キャッバネーロのボスには恋人が居ない。お気に入りの娼婦というのも居ない。古い体質のファミリー、例えばボンゴレあたりだと本邸に常時待機させている来客『接待』用の女たちも身近に飼われて居ない。

今時のビジネスマフィア、事業家経営者としての顔を持つディーノは泥臭くさえある業界の古い掟を嫌って馬鹿にしている。それは本人の普段の服装にも現れていて、クラシックな格式を愛するクラシックな連中からは目の敵にされている。

その反感はたぶん復讐の一種。幼少時から少年時代までクラシックな連中に嘲られ馬鹿にされみじめな思いをした。ザンザス、という名のボンゴレの御曹司がクラシックな連中にこよなく愛され本人もそれを好み、重厚なバロック調の家具調度に囲まれ用がなくても美しい女たちを複数、飾りのために侍らせるという超クラシック路線を好んでいるのとは対照的に。

 本人は花屋の看板娘から高級クラブのホステスにまでたいそうもてる。容姿に地位に財力に若さまで併せ持つ王子様だ。だからかえって地元の女には気まぐれでは手を出せない。その女が嫉妬を受けてしまう。嫉妬に対抗できるだけの寵愛を与える気持ちがないのに手を伸ばすことは、できない。

 だから『相手』に呼ばれるのは外国から出稼ぎに来たばかりの玄人が多い。イタリア語が分からない、相手の身分も地位もよく理解しない、色素の薄い北欧の女を好む傾向がある。

「怪我は?痛まないか?」

 性的な衝動を動機とする連続殺人犯が、同じタイプの被害者ばかりを餌食にするように。

「俺の部下が失礼なことをしたそうで、すまない」

 身体検査を終えて、素裸にバスローブ一枚、という姿は寝床の相手としてこの部屋に招かれた『女』のスタンダードな格好。

「何か飲むか?いや、酒はまだダメなんだったな」

 ソファに座って自分を待っていた昔馴染みに、金色の跳ね馬は目を細める。自分が緊張していることを自覚した。

「なぁ、スクアーロ。オレが大昔からオマエを好きだったことは知ってるな?」

 心臓の音がうるさい。つまらなそうに俯くうなじとバスローブの襟の合わせ目から覗く胸元と、裾から見える生足にくらくらする。濃いオリーブ色の絨毯の上に、どうでもよさそうに投げ出された足首の白さについ、ひきよせられて膝をついた後で。

「正直、余裕がない。今すぐベッドインしたい。その前にオマエに言いたいことがあるなら聞くぜ」

 床に這いつくばって裸の足指にそのまま、口付けしてしまいそうだった自分をギリギリで持ち直す。代わりにバスローブの膝に手を置き、俯いた想い人の恋しい美貌を覗き込む。

「ボスは?」

 その表情も声も毎回、全く変わらないことに呆れつつ感嘆した。

「九代目が退院した」

 金の跳ね馬の返事は今回、いつもと違う。

「じき、関係者が収集されて正式な処分が決まる。俺はボンゴレの構成員じゃないが呼ばれる筈だ。ずいぶん関わったからな」

 十代目と決定した門外顧問の息子・沢田綱吉の陣営に力を貸し、九代目を迅速に病院へ運び、この騒動が外へ漏れないよう力の限りの協力を惜しまなかった。部外者だからこそ、その功績は高く評価されるだろう。

「オマエがオレの願いを叶えてくれるなら、サンザスを追放したいだろう家光に対抗してやってもいい」

「出来るのか?」

「手段はある。家光はザンザスに重い罰を要求するだろう。だが九代目はザイザスを愛している。許してやりたい筈だ。だがザンザスが犯した罪はとてつもなく重い。今のままじゃ九代目は家光に負ける。だが」

 美形の瞳がじっと金の跳ね馬を注視する。生真面目に見つめられることにぞくぞくしながら、掌を膝から太ももの上へ滑らせる。本物の女のような豊かさはない。でも手応えがひどくイイ。

