「自由にしてやったら」

「跳ね馬。なぁ、オレが言い過ぎた」

「きっと逃げるだろうな」

「オマエがよくしてくれてるのは分かってる」

 男は側近たちの前ではっきりと寵愛を示している。おかげで周囲からは人質でも出向者でも使用人ではなく愛人扱い、ボスである男が居てもいなくても贅沢に暮らしている。百番勝負の経費も全て男が出してくれて、義手も新しい技術が実用化されるごとに買い換えて少しでも不自由のないように気配ってくれる。イタリアマフィア界きっての色男に、昼間は仕えられ夜には愛されて髪も肌もツヤピカ。

「それでもしてやりたい、って、思えれば、オレにも少しは、オマエ愛される資格があるのかもな」

「今日はホテルで泊まりだろ?ルームサービスでシャンパンとって乾杯しようぜ。な?」

「分かっているんだ。自分にナニが足りないのかは。でもダメだ。オレを棄てるって分かってるオマエに自由は差し出してやれない。……オレはきっと、オマエに本当には愛してもらえないまんまで終わる」

「なぁ跳ね馬ぁ。正直、キライじゃねぇ。どっちかってーとテメーはなぁ、お気に入りだぜ。ヘナチョコだった頃からぁ」

「オマエの、話に、ちょっと、なった」

「あ?」

「九代目のテーブルで、オマエの話に」

「……」

 銀色の鮫が緊張する。テーブル、といってもマファイアの正式な食卓は二十人ほどが座れる大きなもの。今日のように、招待客が二百人近い大宴会ではそれを幾つも配置して行われるが、もちろん、主要なメンバーたちは九代目と同じテーブルに着く。

「言い出したのはもちろん家光だ。最近、ボンゴレに断りなく武者修行と称して他所を荒らしてまわっている者が居る、って。ま、ボンゴレに断りは入れてねぇな。オマエがさっちの身内は避けてるから」

「ウチの連中で」

「やっぱりボンゴレがオマエにとっては『ウチ』か」

「いまさら勝負して白黒つけよーって奴ぁいねぇよ」

「水しか飲まずに黙って座っていたアイツが顔を上げて」

「……」

 スクアーロは眉を寄せる。ボンゴレ本邸、養父である九代目の前でザンザスが食事をしたがらないのは昔からだ。出会った頃から嫌がっていて、途中から本当に喉を通らなくなっていた。水も、唇をつけるだけ、毒殺をおそれて居るのではないという意思表示に過ぎない。

 スクアーロが眉を寄せたのはそのことではなかった。控え室での自分を含むお供たちの飽食。もちろんそこにもボンゴレ側が食事を用意していたがヴァリアーの面々は手を付けず、ルッスーリアの手料理がテーブルに溢れるほど並んだ。

 

 

薄切りのハムとサイコロ状のカマンベールチーズがたっぷり入った卵三個分の巨大オムレツはスクアーロにだけ。他の連中の前菜は生ハムとトリュフで覆いつくされた大皿のサラダ、ポレンタチーズ焼き添え。トリュフしはイタリア名物の白いやつではなく、フランス産の芯まで真っ黒なもの。

一皿目の料理、プリモ・ピアットは魚介たっぷりなコンソメ味のパエリア。米の上に載った具のヒラメやカサゴ、海老たちは骨や殻を外されて、フォークで掬えばそのまま口に入れ食べられるように手が加えられていた。ヴァリアー幹部の中にはティアラの王子様とボンゴレの御曹司が居て、この二人は食事のとき、手が汚れるような解体作業はしない。

二皿目、セコンド・ビアットはローストされた七面鳥が丸ごと一羽。よくこんなモン持ち込めたなぁとスクアーロは感心した。若鶏の雌とはいえチキンとは比べ物にならない巨大さ、たっぷり六キロはある。

 解体をお願いと言われナイフを手渡され、ナンの疑問もなく、スクアーロはさくさくと切り分ける。ノエルや復活祭に七面鳥の丸焼きを切り分けるのは本来、家長の役割なのだが、ザンザスにこんなことをさせた日には、切り口は鋭いものの骨ごとのぶつ切りになってしまう。

銀色の鮫は刃物の扱いは本職、慣れたものだ。腱や骨をとても上手に避け、美味い肉は首のセセリまで残さず上手に解体する。ししし、と、行儀悪くテーブルに肘をついていた王子様が眺めながら笑う。どこの三ツ星レストランの給仕よりセンパイの方が上手だと、らしくなく素直に褒めた。

 ルッスーリアがバスケットの中から皿を差し出す。手つきの恭しさに、誰の分なのか分かった。一番美味い腰から尻にかけて、皮と皮下脂肪にてらてらと艶よく光る塊をスクアーロは皿に載せる。ラップをかけてルッスーリアがそれをバスケットの中へ戻すと、あとは無法地帯。

