並盛商店街の中には地方百貨店が一店だけある。ボンゴレ日本支部と並盛ホテルを除けば、それが唯一、五階建て以上の建物。並盛財団はそのボスの趣味で敷地を広々ととった日本庭園つきの平屋作り、事務所だけが辛うじて二階建である。

「これとー、あれとー、それとー」

「あっちとー、こっちとー、そっちとー」

「あと、綿の下着。十枚ずつぐらい」

「子供用の靴が置いてあるのは何階ですカー?」

 百貨店には、その日、上客がやって来た。こんな田舎では滅多に見かけないアメリカンエクスプレスのプラチナカードを持って、双子の子供を連れた若夫婦。目に付いた子供服をあれみこれもと、手当たり次第に買い込む。

「オモチャとか要りませんカネー?」

「オモチャより絵本がいーんだけどな。イタリア語はムリでも英語の本。お、あーるじゃん、さすがジャポーネ」

「英語の本をどーするんですかあー?」

「オマエがイタリア語に翻訳して読むんだヨ。決まりきったこと聞くな。えーと、うさぎの絵本、うさぎの絵本。あった」

「このとぼけたうさぎの本、ソルとルナ好きなんだよなー」

 新作のブルーナの絵本を数冊、買い込んで、その後は地下の食料品売り場へ。

「お菓子、美味しそうですネー。ミーにも買ってくださいー」

「好きにすりゃいいだろ。ボスのカード、持ってきてるし」

 正確に言うならばザンザス個人の所有するプラチナカードではなく、ヴァリアーの諸経費を弁じる為の裏の口座と繋がっている、いわば法人カード。もちろんそれは架空口座であって、残高が減れば銀行側が補充するようになっている。

「どーしたぁ、ソル、ルナ。疲れたかぁー?」

 さっきからぽかんと口をあけてぼんやりしている双子にティアラの王子様が話しかける。何着かの試着の後は手を繋がれてフロアを歩いていただけだが、さっきから喋らない。

「いっぱい……」

「いろいろ、いっぱい……」

 イタリアでもルッスーリアや王子様に連れられて買い物には行くが、服も靴も、店自体も、日本ほどのバリエーションはない。まだ子供なのでブランド服をとっかえひっかえ着せている訳ではないが、それでも質のいいものを求めると服を買う場所はブティックになってしまう。広い店の椅子に座って飲み物を出されながら、店員が持ってくるお勧めから選ぶ、という買い物形式。

「ちょっと休憩すっか。夕飯の前だけど、ゼリーぐらいならいーだろ」

「はーい、ミーは抹茶アイスを食べたいデース」

「オマエにゃ聞いてねーよ」

 食料品売り場の一角はカフェになっていた。中二階というか、少し高くなった場所から売り場を見渡せて待ち合わせによさそう。平日の夕方、まだ会社帰りのOLたちが姿を見せない百貨店のカフェに殆ど客は居なくて、奥のソファ席にゆったり座ることが出来た。

「プリンアラモードと抹茶パフェと、紅茶とコーヒーと、オレンジジュースを一つずつクダサーイ」

 水を持ってきてくれた給仕に新入り幹部がてきぱきとオーダーする。美しく盛り付けられた注文の品が、さほど待たずに運ばれてきて。

「コーヒーはお父様ですか、お母様ですか?」

 優しそうなウエイトレスがにこやかに尋ねた。イッ、という顔をした王子様に代わって、オトーサンですと、若い幻術師が答える。上品な仕草で王子様の前にカップが置かれ、パフェとプリンアラモードは勝手に子供たちの前に置かれた。

「今、そーゆーふーに、見えているんですヨー」

 お父様、と呼ばれたことが面白くなくて憮然としたままの王子様に、抹茶アイスをまぶした抹茶のゼリーを長いスプーンで掬って、あーん、と、双子たちに一口ずつ、食べさせながら、幻術師が言った。

「それぐらい分かってるし。でもオマエとトーサンカーサンとか、王子、すっげー不本意だし」

「そーですかー。実はミーも、ミーがおかーさんなのは、ほんのちょっとだけ不満でスー」

「なに言ってんのオマエ」

 自分の方をわくわく見ている双子に、同じくクリームを少しだけ載せたプリンを一口ずつ、分けてやりながら王子様はぼやく。

「話には聞いてましたが、日本ってホントーに、水がタダで出てくるンですネー」

「食い終わったら茶も出てくるぜ。こーゆートコだと、多分な」

「そこまでされるとサービスというより、ムダな贅沢という気がしないでもないですー」

「同感だけど、ここじゃフツーなんだろ。年間降水量1600越えてるらしーしな」

 ヨーロッパの中ではイタリアもイギリスと並んで雨の多い国だが、それでも日本の60%しかない。しかもイタリアは土壌の関係で湧き水や井戸水に硬水が多く、飲料水に適した軟水が手に入る土地は少ない。自然、飲料水はボトルを買うことになり、バールやトラットリアでも金を払って注文、ということになる。

