墓標・1

 

 

 墓をあばけ、という要求にキャッバネーロの若いボスは応じた。真冬日が続いていて、棺に納めた遺体にもまだ傷みはないだろうと思った。会わせなければいけないとは最初から考えていて、葬儀もギリギリまで待っていたくらいだった。

 墓石を掘り返して凍った地面を砕き、埋まっている棺の蓋を開く。一昨日、惜しみながら納めた美貌はそのままでそこに在った。零下続きの寒さのせいだったが、金髪さえくすんで見えるほど憔悴したディーノには男を待っていたように思えた。棺の中を埋め尽くす白い花々は水分を失って萎れていたが青ざめた美貌の頬には少しの崩れもない。

「死因は、凍死だ。酔ってベランダで眠ってた」

 知っているだろうことを男の背中に告げる。男は返事をしない。身動き一つせず、じっと足元の地面を、埋められた棺の中で目を瞑る死者を眺めている。

「四日前の夜だ。零下二十度まで冷えた。俺たちが九代目の誕生パーティーに出ていた頃が、臨終だったらしい」

 そこからこの男は九代目のお供で日本へ向かう飛行機に同行させられ、そのせいで葬儀にも間に合わなかった。パーティーから帰る途中、妻同様に扱っていた愛人の『事故』の知らせを受けたディーノは凍りついた道を200キロを超えるスピードで自邸へ駆けつけたが、とぉに息はなく、死に目には会えなかった。

「オマエが殺したんじゃね?」

 男と一緒に来ていたティアラの切り裂き王子様が、殺気を誤魔化そうともしない禍々しさで跳ね馬ディーノを糾弾する。そうでないことは分かっていたけれど。キャッバローネのこのボスは死体になってしまった銀色を、子供の頃から好きで好きで、九代目に『与えられて』からは有頂天で、子供がお気に入りのぬいぐるみをそうするようにずっと手放さず抱きしめて、一人の男が与えられる限りの愛情を注いでいた。

「なぁ、それ実は蝋人形とかマネキンとか、実はそーゆーオチなんじゃねーの?」

 王子様が言う。心からの願いだった。男が地面に膝をつく。手袋を外し、屈んで死体の唇と髪に触れる。王子が縋りつくように男を見た。男は何も言わずに手を引き立ち上がる。そのまま、墓にくるりと背を向けて歩き出す。

「ちょ、ボス。待って。王子まだ動けないし」

 お供の筈の王子様は、まだ墓から、棺から、遺体から離れられないで、地面に屈んで男がしたのと似た仕草で指先を伸ばした。触れる。冷たい。凍り付いている。本当に冷たい。指先が痛いほど。

「ウソ、じゃんこんなの。ありえね……」

 死に顔は美しい。昔から口さえ閉じていればケチをつけるところがない顔立ちだった。口どころか目まで静かに閉じて、二度ともう開かない。

「ありえねぇよこんなのはぁ、何しやがったんだ跳ね馬ぁ。貸してただけだぜ、ちゃんと戻せよ、元にッ」

 墓地になっている丘全体に響き渡るほどの大声を、男を追ったディーノは唇を噛みながら聞いた。戻せるものなら戻したかった。失うことになってもそっちがまだよかった。

「ザンザス」

 丘の斜面を登っていく男の背に声を掛ける。墓に一緒に入らんばかりの勢いでまだ泣き叫ぶ王子様の声が遠くなる。腹心のロマーリオだけが数歩離れて、同じオンナを愛した二人の男の後を追う。

「オレの責任だ。お前の好きなようにしてくれ。殺してくれても構わない」

 本音だった。いっそそうして欲しくて、この男の来訪を待っていた。

「オレの、せいだ。心当たりがある」

 頂上が海に面した断崖に続く日当たりと景色のいい南向きの斜面全体が墓地になっている。その中をザンザスはさくさくと上っていく。声を出すことも振り向くこともしないで。泣いているのかとディーノは思った。乗ってきた車は麓に待たせている。帰るにしてはおかしな行動だった。

