなく」
「人間にゃ聞こえない筈だがな」
「だから、なんとなくだってっだろぉー」
人間の可聴域からは外れる音波は、イヌ科の獣が仲間を呼ぶ遠吠えの余韻に似ている。知らない世界で人影に怯えて、商店の看板の影に隠れていた子犬はその音色を聞いて鼻にかかった甘える声を出し、その声を目当てにみつけた子犬を男は抱え上げた。
子犬は最初、驚いて逃げようとしたけれど、大きな掌でなでられるうちに安心して大人しくなった。ほんの五分もかからずに見つけたそれを、男は戻って、銀色に差し出してやったのだ。
「ナンでも出来るオトコだなぁ、ボスさんはぁー」
嬉しそうに惚れ惚れとそう言われ、ふっと男の心に影が差す。そんな技術を覚えたのはボンゴレに引き取られる前に過ごしていた下町。繁華街の貧しい子供たちにとって、逃げたペットを探す仕事はいい小遣い稼ぎだった。
貧しい家の子供たちよりも栄養面に配慮された上等な食事をして、子供たちが着ているよりも高価な衣服を身に付けたペットを探し出せば一か月分の食事代くらいになった。子供の頃は金持ちたちが、どうしてそんな高額な賞金を出すのか分からなかった。そんな金があるなら新しいのを買えばいいのに、と。
昔は思っていた。掛け替えのない愛情というものを知らなかった頃は。壊れてしまったから次を探せと言われても諦め切れなかった自身の執着と、それが愛情というものらしいということに気づくまでは。
「お」
色々なことを思い出した男の手が銀色のオンナのシャツにかかる。銀色は抵抗せず、ベッドにという不満も口にせず、されるがまま大人しく、狭いソファからふかふかカーペットの上へ転がされた。
「あははー。やんのかぁー?」
愉快そうに笑いながら尋ねられ。
「やる」
男は律儀に答えた。不安でたまらなくなって確かめたくなった。コレが傷ついて痛めつけられて『壊れて』しまっていないかどうか、を。
「ヤルかぁー。あはははー。真昼間からいい歳して、よくやるなぁ俺たち」
「……嫌か?」
「ゼンゼン嫌じゃねーよ。やろーぜぇー。可愛がってくれよ」
銀色のオンナも真面目に答える。心配そうな男の目尻に唇を押し付ける。ゆったりとカーペットに伸ばしていた手足を引き寄せ、自分に覆いかぶさる男を抱きしめる。
「どう」
「んー?」
「可愛がられたい?」
「……オマエがスキなよーに」
「真面目に答えろ」
「マジだぜぇー。俺ぁなぁ、オマエがヨさげなのが一番、キモチ良くって盛り上がるんだよ。ハァとか言われたらすく零せるんだぜ。知らなかったかぁー?」
「知らなかったな」
くちづけの合間にそんな会話を交し合う。手足を絡めて声も絡み合って、ゆっくりと、でも密度は濃く、高まって相手と自分の境界が曖昧になっていく。
「なぁ」
ふと、銀色のオンナは思いついて、スラックスから長い脚を抜きながら声を出した。
「こえ、きかせてくれよ」
「……なんだと?」
オンナの狭間に指先をさし入れ、毛並みを撫でる様に優しく愛撫してやりながら男が尋ねる。
「オマエのイキ声って、そーいや聞いたことねぇなと思ってよ。なぁ、あーとか、うーとか、ナンか、聞かせろぉ」
「馬鹿言うな」
「ナニがバカだぁー。オレのいーよーにしてくれんじゃねぇのかぁー?」
「バカ言うんじゃねぇ」
「自分に都合が悪くなるとそれで逃げるンだから、ずるいよなぁ、オマエ」
「ヤってる最中は夢中だ。息も忘れてる」
「あ?」
「酸欠でくらくらしてんのに、声なんか出ると思うのかてめぇ」
「お?」
銀色はまじまじと男を眺める。そんなことを、こんなに正直に、見栄も気負いもなく告げられて、咄嗟に信じられなくて。
「マジかぁ?」
思わず口にした疑問符。
「何年、オレとヤってんだてめぇ」
男は少しだけ凄んだ。けれどオンナは全く畏れずに、知らなかったと、バカがつくほど正直に答える。
「なに見てやがったんだ、今まで」
「……、ってー、かよ……」
そういえば最中のこの男のことを『見た』記憶は殆どない。いつも生々しく感じているけれど、そういえば目をぎゅっと閉じてしがみついている。
「そうか」
男は銀色のことを、バカだと、今度は言わなかった。長い仲なのに実は知らなかった、というのか実は起こりがちなことをよく知っているから。この銀色の代わりが居ないことを、自分が長い間しらなかったように。
「じゃあ見てろ」
息も忘れて無我夢中、必死になっている事が分かるだろう。
一時的とはいえ双子の子供たちが母親に『奪い返され』てしまった事に関して、実は男は責任を感じている。