甘い煙を吸って、いつもより柔らかな表情をしている情人に。

「……どぉ?」

 耽溺の邪魔にならないよう小さな声で、ボンゴレの次期十代目、沢田綱吉は尋ねる。

「ん……」

 雲雀恭弥の返事は言葉にはならなかった。が、潤んだ瞳の流し目をくれられて、気分がよさそう、機嫌よくしているのを見て、未来の十代目は安心する。

「気もちよさそう。楽しい?」

 瞼がそっとおりる。唇が少しだけ緩んでいる。肯定の表情だ。よかった。

「ヒバリさんでもクスリやってみたいとか思うんだね。なんか意外」

 昨夜そう言ったら、知的好奇心だよと笑って答えられた。ダウン系、沈静作用がある抑制剤を、と。

 試してみたいと言われて沢田綱吉は戸惑った。よく分からないけれど夜明けと同時に手配して午前十時には国内で手に入る最高級のヘロインを塊で手に入れた。

それは医療用に多用される麻酔剤、モルヒネから抽出される。モルヒネはWHO基準を遵守して鎮痛剤として使用すれば、身体的精神的依存性を抑える事ができるというが、どうだろう。ヘロインの依存度は高い。それだけ幸福感が得られるということ。

中毒患者が口にするその効果は、オーガズムの数万倍、人生の全ての幸福を上回る、約束された安息、等など。

用意した、と連絡をするとヒバリは喜んだ。彼が並盛財団の自室に着くか着かないかのタイミングだったから。言ったら目を白黒させて驚いていたくせにやる事は素早い。沢田綱吉のそんな落差を、雲雀恭弥は面白がって、気になって、どんな生き物なんだろうという知的好奇心のままに近づき、どこかで間違って、カラダを繋げる関係になってしまった。

スリーナイン?

と、まさかと思って尋ねたら、なんかそんなこと言ってた、という沢田綱吉の返事に、自分の相手が黒社会の大物であることを改めて認識する。そんな風にはとても見えないのに、尻尾を振りながら駆け寄って足元へ落とす『貢物』は蛇の抜け殻ではなくて、末端価格にすれば臆の値がつく危険な薬物。

どうする、届ける?とまた尋ねられた。持って来いといったらきっと、今から車を運転させて自分で届けに来るだろう。中学生の頃から単車を乗り回していた雲雀恭弥と違って常識をわきまえた一般人。に、見えるのにその手にあるのは、ケーキの箱ではなく、日本では滅多に手に入らない高純度のヘロイン。

 すごいね、と、素直に感心してやった。それはウチでも手に入らないよ。覚せい剤の市場を守りたいヤクザたちが警察の水際作戦に協力して情報を流すから摘発が厳しいんだ、と。日本のケミカル麻薬は末端価格が世界標準の五倍から百倍する。利ざやが高いから商売がシビアになって売人の裾野が狭い、と。

 そんなことを機嫌よく喋っていると、電話口からは戸惑った雰囲気が伝わっていく。ヒバリさん、麻薬扱っているんですか、と、不安で鳴きそうな声。自分の手元にあるモノを考えて喋れよ、と、ヒバリは思いつつ、いい気分だった。

 ボクは手を出していないよ。扱っていればキミに頼む必要もないさ、と、言ってやったら子犬のような声で、そうですねすみません、と喜ぶ。なんて可愛いんだろう。

 今夜、暇ならキミの部屋で。一人でやっておかしなことになると怖いから見ていてくれ。そう言うと絶句された。真っ赤になっているのが電話ごしでも分かった。ついていてくれ、と頼まれたのが嬉しくてたまらないらしい。

 やがて陽が暮れ、薄暮の中に雲雀恭弥が現れ、二人で軽く食事を済ませると寝室のドアに鍵をかけて、悪い遊びを、一緒に。一番高価の強い静脈注射は沢田綱吉が拒んだ。ヒバリさんの腕が注射針の痕だらけになるなんてイヤだ、と。

よく知っているなと思ったら学校の保健の授業で写真を見せられたからと言われ、目の前にドンと置かれた1キロの塊との落差に言葉をなくす。純度の高いまま、混ぜ物ナシの証明の固体。自分で砕いてすりつぶし細かい粉末にするための乳鉢も用意している周到さとのキャップが相変わらず、ヒバリの気を引く。

