墓標・2

 

 

 

 

 その『人物』を、ロマーリオは昔から知っていた。

 本当に昔からだ。ボンゴレファミリーの中でも指折りの腕利きとしてカウントされるずっと前から。親元を離れてジュニアに入学した十三歳の頃から。ロマーリオもまだ二十台で若く、彼が護衛と側近と教育係を兼ねた存在として仕えているキャッバローネの御曹司、ディーノが跳ね絵馬ではなくヘナキョコの泣き虫だった頃から。

 年の暮れ、普段は寄宿舎で過ごすボスの息子を迎えに来たロマーリオは、門の前で迎えを待っている数人の中に目立つ少年に気がついた。同世代の中にあってすらりとした姿が目をひいた。手足が長くて頭が小さく、スタイルが良かった。これからまだまだ伸びますという足腰に、見事な銀髪の生えた頭を乗せていて、そう逞しくはなかったがどことなく別物、子犬の群れに混ざった狼のような雰囲気を、既にその頃から漂わせていたのだから大したもの。

「すげーんだぜ、アイツ」

 門の前は迎えの車で混雑していて、格上のファミリーたちのピカピカの車が出てしまうまで、ロータリー手前で待っている間に同じ人物を見ていたディーノが言った。

「天才剣士でさ、学校の教師にも敵うヤツ居ないんだ。代わりになんか、黒ずくめの奴らが様子を見に来たりして、スカウトが接触したがってるとかって、みんな話してる」

 どこの世界でも才能のある若手を欲しがる。将来有望なスポーツ選手が学生時代からプロのスカウトマンに取り囲まれるように、ヒットマンの素質を持つその『人物』は十代のごく初めの時点で既に注目されていた。本人もそのつもりで、引く手あまたの将来に自信満々だった。

「あんな風だと、きっと楽しいだろうな」

 何がなのかをディーノは言わなかったがロマーリオには分かった。マフィア関係者の子弟であること、将来は構成員になること、

裏社会で生きていくだろうこと、そんな諸々に何の疑問も葛藤も持たず、生き生きとしていた。

「そんなタマなら、唾つけてりゃどうだ。将来有望なんだろう?戦力になるぜ」

 と、最初に言ったのはロマーリオだった。ダメだよ、と、へなちょこなガキはそれだけは子供の頃から見事だったきらきらの金髪を揺らしてかぶりを振る。

「俺のことなんか目に入らないよ。うちは貧乏で弱小だし」

「はは。まあその通りだけどな」

「もっと大きなマフィアの、偉いヤツらが息子とか親戚とかを通して勧誘しても、愛想笑いもしないんだ」

「へぇ」

 憧れを隠し切れない表情で、眺めている少年と同い年にしては幼い口調でディーノはロマーリオに話をしていた。その時、車の列に異変が起こった。整然と順序を守っていた黒塗りのピカピカの列が乱れ、対向車線や歩道に乗り上げて、我先に動いた。

「?」

 ロマーリオが眉を寄せる。動きがおかしかった。何かから逃げようとしている風に見えた。我先に道をあけようとしていた。その訳が分かったのは、道幅とほぼ等しい車幅のリムジンが、正門前のロータリーに出現してから。

「派手だな」

 ババーン、という効果音がその場に響いたような気がした。高級車ばかりが集う中に混ざっても、全長8.7メートルのリンカーンフルストレッチは目だった。

「ザンザスだ」

 へなちょこディーノが眩しそうに目を細めながら言う。

「ボンゴレの?」

「ああ、御曹司だよ。俺とは違って本当の」

「……」

 ロマーリオはコメントを控えた。違うというのはどういう意味なのか、マフィアとしての規模か、本人に属する適性の有無を言ったのか、どちらにしろ違いすぎているのは確かだった。

