優しい雨・5

 

 

 パーティーが楽しかったのは久しぶりだ。と、言ってもずっと桟敷席に居座り、そこから足元の大広間を眺めおろして気に入った相手を呼んで来させるという時間が面白くない筈はなく、そんな招待をされたのが久しぶりだったという意味。

昔、ザンザスが十代目を継ぐと周囲に思われていた頃は同盟ファミリーや関係者が主人をそんな風に招待して、自分もお供で桟敷から群集を見下ろすこともあった。若かったから見ていたのは女のドレスの胸元が主で、アレ美味そうじゃねぇかとかお前趣味わりぃぜとか、仲間とわいわい、話して楽しんだ。

 お気に入りのもと刀のガキから大好きな酒を積み上げられて、いい気分で飲んで酔った。パーティーが行われた館の客用寝室まで肩を貸して送ってくれたもとガキは、ベッドの上にどさりと銀髪の美形を寝かせ、自分も隣に寝ようとした。させなかった。ブーツを履いたままの足でもとガキの腹を狙って横から蹴り落とす。ひでぇ、と、もとガキはガキの頃から変わらない朗らかさで笑った。

 そのまま暫く眠って目覚めたのは夜半。少しだけ開けられた窓から気持ちのいい夜風が吹き込んで頬を撫でる。極上のワインは飲み口だけでなく酔い口も良くて、ゆっくり起き上がった銀髪の美形の体の中には酔いも気持ち悪さも残っていない。ただほんの少し、不愉快ではない倦怠が関節の内側にたまっている。

「水、飲む?」

 ベッドの足元から声がした。くれと答えると暗闇の中で気配が動き、待つ間もなく冷たい瓶が差し出される。北イタリア産のベルニーナ。赤ん坊用のミルクを溶くのによく使われる、イタリアの水としては珍しく癖のない軟水。ごくごく飲み干し、ふうっと満足の息を吐く。そうしてようやく目の前で、にこにこ自分を見ているもとガキに気がつく。

「……なんだぁ?」

 なんで居るんだとか、なにしているんだとか、色々な意味を込めた一言に。

「うん」

 意味不明の返事が返される。笑顔が言葉の足りなさを補完する。あんたが起きるの待っていたと、表情だけで伝えてくる愛嬌のよさに美形はつられて口元を緩める。知っている男にはない暖かな懐っこさ。

「ヴァリアーに容姿審査があるってホントっすか?」

 空き瓶をテーブルの上に置いてもとガキはベッドの横に座る。枕に顔を埋める美形の銀髪が枕から流れて落ちているのを指で掬いながら。

「あるかよ。あったらレヴィアンポンタンがうかるわきゃねぇだろ」

「イロモノ要員なのかと思ってた」

「そりゃルスで済んでる」

「あのアネゴはコレツィオーニのデザイナーに追っかけまわされて困ってんだって?」

「あー、なんかそんなこと言ってたなぁー。ビジネス系には興味ないとか……」

 困っている興味がないと言いつつうきうきした様子だったから放っておいた。ファッションブランドはイタリアの主要産業で金の動く業界はすべからくマフィアと繋がっているこの国では、オカマのマフィアがアルマーニセカンドラインのデザイナーに惚れられることもさして珍しくはない。

「イロモノ扱いするにゃ美人だぜあのアネゴ。でもあんたはホント、きれーぇな顔してるよなぁ。寝顔見てて飽きなかった」

 もとガキが喋る。低い小声だけどはっきり聞こえる。酔い覚ましの夜半、聞いていて悪い気はしない声だ。外には雨が降り出したかもしれない。窓の外からかすかに水の匂いが漂う。

「口ひらかなきゃ、だろ」

 ベッドの上でシーツに埋まりながら二枚目はもとガキの言葉に答えた。

「寝てりゃ見れねぇこともないけど、起きて半減、喋っちまったら台無し、ってよく言われてた」

「起きてるンならこっち向かねぇ?」

 促されて、どうでもよかったから身体を起こした。動きにつられて髪がシーツの上ですべり、もとガキの指の間からも抜けていった。そこで初めて毛先を弄られていることに気づいた美形がくすくす、面白そうに笑う。

「オレンジジュース飲まね?」

「グレープフルーツなら」

「リョーカイ」

 もとガキが立ち上がる。会った時から年齢にしては長身だったが今は更に伸びた。ベッドから見上げる姿勢でぼんやり、美形が考えていたのは、どっちが高いかな、ということ。この位置でよく見上げていた、よく知っている男と。

「そいつ照れ症かうそつきだぜ、絶対」

 戻ってきたもとガキは起き上がる美形にグラスを手渡し、またベッドの横にしゃがむ。よく躾けられた飼い犬のような仕草。大きく元気そうな犬が大人しく尾を振る様子は微笑ましくて、やっぱりなんとなく笑う。笑わされたら終わりだということを、上玉のくせしてこの美形は知らなかった。口説かれた経験が殆どないから。

「一晩中、眺めときたいぐらい美人だ、アンタは」

「歯が浮く台詞は本命にとっとけ」

 惚れてるヤツが別に居るんだろ、という、男心を刺激するだけの逃げ口上。性格がよく、いい性格をしてもいるもとガキは、ぺろりと内心、唇を舐める。手を伸ばせば届く距離で、真夜中のベッドの上で、冷えた飲み物をとる美形は素晴らしく美味そう。

