銀色の鮫が金の跳ね馬に見せてやった夢は報われて。

「ヴァリアー構成員にはお咎めなし。守護者を含めてな」

処罰はひどく寛大なものになった。

「ザンザスだけは無期限の謹慎。理由は、リング争奪戦において不適切な行為があったため、だ。ただし謹慎場所はヴァリアー本部の私室。あいつもともと引き篭もり気質だから、自室での謹慎なんかは罰でもなんでもないだろう?」

 キャッバネーロのボスの帰還は日付が変わっていた。夜半なのでと部下たち勢ぞろいの出迎えをさせなかった跳ね馬だが、ロマーリオと一緒に銀色の鮫がホールまで出てきてくれたことは素直に喜んだ。お供で連れて行った別の部下の目も構わずコートを脱ぎながら銀色の鮫の唇にキス。頑張って来たぜ当然のお駄賃、と、笑う表情は堂々として明るい。

「オマエは正式にウチに移籍だ、スクアーロ。アイツの一番強い牙を抜いて引き離すのがことを穏便に済ます条件だ。これはオレの希望だけじゃない。家光が強く望んだ条項でもある」

「……」

 鮫が薄く笑う。沢田家光、あの門外顧問に嫌われている自覚があった。

こっちもあっちを嫌っているのでお互い様でもあったが、ボンゴレの中枢部からかくも忌避されているとあっては、自分をそばに置かない方がザンザスにはいいことかもしれないと真面目に思う。そばに居たい気持ちもないでもなかったが、それより『ボス』の利益を考えてしまう忠犬。

「じきザンザスからの紹介状が届く。覚悟しておいてくれ。ザンザスは呼ばれていなくて話は出来なかったが、もう元気らしいぜ。病院も本邸も出て、ヴァリアーの部屋に篭ってるそうだ」

 コートを脱いでロマーリオの手に預けて、跳ね馬は銀色の鮫に腕を回す。肩を抱いて、恋人たちが街を歩くように、カラダを寄せながら屋敷の奥へとエスコート。

「腹が減った。夕食は食ったけど、家光とギンギンに睨みあってて、全然美味くなかった。部屋で軽く夜食に付き合わないか?」

 話しながら歩いていく金の跳ね馬は高揚していた。夜遅くまできつい交渉を繰り返した割に顔色は悪くない。悪いどころか瞳は生き生きと冴えて、若々しい魅力を蝶の燐粉のように周囲へ振りまいている。

「寝る前に少し呑みたい。ロマーリオ、適当に厨房から、持ってこさせてくれよ」

 主人の注文に側近は頷き踵を返す。

「オマエ、酒はなに好きなんだ?包帯とれたし、一杯ぐらいつきあってくれるだろ?」

 金の跳ね馬は相変わらず優しいが少しだけ強引。強気な口調には、オンナの願いを叶えてやったという自信に裏打ちされた親しみが篭っていた。

 銀色の鮫が何か言ったらしい。礼か感謝か、両方か。言われて跳ね馬は有頂天。高い声で答える。内容までロマーリオには聞き取れなかった。が、こんな場面で男が言うことは決まっている。お前の為ならいつでもなんでもしてやるよ、と。

 好きなオンナに格好つけるほど愉しいことは男の人生の中でそうない。

やれやれ、と、ロマーリオは思った。鼻の下を伸ばしているな、と。けれど非難の気持ちはない。こちらも忠義な側近だから、ボスが幸福ならそれだけで嬉しい。男妾の一人や二人、囲ったところでファミリーに害というほどではない。

ロマーリオは食堂へ出向いた。マフィアの屋敷は基本的に二十四時間『営業』。宿直当番の為には厨房から簡単な食事が出る。他にも夜食や急な来客の為に、調理員は二・三人ずつ、常時、詰めている。

マフィアに給料というものはないが、シマと呼ばれる縄張りをを持つ親分の裁量で一人前の構成員には月々、相応の金銭が支払われる。目端の利く甲斐性のある者はファミリーの掟を犯さない範囲で、売り掛け金の回収や交通事故の保険金の交渉を買って出て小遣いを増やす。

