艶姿をばっちり撮られた美形は、そんなことは知らず。

「ネミィ、だりぃ、キチィ」

 ベッドの上で、なんだかパタ、パタ、っと、愚痴りつつ寝返りを繰り返している。

「眠ればいいじゃないか。子守唄うたってやろうか?」

 明かりに瓶を透かしながら、澱を混ぜないよう慎重にワインをデキュンタに移しつつ男が言う。やりたいだけのことをし終えた男の顔は明るく、それが銀色の美形には少し癪だった。

「オマエ音痴だからイヤだ」

「まぁ、自信がある方じゃないけどな」

 学生時代の第九の合唱で一人だけ音をはずし、本番でクチパクして誤魔化していたことを知られている跳ね馬は立場が弱い。銀色の鮫も特筆するほど上手ではなかったがクラスの中で目立つほどのヘタクソでもなくて、普通に歌える。

「ほら」

 疲れているのに妙な疲労感で眠れず、苦しむ美形に男がワインのグラスを差し出す。持たせてデキャンターから注いでいく。シーツの上で身体を起こした美形はグラスを軽く掲げることで礼に替えて、美酒をこくこく、飲み干した。

「美味いか?」

「絶品だぜぇ」

「よかった」

 喜ばせることが出来て嬉しそうに笑った後で、金の跳ね馬が。

「どうしても眠りたいなら、クスリを持ってきてやるぜ?」

 言った言葉に、今度は銀色の鮫が笑う。

「たまにゃあマフィアのボスらしーことも言えるんじゃねぇか」

「期待しないでくれよ。睡眠薬だ」

「麻酔は?」

「大抵の麻酔は麻薬だろ。ウチでは扱ってない」

 しらっとそう言う男を、にやにやしながら銀の鮫は眺める。

「……けど、まぁ、オマエが欲しいなら、医務室に少しくらいはないでもない。取って来ようか?」

 返事の代わりに銀色の鮫はグラスを差し出す。こっちでいい、と言っている態度。アルコールは医学的には麻酔の一種である。

「辛いか、スクアーロ。痛めつけたかった訳じゃなかったが、オマエが欲しくて加減がきかなかった。ムリをさせてしまって、すまない」

「自惚れんなぁ、跳ね馬ぁ。勝負の後はだいたい寝付けねーんだ。気が立ってるからなぁ」

 口の中が苦酸っぱくなるくらいアドレナリンをバンバン昼間、出しすぎて、交感神経と副交感神経のバランスがうまくとれていない。

「今日はお前が怒ってると思って、サクッとヤってバタバタ帰ってきたからなぁ」

 オーストリアとイタリアは近い。時差もない。朝に喧嘩をして昼に試合をして、そのままオリエント急行でベニスへ到着、車をとばして帰ってきた。

「へぇ。じゃあ勝負が終わった後にオマエの処に行けば朝まで抱き合えるってことか?」

「気が立ってるって言っただろぉがぁ。喧嘩になるぜぇ、いつもなら。だから試合の後は一泊、他所で泊まって来ることにしてんだ、昔っからぁ」

 少し酔ってきたらしい。ろれつがおかしい。ヨッパライにはありがちなことなのに、それさえ艶な酔態だと跳ね馬は見惚れる。

「今日はオマエが、怒ってるとおもったからぁ、トクベツ……」

「嬉しいぜ、スクアーロ」

「ん」

「ああ」

 グラスにもう一杯を注いでやる。オレンジがかった明るい赤の色を、ごくり、喉が動いて嚥下する。

「ベルが……」

「ナイフ使いのヴァリアーだな?」

「ルッスも。言うんだ。ナンか、オレが、大事にされてそーで、良かったほっとした、って」

「心配させていたな。オマエを隔離して閉じ込めていたからな。悪かった」

「どーなん、だか、俺ぁ自分じゃあ、よく分かんねぇん、だけ、ど、よぉ」

「眠れそうだな?」

「……おぉ」

 ごそごそ、銀色の鮫は毛布を引き上げて布団の中にくるまる。今日はこっちでこのまま寝せてやろうと男も思っているただ寝付くまで、顔をみていたかっただけ。ぽんぽん、安眠を祈るように、シルクの毛布と羽毛の布団の上から膨らみを軽く叩く。

「分かん、ねーけど、オマエが、イロイロ、フツーじゃねぇぐらい、オレによくしてしてくれてんのは、分かってる、ぞぉ……」

「そうか、ありがとう。でも何も気にしないでくれ、スクアーロ」

「……すぅ」

「オマエは好きなように振舞ってくれればいい。飲みたい物をのんで食べたい物を食べて、ここで気持ちよく過ごしてくれればそれでいいんだ」

 それで十分、献身は報われる。

「帰りたがらないでくれ……」

 実家に、そしてあの男のところに。

 今のところそんな様子はない。出向、というか、客分のようにボンゴレから身柄を預けられた形でキャッバローネに居る。ヴァリアーもあの男も恋しがる様子は見せない。今のところは。

