「ハードコアだ」

「ヒバリさん、何か怖い誤解していない?」

「あのテはホンモノにもてそうだけど、キミがホンモノとは知らなかったな」

「ボクはヤワヤワなダメツナです。全然ホンモノのハードゲイじゃありません。ヒバリさんのキレイな顔にうっとり見惚れる、ソフトタッチのボーイズラブ系です」

「業界用語に詳しいね」

「ボクの欲望は香車です。一方向へしか動きません。進むのはヒバリキョーヤというヒトが居る方へ向かってだけです。怖い想像はやめてください」

「成って金になれば六方に動くじゃない。仲良くなりたいって自分で言ったじゃないか」

「そういう意味でじゃないよ。仲間にしたいっていうこと。ボクは正直、組織とか勢力とか、そういうのは面倒くさいし、よく分からないし、分かりたくもないんだけど」

「ボクも向いてない。適性がないことはしない方がいい。得意な人間を選別してそれに任せてしまえばいい」

「ヒバリさんって王将の素質があるよね。いつも勉強になるよ、ホント。まぁその通りだけど、ただねぇ、ザンザスだけは何だか気になるんだ」

「欲しいのかい?」

「うん」

 うっすらと笑う沢田綱吉にこそ、残酷な王者の素質があった。

「キミに狙われて」

「スクアーロさん元気だった?」

「逃れられる人間が居るとも思えないけど」

「格好いいよね、ザンザスは。ボクはマフィアがどうしても好きになれないけど、あのスタイルはちょっと好きだな」

「元気そうだった。美味しい紅茶を煎れてくれた」

「こう、テーブルに、掌を広げて」

 沢田綱吉が自分の右手を、ヒバリの白い腿へとまわして、五指をその上に広げる。

「譲り状は書かない。許さないというなら好きなだけ持って行け、って」

「指を?」

「言ったんだって。やっぱりザンザスはスクアーロさんのことを好きなんだなぁ、って」

「弱点発見かい?」

「うん」

 掌を太ももから腰へ廻して、沢田綱吉はヒバリの体をシーツに押し倒す。重なった自分の上に毛布を引き上げ、二度寝の夢を一緒に見ようとした、が。

「おなか、すいたよ」

 常時覚醒状態のヒバリは再度の睡眠を拒む。

「和定食が食べたい。サーモンとイクラの海鮮親子丼に、かに汁に、出汁巻き卵焼きに、キュウリとナスの浅漬けに、ホウレン草のおひたし。鰹節たっぷりで」

「それ全然、和定食じゃないし」

 沢田綱吉は苦笑しながら起き上がり、壁にかかった電波時計を見た。午前五時少し前。

「厨房にはまだ当番が出勤してないよ。インスタントの春雨スープと雑炊で、あと二時間、我慢してください」

 和食を好むヒバリの為にこの部屋にはポットのお湯を注ぐだけで食べられる様々な食料が用意されている。仕方ないねとヒバリは納得し、沢田綱吉は戸棚からゴマ醤油風味の春雨スープと鮭雑炊のカップを二人分、取り出した。割り箸も一緒に。ポットの湯を注ぎ、盆に載せてベッドまで甲斐甲斐しく運ぶ。

「キミって、けっこう」

「はい、熱いから、気をつけて」

「こっちの台詞だよ。けっこう甲斐性があるよね」

「え?アチッ」

「言わんこっちゃない」

 猫舌のボンゴレ十代目が春雨スープに悲鳴を上げる。ヒバリは見事な切れ長の目じりを和ませて、愛しそうに見ていた。

 

 

 

 同じ頃、別のカップルは。

「恭弥がオマエに何の用だったんだ?」

 時差の関係で夜食を食べていた。こちらも男のベッドの上、買い替えられた天蓋つきのロングのキングサイズベッドの上で。初夜に天井が高すぎて怖いと言ったオンナのために、男は即座に部屋を改装しようとしたが天井画は有名な画家の作品だった。改装はロマーリオにとどめられ、オンナもベッドに幕がついてりゃそれで構わないと言ってくれたので常識的な線に落ち着いた。

「百番勝負に入れろ、って言われたぜぇ。もちろん丁寧にご辞退、させていただいたがなぁ」

 質問に銀色の鮫ははきはきと答える。キャッバローネのボスが留守の間に尋ねてきた客に、会っていいかと出先へ電話を掛け許可を得ていたから何の心配もなく。どこだかのカジノを一軒、買いに行っていた男はいいよと答えた。オレの代わりに接待しておいてくれ、と。

「恭弥らしい」

 金の跳ね馬が笑う。家庭教師として鍛えた日本の少年のことをかなり気に入っている。この男にとって初めての弟子、まだ二人目は居ない。手の中のカップの、具が沈まないよう湯気を吹き廻しながら。二人が食べているのはストラッチャテッラ。イタリアのコンソメ味かき卵スープで、チーズと細かく折ったパスタが入っていて、体が温まる。

