べりゅー」

「べりゅー、いたいー、べりゅー」

 一番奥のソファに陣取っている王子様は、日本支部のボスである沢田綱吉の登場にも自分のボスであるザンザスの入室にも立ち上がらなかった。

「うえぇぇーん。べりゅ、いたいー」

「いたいー」

 なぜなら黒髪の双子が、ティアラの王子様の膝に乗りながら一生懸命、その頬に張られた湿布ほ撫でようとしていたから。

「よぉ、スクアーロ。と、ザンザス」

 ボンゴレ日本支部の賓客の名を逆に呼ぶという、こちらも大した度胸の、金髪キラキラのハンサムは、自然光を浴びて一層きらめきながら肘の傷に包帯を巻いてもらっているところだった。

「元気そうだな。会えて嬉しいぜ」

 と、言って微笑む様子は太陽神アポロンの化身のよう。

「笑ったって誤魔化されねーぞぉ、誘拐犯めぇー」

「誘拐?なんのことだ?」

 白々しくも、またしてもニッコリ、金髪のドン・キャバッローネは微笑む。運命の女神・モイラたちさえほだされて、つい青春の時を長く与えてしまいそうな笑み。

「オレはただ、知ってる子供たちが迷子になっていたから、保護して親のところに連れてきただけだぜ」

「同じ建物の中に居る母親じゃなくって、太平洋越えた父親のところにかぁー?」

「だってザンザスに親権があるだろう?ボンゴレ九代目が同居を認めたんだから」

「詭弁を弄するんじゃねぇよ」

 ずかずか、広い部屋の中央に踏み込んだ銀色はドン・キャバッローネに近づき、その唇の端を捻りあげた。

「いて、いた、イタタ」

 幼馴染に思わず手が出た銀色の鮫に、跳ね馬の手当てをしていた眼鏡の側近が困った顔をする。けれど、友人同士のじゃれあいと分かっているので口は挟まない。銀の鮫も金の跳ね馬も、言葉はともかく、目は笑いあっている。

「だって」

 と、ドン・キャバッローネが少年時代の口癖を繰り返す。幼馴染と向き合うと、意識がその頃に戻ってしまう。

「空腹で泣きながらしゃがみこんでる子供を、日暮れの寒い中庭で見つけてみろよ、無茶苦茶に腹が立つから。オマエだって同じことをしたと思うぜ、スクアーロ」

 捻じ上げられた頬を、おおイタイタと大げさに撫でながら跳ね馬が文句を言う。やっぱり構われていなかったのかと、知った銀色の鮫はズキンと胸が痛くなる。その銀色の、スーツのスラックスの裾が、左右から引っ張られる。

「あ?」

 視線を増したに向けると、ふかふか絨毯で全く足音のしなかった双子がそれぞれ、長い足に纏わりついていて。

「しゅくー、べりゅー」

「べりゅがイタイのー。ベリュー」

「うえぇええぇぇーん、たしゅけてぇー」

「たしゅけてぇー」

 口々に言ってべそをかく。

「ししっ、王子、もてもてー」

 自分の為に双子が一生懸命なのを、ティアラの王子様は嬉しそうに聞いている。

「ベリュが、けがしたのー」

「べりゅがいたいのー」

「うえぇええぇぇーん」

「うえぇぇぇええぇぇーん」

「なんだぁー?ベルはなぁ、手当て終わって、もー痛くねぇんだぞぉー。心配すんなぁー」

 二人を、抱き上げるというより抱えて、左右の肩に乗せながら銀色の鮫はそう言って子供たちを宥める。

「喧嘩見たのかぁー?びっくりしたなぁかわいそーに。けどよぉ、よくあることなんだ気にすんなぁ。俺らはなぁ、よくドツキあってるからよぉー」

 気にするなと、銀色は肩に乗せた二人の背中を撫でてやった。まるで大人に話すように銀色の鮫は喋る。そんなことを言って分かるのかと男は不審に思ったが、言われている言葉の意味ではなく言っている銀色の口調に安心して、子供たちは落ち着いていく。

