優しい雨・6
もとガキだった男の内心に構わず、ベッドの上で美形は懐かしそうに昔の話をする。
「部屋に他人を、気軽に招くヤツじゃなかった。俺だけの特別待遇だって自惚れが気持ちよくって、ふかふかのアイツのベッドに自分からダイブして寝転がった。このシチュでレイプって訴えるのはムリだろ。俺が十四歳のバージンだったとしても。まー、バージンだったんだけどなぁ」
一歩間違えば悲惨な思い出、トラウマになりそうな性的暴行を受けた話。それがどうやらいい思い出になっているらしい様子にもとガキはきゅんと胸を鳴らす。男との思い出を嬉しそうに話すオンナを、いじらしいと思った。
「嫌いにならなかったんだ?」
「ならなかったなぁー」
「好きになったのは、セックスがキモチよかったからか?」
「ヨく、なかったワケじゃねぇな多分。十四だったからなぁ。ジーンズの裏地に擦れても勃つ時期だ。そこをあの恥知らずに弄られりゃたまんねぇさ。それもないでもない。でも多分、一番でかかったのは、もとから俺がヤツを好きだったってことだぁ」
セックスは考えていなかったけれど。
「ヤツのまわりにゃ取り巻きが山ほどいた。男も女も。その中で自分だけ選ばれて腕を掴まれて、奥に連れ込まれんのは悪ぃ気がしなかった。あいつの屋敷の使用人たちは俺を丁寧に扱うよーになったし、九代目の関連で大人たちにまで、妙に一目、置かれるよーになった。面白かったぜ、色々と」
「ボスのオンナっていい気持ちなのか?」
「そんなモノにはなったことがないから知らねぇ。側近か腹心って言えぇ」
「俺ボスじゃねぇから、いいめあわせてやれねぇな。ダメかな」
「馬鹿野郎、諦めンな。カラダで陥とせぇ、オトコならぁ」
「経験値、すくねーし。女ともそんなにしてるワケじゃねーし」
「ミはもうついてんだから、クセがつくまでガンガンやっちまえぇ」
「どんな風に?」
ガキでなくなったボンゴレ十代目の雨の守護者に見上げられて、感嘆に値する美貌の持ち主はようやく、自分が何を乞われているかを知る。
「教えてくれよ、スクアーロ」
「……」
「頼む」
「……俺も、そんなに、凄腕ってワケじゃ、ねぇぞ……」
予防線を張るが。
「嘘だ」
白々しいそれは一言で切り落とされてしまう。
「あの男が、あのザンザスが、ずーっと手放さなかったヒトだろ、あんた」
いいオンナの筈だとギラギラ光る目で見上げられ、絶句。
「紹介してやる。上等のトラヴェスティート」
「なにそれ」
「カマ」
「買える相手はもう試した。役に立たなかった。相手じゃなくて俺が」
「あ?」
「海綿体が充血しなかったんだ」
「ああぁあああぁぁー」
美形は頭を抱え込む。いま、ひどく痛い言葉が耳に刺さった。
「俺ホモじゃねぇから。ずーっと好きだったヤツと、ずーっと憧れてたヒトにしか、反応しねぇや」
「ワガママ、ってぇんだぜぇ、そういうのはぁ」
「あんたはあいつ以外に勃つ?」
いやそれが実は、と。
「……試したことねぇな……」
告白するには、美形はプライドが高かった。
「あいつとは別れたんだろ」
「な、んでそんな事を知ってやがる」
「あんたんち鏡ない?」
あっさり返された言葉の意味が分からず、小首を傾げる仕草が可愛らしく、もと少年の目に映る。その可愛らしさはバリバリと奥歯で噛み砕きたい種類のもので、また煽られたという気がした。
「自分の顔がどんなか知ってるんなら分かるだろ。空き家になったなら立候補したいって男が沢山居るから噂になんのも早いぜ。王子様が背中に張り付いてガンつけまくってるせいであんたに、声がかけれる距離に近づけないだけで」
「……?」
説明されても美形はよく分からなかった。あの怖い男の相手を勤めていた十六年間、誰にも手を伸ばされなかったから感覚が鈍っている。求愛者の群れを掻き分けて生きていて当然の美貌だが本当に自覚がない。それは本人のせいではないかもしれないが、はた迷惑ではあった。
「頼むよ、スクアーロ。恩に着るから、なぁ」