「会いたかったな。元気そうだったか?」

 ベッドは広い。殆ど小部屋くらいある。天蓋の幕はかけっぱなし、帳を閉じると真昼でも薄暮の落ち着いた夢が見れる。そこにオンナを連れ込んで眠るのが、金の跳ね馬の生き甲斐。

「相変わらずお人形みてーだったぞぉ。あんなにヤワそーなツラしてんのに、つえーよなぁ、アイツ」

「同感だが、恭弥もオマエにだけは言われたくないと思うぜ。でも強くなったって、まさか喧嘩したのか?」

「してねぇよ。しなくったって、歩き方で分かる」

 腰を揺らさず足音をたてず、体重を感じさせない足取りだけ。只者ではない体さばきを連想させるには十分。

「よかった。オマエがオレんちでボンゴレの雲の守護者とやりあった日にゃ、オレはツナんちのトイレ掃除して侘びなきゃならないところだったぜ」

 男は額に浮いた冷や汗を拭う。大げさな、という顔で銀色の鮫は男を見た。マジだぜ、と、見られた男は肩を竦めながら答える。身内だからこそ許されないことがある。

傾向は違うが張り合えるほどの美貌の二人はボンゴレリングと十代目の座を巡って対立した同士だ。勝手な対戦はそれが『私闘』であっても、九代目の裁定に対する不服と解釈されかねない。門外顧問の家光はきっとそう解釈する。

「仕方ねぇからマニアゴに案内して、武器屋見て回った。そこそこ楽しそうだったぜぇ」

「良かった。ありがとう」

 自分の代わりに来客を応接してくれたことに男は礼を言う。マニアゴとはドイツのゾーリンゲンと同じく中世以来、刃物の生産で名高い街だ。雲雀恭弥のお気に入りの武器はトンファーだが、ナイフ類にも関心はあるだろう。

「すげぇ色艶だった」

「マニアゴの刃物が?」

「ばぁか。ヒバリキョーヤだ。あの肌は東洋人じゃなきゃ持てねぇキメだなぁ。てめぇが特別講師してやった理由も、よく分かるってもんだぜ」

「誤解すんなよ。オレは恭弥に手を出してないぜ。カテキョーはリボーンの関係で、それと九代目に頼まれて……。なんだよその顔。疑っているのか?」

「てめぇの竿の行方なんざ知るか。いやぁな名前聞いていやぁな気分になってるだけだぁ」

 空になったカップをサイドテーブルに置いて、銀色の鮫は立ち上がる。

「待て、スクアーロ。何処行く気だ」

 時刻は深夜、シーツの上で仲良く鳴き交わして、本番こそしなかったが甘く絡み合って、安眠のためのスープも飲み体温を分かち合いながら眠ろう、という幸福の時に。

「部屋帰る。ブォナノッテ」

「おい、待てよ、なに言ってんだ。止まれッ」

 裸にひっかけた夜着の裾を翻して、部屋を出て行こうとする銀色の鮫の肘を男は追いかけて捕らえた。振り向かせる。銀色の髪が主人の動きを追って半円を描く。その様にずきん、と、胸をつかれる自分をバカだと、男はあらためて思う。

「拗ねるな、スクアーロ」

 ナンだよ、という目つきで視線を真っ直ぐに返され、強気な怒鳴り声から一転、しゅるしゅると尾を巻く。

「悪かった、俺が考えなしだった。どれが気に入らなかったんだ。リボーンのことか?」

「……ハメやがったからなぁ」

 屈辱の口惜しさをこめて銀色の鮫が呻く。敗北の味を知ったのはリング争奪戦が最初で、まだ二度目はない。

「負かされた山本武はお気に入りのクセに」

 そっちに嫉妬を感じていない訳ではない男は愚痴る。白い指から雨のリングを奪っていった少年のことはひどく見込んで、可愛がっていて、百番勝負の画像を納めたDVDを送ってやるという、破格の好意をみせているくせに。

「負けンのとハメられんのは、全然違うだろぉ」

「まぁいい、分かった、リボーンのことはオマエの前では話さないようにする。だから機嫌を直して隣で眠ってくれ。オマエを抱きしめないと寝付けそうにない」

 それは本当のこと。先月、男が風邪をひきこんだ時は感染するからと物分りのいいことを言って別の部屋で寝たが、結局寝付けず、夜半、銀色の鮫の部屋のドアを叩くことになった。

暗殺稼業が長いせいで夜型生活が身についている鮫はまだ眠っておらず、バカかてめぇはそんな薄着でフラフラ歩きやがって悪化するぞ、という悪罵とともに、部屋に入れてくれた。