 純白の塊を、これくらいなんだって、と、売人から一回分として説明された沢田綱吉が細かく砕いてくれて、それを手の甲に乗せて鼻から吸った。静脈注射のようなラッシュ、神の見えざる手によって存在を掴まれ幸福という名の沼で全身の洗礼を受ける、というような早急な快感は来ない。けれど弛緩は即座に来る。末期癌患者の激痛を掬うモルヒネ。それから精製されたヘロインはモルヒネの数倍の効果を持つ。

「神経は肉体を支配してる……」

 それを実感する、じわじわとした幸福感に、すぐに全身の力を抜いて、わざと、広いベッドの上で向き合って心配そうに、自分を見ている沢田綱吉に向かって倒れこむ。

「そしてその、神経を支配、しているのはほんの、微量の脳内物質……」

 ドパーミン、アドレナリン、ノンアドレナリン、セロトニン。アセチルコリン、エンドルフィン、ギャバ。感情はそんな物質に支配されているのだ。

「ボクも……」

 例外ではない。多幸感にうっとりしながら、それを確かめる。ならば思考にはどんな意味があって愛情にはどんな価値があるのか。世界の存在そのものがそんな人間の脳の集合体ならば、全体を支配している幾種類かの物質の名前はなんだろう。アメリカ、オイル、ドル、核兵器。独裁、嫉妬、武力、民族抗争。

「ヒバリさん、大丈夫?苦しくない?」

 心配される。時々うるさいこともあるけれど今は可愛い。手を上げて頭を撫でようとしたがヒバリの腕がうまく動かないのを見て、沢田綱吉はぱふ、っと、シーツに額をつけた、ベッドの上での土下座に近い姿勢を自分からとる。アタマを下げて撫でられやすい姿。これは、なんて可愛らしいのだろう。

「自我、って言葉が……」

 虚しくなるね。

 薬物の齎す幸福感に酔いながら、ほんの少しの正気でヒバリはそんなことを呟く。感情というものが脳内物質のバランスの賜物なら、自我というものの存在意義はなんだ。

 倦怠にゆっくり全身を浸していく。大人しくじっとしているヒバリというものが珍しい沢田綱吉は、そんな情人のそばに寄り添い、カラダを寄せて体温を感じて喜ぶ。子犬のような無邪気な振る舞いにヒバリのキモチが癒されていく。そして。

「覚せい剤って、セックスが気持ちよくなるんだって、ね」

 しゃべる言葉は子犬とはかけ離れていて。

「ヘロインだとどうなんだろう。知ってる?」

 知らないよ。したいの?してもいいけど、ボクはろくに動けないから、面白くなくても文句を言わないでくれよ。

「今から試してみます。でもクセになっちゃうと困るから、クスリの残りはトイレに流そうね」

 やめろ、勿体無い。売ってお金にしよう。僕が換金してあげるから渡せ。中学生時代から香具師の元締めを張っていたヒバリはそんなことを思ったが、唇は動かなかった。なんて価値の分からない奴だろう。カネもクスリも、権力さえ、持っているくせに意味を分かっていない。日本のヤクザが戦々恐々、ヒバリを通して上納の打診をしてくる世界規模の名門マフィア、ボンゴレ十代目がこんなにヤワな男だと、知る者は少ない。

「脱がせちゃいまーす。えへへ。いい匂い」

 ネクタイをはずしてシャツの襟をほだけた程度で横たわっていた。だから、服を脱がしてもらえて、キモチが良かった。ふわふわ雲の上に浮かんでいるような気分のまま、楽にしてくれた男の手を掴んで、口元へ持ってきて感謝のキス。

「……ッ」

 息を呑む気配。

「ひ、ばり……、さん」

 なんだい。ああ、なんだか眠い。初体験は吐くっていうけどそんなことなかったな。不純物が少ないからだろうか。

「ホントに抱いちゃうよ?」

 震え声で言われる。冗談のつもりだったの?

