A base of operations
連合軍の、野営地。
といっても物資に不足のない基地では、三食昼寝に非番の日にはワインまで付く。実戦は20キロほど離れた場所で行われ、週に二・三度は敵勢力とぶつかり死傷者が出る。しかし。
現地の民族紛争にのっかった形で進出した連合軍の構成員に、被害が出ることはまず、ない。本国では名の知れた陸戦部隊の指揮官も特殊部隊指導教官も、顧問のような形で派遣、されているだけ。
それは進駐に関して内政干渉と非難されることを避けい連合軍の、打算的な処置でもあった。そして為替決済力のある国際通貨を握った先進諸国らの、思い上がりでも、あった。
派遣された将兵たちは、自国の通貨が実経済上に、自国の十数倍にも価値をもつ、簡単に言えば物価がただ同然に安い、この国での滞在を愉しんだ。街に出て美味と酒を貪り、オンナを買う。一般兵に、この国での滞在は休暇同然。一部の上層部にとっては、内線終了後の利権獲得が最終目的だったが。
兵たちにとってここが故郷の観光地と違うのは異国語を喋るオンナと、兵舎に女性の姿が見えないこと。連合軍も広報基地になると、女性兵士や技師の割合は二割を超える。さすがに『前線』とされるここに女の姿はなく、代わりに軍医を、彼らはマドンナに祭り上げていた。
「オハヨウゴザイマス、ドク」
「おはようございます」
士官用の食堂が別にある規模の食堂ではなかったから、軍医と一般兵は食事時間ごとに、毎日顔を見合わせる。
「おはよう」
脚を高々と組んで一日遅れの新聞を読む、行儀と口の悪い軍医。しかし、顔は確かに、とびきりの美形だった。
医務室の扉がノックされ。
「入れ」
答えると同時に入ってきたのは、頑丈な体躯の強面の男。兵士たちに鬼のように恐れられる特殊部隊指導員は、
「……よぉ」
男が好きな女にだけ見せる、気弱にも見える目元の緩め方で部屋に入ってくる。
「帰っていたのか、京一」
一瞥するなり涼介は、パソコンの画面に視線を戻しキー操作を続けた。その態度を気にもせず、京一は問診のための椅子に座る。デスクトップのディスプレイ越しの美貌を眺めながら懐に手を突っ込みかけた途端、
「禁煙だ」
キツイ口調で咎められ、苦笑。懐から取り出されたものは煙草の箱ではなく、
「ほらよ」
本国でもまだ発売されていない筈の、OS。
見るなり美貌は綻んだ。ゆっくり椅子から立ち上がり、
「よく手に入ったな」
近づいて来ない京一から、それを受け取る為に近づく。
「どうやって、買ってきた」
「貰いもんだ」
なんでもないように渡した瞬間の嬉しそうな微笑を見たくて発売会社とのコネを捜して、本国に帰国していた間中、その為に走り回っていたことは告げなかった。実際、涼介はとても喜んでいた。甘い菓子を貰った子供のように、無邪気に。
「ありがとう」
珍しい、率直な礼に、
「……」
方眉を上げて答える。なんでもないようなフリは、この男なりのスタイル。
「開けるぞ」
「おぅよ」
「使う。見るか?」
「どれ」
パソコンの前に戻った涼介に誘われるまま、立ち上がる。ディスプレイの画面より画面を見つめる横顔に目を向けて、そのままそっと、近づこうとした、瞬間。
「須藤―ッ」
大声で鬼教官の名を呼びながら、バタンとドアを開けたのは、
「アニキにそれ以上、近づくんじゃねーッ」
顔中口にして叫ぶ、美貌の医師の弟。
そうは見えないが実は、陸軍大学卒業のエリートで、陸戦部隊指揮官としては名を知られている。
「あぁん?」
柔らいでいた目元をいつもの三白眼に、戻して京一は顔を上げた。
「うるさい奴だな。少しは静かにしろ。ここは、医務室だぜ?」
