ひまわりを象ったかわいらしいソレが下着のブラジャーではなくビキニのトップだということを。
「あ、ご……、ごめんなさいっ!」
土下座の勢いで謝る沢田綱吉以外の、全ての人間が気づいた。
「楽しんでいたところ、ごめんね」
緑色の肩紐も背中の紐も解いて、胸を覆うオレンジの布地を片手で押さえた姿で現れた少女は、落ち着いた口調で謝罪する雲雀恭弥に、にっこりと微笑む。
「ひばりさ……、おにーちゃんになら、お風呂の途中で呼び出されてもいいわ」
十年バズーカで自分が撃たれ、入れ替わったのだと説明されなくても分かったらしい。獄寺隼人に『だっこ』されていた、これまた、海パン姿の少年は。
「どうも……、お久しぶりです」
少しだけ頬を染めながら、そっとその腕の中から逃れる。本当は抱かれて居たいのに照れて離れてしまう初々しさはほほえましかったが、初々しいばかりでないことを知っている『両親』の内心は複雑。
「あの、これ、ソルがふざけて、買ってきた水着で」
少年は一歩分の距離をとり、俯いて、他の男たちがスーツを着ているのに自分だけが水着だということに赤くなりながら、一生懸命に言い訳。
「ぜんぜん、オレの趣味なんじゃないから。買ってきたのに着ないとうるさいから、仕方なく着てるだけだから」
日本の歌舞伎舞台風の、原色の派手な色使いで松林と月と海をプリントした膝上までの海パンの柄のことを言っているらしい。
「なによぉ、買ってあげた時は喜んでたくせに」
「……義理で」
「あんた、ハヤトおにーちゃんの前だとすっごい態度違っててキモチワルイわよ。ナンか勘違いしてる女みたーい」
はきはき、何の遠慮も無く、トップを押さえた姿で、健康そうな太股でヒバリの膝に跨った少女は、背後の沢田綱吉を振り仰いで。
「ヒバリおにーちゃんにキスしていい?」
天真爛漫に尋ねる。父親によく似た顔立ちの、可愛らしくも華やかな少女に許可を求められたボンゴレ十代目は、内容を理解する前に反射でうんと頷いた。
「ありがとう」
お行儀良く礼を言った少女は、ちゅうっとヒバリの唇の端に自身の唇を押し付ける。がぶりと重ねなかっただけ、このコなりに遠慮をしたのかもしれない。
そうしてひらり、膝の上から降り、すたすたと男の方へ歩いてきて。
「はい」
トップを押さえていない手に持っていたサンオイルのチューブを、仏頂面をした男に向かって差し出す。
「十年前だからって許してあげないわよ、パパ。だいたいスクアーロはパパのこと甘やかし過ぎよ。普通の男が普通に出来ることを、ナンにもできないんだから」
「おぉーい、オマエ、ザンザスにオイルを塗れって言ってんのかぁー?」
男よりはやや早く事態を理解した銀色が確認する。
「この状況で、他の可能性がある?」
小首を傾げて挑発的に視線を向ける少女は生意気だが可愛い。小猫が爪を収めたままじゃれつくような愛嬌が明るい目元に浮かんでいる。差し出されたサンオイルを、男は黙って受け取り、手のひらに中身を滴らせ、自分に向かってずいっと差し出された少女の肩に塗ってやる。
「ありがとう」
落ち着いて、悠々と、泣く子も黙るヴァリアーのボスからの奉仕を少女は受け取った。
「お前らユーガじゃーん?海にでも行ってたのかよ。それとも山の別荘で水浴びかー?」
「ううん。いいえ、そうだけど行っていたんじゃないの」
ティアラの王子様の質問に少女は明るく答える。
「んー?」
「パパの地下の避暑地から崖伝いに、海に降りられる道があるの。知らない?」
「あれ、まだ発見されてないんだ」
「なに、そんな道があんの?」
ティアラの王子様が興味心身に尋ねる。
「ええ。昔の抜け道だったみたい。入り江になった海岸に出るから、そこは波が来なくって泳げるの」
「へぇ。そりゃいーけど、気をつけてろよ。海は怖いぜ。サメとかエイとかに刺さされたり食われたりすんなよー?」
「アーロが見張ってくれるから大丈夫」
