朝焼け・前編
のし、のしとボンゴレ日本支部の廊下を、両の拳を握りしめ明らかに肩に力の入った姿でアッシュグレーの髪をした美形が歩いている。
「獄寺ぁ、止めろ無理すんな。な、ツナに連絡しよーぜ。ツナから親父さんに拒否ってもらえば、きっと大丈夫だって」
美形は背が高く足が長い。歩幅も広く、ずんずん歩いていく。その右に回り左に回り、前へ回り込んで逆向きに歩き背中からすがり、山本武は、美形にまとわりつく。
「なぁ、オマエまさか本気じゃねぇだろ?ヒバリと寝るって、ンなの、俺が納得すっと思ってンのか?オレの相手はろくにしてくんねーくせに、なんでヒバリとはヤル気になってんだよ。なぁっ!」
最後に声がマジ気味に掠れる。顔は最初からマジギレ寸前、額には珍しい青筋が浮いて。
「オレがそんなの、許すと思ってンのか?」
目つきは恐ろしいほど鋭い。殆ど敵対、憎しみの強さがある。
「……」
山本の怒りを、獄寺隼人は顎を上げ睥睨した。ずかずかと歩きながら女王様らしく。
「止まれ、獄寺」
その視線の冷たさにオトコがキレた。とうとう手が出る。肩を掴まれ、美形は。
「なんだよ」
ぴたりと足を止める。首を傾げて男の顔を見る。真正面から向き合えば美形が見上げる形になる。背は山本の方が相変わらす五センチは高い。美形の方が態度が大きくて、なんとなく同じくらいに、見えるというより感じられるけれど。
「止めてくれ」
光彩の大きな、睫の長い揺れる瞳のみれょくにくじけず、男はそう言った。
「どうしても必要なら俺が行く。お前は止めてくれ」
男がそう、言った台詞は、殆ど一世一代の決心。
「ハッ!」
なのに肩を竦めた、心から馬鹿にした表情で、美形に斜めに見上げられてしまう。なんて生意気で腹の立つ顔だろう。そうして、なんて、なんて綺麗なの、だろう。
自分のことを馬鹿にすればするほど、手をつけられない勢いで冴えていく『恋人』に、若い男はへにょへにょだった。どうすればいいか本当に分からない。
「テメェにナニが出来るってんだぁ?オンナの気に触る真似しかしやがらるぇクセに」
「必要なことならなんでもする。ヒバリをヤルのがどうしても必要なことならオレがヤル。嫌なことは俺がするから、お前は……」
台詞の途中で、山本武は、殴られて。
「……、っ、てぇ……」
絨毯の敷き詰められた廊下に唾液混じりの血を落とす。押さえた指の間からぼとぼと、かなり大量の出血。手加減なしだったらしい。
「だからテメェはムカつくオトコだってんだ」
怒りの焔マックス最大値、死ぬ気の焔を背にまといながら、獄寺隼人は血元を押さえて屈んだ一応恋人の、腹を今度は、革靴の爪先で蹴り上げた。
「ぐ、……、ハ、ッ」
「自分がなに言ったか分かってンのか?アアン?てめぇ今、十代目の一番お気に入りを侮辱したんだぞ。オレにこの場で嬲り殺されたって、文句言えねぇ無礼だぜ」
ボンゴレの次期ボス、十代目を継ぐ沢田綱吉が一番愛して、大切にしている『オンナ』。宝物のように宝石のように、掌にそっと載せて眺めてはうっとり、幸せそうに感嘆している、今のところたった一人、そうして多分、最初の、オンナ。
「ボスのオンナはてめぇのお袋より大事にすんのがマフィアってモナなんだよ。てめぇそれ分かって言ってんのか。あぁっ?」
腹を押さえて呻くオトコを獄寺は見下ろす。睥睨しながら、ますます腹が立つ。このオトコが、その気になれば避けられるのに敢えてそうせず自分の攻撃を全部、受けていることが分かっているから。
「……、る……」
「ナンだよッ!」
「わ、る……。かった。ンな、つもりじゃなかった、ンだ」
腹を押さえながら、口の中の血の塊を袖に吐き出して山本武が体を起こす。
「ただ、オレはお前に、ムリさせたく、なくて……」
「オレじゃなくって誰に務まるッてんだぁ?」
心からバカにして見せるたびに、目の前の男が深く傷ついていくのは分かっている。いるけれども止められない、この衝動はなんだろう。愛してくれる相手を傷つけることでしか返せない幼児性だろうか。オトコたちに弄ばれて騙されて裏切られて不幸な死を迎えた母親の怨念が自分の背中に張り付いているのだろうか。