「でもどうしたんだろう。あいつはシニアなのに」

 胴長のリンカーンの、最後部にちょこんととられたドアが開いて降りて来たのは、マフィアには違いないが派手な髪の色をした、大きなサングラスで顔を隠した、お洒落というより奇矯なファッションの男だった。白手袋の手を振って合図し、真っ直ぐに向かったのは未来の剣豪だという、へなちょこディーノの憧れの少年。

 周囲の群れがさっと散らばった後も銀髪の少年は悠々とその場に立っていた。男とは既に顔見知りらしい。

丁寧な挨拶を受けなにか返事をしている。何を話しているのかは聞こえないが、招待を受けてそれを断っているのだということは少年の表情と男の雰囲気で分かった。

無理もない。やがてノエルで、それから年末、新年と続く。少年にも家族があるだろう。別の迎えが来るのに違いない。けれど。

リンカーンの後部座席が揺れる。ば、っと、それを遠巻きにしていた子犬たちの輪が更に遠ざかる。中から、癇癪を起こした乗客が超が幾つもつく高級車のドアを蹴ったのだと、ロマーリオにも分かった。ボンゴレ九代目の愛息は短気らしい。

少年と男が少しびっくりした顔で、揃ってリンカーンを見て、それから顔を見合わせる。仕方ないでしょ、仕方ねぇなぁ。そんな、会話というか、意思の疎通があって少年は歩き出す。

長い脚をひどく軽やかに動かし石畳の地面を蹴る。ただ歩いているのに何かのステップを踏んでいるような格好の良さは、格好だけでない中身の身体能力の高さを証明している。男が周囲を見回して一応、狙撃に対する用心をしてみせてからドアを開ける。少年が屈む。中から腕が伸びるのがほんの少し見えた。引きずり込まれる勢いで少年の背中が消えて、男はもう一度周囲を見回してから自分も中に入る。

「……」

 じ、っと、金髪のディーノは自体の一部始終を、ぱっとしない車の中から辛気臭い目をして眺めている。

「……」

 自分は今、若い主人の失恋の、決定的な現場に立ち会ったのかもしれないと、まだ若かったロマーリオは思った。

 

 

 フルストレッチリムジンの後部座席は七人乗り。L型の白い皮シートが側面につくりつけられたバーと向き合う形で設けられている。

「あー、さすがに酒は、ないかぁ。だよなぁ」

 銀髪の少年がその車内へ招かれるのは初めてだった。が、物怖じというものを知らない性質らしく、殆ど部屋の広さがある車内をザンザスの爪先を掠めながら横切りバーの冷蔵庫を開ける。

「ほほ。当たり前よ。お子様はジンジャーエールでも飲んでなさい。ジュースがいいかしら?」

「あったけーのが欲しい。寒かったんだぁ」

「あらいけないわね。ホットワインなら作ってあげるわ。赤と白はどちらがお好き?」

「赤。あっつくしてくれよ」

「はいはい。はきはきしていて、大変よろしいこと」

 ボンゴレ九代目の息子は短気で無口で気難しい。側近というかお目付け役というか、そういう存在の父親が差し向けたお付をもう、十何人も更迭させた。

今度のオネェ風な格闘家はその中で珍しく長く続いている。生態が面白いからだと本人は思っているが、実は案外、『女らしい』気配りやお喋りを好んでいるのかもしれない。

「お迎えの車には連絡をさせたわ。ボンゴレの本邸で待っていてもらうことにしたから心配しないで頂戴。今夜はお泊りでね。はい、ザンザス様にお願い」

「おう」

 受け取って銀髪の少年は、ソファの一番奥に座ったザンザスの前のテーブルに置く。それか自分の分を受け取り少し離れた場所に座り込む。向き合う場所でなく下座の一角を占める礼儀正しさと、皮のソファに慣れなくて気持ちが悪いのか片方の膝にもう片方の脛を乗せる形で座り込むような行儀の悪さとが、オカマの格等家ことルッスーリアから見ても絶妙だった。

