超音波の笑い声を好きなだけ発した銀色の鮫は上機嫌だった。
「んー」
ソファに座る男の膝に引き寄せられるまま座り、自分から顔をぐいぐい、肩口に摺り寄せる。恋人が甘えているというより飼い犬が懐いているような仕草だったが、愛情には違いない。
「どしたぁ、ボスさん。なぁに考え込んでんだぁー?」
すりすり、全身を摺り寄せながら銀色が尋ねる。いつものように無表情で無愛想なこの男の、ほんのかすかな表情や態度で内心をあっさりと悟る。
「そういうてめぇは、なにがそんなに楽しい」
男と違って銀色の感情表現は分かりやすい。それはそれは嬉しそうにしている。
「すっげぇ嬉しいぜぇー。おまえがぁ、ガキどものこと、可愛がってくれっからなぁー」
懐く仕草がすりすりからぎゅーっ、に変わる。長い腕をセナから廻されて、ぎゅうっと抱きつかれ、男はなんとなく抱き返した。それは反射で、キモチはまだ深い思考に沈んでいる。
「……可愛がっているのか?」
けれど考えても、よく分からなかった。考えることを諦めて銀色のオンナに尋ねる。自分のことはコレが一番理解しているという、一種の信頼があった。
「可愛がってるぞぉー。行方不明になったのをあんなに怒ってやってよぉー。イエミツが真っ青になったの、オレぁ初めて見たぜぇー」
ケタケタ、銀色が男の腕の中で笑う。愉快きわまりない、そんな風情で。
「……演技だ」
双子の行方不明になったというの知らせより先に、子供を跳ね馬がさらって日本に向かっている今追いかけていると、部下が知らせてきた方が早かった。あまりにも早すぎる部下からの知らせは、命令もしていないのに子供たちとその母親を、勝手に見張っていたのだと男に悟らせた。
後輩の新入り幹部を連れてサン・カッシャーノ・テルメに潜入していたティアラの王子様を男は咎めなかった。見張るなとは言っていなかったから命令違反でもない。ヴァリァー幹部の各人がそれぞれ勝手な真似をするのは今に始まったことではない。
第一、もう返さないといわれる場合に備えて日本に滞在していた自分が一番の身勝手。実力行使でそれを取り戻す場合、監視の甘い日本支部からの『出撃』なら襲撃元を誤魔化しやすいと踏んでの行為だった。
結局は跳ね馬に害意はなく、落ちていたぜと父親にもとへ戻しに来ただけ。わざわざ地球を半周した父親への返却は、子供たちの母親によほど腹を立てたからだろう。
「照れんなよいまさらぁ。マジだったくせに」
くすくす、銀色が笑う。照れた覚えのない男はまた考え込む。自分の気持ちの動きが自分でもよく分からない。とにかく、死ぬほど不愉快だったことははっきりしているが。
「やつらの、ことを」
「んー。キスして、いいかぁ?」
「好きにしろ」
ちゅ、っと、抱き合い唇を重ねる。そのままソファの座面に倒れこんだ。時刻は昼下がり、じきに暮れれば夕食に招待されているから、このまま深く、繋がる訳にはいかない。
けれど、体温を感じあって銀色のオンナは嬉しそう。ふにゃんととろけた表情で男に懐いている。懐かれた男の当然、不愉快ではなく、よしよしと撫でている。
「オレは可愛がっているのか?」
撫でながら銀色に尋ねる。えへへと、見えないけれど銀色は笑って、男の肩を一層強く、抱いた。
「オマエにしちゃ信じられねーぐらい、すっげぇ愛してやってるぜぇー。なぁ、なんか……、嬉しい、なぁー」
「……」
男は考え込む。以前、十年バズーカのせいで会った『娘』は面白かった。可愛いとか愛しているとかいう言葉は馴染まないが、生きが良くて頭が良さそうで気が強くてハキハキとしていて、アレならそばに置いても不快ではないだろう。けれども今の、コロコロした幼児を、自分が愛しているとは思えない。
「んだよ、どったぁー?ナンか面白くないのかぁー?」
「……よく分からん」
男は正直だった。本当のことを口にする。オンナはくすくす、楽しそうに笑って。
「もちろん、あれだぁ」
「ナンだ」
「オマエ補正はかかってるぜぇ。当社比ってやつだぁー」
男の言葉を間違えずに汲み取る。
「このロクデナシなオヤジにしては」
「……オヤジって言うなっていったろ」
