An exhibition

 止めてくれ、と、哀願するのはもう止めた。
 何度願っても、かなえられなかったから。
 その言葉を口走るたびに、優しく抱き締められたりキスされたり、しばらくそっと背中を撫でられたりしたけれど、その手を止めてはくれなかった。
 代わりに尋ねる。何故、どうして。どうして俺にこんなことをするんだ。
 「……だって」
 俺を後ろ抱きにした肩甲骨に口付けながら、弟は言った。
 「ちゃんと見せとかないと藤原に分からないだろ?あんたが俺のだって」
 そんなの、どうして分からせる必要がある。俺とお前が知っていれば十分じゃないか。胸元の飾りをとりもせず、おとなしくお前の腕の中に、居るのに。
 「そう。話だけじゃ、信じれませんでした。まさかって、やっぱり思いますよ」
 不必要に広いラブホテルの、一番高価な部屋のベッドの上。俺の腕を頭上で押さえた藤原が耳元に囁く。おい、と弟の咎める声がしても、藤原の唇は俺の耳元から外れなかった。
 「こんなコトしてるようには見えないもの、涼介さん。がっかり……。俺、涼介さん、好きだったのに」
 他人のお手つきのオンナって暫く、遠慮したいんですよね。痛い目にあったばっかりなんで。独り言のような呟きに弟が笑う。
 「ンだぁ?二股でもかけられたか」
 「ま、そんなところです」
 「オンナってのは、だから嫌んなるよな。油断してるとすぐ増長しやがる。分かってねーんだよ。オスがどれだけメスに食いつきたいか」
 キレイな顔してりゃ男は寄ってくる。きれいな身体してりゃ尚更。そんな男にちやほやされていい気になって、腹が立つったらない。
 弟の言葉は明らかに俺に向けられていた。須藤京一と藤原拓海のことを、こいつが気にしているのは分かっていた。でもだからって、俺になにができた。二人とも俺には無視できない存在。何故かって、それは。
 強い雄だから。強靭な男は全部、俺の獲物だから。でもそれは、女としてじゃない。お前とどんなに抱き合っていても、俺も雄だって現実は変わらない。強い同性を牙にかけ噛み砕く時の、顎に伝わる快感は手放せない。どんなにお前がそれを不快に思っても、本能と欲望には逆らえない。第一。お前以外の前でオンナで居るなんてごめんだ。
 ねぇ、と、藤原の甘えた声がした。
 「触っていい?ちょっとだけ」
 「見せるだけだって言っただろうが」
 「そうだけど、あんまり綺麗だから」
 唇を寄せられて顔を背ける。追ってこられる寸前に、
 「馬鹿野郎」
 弟の手のひらが俺の口元を覆って、庇われる。
 「ケチ。いいでしょ、キスくらい」
 「ガキ」
 ちゅっと、わざと音を立てた、弟のくちづけを受ける。
 「それから全部はじまんじゃねーか」
 「女みたいなこと言うんですね、啓介さん」
 「男も女もねーよ」
 なぁ、と同意を求めるように髪に手を差し込まれ撫でられて、でも、返事をすることは出来なかった。身体の中に強引に割りいった弟が、ひどく動いたから。
 それが性感を刺激することを、身体は知っていたけれど、今は心の衝撃が大きすぎてうまく反応があわない。
 「……、ッ」
 藤原の前で無様な声だけは出すまいと耐える。俺の頑なさをあざ笑うように、弟からの責め苦は激しくなるばかり。
 「泣いてるよ。痛いんじゃない?」
 「気持ちいいんだよ。なぁ?」
 「ホントに前から寝てたの?なんか、違う風に見える」
 生娘みたい、と藤原が呟く。まさかと弟が笑う。
 「教えてやれよアニキ。俺ら、ずーっとセックスしてきたよな?」
 言いながら弟の指が胸元のピアスに触れる。細い金属はそこに馴染んで久しかったが、それでも神経の内側に食い込んだ金属は俺を脅えさせた。なぁ、ともう一度促され、頷く。
 「嘘、つかせてんじゃねーの?」
