別に問題にはなってないですよね、と、沢田綱吉はキャッバネーロのボスに確認する。なんの問題にもなってないぜ評判は高いけどなとディーノが答え、九代目は頷く。それでカタがついた。

 

 

 カタはついたが、金の跳ね馬の気持ちはおさまらない。自分が庇うつもりだったのに沢田綱吉にそうされてしまった。そのツナは、明らかに自分よりザンザスをより意識して銀色の鮫を庇っていた。金の跳ね馬にはそれが面白くない。

 鮫の主人はまだザンザスだと思われているのか。それとも、自分よりザンザスの方に恩を売りたがっているのか。徹底的に逆縁の相手に、あの少年の愛情でも凌がれるのだろうか。そんなのは悪夢だ。

「おぉい、跳ね馬ぁ、ナンだよ、どーしたんだぁ?」

 シートで背中を丸め、また掌の中に顔を隠してしまった男に、銀色の鮫は戸惑い慰める。

「スクアーロ」

「お、おお、なんだぁ?」

「今夜、一緒に眠ってくれ」

「あ?なにイマサラ言ってんだオマエ」

 一緒に過ごせる夜は毎晩、同じベッドで目を閉じている男に改めてそんなことを言われて銀色の鮫は戸惑う。

「イヤな夢を見そうだ。抱きしめて眠ってくれ」

「オレにヤレって言ってんのかぁ?」

「違う。そうじゃない」

 真っ直ぐ、はっきり、即物的な相手の発送に少しだけ、気持ちが楽になった男が口元だけで笑った。

「魔王が来る」

 ザンザスという名前のあの男は、いつも自分の人生に深い影を落とす。欲しいものに限ってあいつに奪われる。愛情は、力ずくでは奪い返せない。自分ではなくあの男を眺める方に熱のある、誰彼の表情を眺めるこの妬ましさ。

「守ってくれ」

「なに言ってんだか、よく分かんねぇぞぉ」

「オレが好きになる奴は、みんな、オレより、あいつを愛してるんだ」

「……ってーか、それ逆なんじゃねぇか?」

 銀色の鮫はあまり、モノゴトを深く考えない。いつもサバサバと、頭ではなく感覚で動く。そうして時々、神がかりのように、鋭い。

「アイツと絡んでるのにばっか、オマエが執着、してるよーに見えるぜ?」

 その中に自分を含めているのかいないのかは分からないが。

「カンケーねぇのを好きになってみりゃいいじゃねぇか。オマエを好きな女なんざ、山のよーに居るだろ?」

「関係ないの、か」

 掌の中で跳ね馬が皮肉な声をだす。

「ボンゴレとも、マフィアとも、キャッバネーロとも?」

「おもての実業家の顔で引っ掛けりゃ、人気女優だってついて来るんじゃねぇか?」

「そんな女はオレとも関係がないさ。オレの本性はどっぷりコーサ・ノストラだ。それがイヤだったこともあったけどな」

「スーツ似合ってるぜ」

「ありがとう」

 一見、脈絡のない台詞だった。けれど典型的なマフィア・スタイルを拒んで普段はアメリカンカジュアルなこの男を、一番的確に慰める言葉だった。

 車内を沈黙が支配して、やがて。

「……オマエ以外は、あきらめる」

 顔から外した掌を、じっと眺めながら、金の跳ね馬は心を決めたように呟いた。

「九代目はもともとだし、ツナも、ボンゴレの血が、アイツの方を慕うのは仕方がない、ことだ」

「慕う、かぁ?」

 銀色の鮫が美しい目を眇めた。もっと凄みのある不純さを感じて。初対面の襲撃を除けば間近で声をかけられたのは今日が初めてだったが、さすがにブラッド・オブ・ボンゴレの次には迫力があった。毒もたっぷり持っていそうだった。

「でもオマエだけは絶対に手放さない」

「疲れてんじゃねぇか、跳ね馬。早めに寝ようぜぇ」

 キャッバネーロのボスは確かに疲労気味だった。年末を前に、専門である金融関係の仕事納めのために飛び回っていた。自宅に居るときもトウキョウとニューヨークの相場から目を離せず、仮眠しかとれていないことを、寝室が同じのスクアーロはよく知っている。