 ホントに抱いてくれよ。どんなユメを見るか興味がある。赤いか、黒いか、まさか白じゃない。

「ごめんなさい。我慢できません。大事に抱くから、触らせてください」

 なにを今さら言っているんだろう。その丁寧さがかえってヒバリには不思議だったが。

「連日で、ごめんなさい」

 謝られてああ、と思う。確かに負担でないことはないけれど、そんなに心配する必要はないよ。ボクは生き物としての性能がいいから多少のムチャも平気。キミとセックスするのはキライじゃない。転がっていればキミが好きなようにしてくれるから、女を抱くより面倒がなくて、気づけば最近、繋がっているのはキミとばっかりだ。

「そんな嬉しいこと言われると頑張っちゃうよぉ、オレ」

 全身を剥かれる。外気が触れた、と思った瞬間、薄くて軽い毛布が掛けられる。いつもそうだ。包まれる。古い映画みたいにセックスは毛布かシーツの下。寒そうだから、と心配そうに言う、これはどういう生き物だろう。

「ん……?」

 うん。

 いいよ、気持ちがいい。昨夜も抱き合って、カラダはほぐれている。半月以上の海外滞在の後には何も知らないバージンのように閉じて、若い男を初夜のように手間どらせ冷や汗をかかせる『復元力』のヒバリだが、今夜は最初から柔らかい。

 沢田綱吉が毛布の中に潜る。腹の上を移動して股間へ移って、狭間を舐められる。

「……ァ」

 声を上げた。顎を仰け反らす。ヒバリは快楽には素直。自分の欲望を否定したことはかつてない。したい放題、好き放題に生きている。ただ、他人をそれにつきあわせようという情熱は薄い。カリスマ性に富み常に手下を十数人、従わせているくせに自分はいつも一人。それで完結、満足。本当の利己主義者は他者の評価を必要としないから。

「ン……、ぁ、は……」

 柔らかな舌で舐められ喉の奥で絞られる。気持ちがいい。そうしてひどく上手だ。一方的に恋をされ時々気が向いて寝室に招く年上の女たちより遥かに、今はこの沢田綱吉がお気に入り。だって誰よりも上手だ。白い腰を揺らしながら誘われるままに吐き出す。一緒に涙が、感情からでなくこぼれる。

「……、はぁ」

「ん。ヒバリさん、昨日よりちょっと薄い……」

「はは」

 なんて無神経な男だろう。そうしてそんな無神経な男のしたたかさを、気に入っている自分は趣味が悪いのかもしれない。

「ゼリー?オイル?」

 毛布から抜け出して枕もとの引き出しを開けた沢田綱吉が尋ねる。使う潤滑剤で快楽の味が変わることを以前に伝えたら、それからは好みを訊いて来るようになった。なんでもご希望しだいです、という態度は本当に可愛らしい。

「ゼリーの気分だな。あんまり重いのは、今はイヤだ」

 はきはき、ヒバリはクチを聞いた。ヘロインの酔いはまだ残っているが、目の前にセックスという新しい刺激を与えられて意識がそっちを向く。

「了解です」

 オイルは腹にずしんと響く。ゼリーは滑りやすくて軽い。チューブ状の容器を持って沢田綱吉がベッドへ帰ってくる。そっと指先で狭間を撫でられ、少しずつ開かれていく間、チューブは男の口の中で暖められている。やがて、チューブの丸い先端が埋められる。ナカにゲル状のモノが注がれる。刺激に息をつく。指が、入ってくる。

「……どぉ?」

 尋ねられる。クスリとの相性を。そうだね、痛みも苦しみもない。けど、感覚が鈍っているからセックスドラッグには向かないかもしれない。感覚が鋭敏になるっていう覚せい剤の方が、そっちの用途には向くだろう。

「ヒバリさんいつも超イケイケだから、今さら覚醒はいらないでしょう?」

 失礼なヤツだな。でもその通り、興奮剤は必要ない。いつでもドキドキ、ワクワクしているよ。……キミに。

「やめて下さい、お願い。加減が効かなくなっちゃう」

 ……ン、ッ。

 あ……。……、って、る……?