「マジな殺意を、感じたけどな」

 ドツキあいなんていう代物ではなかったと、手当てを終えられたドン・キャバッローネがシャツを着直しながら言った。人目の多い成田は避けて入国した日本の地方空港で、並盛に向かうために車の手配をしようとしたところに襲ってきた王子さまとオカマからは真剣な殺気を感じた。

「あーら、だって、ウチの子供たちを勝手に国外に連れ出した犯人だもの」

 と、言いながらリビングに入ってきたオカマはトレーを持っていて、その上にはカフェや紅茶や緑茶やオレンジジュースやウィスキーや赤ワインやシャンパンが、色とりどりのグラスに注がれて載っている。

「それはもちろん、クビを胴体から引っこ抜く覚悟でかかっていくわよ。ほほほほほー」

 当たり前じゃない、と笑うオカマに少しも悪びれた様子がない。

「オレは迷子を保護しただけなんだぜ?」

「そんなの、言ってくれなきゃ分からないし」

「まず話をしてくれても良かったじゃないか。知らない仲じゃないのに」

「どんなに抜き差しならない仲でも幼児誘拐は許さないわよぉ。特に宇佐のお姫様と若様に関してはねぇー」

 普段ならいい男には甘いオカマだが、子供たちに関しては美男もブーも区別がないらしい。こんな歪んだオカマでさえ、母性本能は性欲よりも強い。

「客に給仕させちまって、すんません」

 獄寺隼人が謝った。気にしないでとオカマは優しく答える。笹川了平と仲のいいこのオカマはボンゴレ日本支部には足繁く出入りしている。勝手知ったる、というより、冷蔵庫と食料品貯蔵庫の場所のまでよくよく知っている。

まずはここ日本支部のボスである沢田綱吉に緑茶、それから自分のボスでうるザンザスにサントリーのシングルモルトウイスキーの『山崎』を渡す。それからは近い順番にトレーを差出して、各人は自身のお好みを取っていく。

 軽い紙コップに半分くらいいれられた二つのオレンジジュースは小さな手に渡った。

「いただきまーしゅ」

「いただきまーしゅ」

 お行儀のよい子供たちに悪い大人たちも微笑む。男はグラスに口をつけながら、二人の子供がクッションに座ってこくこく、オレンジジュースを呑むのを黙って眺めている。

「いきなりあんな、二対一でかかってくるのは、酷いぜ」

 ロマーリオはついて居たけれど両手に双子を抱いていて戦力外だった。そうだったからこそ無傷でいるのだ。

「オレが敵方に廻るって本気で思われたんなら心外だぜ」

「まーナンだ、今度からはよぉ、保護したらまず、ウチに一報入れてくれ、ってことだなぁー」

 諍いを銀色の鮫が適当なところでさばいた。

「けど一応、礼は言っとくぜ。ありがとよ。日暮れの寒い中庭で、オマエがなにしよーとしてたかは追及しないでおいてやるぜぇ」

「……えへへ」

 へらっとまた、跳ね馬は事態を笑って誤魔化した。逢引ならばまだ罪がない。けれどもどうやら、そんなものではないらしい。誤魔化し方に気合いが入っていた。

 サン・カッシャーノ・テルメに隠棲している八代目の未亡人はボンゴレの最高世代。男勝りというより強壮なオスそのものであった八代目の配偶者として九代目の母親代わりであったから、今も相当の敬意を払われている。ボンゴレの歴史と秘密を、この世で一番、多く秘めたまま。

