沢田綱吉の身柄はボンゴレ本邸へは運ばれなかった。当然だ。当代と次代が同じ場所に居れば、万一の襲撃をうけた場合、揃って殺される可能性がある。敵襲の標的は引き離しておくことが原則。

では何処に匿われたかと言うと。

「はい、請求書」

 雲雀恭弥が代表を務める並盛財団のイタリア支部。

「キミの滞在費と食費と光熱費。ボクの人件費が一番高いけど。全く、ヒトの留守に勝手に転がり込むんじゃないよ」

 ボンゴレ本邸に比べれば質素な施設だ。郊外に立つ、たった一軒の館。中の一角は和室に改装されていて、三十センチはある布団を敷いた上に、沢田綱吉は幸福そうに横たわっている。

「ごめんなさい」

 運びこまれたボンゴレ十代目のそばには山本が付き添っていた。が、ドイツ滞在中だったヒバリがやって来てくれて警護を交代した。ヒバリは基本的にマフィア間の抗争には関わっていないが、意識を失った沢田綱吉の身柄はしぶしぶ預かった。

「でもオレ、ヒバリさんに守ってもらえて凄く幸せだな。ずーっと白蘭に狙われていてもいいや」

 そんなことを言いながら、着流し姿の恋人から請求書を受け取った、コットンのパジャマ上下の沢田綱吉の笑みがさすがに凍りつく。並んだゼロの数にはなかなか迫力があった。

「ボクは高いよ?」

「……よく知ってます」

「自分のオンナの値段をまさか、値切らないだろうね?」

「分割できますか?」

「うちはね、いつもニコニコ現金決済だ」

 バーン、と、昔、香具師の元締めをしていた頃と同じ迫力で雲雀恭弥は腕を組む。そうでした、と、沢田綱吉はがっくり肩を落とす。容赦のなさに泣きたくなったが、まぁ、でも。

「雲雀さんの匂いがするお布団で眠れたから、いいか……」

「またそんな変質者みたいなことを言う」

「変質者じゃありませんー。恋人の匂いがする布団を好きでなにが悪いんですかー。すん、すん。ああ、いー匂い」

「やめて、ヘンタイ」

「このお布団、その請求書のおまけにつけてよ」

「ゼロをもう一つ増やしてくれるなら」

「いいよ。どうせもう、オレが理解できる範囲外の額だし」

「……冗談だよ」

 さすがにそれは、ヒバリが引いた。

「この布団、本気で欲しいんだけど。なんかねぇ、覚えてるよ。ふわって、途中で、凄くあったかくなったの。あれ多分、山本が、この布団に寝せてくれた時だと思うんだ。すごい苦しかったんだけど、ヒバリさんの匂いに包まれて幸せになったの」

「違う」

「違わないよ」

「違う。君が気づいたのは、ボクが暖めてあげたからだ」

「うん。そっちは、はっきり覚えてる」

 雲雀恭弥がここへ駆けつけたのは沢田綱吉が運び込まれて八時間後だった。医療班はつけられていたが意識はなく、低体温で、保温毛布に包まれてなお震えていた。それが。

「あったかかった、ヒバリさん」

 雲雀恭弥に抱きしめられた途端、みるみる生気を取り戻し、数分で意識を取り戻した。ぎゅう、っと抱き返された瞬間、仮病で騙されたのではないかと疑ったほどの劇的な回復だった。