「オレは、けっこう、イイ、よ。なんかヒバリさん力、抜けててカワイイ。やわらかい……」

 死姦趣味には走らないでくれよ。

「そんなんじゃ、ないとオモウ。だってあったかくってウレシイし。でも、寝込みは襲うかも……。コロサレルけど……」

 そう。ボクは眠りが浅いんだ。ちょっとしたことで目が覚める。だからここに泊まる時も、キミはベッドをボクに譲ってソファで寝ている。だからダウン系に興味があった。自律神経が利かないくらいの弛緩ってどんな感じだろうって思っていた。酒はあんまり飲まないし、

「ね……。一度でいいから、ヒバリさんのこと抱きしめて眠ってみたかった、んだ。……ユメが叶うかなぁ」

 そんなこと考えていたの。好きにすればいいさ。

 ああ、でもやっぱり、ちょっとは気持ちがいい。いつもの生々しい興奮じゃないけど、幸福な夢精に近いかな。悪くは、ない気分だ。

「ヒバリさん……」

 くちづけを受ける。微笑で返した。

 

 

 

 夕方の早い時間にベッドに入って、夜の多分、八時くらいには眠ってしまったから。

「コーヒー、飲む?緑茶の方がいい?」

 夜明け前に目覚める。パチッと目覚めた瞬間に声を掛けられる。そちらも早々と目覚めてしまったらしく、薄暗い部屋の中でテーブルの上の茶器を、音がしないようにそっと扱っている。その気配で目覚めたのかもしれなかったが、八時間が経過した後だったので、眠りを妨げられた気分にはならなかった。

「スリーナインは?」

 咄嗟に、口走るのは別のこと。

「え?」

「ボクの二億円は?」

「え、なに?ヒバリさんお金いるの?」

「いつだって活動費は必要だよ。トイレにもう棄てたとか言ったらかみ殺すよ」

「そ、そこにまだあります」

 迫力にびびりながら沢田綱吉が指差したサイドテーブルに、純白半透明の塊があることを確認して雲雀恭弥は表情を和らげる。

「ボクのものだ。いいね?」

「自分で使わない、って約束してくれるなら」

「一人でこんなに使ったら人生を失くしてしまうだろ」

「恒常的に仕入れるのはムリだよ。それはトクベツに、プレゼントしてもらったものだから」

「ボンゴレが扱いを始めるなら、取引したいっていう『業者』は多いだろう」

 黒髪の美形は納得した。超大口の、それも取引実績が信用に繋がる商業チャンスに、三角地帯あたりの業者が試供品を進呈したのだろう。

「体調はおかしくない?どうだった?」

「おかしくない。キモチよかった。でもキミとやりあう時の方がワクワクする」

「嬉しいけど、ヤルってやる違いだよね?」

「殺しあおうよ、沢田綱吉」

「ベッドの外ではイヤです」

 香りのいい緑茶が差し出される。たっぷりした湯呑みを受け取ってヒバリは口をつける。その黒髪に口づけながら、沢田綱吉はヒバリの背中を包むように抱く。全裸だ。空調は効いているが、寒そうに見えた。

「……ちゅ」

 うなじに唇をつける。痕が残るやり方ではなかったのでヒバリは好きにさせた。身体的な接触にはわりあいおおらか、触るな、とは滅多なことでは言わない。自分が強いということをよく知っている自信家。それに。

 獣の世界では、撫でる方より撫でられる方が偉い。

「この前、キャッバネーロに行ったら」

「ディーノさんち?」

「珍しいモノを見たよ」

「ああ、スクアーロさんでしょ」

「快進撃中だね」

「百番勝負でしょ。あっちこっちで聞かれるよ。でも正直、ボクに聞かれても詳しいことは分からないから困るんだ。今あのヒト、キャッバネーロに出向中だから」

「そう。キミに話しても要領を得なかったから直接行ってきた。跳ね馬の愛人兼務の側近だろう?」

「ノーコメントです」

「ボクの順番はいつかって聞いたら、エモノが違うからやらないって言われた。つまらないな」

「そんなことしてたの。心配だからあんまり他所で暴れないでよ、ヒバリさん」

「ボクを勝負の中に入れろって、キミは命令できないの?」

「できません。ヴァリアーは独立暗殺部隊で九代目の直属です。メンバーの指示はザンザスを通さないと出せません。ザンザスはボクをキライだから、頼みはきいてくれないと思います。ボクは彼と、仲良くしたいんだけどね……」

 最後の台詞に、緑茶をおいしそうに飲んでいたヒバリの睫が瞬く。

「そうだったのか。新境地だね」

「?」

「ハードコアだ」

「ヒバリさん、何か誤解してない?」