「とりあえず、勝負は王子の勝ちー」

 シャンパンのクリュグで喉を潤しながら、ティアラの王子様が言った言葉に、キャーッと双子が笑う。

「かちー」

「べりゅのかちー」

「べりゅー」

「べりゅのかちー」

 事情は理解できなくとも、ダイスキな『べりゅ』が自分たちの為に怪我をしたことは分かっている。そのべりゅが元気な声を出したので喜んでいる。

「勝敗の根拠は?」

 王子様が勝ったという事は自分が負けたということになる。そんな事態は受け入れられないと、金の跳ね馬が尖った声を出す。スクアーロをはじめとするヴァリアーの面々と居るドン・キャバッローネは実に大人げがない。少年じみて楽しそうで、眼鏡の側近は少しだけ微笑む。こちらもある種、母性本能だ。

「怪我が王子の方がちっちゃーい」

「そもそも二対一だったじゃないか。それにオマエは顔だろ。オレは腕だ」

「意味なーい」

「あるに決まっている。宮本武蔵だって柿色の手拭いのおかげで勝ったことになったんだ」

「ねー、センパイ。王子の勝利に乾杯してよー」

「どう思うスクアーロ。公平な意見を聞かせてくれ」

 二人に揃って、ずずいと詰め寄られ。

「てめーらのマジ勝負を隠蔽しきった、ソコの新入りが一番の勝利者じゃーねーか?」

 大人たちのおとなげない諍いには我関せず部屋の隅で、カーペットに座り込んで桜餅という日本の季節菓子を齧りながら携帯ゲームで遊んでいる新入り幹部を顎先で指し示す。

「ココに辿り着くまでも、イエミツの見張りきっちり、幻覚で誤魔化しきったんだろ。すげーぞ、偉かった。イタリアに帰ったらボスからナンか褒美もらえぇー」

 中間管理職らしい口調で銀色の鮫は新入りの幻術師を褒めた。あーいむうぃなー、と、褒められた新入りは背中を向けたまま片手を上げ、なぜか英語で口走る。ゲーム画面の文字を読んでいるのかもしれない。

「んじゃ取りあえず、離れに行くぜぇー。ほとぼり醒めっまで暫くはここに世話になることになっからなぁー。おぉいディーノぉ、オマエはどーすんだぁ?」

「一泊させてもらう。日本の魚が食べたいから」

 お金儲けで忙しい経済マフィアのドン・キャバッローネだが、今すぐ日本支部の外に出るのはまずい。

「明日、イタリアに戻る。それで相談なんだが、そこの優秀な幻術師をレンタルできないだろうか。報酬は支払うから」

「おー、別に構わ……」

 ねぇぜ、と、言いかけた銀色の台詞は。

「連れて行け。タダでいい」

 こんな場面で珍しく口を開いた、別の男の声に侵略される。

「え……」

「おぁ?」

「ボス?」

「どったの?」

「えーっ、ミーはタダ働きですかぁー?」

 最後の、若いというよりまだ子供じみた、新入り幹部の抗議に。

「報酬はオレが払う」

 男は更に言葉を重ねた。ならリョーカイでぇーす、と度胸満点の新入りは答える。

「……ザンザス?」

 その好意の、理由が分からなくて、戸惑うというより警戒心丸出しで自分を見るドン・キャバッローネに。

Grazie mille

 男は言った。ありがとう、を、たいへん丁寧に。

「……」

「……」

「……」

「……」(以、下略)

 全員が沈黙。言われたドン・キャバッローネ本人は凍りついた。

「……どういたしまして」

 返事は相当に長い沈黙を経てから。

 ぼり、っと、ティアラの王子様が頭を掻いて。

「えーと、ナンか、王子カンチガイの早とちりして、ごめーん」

 この王子様にしては珍しく素直な謝罪を口にする。

「あ、いや。事情を先に説明しなかった俺も悪かった」

「アタシもいけなかったわ。ごめんなさい」

「謝らないでくれ。分かってもらえたらそれでいいんだから」

 多くの権力者からの寵愛を受ける優等生っぷりでドン・キャバッローネは二人の謝罪を快く受け入れる。

「んじゃ、今夜は、仲直りのお祝いパーティーだね」

 可愛らしい顔だちの若い悪魔はそう言って、にこにこと笑った。父親たちは今頃必死に、ここに居る双子を捜索しているだろう。