 せんぱぁい、オレ腿ぉ、ボクはササミ、尻を、アタシは手羽よぉ、というリクエストに応じて突きつけられる皿に盛り上げてやった後も、大量の肉が残っている七面鳥の大きさに感謝しながら、

スクアーロ自身はあまり人気のない胸肉を食べることが多い。それでもチキンに比べると細かい味わいで、ルッスーリアがよく作る付け合せのセミドライトマトを添えて口に入れると、酸味とオリーブの風味とあわさりたいそう美味い。

セミドライトマトとは、プチトマトを半分に切って焼いて塩を振り、オレガノとオリーブオイルで和えただけの簡単なものだ。ヴァリアー本拠地の幹部用食卓横、ルッスーリアが使う厨房の巨大冷蔵庫には常時、作り置きされている。肉料理のつけあわせにしてもパスタの具にしても素朴な味だが実に美味い。食べ盛りと贅沢者の居ない昼食では、ルッスーリアと二人、バゲットをトーストしてソレを乗せ、済ませることも多かった。サラミでも添えれば十分なご馳走、チーズがあればなおよし。

ザンザスが不在のヴァリアーで、同じ時間を過ごしてきた同士の、仲間同士の、懐かしい味だ。キャビアは瓶ごと持ち込まれ、マーモンがクラッカーに載せる係を務めたので、王子様と鮫は喧嘩にならなかった。

 デザートはティラミス。型の底にエスプレッソを染み込ませたフィンガービスケットを敷き詰め、ワインたっぷりのカスタードソースにマスカルポーネチーズを混ぜてクリーム状にしたものをかけてならす。それを何度も繰り返して層にして冷やし固めた、真面目に作ればけっこう手間のかかるケーキだ。

 甘さは控えめ。ボスの飲みにあわせて。他にノエルらしく、名物の菓子パン・大きなベネットーネもどんと真ん中に二個、置かれた。これは各自が毟り取る習慣だ。甘くて柔らかく、賞味期限は半年近くある。ドライフルーツとナッツがたっぷり、クルミが特に多いのもメイプルシロップ風味なのも、こちらはティアラの王子様の好みに応えている。

 巨大な、バケツほどのティラミスとサッカーボールほどのベネットーネは、最初の一欠片を七面鳥と同じく別皿に取り分けられてバスケットへ納められた。その後で、デザート二種を十代目のお供の二人にも持って行け、と、スクアーロに向かって言い出したのはルッスーリア。

余っちゃうわ勿体無いじゃない。どうせあっちはボンゴレのあてがいでしょ?若者たちには物足りない筈よ、と。

ヴァリアーの食卓ではメシを作るルッスーリアがボスの次に偉い。言われるまま、おおぶりに切り分けたティラミスとベネットーネの片方を載せ、フォークを二つ添えた紙皿を手にしたスクアーロが部屋から出た途端、向かいの廊下に立ってこっちを見ているロマーリオを発見。

 別に声は掛けなかったが、皿の上からベネットーネを一口分、千切って眼鏡の男に差し出す。出されてロマーリオは少し驚いた。が、組んでいた腕を解き、受け取ってありがとう、と、礼を言いその場で口に入れる。

 あけろぉ、食い物もってきてやったぞぉ、と、銀色の鮫は沢田綱吉のお供二人が居る控え室のドアを蹴る。その声を聞いて中からドアへ飛んできました、というタイミングで山本武がドアを外側に開く。スクアーロの姿にまず驚き、オラ食えとデザートを差し出され声を上げる。

うそ、マジ、いいのか、おおぉーっ、と、いう声につられて奥から獄寺も出てきた。ま、せっかくのノエルだ、もらっておいてやるぜと、こちらは素直ではなかったがそれでも礼を言い、スクアーロの目の前でベネットーネを千切って口に入れる。さすがにマフィア育ちらしい礼儀だった。確かに食べます、ご好意に感謝していただきますという、表明。

それは一見、なんということはない遣り取り。謁見中のお供の控え室で、古今東西を問わず行われてきた交流。ボス同士の地位が近いと側近たちも自然と顔を合わせやすくなる。そこから同盟が生まれるとも、揉め事が起こることもある。

「あれ……。美味い……」

 ベネットーネの最初の一口は礼儀だったが、続いて手を伸ばす獄寺の手つきは本音だった。

「これまじ美味いぜ。止まんね」

「オレもオレも。あ、ンとだ。くるみとレーズン、むちゃくちゃうめえぇぅえ。うわ、」

「ガキどもぉ、部屋で食え。いつまでオレに皿ぁ持たせてるつもりだぁ」

 吼える青年と少年二人の遣り取りを、眼鏡の奥からロマーリオは見ていた。山本武が皿を受け取ったタイミングで、スクアーロの怒鳴り声に驚いたヴァリアーの控え室から派手な髪の色の格闘家が顔を覗かせる。ありがとざいまーす、と、山本が皿を持ち上げて笑顔を見せ、獄寺も美味さに負けてか会釈した。喜ばれて格闘家はニコニコと笑い、ティラミスなくなっちゃうわよぉと、仲間の鮫に向かってドアを大きく開く。