「すっげぇ愛してやってんなぁって、思ってるぞぉー」
この男が他人に礼を言うのはごく珍しい。恩をありがたいとも思わずに、どうせナニカの下心だろうと、フンと鼻先で笑い飛ばすような気性。それが遠回りして子供たちを届けに来た、どこからど見ても別の意図アリアリの跳ね馬にありがとうを言ったなんていうことは、奇跡だ。
「なぁ、やっぱオマエってボス気質だなぁー。群れの中に入れたのは、ちゃんと守ってやるんだからよぉ。偉いなぁー」
銀色のオンナがそんな風に言う。
「……そうか」
男は呟いた。そういうことにしておこうかと思った。宥められたような気がしないでもなかったが、まぁ。
「てめぇの、せいだ」
「あぁー?なにがぁー?」
「あいつらになんかあったら、てめぇらが五月蝿い」
この男のファミリーの中で、双子の子供は幹部たちの可愛がられて育っている。連れて行かれただけで全員のテンションが下がった。不慮の事故や犯罪に遭遇して居なくなったりしたら更に士気は衰えるだろう。
特にこの銀色は嘆き悲しむ。双子が生まれた当初から、まだ男が『妻』と暮らすべく与えられた館の中で肩身狭く過ごしていた頃から、母親に顧みられず使用人に乱雑に扱われる子供たちを愛して構ってきた。
「スンスン泣くからな」
さらさらの髪を指先で撫でながら男は言った。銀色はククッと肩を震わせて笑ったが否定しない。子供たちに何かあったら泣き嘆く自信はあった。もちろん、泣くだけですませはしないけれど。
「なぁ、オィ、ザンザスぅ」
「……なんだ」
「シアワセだぜぇ、オレはぁー」
ソファの上で、男が姿勢を変える。仰向けになって銀色を重さから解放してやった。重なった銀色は男のカラダを這い上がり、にっこりしながら、耳元にくちづけ。
「すんげぇ、うれしぃ、ぜぇ」
「……」
男はそれが、よく、分からなかった。ずっと。
双子の子供はこのオンナの『連れ子』ではなく自分が嫌々な結婚をさせられて出来たモノ。なのに、その双子を心から可愛いと思っている様子が男には謎だった。ずっと。
だってオマエのガキだから、と、男の疑問にオンナは答え続けてきた。オマエのガキだぁ、よく似てる、可愛いったらねぇよ、と、ごくごく、正直に。
男はその心理が理解できなかった。自分がこの銀色に愛されていて、それでようやく生きて来れたことは最近気づいたが、愛しているからといって属するモノまで愛しいという発想は理解の範囲外。
……だった。
「そうか」
「うん」
短い会話の後で二人して黙り込む。やがて銀色はすーっと息を吸い込み、寝息をたてはじめる。男は力の抜けて重くなった銀色を抱いたまま、まだ考えていた。
少し、分かったかもしれない。
双子の子供は男にとって異物だった。養父をはじめとするボンゴレ上層部の意向に逆らえず、ゆりかごからリング戦へ続く反逆の贖罪として娶らされた妻が生産した、屈辱と敗北の象徴。自分の分身だと感じたことがなかった。
実母にしろ養父にしろ、親子関係といえば相克しか知らない男はわが子だという存在にもまともな愛情を持つことが出来なかったし、感心もなかった。子供はボンゴレの一員としてボンゴレの中で育てられ、そこに自分の血を混ぜたかったのは養父の的外れな贖罪だと、そんな風に思っていたから。
それが少しだけ変わってきたのは双子を自分の手元に引き取ってから。母親に構われずに育つ双子を情婦が心配して不安そうだったから、母親から取り上げてやった。それだけのことだった。邪魔にならないようにする、という最初の約束どおり子供たちは男とほぼ隔離して育てられ、顔を合わせるのはほんの時たま。
けれど、銀色にまとわれつき、懐いている様子の双子を眺めているうちに、なんとなく、ほんとうに少しずつ、意識が変わってきたことは否めない。愛していると言われると違和感を覚える。けれど、『ウチの』だという意識が心の中にあることは否定しようのない事実。
だんだん自分が『かん違い』していくのが分かる。あの双子をコレの子供のような気がしている。養父や家光にそれを否定されて腹を立てるほどに。
自分のその、錯覚を。
男は敢えて正そうとはしなかった。間違ったままでいいような気がして。