伸ばした指先に銀色の髪を絡めて、童話の王子様がお姫様にするようにその毛先にうやうやしく口付け。されて美形は動揺した。乞われることに慣れていない。こんなに綺麗な顔と極上のカラダをしているのに。
キスをして頬に押し当てて、したたかなもと刀のガキ、今では育ってプロ野球選手とボンゴレ十代目の雨の守護者を兼ねる男は美形の髪を愛しそうに撫でる。欲しがられる快感に美形は全く慣れず無防備だった。ベルフェゴールの口説き文句には冗談の余地があったけれどこっちは触れれば手が切れるほど真剣。そして。
「あんたとヤってみたい」
言っているもうガキの内心は複雑。年上の『美女』、経験値の高そうな目の前の相手に抱き方を教えて欲しいという口上も本心。けれどこの綺麗な相手を組み敷きたい欲望もそっきから、腰骨の奥ではじけている。強く瞑った瞼の裏にさっき見せられた素肌の白さ艶やかさの残像が浮かぶ。
オンナは嫌な気持ちではなく膝まずくもとガキを眺める。言葉も行動も真っ直ぐで分かりやすい。そうして昔からその才能を見込んで気に入ってきたガキが、大人になって体を擦り付けてくるのは可愛い。
「知ってることは、教えてやってもいいがなぁ」
そう言うと、ぎゅっと目を閉じていたもとガキはぱっと開いて顔中に喜色を浮かべる。素直な反応だ。頭の構造が少し人より単純な美形には理解しやすさこそが大切な要素だった。そんなにしたいんならさせてやってもいいというキモチになる。それに。
「俺のノリが悪くって、充血しなくっても、腹ぁたてんじゃぁねぇぞぉ」
逃げ口上が通用しそうだったから。
「……マジかよ」
「クセがつくまでヤれって言った、責任があるからなぁ。それでヘタクソじゃ話にならねぇ。腕がねぇのにやる気があるヤツが一番メーワクだぁ」
「あんま優しく、しないでくれな」
「てめぇは丁寧にしろよぉ。気に入らなかったら蹴り出すぜぇ」
「いま俺、ちょい不安定だからさ。あんたに優しくされちまったら、マジ惚れしちまうから」
「退けぇ。シャワー浴びてく……、っ、てめ……ッ」
「マテって機能、オトコにゃついてねぇよ」
素早く組み敷かれて美形は苦情を言いかけたが、額をコツンと当てられながら、言われた台詞に納得してしまう。そういえばそうだ。
「オテならいっぱいすっけどさ、後でな」
にっこり嬉しそうに笑うもとガキの、笑顔につられて、また笑ってしまう。可愛い。笑ういい男には慣れていないから一層そう思う。頬を撫でられる。指先が温かい。欲しがられる満足に目を閉じてやる。乾いた唇がそっと重なってくる。肘をついて重さをかけていなかったカラダも。筋肉の量を思わせる硬さと重さに背中が泡立った。久しぶりの感覚。
「……、ッ」
「あー、ナンか……。違う……。……すくあーろ、あんたネコ、飼ったことある?」
「ね、ぇよ」
「俺さぁ、ドーブツ好きなんだ」
確かに、見るからにそんなカンジ。
「ネコって、抱くと、どんな風に飼われてるかすぐ分かるんだぜ。普段あんまりかまわれてないのはキョトンって動かないし、人間嫌いのは爪たてて逃げようとすっけど、日頃から主人の膝で撫でられてんのは足が浮いたらすぐ力抜く。さあ可愛がれってカンジに。アンタもその系なのな」
「……?」
「なんかもう抱きしめた感触から違うし。あんたってやっぱ随分とお気に入りだったんだろ。大事にされて、きたんだろうなぁ」
いや、全然。
「俺ちゃんと、アイツこんなふーに、してやれっかな」
どんな風なのか美形は全く分からなかった。それどころではなかった。重なって擦り付けられる肉体の質感に、ゾクッと戦慄した自分に取り乱していた。
「俺がヤなことしたらすぐ合図くれよ。わざとじゃねぇから、すぐやめっからさ。絶対我慢しないでくれよ、なぁ」
頷く。抱き返す。開き直って自分からもとガキの肩に、腕を回して顔を引き寄せ、唇を今度は深々と重ねる。
目を閉じると水音が頭の中に満ちた。絡まる舌と窓の外からの雨音。雨の特性は沈静。怒りの焔を消し攻撃を鎮め、精神と肉体の緊張を解いて寛がせ安らかな弛緩へと誘う。ハメられた、かもしれないと美形は思った。でもそれさえもどうでもいい居心地のいい水の中に、浸る。