しかし下っ端のチンピラたちは無収入に近い。ここで出される食事で食いつないでいる者も多い。札びらをきって酒や女や賭け事を楽しむ兄貴分たちに憧れてマフィアの世界に入った若者たちが全員、そんな立場へ這い上がれる筈もなく、絶対多数は泣いて逃げだす。青春を搾取されるだけで済めばまだ運のいい方。中には取り返しのつかない大怪我を負わされ、もっと運が悪ければ命を落とす。何処の世界も生存競争は厳しい。

タバコに火を点け、軽食が出来上がるのをロマーリオは待った。ボスの身の回りの世話は側近にのみ許される名誉な仕事だから。やがて聞きなれた足音とともに。

「なぁロマーリオ。ワイン詳しいか?フルボディの赤って、どれだ?」

 ボンゴレ本邸へ出向くためのスーツを脱いで、ジーンズにパーカーといういつもの格好に着替えた若いボスが厨房へ来る。貯蔵庫の電子ロックを網膜照合で開いて、ぎい、っと、室温十五度に常時、調整してある200スクエア・フィート(18.6平米)少々の小部屋へ。

「国内産の、北のがいい、って言ってた」

 その部屋には来客に備えて世界各地の銘酒が揃えられている。ジャポネのシングルモルトウィスキー・余市から、ヨーロッパ各国のブランデー、そしてワインはフランスとイタリア産を中心に。来客が持ってきてくれる手土産もあるし、生産団体から寄贈される場合もある。が、キャッバネーロのボスは酒の銘柄にはこだわりを見せず興味もなく、一言で言えば宝の持ち腐れ。

「北の赤のフルボディか。いい趣味だな。ヴェネトか、アルト・アディジェか。ポス、あんたも少し鍛えてもらっちゃどうだ。いつまでもバドワイザーばかりじゃ格好つかねぇぜ」

 いつもなら、そんなアドバイスをされても、いいんだ俺はマフィアらしくなくてと反抗的な言葉を口走る跳ね馬が。

「そうだな。明日にでもここに連れてきて、薀蓄を拝聴するとするか」

 そんなことを言い出すのだから、恋というのは大したものだ。ロマーリオは壁に作り付けの棚の中で、ラベルをこちらへ向けて横たわった赤の中から色艶のいい一本を掴んだ。

「で?」

 金の跳ね馬はそれを大切そうに受けとる。

「オレに言いたいことがあるだろ?」

 かすかに首を傾げて、どうやら本当はそれを聞きに来たらしい主人に、長年の側近は頷く。長い付き合いだ。捲れてしまった羊の皮を見破られたらしい。

「最初に言っておく。オレは、あいつとは別れない」

「ああ、分かってる」

 それは良く分かっている。はじめて恋に落ちた十三の頃からもう十年、少年だったあの日から今この時までずっと、あの銀色は跳ね馬の心の中に居た。

 それは純粋な恋、ではないかもしれない。慕情より劣等感が根本にある憧れが強いのかもしれない。掌に掴んだ瞬間の満足は純粋な恋より強いだろう。男はいつも憧れに殉じる。心の中に偶像を抱いて、多分死ぬまで、その奴隷。

「そうじゃなくて、ボス。正式な披露をしないかって、相談しようと思ってた」

 ロマーリオの言葉が思いがけなかったらしい。金の跳ね馬はぽかんと唇を開く。そうしていると幼く見えて少年時代の面影が浮かび上がる。

「なぁ、いい、タマじゃねぇか。ボスのペッドの中だけに置いておくのは惜しい傑物だぜ」

 それはその通り。跳ね馬にも全く異論はない。イタリアのみならず世界中に星の数ほど存在する暗殺部隊の中でもトップクラスの評判が高いヴァリアーのナンバーツー。その腕前に関しては十四の時から冴えにさえ、感嘆こそされ何処からも文句が出たことはない。