「ボクはキミの命の恩人だ。今後、敬うように」

「違う」

「違わないよ」

「違うよ。アナタはボクの、命そのものだ」

 自信をもって沢田綱吉が断言する。雲雀恭弥はその口調に満足して、口元を緩める。正直さへの報酬、という風に、近づいてかがんで、額にくちづけをくれた。

「愛情、なんだなぁ、って」

 嬉しそうに目を細めながら沢田綱吉は呟く。

「ん?」

「よく、分かった」

「なにが?」

「命の意味」

「大げさだね」

「そんなことないよ」

 少しも大げさではない。搾りつくした死ぬ気の焔、命のエネルギーそのものを、補ってくれたのは愛しあっている恋人。

「ヒバリさんが居てくれないと、俺はきっと生きていけない」

 大げさだねと、こんどはヒバリは言わなかった。代わりに。

「ボクはキミが居なくても生きていけるけど」

「……ひどいね」

「居てくれた方が楽しい」

「え?」

「キミが貫いた竜の尾を見たよ」

「ヒバリさん?」

 沢田綱吉が見上げる視界の中、雲雀恭弥のあでやかな目尻が微笑む。切れ長の瞳がうるんでキラキラ光っている。

 ごくり、沢田綱吉が息を飲む音。

「すごかった」

「そ、う、かな?えへ」

「ゾクゾクしたよ。素晴らしかった」

「ヒバリさんに、そんな風に言われると照れちゃう。えへへ。ま、あれはザンザスの力もちょっとあるんだけど。……五分の三くらいのちょっと……」

「ここぞという時に思いがけないちからを発現する、キミは本当に魅力的だ。昔から、ボクはキミのそういう所が気になってたまらない。この世で一番、ボクをワクワクさせるのはキミだけだ」

「あの、ヒバリ、さん」

「なんだい?」

「俺も、ドキドキ、しているんですが」

 雲雀恭弥の二の腕を掴んだ沢田綱吉が、真っ直ぐに恋人の美しい瞳をじっと見上げる。

「キスしていいですか?」

「あのちからごとボクのものだと誓うなら」

「誓います」

 

 

 

 

 ザンザスの回復は沢田綱吉より遅れた。意識が戻ったのが二日後、身動きできるようになってヴァリアーの本拠地へ戻るまでボンゴレ本邸で丸一週間、寝込んだ。

 そちらも沢田綱吉と同じ低体温状態。暖めたのは一緒に本邸へ『戻った』銀色の鮫。目覚めてからも口がきけるようになるまで一日、自分で食事がとれるようになるまで更に一日が必要だった。その間、殆どベッドの中で寄り添って、銀色の鮫はボスを、昔の恋人を介抱した。

 本邸の御曹司の部屋は昔のまま。隠し部屋の寝室も、天蓋つきの寝台も何もかも。懐かしい、と、鮫が思えたのはザンザスがベッドの上で起き上がり暖めたリンゲル液を自分で飲めるようになってから。それまではそれどころではなかった。

「……戻るぞ」

 口がきけるようになったザンザスが開口一番、言ったのはそんなこと。目を開けているだけで辛そうなくせに、シーツにそっと自分の身体を戻そうとした銀色の鮫の手を拒んで立ち上がろうとする。

 途端に、よろけた。

「まだ無理だぁ。お前、三時間のドライブきちいだろぉ?」

窓のない狭い、寝室というより隠れ家、巣穴を連想させる寝床は銀色の鮫にとっては懐かしい空間。だが、男にとってはそうでないことを悟る。目を伏せ周囲を見回そうとしない。横顔には隠しきれない嫌悪感。

「やっと起きれるよーになったのに、また悪化するぜぇ?」

「構わねぇ。用意しろ。戻る」

「もーちょっと、待てぇ。せめてあと一日」

「うるせぇ。急げ」

「俺ぁ一緒に、戻れねぇんだぁ」

 もう少しそばに居たいと思ったからそう言った。

「あ?」

 ザンザスが癇癪を起こす寸前の表情で眉を寄せる。

「なんで」

「寝ろよ、ザンザス。ジジイが来たら追い払ってやるから」

「てめぇはなんでここに居る」

「十代目の命令だぁ。お前のことを守れってぇ。あいつお前の焔を遠慮なく食いやがって、そのせいでお前、二日も、眠りっぱなしだったんだぁ」

「あの、ヤロウめ……」

 シーツに背中を戻しながらザンザスは悪態をつく。けれどそれほど深刻なものではない。

「で、勝ったんだろうな?」

 敵に負けるよりは味方に力を使い尽くされる方がマシだ。自分を拒んだボンゴレのことをザンザスはまだ愛している。それが無残な敗北を喫すよりはよかった。

「一応なぁ。俺もこっち篭りっきりで、よく分かんねぇけどよぉ、白蘭の、なんかアジトみたいなところに術士が四十人、揃って潰れて、死んでたそうだぜぇ」

「当たり前だ」

 言いながらザンザスは枕の上でくくっと笑う。四十人の圧死を聞いて愉快だったのは、一瞬とはいえ迫ってきた空間に潰される恐怖に晒された反動。いい気味だと笑っている。高い感能力を持つザンザスと沢田綱吉には、地脈の竜が尾を振りかけたことを悟った瞬間の戦慄も桁違いだった。