「手ぇどけろよッ、なに、肩なんか抱いてやがるッ」
「俺は土産を渡しに来ただけだぜ。ステイツに帰ってきたからな」
「アニキに勝手に近づくなって言っただろうがッ」
「お前にも買って来てやったぞ?ダークチェリー・パイ」
「あぁ、喧嘩売ってんのかッ」
でかい男二人が怒鳴りあう声に、兵舎の兵士たちは
「あぁ、教官のお帰りだ」
「なんだか、啓介さんのこの声をきくと、日常が戻ってきたカンジが、するよなあ」
「いえてる」
野戦指揮で鍛え上げた、よく通る大声の罵りあいの渦中で、美貌の医師は黙々と、しかし楽しげに新しいOSのインストールを続けていた。
そんな、ある日。
「っ、暴れんなッ」
「鎮静剤、打たせるか。誰か涼介、呼んで来い」
「アニキを呼び捨てにするなって言っただろうが。ドクターってつけろよ」
「ハイスクールじゃ俺が先輩だったんだぜ」
二人が二人して、押さえ込もうとしていた人影を見るなり。
「何してる、二人とも」
医師は眉を顰めた。梃子摺っているからと言われて駆けつけたが、二人が押さえ込もうとしているのは細い肢体の小柄な現地の服を着た人物。
「アニキ」
「涼介」
助かった、という風に二人して医師を見る。
「二人がかりでお前たち、何をしてる」
こんなコドモにと、医師は言外に非難。腕も肩も首もまだほそっこい、本当に少年。だからこそ二人は梃子摺っていたのだが。殴るのは気がひけて、かといって、押さえつけるには抵抗が激しすぎて。
少年は顔を上げた。視線が医師と絡む。軍服を着て居ない、白衣姿に一瞬だけ、気を許したような表情を見せる。長い睫毛の、ほんとうにまだ少年だった。整った顔立ちが痛々しいほどの。
「手を離せ」
「けどな、涼介」
「けどよ、アニキ」
見た目によらず手ごわいのだと、重複した抗議に、
「いいから離せ。脅えてる。お前たちにレイプ、されると思っているんだ」
言われて二人はぱっと両手を離す。マトモな職業軍の誇りにかけて、捕虜への性的虐待は禁忌である。もっとも前線にこんな矜持の持ち主は少なく、戦乱には女子供に対するレイプが常に、付きまとっているが。
「大丈夫だ。俺たちは、捕虜の生命と健康に責任がある。君は、随分若いが、本当に向こうの側の兵士か?」
問い掛けられ、少年は一瞬だけ迷った。言い逃れようかと、ほんの一瞬だけ。しかしすぐに顎を引き、
「……、……、、」
現地の言葉でイエスを答える。民族の誇りを守るために銃を持った一員であると。
「年齢は?」
「十六」
仕方ないなと、医師はため息をついた。少年兵なら国際法上の特別な保護措置があるが、適用されるのは十五歳以下だ。
「仕方ないな。健康診断後、引き渡す。京一、啓介」
「おぅ」
「なに」
「ヘンな真似を、するなよ」
医師に念を押されて、
「アニキ、それどういう意味」
「誤解されているようだから言っておくがな、涼介」
「俺がンな真似、すっと思ってンの?」
「俺は別に、バイの気があるわけじゃねぇぜ」
「部下にも、させるな」
「……」
「……」
言われて二人は顔を見合わせる。街に出れば売春婦が嬌声を上げて纏わりついて来るとしても、ここは戦場だ。男たちは本能に従いやすくなっている。弱者の存在は、それだけで犯罪を誘発する。連合軍兵士だけではない。連合軍がのっかっている方の現地勢力、少年兵にとっては敵対する側の荒くれ男たちも、ここには多く出入する。
「アニキ」
「涼介」
「そいつ預かってよ」
「身柄の保護を頼む」
「分かった」
答えて、手錠をかけられたままの捕虜に、
「行こうか」
安心させるように、医師は笑いかけた。