「スペルビ・スクアーロっていやぁ、メンは割れてないが名は通ってる。あんな超絶レアの大物を、せっかくボンゴレがくれるって言うんだ。惜しいからやっぱり返せ、って言われる前に、ウチのにしちまおうぜ」

「……ロマーリオ」

「もちろん、ボスとの蜜月が終わった後でいい。今すぐの話じゃない。けっこうアッチも、ボスを嫌いじゃなさそうじゃねぇか。昔からアレはアンタに優しいっちゃ優しかったよな。ひっ担がれて山道降りてきたことが何回あったっけ?」

「言うなよ……」

 へなちょこだった頃の過去を指摘され金の跳ね馬は赤面。恥ずかしい、けれど、悪い記憶ではない。

「アンタがちゃんと大事にしてやりゃ、案外ウチに居ついてくれんじゃねぇか?メンは割れないまんまでいいが、ウチの幹部連中にゃちゃんとお披露目して、所属だけでも外に披露した方がよくねぇか」

「……いいも、悪いも……」

 そう出来るならそれが一番いい。マフィアの世界で同性愛はご法度だが、公然の秘密という関係はけっこうある。そういう場合のつながりは深く激しく一途で他者の浸透を許さない。ザンザスがいつもそばに置いていた銀色の鮫も、容姿からそういうことだと、周囲には自然に思われていた。

「お前はがそんな風に言ってくれるとは思わなかったぜ、ロマーリオ」

「ま、ボスはまだ若いし、苦労しているしな」

 アルコバレーノの家庭教師によっていびつなほどの急成長をさせられ、キャッバネーロのボスとして素晴らしい手腕を見せている。そのくせ本人は嘘笑いばかり、少しも幸せそうでない様子がずっとロマーリオには気がかりだった。

それが、どうだ。リング争奪戦で銀色の鮫と対等の立場で深く関わった途端に生き生き、本音の表情を見せた。敵同士として向き合った金の跳ね馬は実に楽しそうに、初めてといってくらい嬉しそうに、マフィアのボスとして振舞っていた。

「欲しかったのがせっかく手に入ったんだ。大事にしてやれよ。実際、ファミリーにゃデメリットよりメリットの方がでかい。ウチをなんとか気に入って貰って、ボスの後ろに立って貰えれば、悪くねぇと思うぜ」

 結婚に差し支えるかもしれない。でもそんなのはまだ先の話。目の前の若者は十年たってもまだ三十三歳だ。時間はある。いざとなったら女に子供だけ産ませる手段もある。

「うん。……ありがとう、ロマーリオ」

 照れた少年のように赤ワインの瓶をぶんぶん振りながら、金の跳ね馬は部屋へ戻っていく。踵に羽根が生えたような足取りを、じっと目を細めながらロマーリオは幸せに眺めた。

 そして俯く。結局、そう、ボスが喜んでくれれば、それが一番、嬉しいことなのだ。その為なら何でもする。どんなことでも。なぜならば、笑ってくれると、それだけで嬉しいから。信仰に近い気持ちがなければボスの側近は務まらない。

 軽食の皿が用意される。ソラマメのパルメザンチーズ和え、クリームチーズとトマトのブルスケッタ、スモークサーモンのサラダ、生ハムとサラミとチーズの盛り合わせ、チーズフォカッチャ、といった、本当に軽いツマミ。

 大きな盆を片手に捧げ持って、ロマーリオが廊下を歩き階段をのぼり、ボスの部屋へたどり着く。ノックをして、返事を受けてドアを開けよとした。ら、内側から、金の跳ね馬が自分で開けてくれた。ドアのすぐ前に居たらしい。