確かにそれなら何の心配もないと、王子様と銀色は納得した。危険な海洋生物は近づかないし、溺れればすぐさま背に掬い上げてくれるだろう。
「ごめんね。せっかくの家族行事を邪魔して」
「全然家族行事じゃないから安心して、ヒバリおにーちゃん」
「そうだよな。涼みに行く途中でオマエが父さんに絡んだっていうだけで」
「うるさいわね、ソル」
「ちょっと構ってくれないとすぐ拗ねるんだよな、オマエ。夏は父さん、地下から出てこないから」
「黙らないと殴るわよ」
「なんだぁー、十年後もかよー」
はぁ、っと、先が思いやられるぜ、という口調で銀色がため息をつく。男はサンオイルを塗り終えた手のひらをそんな銀色に向かって突き出した。
「お前らのオヤジ、十年後はどーだぁ?ヒキコモリが過ぎてぶくぶくに太ってんじゃねーかぁ?……、いてェッ!」
オイルだらけの男の指先を、ごく自然にハンカチで拭ってやっていた銀色は、そんな厭味を言った瞬間、指の関節をグリッとされて悲鳴を上げる。
「いってぇーっ!なにしやがるーッ!」
「オヤジって言うな」
ギャンギャンと喚く情婦にそう告げて、男は少女の背中へ戻りビキニの、ヒマワリの茎と葉を模した緑の飾り紐を、きゅっといい具合に結んでやった。
「ありがとう」
少女がにっこり、嬉しそうに笑う。胸元を押さえている必要がなくなって自由になった両手で男にぎゅっと、抱きついた。男は無表情のまま、それでも抱き返す。
「ふぅん、けっこう……」
実は可愛がっているんだねと、ヒバリは気がついた。
「キミはお父さんのこと好きなの?」
「大好きよ。だってこの世で、一番いいオトコだもの」
銀色が口に出さないでおいた本心を少女はあっさりと言葉にする。
「色々なってないこともあるけど許してあげる。半分は甘やかしてきたスクアーロの責任だし。アタシはメンクイなの」
「お母さんのことはどう思っているの?」
「この世から消えて欲しいと思っているわ」
男に抱きついたまま、その肩越しに、少女はにっこりと微笑む。天使のように愛くるしく。
「ソル、それは思っていても言うなって、父さんとスクアーロに何度も言われただろ」
「ヒバリおにーちゃんにだからいいじゃない」
「お母さんが駆け落ちをしてこの国から居なくなるとしたらどう思う?」
「その相手に感謝するわ。この世からじゃなくても、目の前から居なくなってくれれば万々歳よ」
「本当に?寂しくないの?」
「愛してくれない親なら居ない方がマシなの」
はきはきと答える少女の口調にも表情にも虚偽は見つからない。
「いっそ居なければ社会の庇護を受けられるのに、下手に居るから見殺しにされた、そんな子供は数多いんじゃない?」
「……キミは愛されていないの?」
「ママにはね。でもパパとスクアーロと、みんなが愛してくれたわ。だから大きくなれたの」
「キレイゴトも言えるんだから最初からそうしろよ」
「キミの母親がきみたちよりも、キミたちのパパよりも、別の男の人を好きになって、選んでしまうことをどう思う?」
「好みは人それぞれよ、仕方ないんじゃない?」
そう言いながら少女は男に抱きついた腕を解いた。離れるのかと思えばそうではなく、背伸びして肩に手を置き、じっと男の顔を見つめる。
「ハンサムねぇ、パパ」
心から感嘆、という口調。
「こんなハンサムの何処が気に入らなかったのか、あたしには理解不能だけど」
「理解するには立場が違いすぎるだろ。朝寝の邪魔してサンオイル塗らせても怒られないもんな、オマエは」
「あたしが居るから寂しくないわよね、パパ。邪魔な人が遠くに行ってくれるのは、むしろ願ったり叶ったりよね?」
海パン姿の少年にサンオイルのチューブを投げつけながら少女が言う。頭のいい男は返事をしなかった。けれど否定しないということは消極的ながら同意を現す。
そうして視線を少女から外し、十年後の姿とは初対面の、少年へ流した。
「いいことだと思うよオレは。……ボンゴレにとって、種の保存として」