 試すように藤原は俺の手首を開放し、俺の胸に指を伸ばす。放されても痺れた腕はすぐには動かない。頭を左右に振って拒む。触れられたくなかった。それは一番痛い傷跡で、痛み。助けを求めて弟の名前を呼んだけど、今度は弟は、庇ってくれなかった。
 「昨日今日、つけたんじゃないぜ」
 「ホントだ。ちゃんと回るね」
 「名前、書いてあるだろ」
 「よく見えない」
 二人が話す間にもピアスを、二人して弄られて耐え切れない鳴き声が喉から漏れるのを止められない。お気に入りの声に気をよくした弟の突き上げが激しくなる。
 「よく見たいな、俺」
 藤原の言葉に応じて弟の腕が俺を引き起こした。獣の形で繋がれて、それでも身体を隠していたシーツだけが、俺を守ってくれていたのに。
 姿勢を変えられる。膝の上に座らせるみたいに。何もかも見られる。実の弟を食い締めてる場所も、それで昂ぶる俺自身も。
 「……イヤ、だ」
 これが罪なのは分かってる。俺は間違ったことをしてる。罰は仕方がない。でも、こんな形は酷すぎる。
 「啓介、けいす、け」
 名前を呼ぶ。泣き声になったのを、恥じる余裕はなかった。
 「イヤだも……、もう、助け……」
 「辛い?」
 頷く。
 「じゃあ答えて。あんたが俺と寝たのって、幾つだった?」
 「…、く」
 「聞こえない」
 突き上げられて。
 「じゅう、く」
 泣きながら答える。目を開ける勇気は出なかった。藤原拓海の視線が痛い。見られてることを肌が感じて竦みあがる。弟に対しては捨てた男の矜持がひび割れる。……雄として、狙った獲物に、こんな姿をさらして。
 「最初にキス、したのは誰から?」
 「……、オレ」
 「あんたが愛してるのは誰?」
 「お、まえ」
 「だったらキスして。あんたから」
 キツイ注文だった。心にとっては言うまでもなく、身体にも。弟の膝の上に後ろから抱えられ、萎えた膝は使い物にならず、痺れた腕だけで自分を支えてるこの姿勢で。振り向いて、唇をあわせることは、ひどく辛いことだった。けれど、する。右手をシーツから外すと肩が崩れた。間髪いれず胸元に手を差し入れて引き戻される。その勢いを借りて振り向き、くちづけた。
 唇は優しかった。最初はそっと触れ合い、やがて激しく舌を絡めあう。
 「……ッ、ン」
 昂ぶりに手を添えられて腰が揺れる。奇妙な興奮が俺を、包み始めていた。唇が離れると同時にシーツが、俺の肩に前から掛けられる。珍しく約束を守ってくれたことと、シーツを巻きつけてくれる手が妙に焦っていることに、俺は気づいた。
 そうして、ふっと、思う。
 もしかしたらこれは、啓介にも不本意だったのじゃないか、と。俺を外に出したくない、なんて出来もしないことをときどき、口走る弟。こいつが俺を自分から、人目に晒したがる筈はないの。
 怖かったのか、怖いのか。藤原拓海が、それとも。
 「俺を愛しているんだよな?」
 確認する口調の裏側に、すがりつくような響きを感じてようやく、俺は弟が何を恐れているのか知った。ゆっくり頷き、シーツの下の、俺を抱く腕を抱き締める。
 お前を愛しているよ。それはもう、確実に。ただ。
 お前が望むようにかどうかは、分からないけれど。
 「俺も、愛してんぜ」
 告白と、同時に。
 身体の内側に灼熱の迸りを受けて絶叫した。それは長く続いた。二度三度、震えるたびに唇を開いて高い声を上げる。これは誓いだ。……俺なりの。
 お前を棄てないよ。棄てやしない。俺が悪かった。気がつかなかった。
 お前がそんなに不安がってたなんて。
 なぁ、啓介。
 お前が藤原拓海に負けたのは、たまたまだ。進化途上の勝ち負けに大した意味はない。お前の負けは、俺のとは意味が違う。上の階段に足を掛けるためのきっかけでしかない。
 馬鹿な心配をするな。俺はお前がこの世で一番、大切だよ。
 「……うん」
 うわ言のような呟きに弟は答えて、きつく激しく、俺を抱き締める。
 分かったか?