「どーゆー教育受けてきたんだぁ一体。それでもてめぇ、マフィアのボスかよぉ」

 部屋の中央で銀色の、鮫は殆ど仁王立ち。腕を組み顎を上げて跳ね馬を見下ろす態度には、ホールでこの屋敷の主人を出迎えた時の大人しさ、従順さは欠片も見当たらない。

「十年たってる赤ワインちゃぷちゃぷ振り回して持ってくるたぁどーゆー了見だ。澱が浮くだろーがぁ!デキャンターにも移せやしねぇ。このボケ野郎ッ」

 組んだ右手には赤ワインの瓶が握られている。

「女抱くより丁寧に扱うモンなんだよ、こーゆーのはぁ!」

「わ、悪かった。すまん、スクアーロ。ワインはよく分からないんだ。これから気をつける。すぐに代わりを持ってくるから。ロマーリオ、頼むもう一本選んでくれ」

「ああ。オレが持ってくるぜ、ボス。こっちを頼む」

 料理が盛り付けられた盆を金の跳ね馬に渡してロマーリオは早足で階段を下りていく。見ている者は居なかったが習慣でメガネを押し上げた。

 悪くは、ない。

 あらくれた容子の美形だが、さすがに『育ち』は歴史と伝統あるボンゴレ、しかも仕えていた相手は本邸の御曹司。クラシックタイプのマフィアの基本的な行儀や習慣をよく承知している。キャッバネーロは新興というほどではないが先代で一時、左前になったせいで伝統は一旦途切れてしまった。

 あの美形は、うちの格を上げるかもしれない。

 と、ロマーリオはメガネの奥で考える。『宮仕え』の経験者は貴重だ。何よりも経歴がいい。もとヴァリアーのサブ、そして。

 『あの』ザンザスの……、相手。

 九代目からの命令は内密なものだから、外からはリング争奪戦後に命を助けられた美形が、ザンザスを見限ってこっちに来たことになる。追認の形でザンザスが紹介状を書けば二重の勝利。キャッバレーノの跳ね馬ディーノは『あの』ザンザスの上をいったことに、なる。

 悪くない。実に、素晴らしい。

 眼鏡の奥でロマーリオは大変満足にほくそ笑んだ。

 

 

 けれど、残念ながら。

「往生際が悪い奴だ」

 ロマーリオの目論みは半分、外れてしまった。

「あ?」

「ザンザスが、オマエの紹介状を書かない」

 蜜月は長く続いた。というより、金の跳ね馬にはそれを終わらせるつもりが最初からなかった。銀色の鮫は主人の部屋に住まされた。一応別に私室も用意されたが、殆どの夜を同じ寝床ですごして朝食を一緒に摂る。

「ナニをいまさら紹介してもらうコトがあるってんだぁ?」

 給仕を、一応、銀色の鮫はしている。トーストされたバケットトマトとバジルの風味たっぷりなケッカソースを掛けてオイルサーディンやスモークサーモンやグリルチキンやクリームチーズの載った皿からトングでそれらを取り分けて、しようという姿勢は見せている。ただし本人が別のバゲットを咥え噛み砕きながらという、行儀の悪さで、既に主従ではない。

「離婚して貰わないと再婚できないじゃないか」

 同級生、それもピカイチとヘナチョコだった時代の記憶が消えない銀色の鮫は普段の態度がどうしても恭しさに欠けた。なにせ『あの』ザンザスを相手にほぼタメグチをきいていたのだから、今さらで、悪気はないのだろうとロマーリオは大目に見ている。

「オレはオマエをキャッバネーロの正式な構成員にしたいんだ。なのにザンザスが紹介状を書かない。最初からの、そういう約束なのに、あいつは男らしくない」

「ふーん」

「なにがふーんだ。オマエだってこんな中途半端な立場のままじゃあ落ち着かないだろう」

「別にぜんぜん構わないぜぇ。どーせコッチに移ったって外様だぁ。あと、オレぁ色々、やべぇこと知ってっからなぁ」

 ボンゴレ内部の不協和音や、表ざたに出来ない種類の仕事を。

「野放しにはできねー、って、アイツじゃない奴が考えてんのかもしれねぇぜぇ?」

「アイツ以外誰か?」

 金の跳ね馬は首をかしげた。

「オマエをオレに譲るのは九代目じきじきの許可がおりてる。その判断に逆らえる人間がボンゴレに居るのか?」

「……ホンニン」

 と。

 囁く銀色の鮫の、声は普段からは考えられないほど小さく静かだった。

 けれどその声は広い居間いっぱいに響いた。