「幼馴染の可愛いのが居るんだろぉがぁ、てめぇは」

「居るよ。んで、あんたはガキの頃から憧れてた年上のキレーなおねーさん、みたいな」

「なにがみたいなだぁー。みたいなで気軽にふたまたかけるんじゃねぇぞてめぇ」

「ガキの頃から好きだったヤツと、最近、やっと、なるよーになったんだけど」

「なったのか。目出度いじゃねぇかよ」

「なったらそいつ、なんか落ち込んで、ろくに口もきいてくれなくなった。俺には全然笑わないし、他にも殆ど」

「……めでたくねぇな」

 差し出された手に美形は空のグラスを返す。いつの間にかもとガキのペースに引き込まれ、真剣に相談に乗ってしまっている自分に気づいていない。

「もしかしてオマエ、見かけによらず特殊なプレイ好きか?」

 冷たいジュースを飲んで本格的に目が覚めてしまった美形はうっとおしくなってきた服を脱ぎだす。ベルトはもとガキが外してやって、上着の前ボタンも同様だったからストリップは無造作に行われた。スラックスを脱ぎ捨てシャツを脱ぎ捨てアンダー一枚になって、枕元に置かれた客用パジャマを羽織るまでのセミヌードショーを、目を細めながらもとガキは眺める。

 その職業の男にありがちな刃物傷と打撲傷、弾丸の摘出痕、超レアな鮫の牙のあとまで持つカラダを無造作に相手の目に晒す美形のその行為は、無防備で許される範疇をやや超えていた。誘われている、と、もうガキではなくなった男が思っても仕方がない程度には。

「分かんねぇよ」

 もとガキの声が不安定に揺れた理由の中にはたった今、目の前に思いがけず披露された白い肌の衝撃も混じっていた。けれど聞いている美形には、恋人の変貌にどうしていいかわからず困惑する可愛げとして聞こえた。

「俺なりに一生懸命、嬉しかったから大事にしたつもりなのにふさぎこまれて、どーすりゃいいのか全然わかんねーんだ。気に入らねぇんなら文句言うなり殴る蹴るなりすりゃあいいのに、なんにもナシで、返事は別に、だぜ。別にって、ンな訳ないのに、なんで嘘つくんだ?」

「そりゃ信じてないからだろぉ」

 パジャマに着替えて、長い髪を身体の下に敷きこまないよう腕に巻き付けて纏める美形の仕草は男心をじくじく刺激する。その口は容赦なく本当のことを言う。

「言っても無駄って、見限られたんだろぉ」

「言ってくんなきゃ分かるものも分かんねーよ」

「俺に怒鳴るなぁ」

「あんたはどうだった?最初の後に気持ちが沈んだりしたか?」

「……」

 もとガキの質問は興味本位ではない真摯なもので、綺麗な形の眉根を寄せて美形は当時を思い出そうとした。むかしむかしの出来事を。

「歳がなぁ、違いすぎるぜ。参考にならねぇんじゃねぇかぁ」

「あんた幾つの時だよ」

「十四」

「日本なら犯罪だ」

「ジャポネの法律なんざ知るか」

「いや、相手がオトナじゃなきゃ犯罪にならないのかな。そん時ってアイツ幾つだっけ?」

「十六」

 特定の人物を想定しての誘導尋問に、あっさりと美形は引っかかる。

「じゃあ大丈夫か。なぁ、最初っから気持ちよかったか?」

「覚えてねぇよ」

「思い出してくれよ。俺の将来がかかってんだぜ」

「てめぇのイロゴトの未来なんざ俺の知ったことかぁ」

 口ではそう言いつつ、二枚目は眉間の皺を深くして、埋まった記憶を掘り出そうとしている。そっけない素振りの中の優しさが『恋人』の冷淡さに動揺する若いオスに、どんな風に見られているかも知らず。

「最初は、はっきり言ってレイプで。嫌って言うのを無理に、押さえつけらてヤられた」

「……」

 意外な昔話にもとガキは口を噤む。

「キモチは、それでもヨかったか、どーだったか、混乱してて、マジ覚えてねぇなぁ。イったのは後々で言われたから確かだけどよぉ、ヤられてイったのか前戯でイったのか、よく分かんねぇ」

「……ンな真似されて、嫌いにならなかったのか…?」

「シチュがよぉ、顔も名前も知らない相手とかイヤなヤツとかに突然、イタされたワケじゃねぇしなぁ。もともと俺から惹かれて懐いていったんだし、ヤられたのは確かに無理矢理だったけどよ、場所はアイツの寝室のベッドで、時間は夜中で、二人してわりぃ煙草吸ってラリって、帰るの面倒だから床でいいからこのまま部屋に泊めてくれって、言ったの俺の方だしよぉ」

 床ではなく寝室に招かれて、尻尾を振りながらついて行ったむかしむかしの自分を美形は覚えている。

「知識はあったし、ケツ狙ってきやがるバカの尻を蹴り上げてやったこともないでもなかんたんだけどよ、スッコーン、って抜けてたなそんときゃ」

 いつでもあんた、けっこう抜けてんじゃねぇの?

と、セミヌードを拝まされてまだ目の端がチカチカしているもとガキは思ったが、機嫌を損ねそうだから黙っていた。