「カレンダーの、九代目の誕生日に、印がつけてあるのが気に入らなくてオレはイラついた。そこでお前に会えるのを、アイツは随分、楽しみにしてた」

 リング争奪戦後に引き離され、違う男の、自分のもとへ預けられて尚、幼馴染がこの男だけをずっと愛していることは承知していた。それでもいいと、身柄を望んだのだが。

「酔って乱暴に抱いた。嫌がり方が普通じゃなくってな、何かと思ったら、ゴムをつけてくれ、って」

「ボス」

「泣きながら、初めて懇願された。生身のままでは、好きな男としかしたことがなかったんだってさ。二年も一緒の部屋で寝てきたのにそんなことを言われて腹が立った」

「ボス」

 声を掛ける部下に仕草で、ついて来るなとディーノは示す。

「無理に抱いた。悲しんで落ち込んでた。パーティーには一緒に来ないってアイツから言い出した。好きなようにしろって俺は答えた。傷ついているのには気づいていたが、オマエと会わせなくて済むことは嬉しかった。オマエと会えた後で何日も上機嫌なアイツを見ないですむことにほっとした」

 聞こえていないのか、いても興味がないのか、男は歩調を変えず墓地の斜面を歩いていく。ボンゴレファミリーの歴代墓地。そこに葬られること自体、組織に多大な貢献をしたという証。九代目に二度の反逆を起こした剣士を葬ることには門外顧問チームから異論も出た。キャッバローネのボスが直接に九代目に連絡をとり、自分の墓と引き換えでもと強く望んで、やっと埋葬を許された。中腹の楡の木の根元。

「オマエを裏切っちまったことを、アイツがそんなに、思いつめていたとは思わなかった。すまん、ザンザス。何もかもオレのせいだ」

 丘の一番上まで上ってしまったところで騒ぎが聞こえてきて、跳ね馬と呼ばれる金髪は振り向く。中腹にある墓地に黒服の自分の部下が集まってなにかを止めている。中心ではティアラの王子様が暴れている。

風に乗って切れ切れに叫びが聞こえてくる。ボス、ボスこいつらぶっ殺していい?連れて帰ろうぜなぁ、そんな風に泣きながら、どうやら遺体を棺から出して『連れて』帰ろうとしているらしい。

「ザンザス」

 どうする、と、尋ねようとして振り向いたディーノの瞳には。

「……ザンザスッ」

 吹き抜けていく風しか映らなかった。

 岬の丘の南側の斜面は日当たりのいい墓地。頂上の裏側は海へと続く切り立った断崖絶壁。

「ザンザス、ザンザスッ」

 たった数歩がひどく遠く思えた。

「ザ……ッ!」

 真冬の海は荒れて波が高い。それが岩肌にぶつかって白く渦巻き泡立つ。黒点がそこに飲み込まれたかどうか、這うように身を乗り出すディーノは、視界が霞んで、よく分からなかった。

 

 

 

 

 

 快適な昼寝から目覚めた猫のように、しなやかな背中をシーツの上で伸ばしながら。

「なに、それ、どこの国の三文ドラマ?」

 切れ長の瞳を面白そうに細めて、雲雀恭弥が詠うように囀る。

「作り物のおはなしなら良かったんだけど、全部この前、本当にあった出来事です」

 ずいぶん会えなかった情人の肌に見惚れながら未来のボンゴレ十代目は答える。

「いきなりディーノさんから泣き声で電話かかってきて、何かと思ったらお墓に入れることを頼むから許可してくれとか言われて、父さんと一緒にオレも反対してるってディーノさんに思われたのもショックだったけど俺の名前を父さんが勝手に使ってたことにびっくりして腹が立って、しかもその後で、ザンザスの自殺未遂の知らせが入って」

「なんだ、未遂か。つまらないね」

「うん。命は助かったんだ。入院してるけどね。一大事はそこじゃなくて、第一報を聞いた九代目が心臓発作を起こされて、あやうくオレ、十代目就任しちゃうところだったんだ。ごめんね、連絡するの、遅くなっちゃって」