 このまま、少しずつ馴染んで。

 そばに居て欲しい。それだけ、心からの願い。

 

 

 

 

 同じ頃。

 肩に大きな湿布を張って、ティアラの王子様はひょこひょこと、ヴァリアー本拠地の廊下を歩いていく。ほんの少しだが片足を引き摺っている。今朝、銀色の鮫とやりあった結果の負傷。刃は返されて峰打ちだったから血は流れていないけれど、痛い。

「ベルちゃん、ボスにご報告終わったの?こっちいらっしゃい、スコーンがあるわ。あんたの好きなスイートコーン入りよ」

「……ん」

 王子様はひそかにトウモロコシが大好物。挽いた粉を練って作るポレンタは三食、主食にしてもいいくらいだし、コーン入りのスコーンに香りのいい上質のバターをとろり、かけて甘みはつけないまま、はぐはぐと食べていくのも好きだ。

「なぁ、ルッス。スクアーロに電話とか掛けらんね?」

「ムリよ」

 ルッスーリアはあっさりと王子様の提案を却下した。

「同盟しててもあっちは別のファミリーの本拠地だもの。スクちゃんが自由に外と連絡がとれるとも思えないわ。それに大事にされてる愛人でしょう?他所の男と、そう簡単に接触はもてないわよ。貞操っていうものがあるわ」

「俺、よその男じゃないよ?」

「ええ。私たちにとってはいつまでもしっかり者のお兄ちゃんよ。でも今、スクちゃんの隣に居る人たちはそう思わないでしょう。あんまりワガママ言って困らせるのもね?」

「知ったこっちゃないよ。オレ王子だもん」

 黄色い粒が浮いたスコーンをさくさく、その王子様は食べる。庶民のおやつだが、素朴な粉の味とスイートコーンの柔らかな甘さと、上等なバターの塩気とかクチの中で混ざって美味い。

「はい、お茶。アップルティーに蜂蜜を少しだけね」

「取り戻しにさぁ、行こうぜそろそろ。センパイも言ってたじゃん。ルッスのオムレツが食べたい、って」

「ボス、どうだった?」

「笑った」

 齧っていたスコーンから王子様は口を離し、掌の中のうす黄色い塊をじっと見つめる。

「怪我どーしたって聞かれて、センパイとやりあったって答えて、どうしたってまた聞かれて、キャビアの取り合いした、って、言ったらボス、笑ったぜ」

「……レアねぇ」

「あのボスの顔みたらスクアーロも、帰ってこようって気になるんじゃねぇ?」

 ティアラの王子様をふらふらにするほど衝撃的だった、優しい嬉しそうな笑い顔。

「なんでスクアーロ、あんなに大人しく、あっちに居るんだよ」

「ボスと私たちの為に寝技をかけてくれているのよ」

「もー終わったじゃん。処罰もー決まったじゃん。ボスの一年間の謹慎だってそろそろ解けんのに、なんでスクアーロだけ、いつまでも帰って来るねーんだよ」

「帰って来たくないのかもしれないわねぇ」

「そんなのゼッタイ許さねぇから」

「苦労していたから、スクちゃんは。ボスにもう、嫌われたんだと思ってるんじゃないかしら」

 その話題を振っても振っても反応を寄越さなかった、あれはそういう態度だ。なくした恋の痛みに耐えているような顔をしていた。そんなのではないのに。そんなことはないのに。

「あたしたちは、見ているから分かるけど」

 失った半分を、ボスがどれだけ後悔しているか。

「あの子は分からないでしょう。教えてもらっていないのだもの、無理もないわ」

 一年前からスクアーロの認識は止まっている。というよりも、終わっている。

「負けて追放された、とでも思っているんじゃないかしら、あの子は」

「んなことないって言ってやれよルッスーリア。オマエだってボロマケしたのにちゃんとここに居るじゃん」

「ホント不思議よねぇ。ボスの不思議な心境の変化よぉ。ナニがあったのかしらねぇ。イロイロあったけどぉ」

「キッショクわりぃ喋り方すんなよ。なールッス、一緒にスクアーロ取り戻しに行こうぜ。ボス可哀想じゃん」

「あの子もうドン・キャッバネーロの愛人よ。凄く大事にされているの見たでしょう?」

「かんけーねーよ、そんなの」

「そうね。私たちにはあまり関係ない話ね。でも、ボスはどうかしら。スクちゃんのこと、愛してくれるのかしら」

「……してんじゃねぇの?」

 そうとしか見えないのにいまさらなに言ってんだよと、ティアラの王子様は首を傾げる。

「前科があるから、ボスには」

「鮫に食われたとき笑ったこと?」

「その前よ」

「殴る蹴るしてたこと?」

「あの子の絶望もちょっとだけ分かるわ。ボスに棄てられたのが悲しくて、もうボスのことを考えたくないのよ」

「そんなの、王子ゼッタイ許さねぇから」