 金色の鮫はロマーリオの前を通ってヴァリアーの幹部たちが待つその部屋へ戻った。元通りに腕を組みながらロマーリオは、これはなかなか、笑い事ではない事態ではないかともの思う。ボスの恋人のことだけではない。それも大切だが、それだけではなく、もっと。

 ボンゴレの次代の守護者たちが、リング争奪戦で戦ったヴァリアーの面々と、こんなに『仲良く』しているとは知らなかった。ボンゴレの次のボスもその守護者たちも、マフィアの構成員としては幼いほどに若い。九代目は老齢。その間隙をついて君臨するのは門外顧問の沢田家光だろう。息子の後見役としてボンゴレの実権は奴に移る。

 だろう、と、キャッバローネのボスの側近として、ロマーリオは情勢を読んでいた。しかしたった今、目の前で展開された出来事に、再検討の必要を感じてしまう。ヴァリアーと門外顧問とは犬猿の仲。それはボンゴレの内外に知られている。

それなのに、なんだろうこの、十代目側近たちとヴァリアー幹部との親しみは。マフィアにとってノエルの食べ物は神聖な食卓、その証拠にボンゴレ幹部たちは今、広間の食堂で聖餐をとっている。お供部屋での出来事とはいえ。その食べ物の遣り取りはただの仲ではない。

ヴァリアーの側から差し出されたベネットーネを、十代目の若い守護者たちはメンバーの目の前で食べた。それは同盟の結成と解釈されても仕方のない行為だ。ファミリー内で私的な派閥を作ることは禁じられているが、『仲良し』はどうしてもできる。十代目に決まった沢田綱吉とキャッバローネの金の跳ね馬は兄弟分で、仲良しで、ディーノさんディーノさんと跳ね馬は慕われていて、安心しきって、いたが。

油断できないのかもしれない、と、ロマーリオは、戦慄とともに思った。

 

 

ティラミスとベネットーネの、のこりはきちんと各人の腹の中に収納された。なんのことはない、ヴァリアーのノエルの食卓が酒なしで場所を移されただけ。飲み物は瓶の炭酸水、食後のコーヒーのみだったが、隣のキャッバネーロの控え室からロマーリオが呼びに来るまで銀色の鮫はゆったり、晩餐を愉しんだ。

 その間、水しかのんでいなかった男はさぞ空腹だろう。今ごろ車の中ででも、ちゃんと食事をしているといいが。

 自分の情人がシートの隣でそんなことを考えて深い目の色になっているとは知らず、金の跳ね馬は言葉を続ける。

「オマエのことを言い出されてザンザスは家光を見た。見ただけだったが」

それでも超レア。ザンザスが九代目の前で身動きすること自体、凄く珍しいこと。

「オマエの名前が出たら家光に釘をさそうと、オレも思って、奴を眺めていた。結局どうなったと思う?」

「どう、なったんだぁ?」

「ツナが、話を、引き取った」

 父親との確執は九代目とザンザスだけではない。次期ボンゴレのボス、十代目に決定した沢田綱吉も父親である門外顧問の家光とは睦み合わず一線を引いた態度。その時も、オレもそれ知ってるよスクアーロさんでしょ、と、言った言葉と視線はザンザスに向いていた。ザンザスは返事をしなかった。

 日本でも評判だよ。時々きかれるもん。あのヒトってやることが格好いいよねぇ。別に殺してないんでしょ、問題になってるって話は聞かないし。百本勝ちしたら二代目剣帝の誕生かぁ、その時はお祝いしようね、と。

 囀るように続ける言葉は明らかに、リング争奪戦で敵方に立った銀色の剣士を庇っていた。思いがけない相手に思いがけない形で自分の部下を庇われ、ザンザスは眉を寄せたが反論はしない。九代目も無言のままだが、軽く頷いた。そして、それから、やっと、沢田綱吉は。

いま、何人目まで進んだんですか、と。

いま、銀色の鮫の身柄を預かっているディーノに向かって尋ねる。四十三人までだとディーノが答える。四人目は年明け早々に、ちょっと派手目にやる予定みたいだ。そうディーノが言った瞬間、ザンザスがほんの少しだが、笑った。

昔のことを思い出しただけ。十年近く前のノエルの夜、年があければ初代剣帝だったテュールとの大勝負が待っていることを結局、言わないままでベッドの中、裸で一緒に過ごした年の暮れを、その数日のことを。一瞬だけの笑みだったがテーブルの雰囲気は一転する。九代目が目じりの笑い皺を深くして、家光は眉間のたて皺を震わせ、沢田綱吉は明るく微笑む。

別に問題にはなってないですよね、と、沢田綱吉はキャッバネーロのボスに確認する。なんの問題にもなってないぜ評判は高いけどなとディーノが答え、九代目は頷く。それでカタがついた。