「あ」

 子供たちにパフェとプリンを時々食べさせつつ、休息の時間を過ごす二人の視界に、知っている人物が入ってくる。

「おー、ヤマモトじゃんー」

「チーズと果物買ってますねぇー。今夜のミーたちのごはんですかねー?」

「アサメシだろ、この時間なら。あー、おい、パイン反対ー。王子、パイナップル食うと口の中がぐさぐさになるんだよー」

「おお、聞こえたのでしょうか。イチゴに変更になりましたよ」

「グレープフルーツ、しつこく選んでんなー。センパイの好物だからってさー」

「と、実に面白くなさそうに、ベルセンパイは言うのでありましたー。ヤキモチですかー?」

「べーつにぃー」

「そーですかぁ。ミーはちょっとだけヤキモチです」

「さっきからオマエがなに言ってっか分かんねーヨ」

「ベルセンパイちょっとぉ、気が多すぎですヨー。キャバッローネのヒトが子供たち誘拐したのをー、隠せってミーに言ったのはぁー、ホントはボスの奥さんのこと、庇ってあげるツモリだったからでショー?」

「うるせぇよ」

 と、王子様は言ったが後輩の疑問を否定しなかった。出来ればさっさと取り戻して、『なくした』ことを気づいていない母親に返却してやりたかった。ドン・キャバッローネにはさすがにその隙がなくて本国では手が出せず、差輪切りなる前にぼすに連絡を、しない訳にはいかなくなってしまったけれど。

「お会いしたことないんですガー。ボスの奥さん、きれいな人だそーですネー」

「ボンゴレの女がブスい筈ないだろ」

 世界中の権力者は美女を求める。まして、美しさを愛することでは人後におちないイタリアのマフィアたちは代々、美しい女を娶ることに情熱を傾けていた。その血を受けた一族の女が美人でない筈がないだろう、と、王子様は当然のように言う。

「フーン、ソウデスカー」

 若い幻術師はますます面白くない。抹茶パフェの底のシロップをストローでズズッと音をたてて飲む。双子はじーっと、ガラスごしに日本人の男が果物やチーズを選んでいくのを見ていた。

「んー、覚えてっかぁ?野球のニーチャだぞぉー?」

 王子様がそう言ったことで記憶が刺激されたらしく。

「たけちー」

「たけちー、たけちー」

「たけちゃーん」

 その名前には楽しい記憶があるらしい。キャッキャツと喜びながらソファから身を乗り出してガラスごし熱心に眺める。声が聞こえた訳ではないだろうが、やや離れた売り場から、山本武はまっすぐに振り向いて。

 よぉ、と、見上げる視線と、手を額の前に掲げる仕草で挨拶した。

背の高い若い男の動きは粋で格好が良くて、好青年だがどこかニヒルな翳りもあって、果物売り子や惣菜売り場の若い女の子から年増を越えたオバチャンたちまで、惚れ惚れとした顔でみとれている。

「こっち見えてんのかよ、アイツ」

 嬉しそうに手を振り返す双子の頭を撫でながら王子様は、若夫婦とその子供たちに『化かしている』幻術師に尋ねる。

「目で『見えて』はいないと思いますー。さすがにー」

 地獄の門番さえ欺いた凄腕の幻術師だ。

「けど、『分かって』るっぽいデスねー。カンがよさそうな顔してますカラネー」

「顔で決まるのかよ」

「目の動きで、まー、ダイタイー。幻術は錯覚ですからー、結局、気合いが、いちばんの決まり手ですー」

「ふーん」

 若い男は急いでいるらしい。挨拶をしただけで王子たちの一行に近づこうとはせず、買った荷物を持って売り場を出て行く。

「日本人のくせに王子より背が高いとかナマイキー」

「スポーツ選手じゃ、あんなものじゃないですカー。だいいち、センパイがイタリア人にしては……」

 す、っと、ティアラの王子様が右手をジャケットの懐に入れた。

「ナンでもナイでーす。ったく、オトナゲないんだから……」

 文句を言いながら、最後の白玉を半分に割って小倉餡とともに、若い幻術師は子供たちに食べさせてやった。