「年明けまでは、ゴロゴロして暮らせぇ。オマエ普段、働きすぎだぜぇ。ジャポーネでもないくせによぉ」

「そうだな」

 跳ね馬は素直に頷いた。

 

 

魔王が来る。奪い取っていく。でも逆なのかもしれない。魔王が持っているものばかりを欲しいと思う、自分が無謀なだけなのかもしれない。マフィアの世界のど真ん中で派手に君臨する筈だったあの魅力的な悪魔が憎いのは、自分がそう、なりたかったからかもしれない。

「なりたきゃ、なってみゃいいじゃねぇか」

 ボンゴレ本拠地から四十マイルほど離れた都市のホテル。ノエルの夜は事故が多いから無理をしてキャッバローネの地元へは帰らずここで夜明かしの二枚目は、隣に横たわる、情人の髪を梳きながら悪く酔っていた。同じ言葉を何度も繰り返す。魔王が来る、オレの大切なものを奪いに、と。

「オマエがなりたきゃ、なれなくもないんじゃねぇか?」

 酔っ払いの相手を嫌がらず、膝、というより伸ばした腿に乗り上げられた姿勢で真面目に、銀色の鮫はコメントを返す。言葉は世辞ではなく本気。この跳ね馬はけっこうな上物。本気で狙えば相当の場所に手が届くだろう。

「オマエになぁ、足りてねぇのは、欲だけなんだよぉ」

 十代の初めの頃から知っている相手に、楽な部屋着の鮫は囁く。その言葉を、酔った男は天啓のように聞いた。ああ、神様。大人になってはみましたが、結局なにが欲しいのか分からないまま、周囲にめぞまれる通りの自分に、なってしまいました。

「そりゃそぉだ。つえぇ方が勝つぜぇ。コックでも漁師でも、なりたいモンがオマエにありゃ、オマエは部下たちの思い通りにならねぇで済んだ筈だぁ」

 十四の時に最強になって、紆余曲折はあったものの現在までを真っ直ぐ突っ走っているキアイの入った剣豪が笑う。そういえば、確かにコレは子供の頃から欲望でギラギラしていた。強くなりたいという欲で細い体が何倍も膨れ上がって見えていた。

「だけど、オマエは、強くて若い。今からでも全然遅かぁねぇ。魔王になりてぇのか?」

 優しく尋ねてくれる神様に問われて考える。魔王に、なりたいのだろうか、自分は?

 否の答えがすぐ胸に浮かぶ。そうではない。己の周囲に磁場を形成するほど存在感のあるあの男のことは妬ましい。けれどあんな風になりたくはなかった。あんな風に愛されたかっただけだ。必要とされたかった。

「悪くねぇ欲なんじゃねぇか?」 

 ノエルのシャンパンを、ベッドの上で瓶から飲みながら銀色の鮫は言う。酔った男に寝床へ連れ込まれる途中、テーブルの上から咄嗟に掴んで一緒に運ばれた瓶もそろそろ、カラになる。

「叶ってるじゃねぇかよ着実に。なぁ、昔のヘナチョコがよぉ、でかいファミリー引っ張って部下たち背中に引き連れて、まさかこんな大物に、なるたぁ思わなかったぜぇ?」

 それは家庭教師が、と言い掛けて、やめた。銀色の鮫の前では言わない約束の固有名詞。そうじゃないんだ、と、金の跳ね馬は弄っていた髪をひっぱる。いてぇ、という苦情と一緒に頭が近づいて、望みどおりのキス。

「いで、イテぇ、引っ張んな。もー寝るぞぉ」

引くなと言いながらも銀色の鮫は酔っ払いから髪を取り戻そうとはしない。拗ねた子供からモノを取り上げようとするのがどれだけ危険か経験で知っていた。好きなようにさせながら屈んだ姿勢で器用にズボンを脱ぐ。