「オレとツナ、連名の嘆願があれば」

 沢田綱吉、という名の少年はリング争奪戦を経て次代のボスに決定した。その意向は例え実父といえども無視することは出来ないだろう。そしてその名の少年の胸に実父への反感があることを、慕われている兄貴分は気づいていた。

「代わりに何をしろって?」

「もうオマエは叶えてくれた。力の限り、オマエの望むとおりにする」

 長く嫉妬を感じていた恋敵のことを助けてやるぜ、と愛しいオンナに申し出る言葉は甘かった。自分はとうとう、本当に強い男になったのだという自惚れの味がした。全ての痛みも苦しみも今、報いられるのだという気がする。愛したオンナに手を差し伸べて、つかまれと囁くことが出来る。

「……?」

 なんだそれワケわかんねぇぞぉ、と。

 普段の鮫なら喚いただろうが、主人の運命を握られている今はひどく大人しい。

「オマエがこうやって俺の顔を見て、話をしてくれるだけでオレにとっては祝福だ、スクアーロ。昔のオレはオマエを真っ直ぐ、見つめることも出来なかったから」

 自分と相手の落差が恥ずかしくて、好きだという気持ちを抱くこと自体に罪悪感を覚えていた。

「……」

 まだよく分かっていない表情の相手に。

「オレには、ずっと」

 膝を伸ばして中腰の姿勢で唇を重ねる。ほんの少し、首をそらよとうする気配があった。でも気配だけで実行に移されることは泣く、鮫は大人しくくちづけを受ける。

「オマエが憧れの相手だ」

 重ねるだけで唇は離して、代わりに頬を摺り寄せる。心臓の音が本当にうるさい。きっと男はこういう時、オンナの罠に嵌るんだろうなと金の跳ね馬は思った。今ならこの相手に何を言われても頷く自信があった。

「欲しい」

 ごくシンブルに正直に内心を吐露する。どうせ心臓の音は聞かれている。格好をつけることが不可能なら弱みも何もかもさらして可愛げを狙うのが得策。

「……、どーすりゃ、いいのか、よく分かんねぇが」

 戸惑いながら、銀の鮫はバスローブに通した右腕を上げ、目の前の肩に触れる。その仕草には上品な媚があった。金の跳ね馬は心地よくそり仕草を受けた。

「つまりセックスすりゃあいいんだよな?」

「そうだ。でもオマエとは恋人同士のセックスがしたい」

「居たことねぇから、分かんねぇ。どうすりゃいいのか教えろ。お前が言うとおりにする」

「……」

 ザンザスはどうだったんだよ、と。

 喉までてかかった言葉を金色の跳ね馬は飲み下した。

「目を閉じて」

 長い睫が素直に閉じられる。その先端まで銀色。狭間のヘアもそうだということを跳ね馬は知っている。まだ少年だった頃の触れ合いで互いのヌードは何度も見た。

「オレにキスしてくれ」

 肩にふれていた右手を頼りに上手に、銀色の鮫は自分を抱きしめる男に頬を寄せ位置をあわせて唇を重ねた。

 キヤッバネーロのやり手のボスが、はっきりと覚えているのは、そこまで。

 

 

 

 

 

 

 

 銀の鮫にとって、その夜。

一番の衝撃はセックス自体ではなかった。

男の情熱は知っていた。敗者として捕らえられた以上、いずれ性的な繋がりを求められる予想はしていた。負けるというのはそういうことだ。自分自身の所有権利さえ奪われる。負けたのは初めてではなかった。ボスの身柄を質にとられている以上、何をされても逆らうつもりはなかった。八年前のゆりかごの後と同じように。