 「うん」
 子供みたいに頷く弟が可愛かった。そのまま意識が薄れていく。完全に途切れる寸前、何かの気配と物音を聞いた気がしたが、目蓋はもう、持ち上がらなかった。
 

 夜半過ぎに、目覚める。頬をかすった冷たい感触に。
 「悪い、起した」
 「なに、してる?」
 明かりを消した部屋で、弟は何か、頬に当てていた。そして煙草をくわえたままで俺の隣に横たわろうとしていた。頬に当てた濡れた布から滴る水滴に俺は目覚めたのだ。寝タバコを咎めると素直に消し、
 「ちょっと、藤原とやりあっちまった」
 俺に尋ねられる前に自分から白状。
 「お前が?」
 あんな子供を殴ったのかと責める俺の口調に、
 「ンなガキじゃねーよ、あいつ」
 不本意そうに弟は答える。
 「けっこー場数ふんでやがる。俺が一発、いれられたんだからな」
 しかも、顔にと、弟は口惜しそうだ。あいつ最初ッからツラだけ狙っていやがった。口ンなかまで切ってて煙草が不味い。
 喧嘩と色事に関しては高崎のヤンキーで随一だったこの弟に、ここまで言わせるのは大したもの。
 「そうだな。お前の顔にイロがついてるのは久しぶりに見るよ」
 勘が鈍っているんじゃないか?高校に入った頃から殴り合いって少なかっただろ。相手が逃げるから。高校を卒業してからは殆ど、車にかかりっきりだったからますます、喧嘩は減っていたし。
 「現役の高校生には、かなわないかもな」
 「言っとくけどな、勝ったのは俺だぜ」
 同じ歳ならあれで許しゃしなかったけど、それこそガキだから、腹も胃だけで勘弁してやったんだ。ホントなら腎臓の上、殴って二三日、便所に行くのも辛くしてやるのに。
 「横っ面やられちゃ相打ちだろ」
 「それ以上いうんなら、今からあいつんチに乗り付けてもういっぺん、殴り倒してくるぜ」
 「止めてくれ。警察に、お前を引き取りに行くのはもう飽きたよ」
 「ふん。まぁいいや。これで藤原のこと諦めるだろ?」
 思わぬ言葉に俺は目を見開く。闇の中、見えなくっても、気配で察したらしい弟が、
 「諦めないなら、何回だって、あいつの前でヤってやる」
 怖い声を、出した。
 「藤原が嫌だって言ったのか?俺の新チームには来ないって」
 「呼ぶ気かよ、あんた、まだ」
 「あぁ」
 「俺がなんで藤原とやりあったか分かってねーだろ。あいつあんたに、」
 言うのもいやだ、という風に弟は顔をしかめる。
 「キスぐらい、大騒ぎすることじゃない」
 感触があった。かすかに。
 「可愛くないなぁー」
 胸元に伸びる指。ピアスに差し入れられる左手の薬指。
 「イヤ」
 俺は背中を向けようとする。弟は許さず追ってきた。
 「いやだって。痛いんだ。お前が」
 お前だけじゃなかったけど。
 「無理に引っ張るから」
 「責任とってやるよ」
 言葉とともに肘を掴まれ仰向けに、シーツに押さえつけられる。露になった胸元に唇が落ちる。優しくそっと、先端を舐められて、震えた。
 「……、ン」
 そこはもともと弱かった。けれど。
 下まで、芯まで、真っ直ぐに、感覚が繋がったのは、初めてだった。
 「アニキ?」
 抱いていた弟にそれが分からない筈はなくて。
 「声、出せよ」
 くびれた部分を親指の腹でしごかれて身体が跳ねる。かみ殺しきれない喘ぎが漏れていく。
 「……、あ」
 脚が大きく広げられ、頭がそこに埋められた。代わりに指が胸のピアスを弄る。
 「あ……、アッ、あ」
 膨らんだ芯を湿った口腔に含まれて、気持ちが、イイ。全身の血液が沸点を迎える。同時に腰が、ねだるように跳ねた。開放と、蹂躙を願って。
 「積極的じゃん」
 笑う弟の髪に指を絡め、
 「……齧って」
 ねだりながら、愚かな男だと、抱き合う相手のことを思う。
 どうして俺がこんなによがってるかお前、ぜんぜん分かっていない、だろ。
 身体が気持ちいいんじゃない。イイけど、それだけじゃない。それ以上に心地よいのはお前の嫉妬だよ。もう一枚奥の本音は、お前を嫉妬で苦しめることさ。
 藤原拓海は、誘う。あれは必要な駒だから。伸ばした指を噛み千切られそうな怖い相手だが、でなきゃ手元に置く甲斐もない。お前が拗ねたら、どう言ってやろう。そうだな、らしくないとでも。
 負けて怖がって逃げるのはお前らしくない、と。
 「ナニ笑ってんのさ。キモチイイ?」
 うん、と甘く、俺は答えた。気持ちがいいよ。とても、凄く。お前を罠に嵌めるのは。
 

「とりあえずハイオク満タン、入れてもらおうかな」
 バイト先まで足を運び、笑って言うと藤原は赤面した。
 さぁ、覚悟しろ。俺にキスしてただで済むとは、お前もおもっていないだろ?
 狙った獲物を、俺は逃がしたことは一度もないんだぜ。