 結局そのまま、男は自室ではないベッドで男は三日ほど寝込んだ。銀色の鮫は荒っぽい言動に似合わず病人の看護が上手かった。眠ったときは静かにして、目覚めれば水分を摂らせてやわらかな食事をさせ、朝昼晩と身体を拭って着替えさせる手際はロマーリオが手を貸す隙もないくらい完璧。優しくされてべったりになった男が最後の一日は仮病だったことを、忠義なロマーリオは見抜いたが指摘しないでおいた。

 それ以来、男の依存症はますます悪化。外出していても昼には電話を掛け、声を聞かないと落ち着かなくなった。なってしまった。寝床の中では、抱きしめて。

「……おい」

 銀色の鮫が着込んだ夜着の胸をあけて。

「オマエ、なぁ」

「頼む。させてくれ」

「ガキじゃねーんだから、よォ……」

「ガキなんだ。多分、どうしょうもなく」

「ひらきなおるなぁ」

 口で文句を言いながら、銀の美形は強硬に拒む訳ではない。男が頭を毛布の中に突っ込む。はだけさせた胸にまず頬を寄せ、それからそっと、突起に唇を押し当てた。

「なんか……、なぁ、跳ね馬」

 性的な接触では、ないこともないが、その要素は少ない。まだそうならよかった。

「幼児がえりしてんじゃねぇぞぉ。イタリアマフィア指折りのボスだろーが、てめぇはぁ」

「……」

 男は答えない。目を閉じて大人しくじっとしている。なんとなくむ、つい、可愛くて、銀色の鮫は顎の下の金髪を撫でてしまう。「スーパーマーケットキャットでもねぇくせによぉ」

 そういう言葉がある。売り物にするペットは愛らしい子猫の姿を客に見せる必要上、早い時期に母猫から引き離される。そのトラウマで飼い主に引き取られたあとで、主人の耳や指を一生懸命に吸う癖のついた猫。可愛いが、離乳が早すぎて長生きしない弱い猫のことだ。キャッバネーロのボスには似合わない単語。

「落ち着いたらやめろよ。クセがついたら困るだろ?」

「……イヤなのか?」

 くぐもった小さな声が胸元から漏れる。横向きに姿勢を変え、肘で抱くようにして、銀色の鮫は手足を楽に伸ばす。慣れた寝姿は昔、別のガキと一緒に眠ってやっていた頃の記憶。

「オレはイマサラいーけどよ。てめぇがへなちょこなのはガキの頃からだしなぁ」

 八つで兄弟を殺し同属から追放され一人ぼっちだった寂しい王子様のことを昔は時々、抱きしめて眠っていた。でもこんな風に胸をまさぐられたりはしなかった気がする。幾つの頃にかえってるんだろうと思うと呆れるのを通り越して心配になった。

「先々、困るだろぉ、ヘンなクセついちまうと」

「……いいんだ、もう」

「しばらく様子見て、どーしても直んなかったら、専門医に行こうなぁ?」

 ちゅ、ちゅ、っと好きに吸わせながら、囁く銀色の鮫は優しく、らしくないほど優しくそう言った。金髪を撫でてやる。長い睫が胸に当たって、少しくすぐったい。

「しばらくは、まあいいけどよ。疲れてンだなぁ、オマエ。頑張ってるもんなぁ。ただよぉ、オレは奴隷だぁ。それだきゃ、ちゃんと覚えとけぇ」

 愛情がない訳ではない。けれど愛情以前の条件で今こうしている。男の愛情を分からない訳ではない、けれど。

「……愛してくれないのか?」

「愛されてやれねぇんだ」

 差し出されても、受け取ることが出来ない。不安定に積みあがったセックスを含む様々なものが、この男を不安にしていることは鮫にもなんとなくわかる。

「奴隷は使え。縋るな」

「……女房も、子供も、部下も、戦友も拒んで」

「ん?」

「宦官の膝で死のうとした覇王も居る」

 広大な版図を統一した漢帝国の高祖は病み、妻子を含んだ他人との面会を拒み、自己の奴隷である宦官の膝に伏せた。

「スクアーロ」

「眠れ。オヤスミ」

「一生オレから離れないって誓ってくれ」

「それはなぁ、オレが決められることじゃねぇんだぁ」

「オマエの意思だけでいい。オレにはそれでゼンブだから」

「オレぁボンゴレの奴隷なんだぁ。十四の時に負けてからずーっとなぁ。そーじゃなかったのはリング戦のちょっとだけで……。ありゃ楽しかった、なぁ……」

 語尾は寝息に紛れる。

「……」

 男は、懐いていた胸から顔を上げた。間近の美貌をまじまじと見つめる。目を閉じて安らかに眠っている。でも。

「スクアーロ……」

 この銀色が一番、寂しくて可哀想なのかもしれない。