初めてだったのは。

「……ッ」

運ばれる、という行為。

本人の知らないところで少年時代、ルッスーリアに車から御曹司の部屋へ運ばれたことはある。でも意識を失っていたからどうだったか、とかは分からない。御曹司にそんな手間をかけさせたことはなかった。いつもてきぱきと自分から動いてベッドへ行き、疲れ果てた後も素足で絨毯を踏んでバスを使った。

 それから後は言うまでもない。ひどく張り詰めて暮らしていた。足場を失い身体のコントロールを失う、そんな状況に陥ったことはない。

「……、って」

 ソファからベッドまで少し距離があった。キャッバネーロの本邸の、ボスの寝室は居間とベッドルームが別になっていた。さすがに抱かれた訳ではなく。リクエスト通りにキスをした瞬間、屈んだ男に膝を抱えられそのまま肩に担がれた。

奥の寝室に運ばれる、十数歩の距離、床を逆さまに眺めながら、自分の重心を完全に自分以外に委ねる状態の不安、戦慄、ほとんど恐ろしさ、に耐えていた。

 ふかふかのベッドに下ろさる。ボックススプリングのふかふかのベッドは勢いのついた身体を柔軟に受け止めてくれて、本当は痛くもなんともなかった。声を漏らしたのは衝撃を誤魔化すためだった。

仰向けにされてまとわりつく自分の長い髪を首を振って左右に落とす。とたん、視界いっぱいに広がった天井の壁画はネプチューン。天井自体がアールを描いている中央で、金髪をなびが三叉の槍をかざして敵を打ちのめそうとしている。

「はね……、ン」

 それをゆっくり鑑賞する余裕は与えられなかった。すぐに男が覆いかぶさってくる。重さにゾッとした。昔のコイツを知っている筈なのに何もかも違った。落差にゾクッ、とした。

 もっと、全く、完全に知らない男なら。

 単なる異物、自分自身ではないものとしての認識で済んだかもしれない。けれど自分の記憶に裏切られた。違いに衝撃を受けた。着やせする性質らしい跳ね馬の身体は重く厚みがあり、以前、ふざけてこすり付けあったへなちょことは何もかも違っていた。

「お……ッ」

 バスローブ一枚の銀色は無防備で簡単に剥かれてしまう。金の跳ね馬はシーツに膝をつき裸の腰に跨る。銀色の鮫が仰ぎ見ても前髪に邪魔されて表情は分からなかった。

「ッ……、って……」

 抱きしめられる。肩と背中に回された手のひらが熱い。火傷しそうなくらい。そして自分を捕らえる腕の力は強い。絞られる錯覚を覚えるほど。

「おい、ベルト、いてぇ」

 紛う事ない本物の情熱。それだけは記憶とぴったり重なった。こんなに力も気持ちも強くない少年時代と少しも変わらない一途さがあった。それに安心してして、クレームをつける口調が本来のしゃべりに近くなる。

「外せぇ」

着たままの男にのしかかられる経験は昔々、全くないわけでもなかった。ただそんな時も男は、最初にベルトだけは抜いた。こっちは素肌。金属のゴツイバックルが当たっていたい。場所がヤバイ。内股の中心、一番の弱点。

 金の跳ね馬は答えない。けれど行動はすばやかった。腹筋だけで上体を起こす。膝は銀色の鮫の腰を跨ぎ、逃がさない、とでもいうように強い視線を据えたままだったが。

「……」

 その目の強さに鮫が息を呑む間に、素早くベルトを外した男がもう一度、覆いかぶさって来る。

 なんとなく、つい。

 銀色の鮫が、右手をまた上げて、自分を抱こうとする男の後ろ髪に、触れてしまう。

 あんまり見事な金髪だったからかもしれない。大きな身体で懸命に懐いてくる大型犬に似ている可愛げがあったからかもしれない。仰向けに寝せられた位置から見上げる天井が高すぎるからかもしれない。中央に向かって湾曲する天井からポセイドンとその一党たちが落ちて来そうで不安で落ち着かない。