てめぇもそんだけ酔ってりゃヤクに立たねぇだろう。仲良くオネンネしようなぁ、と、並んで横たわる毛布の上から跳ね馬の肩を叩いてやる。ぎゅっと男は銀色の髪を掴んだ。

「……欲しい」

 正直な、欲望の告白。

「ヤんのかぁ?勃つかぁ?」

 ムリなんじゃないかと、美形は心配そうに言う。そうではないと、男はかぶりを振る。

「愛が欲しいんだ」

「は?」

「オマエの愛が欲しい」

「……」

 せっかくのノエルの夜だというのにカクン、と、音をたて落ちそうになった顎を銀色の鮫は意思の力で噛み締める。

「これだけは諦められない。どうしたら愛してくれる?」

「ンな、ものは……」

 地中海の輝きを集めたような深い青が間近で揺れている。酔っ払いの戯言をマトモに聞く必要などない、と、銀色の鮫は頭では分かっている。分かっているが根が真面目な性質で、つい答えてしまう。

「奪えよ。マフィオーソなら」

 その対象が自分であるということを除けば、銀色の鮫の叱咤は正当なものだ。女に愛情を乞うのはカタギの男がやることであって、マフィアの男は、欲しい女は力ずくで奪う。その恋人や家族や、女自身から。ただし手に入れた後は女神のように大切に仕える。全身全霊、全ての力で幸福にしなければならない。

「もう、奪った」

「……、だったな」

 奪われてここに居る。そして全身全霊を賭けて、全力を絞りつくして、幸福にしようとしてくれている。いるのは、分かる。この世で一番、この男が自分に優しいだろうと銀色の鮫は思う。

そうして自分がこの男の、カラダの内側と外側、未来と過去と現在、率直に言ってしまえば人生そのものを、支配している自覚も少しはある。

欲しいものはと問われるたびに、九代目の首と答えたい誘惑を舌の上で喉の奥で、転がすことは最近の、甘酸っぱい楽しみ。実際に言わないのは自分で獲らなければ意味がないからだ。強欲な鮫は昔から力だけが欲しい。強くなりたいのは自分自身の自己実現、自らの属性にしたものだけが自分のものだと、聡明に悟っているから。

「思いつく限りで愛してる。でもオレを欲しがってくれない。必要とされていないんだ。俺はまだ役に立てない。本当のことを教えてくれ。本当は何が欲しい。どうすればオレを愛おしんでくれる。オレから離れられる自由が欲しいのか?それ以外じゃダメなのか?やれないたった一つのものだけを、どうしてオマエはそんなに欲しがるんだ」

「おい、落ち着け、跳ね馬」

「オマエの愛が欲しい。なぁ、欠片でいいから先にくれ。オレを棄てないでおいてくれるなら、ボンゴレからオマエの自由を取り戻してやるから」

「跳ね馬」

「オマエだけなんだ」

 酔った男の嘆きは深い。ほだされそうになる。

「オレは与えるのか気持ちいい男だ。部下を守ってやったり、弟分を庇ってやったりが好きだ。ガキの頃、バカにされ続けた反動だ。物分りがいい、気前がいい、頼りがいがあるフリして、自分の傷を舐めてる」

「フリでも、そこまで板についてりゃ立派なモンだぜぇ?」

「でもオマエには、するだけじゃ足りない。されたい、って思うのはオマエだけだ。愛してるだけじゃ足りないんだ……」

 愛してくれと、嘆きの言葉はもとに戻っていく。根気強く、銀色の鮫は男の嘆きに付き合う。泣かせているのが本人の薄情でさえなければその優しさは、立派に恋人のもの。

 愛情が欲しいと泣きながら訴える男を、優しさで宥めて寝付かせた鮫は目が冴えてしまった。胸に抱きしめた男は情人の心臓の音をたてながら、泣きつかれた子供のような顔で、ぴくりともせず、深く眠っている。

 その、髪を撫でてやっているうちに。

「……やりたい、キモチもよぉ……」

 ある。こんな上玉にこんなに想われることは多分、人生で二度とまるまいと思う。惜しんでいる訳でももったいぶっているのでもない。自分も持っていないのだ、それを。

「なんか、もぉなぁ……。どっかやっちまった……」

 人生の過去のどこかに落としたか壊したかして手元にはない。だから渡してやれないと、静かな寝息をもらす男に詫びる。

 どこに行ったか、実は分かっている。誰の足元に転がっているのかも。でも取り戻しに行く勇気はない。受け取ってもらえなかったソレが省みることもされずに廃棄されていることを、知りたくはなかった。

「ごめんな……」

 こうやって抱きあっていれば、新しいそれが、いつか、胸の中に育つだろうか。もしそだったら、その時はやるけど。

 多分むりだと、自分でも分かっていた。