「これぁなぁ、ヤマモトォ。ボンゴレ日本支部存亡の危機、なんだぜ?」
漢字変換できてっかぁ、と嘲笑うと、出来ている、と真面目に答えられてまたムカつく。
「率直にユってヒバリはウチのブッチギリエースだ。てめぇとオレを合わせてもアイツの凄みにゃかなわねぇ。アイツに万一、ヘソ曲げられて背中向けられてみろ。ウチの戦力はガタオチだ。それを」
獄寺の表情が曇る。
「門外顧問は、分かっておられねぇ……」
マフィア『らしい』振る舞いを息子に躾けようと努力中の『父親』は現実が見えていない。ベッドの中で抱いているのが沢田綱吉でも、外で守護しているのは雲雀恭弥。ボンゴレ十代目にやがてなる男の、可愛げと酷薄さの落差に魅力を感じて頬を寄せ合っている。いつ喉を噛まれるかとわくわく、しながらキスしているところを刻寺と山本は何度も目にした。
「ココで、ヘタうつ訳にゅいかねぇんだよ」
オンナを側近に『分け与える』ことはマフィアのボスとして必要な施し。ザンザスはそあたり上手くて、季節前にはそういう用途の玄人をキープする。二三度抱いただけでも確かに『女』には違いなくて、『ファミリーのボスの女』に一時的にでもなりたがる玄人女は多い。クリスマスにボスの側近たちに、膝をつかれて手にキスされる行為とその続きを、イベントとして愉しめるしたたかな美女たち。
それを、沢田綱吉に、しろというのがムチャだということを、殆ど一緒に暮らしたことのない父親は気づかない。自身が床にぺたんと座り込んで、ソファに腰かけたヒバリの膝に頭を擦り付けながら、愛情と感謝を篭めて鳴いているときが一番、いや唯一、安らいで幸せそうな、息子を少しも理解していない。
「獄寺」
分かっている。それは山本武にも分かっている。けれど。
「オマエが、ツナに恨まれるぜ?」
「かまわねぇよ。十代目の為になるなら、幾らでも」
「ウソつけ。ツナに嫌われたらお前、息も出来ないくせに」
「オレぁてめぇみてーにヘラヘラしてっだけじゃねぇ。いつだって覚悟は出来てんだ」
その、台詞に。
山本は過敏に反応した。目にも止まらぬ勢いでバン、と、獄寺の顔を挟むように、両腕を壁につく。きれいに整えられた髪が指先を掠めて揺れた。
「オレがなんだって?」
山本は怒っている。凶相になるほど。
「オレがいつへらへらした。オマエの前でわりとニヤニヤしてっことは認めるけどな、そりゃオマエをスキだからで、笑ってナンか誤魔化したコトなんざ一遍もねぇぞッ!」
「……」
「ゆるさねぇ、行かせねぇって、はっきり言ってるだろうッ!」
凄まれ、恐れる様子も見せず、獄寺は上着に手を突っ込む。内ポケットから煙草が取り出され咥えられる。挑発の視線を流される。
山本が唇を噛んだ。噛みながら、自分の右のポケットからライターを取り出す。火を点ける。殆どそれはマウンティング行為。どっちが『偉い』か、こうやって試される。流し目の一瞥に勝てたことはない。本当に一度もない。好きだ。情けなくてたまらないくらい。
「ついて、来るってンなら、引っ込んでろたぁ言えねぇが」
左右の側近、沢田綱吉の背後を守る双璧。『施し』を与えられる権利は山本にもある。
「絶対オマエは喋るなよ。ツラだけでてめぇはオンナのカンに障るんだ。ヒバリみたいなタイプにゃ逆鱗に触れるだけだからな」
綺麗で神経質で凶悪で自分の美貌を知っている女王様。オンナとしてのタイプでいえば、雲と嵐の守護者は同じタイプ。
「ひでぇ、言われようだな」
オトコは笑うが今度はウソ笑い。本当は傷ついて悲しい。
「ホントのことだろ。オマエ、オレのアネキにも散々だったじゃねぇか」
「オレをカワイイ、って、言ってくれるヒトだって居るんだぜ?」
「ロンゲの銀色か?ヘビィ過ぎるダンナの気晴らしに遊ばれて、せぃぜいへらへら悦んでろ」
嫉妬も見せず鼻の先で笑った美形は、人形のような形のいい唇に煙草を咥えたまま、ヒバリが寝せられた寝室へまた歩き出した。