「ドタキャン一回分の言い訳にしては壮大だね」

「だから、言い訳じゃないってば。ヒバリさんちの情報網にも引っかかってるでしょ?ウチがザワザワ、バタバタしてたことは」

「君が真っ青で半泣きになっていたのは聞いたよ。跳ね馬までとは知らなかったけど」

「ボクが喋っちゃったことはディーノさんに言わないでください」

「で、あの暴れん坊はどうなの。本当に死んだの?」

「暴れん坊って、その通りだったけど、さすがのスクアーロさんもヒバリさんにだけは言われたく、あ、イタ、イタタタ、イタイですごめんなさい。ユルシテ」

 生意気を言いかけた口元を白いが硬い指先で容赦なくつねり上げられ音を上げる。

「跳ね馬とそれなりに、仲良くやっているように見えたけど」

「うん。オレもそう思ってたから驚いたよ。実は今でも信じられないんだ。でも名代で山本が奥歯ガタガタいわせながら葬儀に行って真っ青になって帰ってきてまだ震えてるし、ディーノさんはスクアーロさんとザンザスの引き金引いちゃっていっそ処刑されたいとか嘆いてるそうだし、ザンザスも九代目も入院して、父さんはイタリアに行きっぱなし。父さんはどうでもいいけど、それ以外はちょっと心配だな……」

「君が心配したって何も出来ないだろう」

「そうだけど、でも心配だよ。大体さぁ、やり方が下種だよね。息子が好きな人を違う男にやっちゃう父親ってどー思う?」

「嫉妬したんだろう。よくあることさ」

「そーなの?でも誰も、それでいいこと、一つもなかったよ。スクアーロさん死んじゃってザンザスも生きる希望をなくしちゃってさ。ヴァリアーがすっげぇ九代目に再反発してるっていうし、ディーノさんは以前はちょっと嬉しそうだったけど途中で辛そうで今は地獄みたいな目にあっちゃってるし」

「ねぇ、あの暴れん坊、本当に死んだの?」

「死んじゃったんじゃない?ザンザスが後を追おうとしたくらいだから」

 あの男がガセネタに騙されるとも思えないから。

「ボクが死んでも、君は跡を追わないだろうね、沢田綱吉」

「追わないよ。だって死なせないし。他の男のとこになんか絶対やらないし。そんなこと命じられたらそいつ殺してやる」

「情熱的だね」

「男の子だから」

 口調は軽いが未来の十代目が、情人に寄せる唇も指先も熱い。内心では興奮して憤っていることに情人は気づいている。だから逆らわず引き寄せられるまま、目を閉じ唇を開いた。

「たぶん」

「ん?」

「別れることが、許す条件だったんだ」

「リング争奪戦のことかい?」

「だとすると、ボクらとは無関係じゃない。少なくとも、ボクは」

「そうだね。恋人同士を引き裂いた力の一端だ」

「……、そういうことになるね」

「腹を立てているな」

「うん。久しぶりに会えたのにこんな話ばっかりでゴメン」

「いや、興味深い」

「心配だよ。九代目のことが、凄く」

「本当に?」

「心から」

「そうは見えないけど」

「心配でたまらない。耄碌したんじゃないかな、あのジジイ」

「……」

 声を出さず、雲雀恭弥は笑った。普段は温和な草食動物。なのに時々、誰より強い毒を見せるこの男の、危険な部分を心から愛している。

「ザンザスも、スクアーロさんも、ディーノさんも。もちろんうちの山本も、すごく貴重な人材だ。かげえがないのに」

「跳ね馬、嘆いているだろうね」

「慰めさせないよ」

「そんなことは考えていない。そう怖い顔をするな」

「怖い顔してるかな。もう一回したいな、って考えているんだけど」

「いいよ。何度でも。君がしたいようにしてくれて構わない」

「ホント?」