知っている御曹司の寝室はこうではなかった。知っている男は出会ったときにはバリバリの、第一というより唯一の後継者候補だった。が、そうなる前には他候補者との競争があったことを証明するかのような隠し部屋。手前の居間は広かったけれど、寝室はかくれがのようにこぢんまりとしていた。天井も低くて、第一、ベッドには天蓋があって、刺繍を施した緞子で覆われていた。

窓のない部屋では帳を閉じる必要はなくて、その帳を下ろして愛し合った記憶はないけれど。

イタリア人のくせにエレガントさに欠けるカントリー調、アメリカ西部劇風のスタイルを好むキャッバネーロボスの寝台には天蓋がなかった。高い天井までの空間が突き抜けるようで怖かった。だからつい、本当になんとなく、男の肩に隠れるように目を閉じ頭を男に寄せてしまう。

「……スクアーロ」

 男の体温が上がっていく。声は震え、興奮に引きつっていた。ごくり、唾を飲む男がやけに大きく頭の上で響く。

「ど、う、した?」

 美形は目を閉じる。そっと息を吸い込んで吐いた。それで随分、気持ちが落ち着きを取り戻す。相手の狼狽につけこんで。自分の仕草がどうやら相手に、誤解されたというか、ウケて、相手が思わず手を止めてしまったのに気づいて。

「……別に」

 なるべく淡白な声で答えてやると。

「そ……、そう、か」

 男は気を取り直し続きをしようとする。掌が内股に触れて、狭間に差し入れられようとした。なんとなく膝をゆるめてやる。男が息を呑むのが分かった。指先がまた熱くなる。その指が、狭間の奥へ侵入しようとした、瞬間。

「なぁ」

 美形は声を出した。男がまたびくっと全身を強張らせて指先の動きを止める。

「場所、変えねぇか」

 男の肩に額を押し当てて目を閉じたまま、そんなことを言った。残酷なのは百も承知で。

「え……、な、んで……?」

 既に息が荒い男にはムチャな要求だと承知で。

「天井高すぎて、こえぇ」

「……」

 まさか、そんなことを言われるとは思わなかったのだろう。男が戸惑う。かわいそうなくらい露骨に。気づかないふりで美形は目を閉じ続けていた。そして。

「ダメならいい」

 そんな権利はないことは分かっている、とでもいうふうに、投げやりに言って口を閉じる。男がカッとしたのが分かる。怒りではない。抱こうとしているオンナの、それも長年の想い人がせっかく口にした、あの『男』以外の望みを叶えてやれない自分自身への腹立ち。

「……ッ」

 男が起き上がる。部屋のどこかの扉を開く。美形はじっと大人しくしている。やがて、ばさ、っと。

 音がして布の気配がして、閉じていた目を美形が開く。世界が薄い布に包まれていた。クローゼットから取り出したのだろう、薄い夏用のシーツ。本当に薄くて、布を通してベッドのわきに立っていた男が、裾を捲ってシーツの下に潜り込んで来るのも影でなく色つきで分かった。

「ダメか、スクアーロ」

 不安そうに尋ねる返事は。

「オマエ、偉いなぁ」

 また予想外のもので。

「……?」

「替えのシーツの場所知ってるなんざ、しっかりしてるじゃねぇか。お坊ちゃんなのによぉ」

「……褒められたのかな?」

「褒めてるぜぇ」

「どこかの御曹司と比べて褒められてないか?」

「さぁなぁー」

「……いいけどさ」

 男が拗ねる。美形は笑う。明かりも空気も通す薄い布の下、男の背中に布は掲げられ空間は広がって、息苦しくはない。

 男が気を取り直してもえ一度キスから仕切りなおす。美形は大人しくそれを受け、今度は何も言わないでされるがまま。うっすら目を開く。膝を割られる。掌で狭間を包まれる。優しく蠢かす愛撫を受け喉を鳴らす。内腿が攣った。

 バレるんだろうな、と、そういう覚悟を、した。