「報復はどうなっている?」

「知んねぇ。俺も外に出てねぇって言っただろ。あんままだ喋んなよぉ、ザンザス。ちょっと、触るぜぇ」

「役に立たねぇヤロウだ」

 自分の手首に触れ、壁の時計を見ながら脈を測る美形に、目を閉じながらザンザスが言った、言葉は少し、嫌味がましかった。

「二日も、ナニしていやがった」

「お前のことあっためたりカラダ拭いたり水飲ませたり、点滴したり、九代目を守ってるフリしてみたりだなぁ」

「ジジイを?」

 ザンザスの頬がびくびくと痙攣。怒るなよ、と、銀色の鮫は仕立てに出たが、脈を測ろうとしていた腕を取り上げられる。仕方ねぇじゃねぇか、と、かつてのヴァリアー副官は言った。

「十代目の命令だ。報復戦はあっちの守護者たちが主戦力になってヤッた。っても、先に全員に死なれてて、本拠地に斬り込むにゃこっちがガタついてて、ろくな戦果はあがってねぇけどな」

「なさけねぇな」

「オマエにブッ倒れられて、俺らにどうしろってんだよ」

「とにかく、戻る」

「ちょ、おい。まだムリすんな、って」

 シーツに腕をついて起き上がろうとした肩を銀色の美形が押さえつける。男は銀色の鮫の腕は拒んだが、反動でそのまま、再びシーツの上に伸びる。口ほどにはまだ身体は回復していないらしい。腕にも力がなかった。

「ほら、いーからもーちょっと、寝てろぉ」

「この、ヤクタタズのカスザメ、め」

「起きたらと思ったらそれかぁ。つめてぇオトコだなぁ」

 嘆く言葉を紡ぐ唇の形のよさはマネキンのよう。伏せた瞳には睫が長く生え揃い、枕もとのぼんやりした日からを受けて発光するように光っている。それが本当にしょんぼり、肩を落としている様子は可哀想でもあり、美しくもあった。

「目ぇ覚めなきゃよかったのなぁ。そしたら、ずーっと、抱いててやれたのに」

「……」

「ジョーダンだ。怒るなぁ」

「……」

「悪かった。ごめん」

 八年、眠らされていた男に言うには無神経な言葉だったことを、銀色の差は反省し、心から謝った。だが。

「てめぇ、なんで」

 男が、案外おおきな目を見開いて返事をしなかったのは、怒っていたわけではなく。

「ここに居やがる……?」

 現実をようやく認識した。今までは実は寝ぼけていた。目覚めると当たり前のように横に居て、気分はと尋ねられて、飲み物を差し出されたから、うっかり当然のこととして受けたが。

「だから、十代目の命令だぁ。お前のことを守れってぇ」

 さっきと同じ答えを銀色の鮫が口にする。違う、さっきとは質問の意味が違う。さっきは、当然行われているだろう報復戦にどうして参加していないのかと尋ねた。今はなぜ、自分の隣に居るのかと訊いている。

「……」

 口がきけないほど驚いている男の隣に、ぱふん、と、銀色の鮫もカラダを伸ばし、腕を廻してくる。

「もーちょっと寝てろよぉザンザス。頼むから。せめてあと半日。駄目なら二時間。……一時間」

 ボンゴレ本家の御曹司は少年時代から支配者の資質に恵まれていて、愛人にも外では甘い顔を見せない。代わりに部屋の、ベッドの中ではわりと優しくて、その落差に銀色の鮫は昔、ころりと転がされた。

「もーちょっと、こーやって……、抱かせろぉ……」

 しなやかな腕に抱かれる。記憶がざーっと、男の頭の中で点滅。この部屋で、素肌で抱き合いながら何時間も何日も二人きりで過ごした。前世のように遠かった幻のような記憶がいま、生々しい手触りと暖かさを伴って、男をからめとる。

「サイゴ、かも……」

 しれないだろぉと、銀色の鮫が呟く。男はそれどころではない。カラダも心も、襲いかかる勢いで蘇る昔の記憶といまの感触に蹂躙されて、音をたてそうに、混乱。

「なぁ、ザンザス。オマエだけ、ずっと」

 愛していると、自分に告げる暖かさに、頭の芯が痺れた。