「オマエんとこノエルは大パーティーなんだろ?」

 暖めた赤ワインを同量の湯で割って、大きな氷砂糖を入れレモンを絞ったカップをふうふう吹きながら少年がボンゴレの本物の御曹司に尋ねる。

「……」

 御曹司の体は冷えていなかった。彼が部屋を出る一時間も前からリンカーンはシニアの寮のドまん前に待っていたし、彼が建物を出た瞬間に、迎えのルッスーリアがミンクのコートで制服の肩を包んだから。飲んでいるのはだから、冷たいミント・ビアー。ジュースでも飲んでいなさいという口とは裏腹に自分の好きなものを出す気配りというより降参体勢に、気難しい御曹司は満足していた。

「ボンゴレのパーティーってすげぇだろうな。芸能人とか来るのか?誰が来るんだ?」

「……」

 興味津々に尋ねられ御曹司はルッスーリアに視線を流す。代わりに答えろ、という指図。

「歌手と女優が来る予定よ。でも、あなたパーティーに出席するの?礼装は持ってきた?」

「しねーよ。でも女優に会ってみてぇ」

「お部屋に寄越せってこと?」

「ダメかぁ?」

 その質問の返答は。

「ダメだ」

 ルッスーリアではなく御曹司が、した。

「えー。でもどっかには侍るんだろ?九代目はもー現役のオトコやってねーだろ?もしかしてオマエか?なら後でいいからまわせよ」

「……」

「この子は、もう」

 はきはきと言い難いことを口にする少年にルッスーリアは苦笑しながらも感心していた。ストレスがたまりにくそうな口と脳との直線回路も度胸の良さも、実に適性がある。権力者の愛人は、とびきり頭がいいか反対にこんな風か、どちらかでないと勤まらない。

「……おい」

 短い言葉と視線だけで主人の意を汲んで。

「ご用の節は、お呼びください」

 運転席との仕切りを跨ぎ、助手席に座って電動の内扉とカーテンを閉めたルッスーリアのようでないと側近が務まらないのと同様に。

「おい、カス」

「んー」

 やっと適温になったホットワインを、こくこく、未来の剣豪は一生懸命に急いで飲んだ。そうしてカップをテーブルに置いて、御曹司の足元へ。

「違う」

 膝の間に蹲ろうとした少年の前髪を掴んで御曹司は、まだ細い少年の身体をソファへ引き摺り上げた。広い座面に転がして覆いかぶさる。抱きしめる。唇を重ねる。シャツの上から喉と胸をまさぐる。腰を擦り付ける。緊張にぎゅっと固まった身体がビクビクっと、性感ではなく怯えに震え上がったのを感じて御曹司は、滅多に緩まない口元を綻ばせる。

「なに硬くなってんだ、てめぇ」

 ゲストでパーティーに呼ばれる女優をベッドに廻せとか、九代目がどうとか、すれた口を利いていた態度とは裏腹の緊張っぷりがおかしくてクックッと喉の奥で笑った。

「え、だ、って……、よぉ……」

 手なづけられて、シニアの寮で、即物的な、粗雑な扱いしか知らない少年は抱きしめられ撫でられて心から戸惑い震え上がっていた。頬を摺り寄せられて泣きそうな不安な顔をする。正直さを御曹司の硬い指先が擽る。

「二時間かかる。退屈だ」

 マフィアの子弟を多く預かる学校は僻地の山の中にある。業界関係のゴタゴタから子弟たちを庇護しようとすれば自然、そういう立地が必要になる。

「遊んでやる。力抜いてろ」

「あ……、そび、って、ザン、ざ、す……」

「なんてツラしやがる」

「……、本番、ヤだぜぇ……」

「勿体つけんな。女でもないだろ」

「だ、って、オマエ、凄そうだし。オレまだ子供、だしさ、ぁ」

「誰がだ。脱げ。もう寒かねぇだろ」

「ザン……、ッ」