その日の昼食を摂りながら。

「今夜、出る」

 言ったザンザスは優しかった。別れの予告をしてやった。

「……ああ」

 頷く銀色の鮫はききわけよかった。仕方のないことだと諦めていたし、覚悟はしていた。けれどだからといって悲しみが薄くなる訳でもない。

「ジジイと家光から庇ってやれる自信がねぇ」

 ザンザスは御曹司だ。外に向かって自身を形作ることに慣れている。その嘘というか演技というか、演出はいつも見事で隙がなく完璧。そんな主を、銀色の鮫は愛してきた。

 だから外で撫でられないことに不満はなかった。最初に知ったのがこの男だったからそれが当然、けじめというものだと思っている。だから昔から、二人きりの時の言葉と態度しか信じない。

「しばらくは……」

 男が言って、言葉を捜しきれずに、皿の横に置かれたシャンパンに手を伸ばす。沢田綱吉に『食われて』意識を失っていたのは二日間。それから五日も寄り添って息をしたオンナに、他の男のところへ戻れとは、さすがのザンザスも言いたくないのだろう。

 二人きりの今、そんなことを言われて銀色の鮫は胸が痛痒く疼く。この男の口から自信がないなんて語が出てくるのは奇跡だ。自分のことを考えてくれて、それでそういう結論になったのだと思うと、どんな言葉でも嬉しかった。

「わかった」

 銀色の鮫は答える。出会ってからずっと、ザンザスに対してはそれ以外の言葉を口にしたことがないかもしれない。服従することに慣れてしまっている。この男が行けと言う場所に行って、しろということをしてきた。

 庇ってくれなくてもいい。邪魔になったら自分で消えるから一緒に帰りたい。口にできない望みが胸の中でうずく。連れて帰ってくれよ、なぁ。もう離れたくない。

 そんな色々の言葉は口に出さないまま、ルッスーリアが作ってくれた軽いランチを食べる。

じっくり炒めたオニオンとベーコンのスープ、サラミ入り野菜たっぷりのグラタンに仔羊背肉のローストのセミドライトマト添え。ごく薄の生地にチキンとキノコが載ったピザ。デザートはフルーツタルトにコーヒー。

飲み物はクリスチャン・セネの白。辛口のそれはルッスーリアの料理によく合う。普段シャンパンを飲まない二人も、食事ごと一緒に一本をあける。朝食にまでついてきて、毎日が祭日のようだった。

「自分が」

「んな顔、すんなよぉ、ザンザス」

「なにを言っているかは分かっている」

「なに言われたってさせられたって愛してるぜぇ」

「どっちかのカタがついたら迎えに行く」

「……」

 セミドライトマトを口に運んでいた銀色の鮫のフォークが途中で止まる。あんまり思いがけない言葉だったから。

「それまで我慢していろ」

「……わかった」

 答える美形は動揺していた。ザンザスはタルトには手をつけずコーヒーを飲み干してカップを置く。銀色の鮫はコーヒーどころではない。カタカタ音をたてながらフォークを、ナイフと揃えて皿の上に置くのが精一杯。

 ザンザスが椅子を引いた。ゆっくり立って、テーブルを廻ってくる。自分も立とうとして美形はテーブルに手をついた。が、うまく動けなかった。

 ザンサスの手が伸びる。銀色の髪を一房、指に絡めて唇に運ぶ。美形の全身が硬直する。ここ数日の間に何度もされた仕草だった。でも全部がベッドの中で、そこでの出来事はセックスの前戯か後戯で、冗談半分、みたいなものだった。

 そう思っていた。

「ザン……」

 髪を離される。ほっとする間もなくまた指が伸びる。今度は頬へ。銀色の美形は息を呑む。背中から椅子ごと抱きしめられ、指先で撫でられた頬は次に掌で包み込まれた。後ろ髪に当たる柔らかな感触はまず間違いなく唇。服越しの暖かさと、男の肉体の質量が迫ってくる。

 くすくす、軽い笑い声も。

「なに硬くなってんだ、てめぇ」

「お前が」

「ん?」

「優しいのが、この世で一番、緊張するぜぇ」

「失礼なヤツだ」

 言いながら、口ほど不快ではないらしい。男は頬を包み込んだ掌を動かす。指が吸い付くような肌だ。頬だけではない。皮膚は昔からすべすべで、若かった御曹司の好奇心をチリチリ刺激した。

「なんか、落ち着か、ねぇ、ぜぇ……」

 ダイニングでの抱擁に美形の緊張は解けない。それでも男の掌に自分の右手を重ねて指を絡めた。そうしてその掌をそっと、頬から剥がそうとする。が。

 男の指に逆に、生身の指先を握りこまれる。そのまま頭上に右手を持ち上げられ、指先に柔らかな唇が押し付けられる。銀色の目を美形は左右に揺らした。なんだこれは。

 似たようなことは何度かされた。リング争奪戦の後で、ボンゴレ本邸やパーティー会場で出会うたびに。何か必要があっての演技だと思っていた。なのに全く同じ態度を、二人きりの今、とられて銀色の鮫は困惑、混乱。これでは、これでは。まるでまるでまるで、まるで。

 まるで本気、みたいではないか。以前のちょっかい、撫でてくれた指先や抱擁まで、まるで、本当のことだったみたいではないか。この数日が気まぐれな寵愛、弱った心と身体が齎した一時的な関係ではなかったみたいでは、ないか。。

腕を掴まれる。引かれるまでもなく立って、促されるまでもなく隠し部屋になっている寝室へ。ベッドの上へ。押し倒される。覆いかぶさられる。ぎゅっと抱きしめられる戦慄。

「……」

 唇が重なる間も、男が何かを言おうとしていることは分かっていた。何を告げられるのか怖くて、殆ど、泣きたいくらいの戦慄で銀色の鮫は震えながら待った。

 待って、いたら。

「なにそんなにビクついてやがる」

 男に何もかも見抜かれて。

「いつでも、オレぁお前だけ、こえぇぞぉ……」

 正直に答えるしかない。

「気まぐれで、オレのイキノネ、止めれんなぁお前だけだぁ」

 抱き返すというより縋りつきながら訴えた。返事はない。変わりに再びの口付け。シャツの襟に手を掛けられてチカラを抜く。舌を差し出してキスに応えながら腰を浮かしてベルトは自分で引き抜いた。

 唇が喉を這っていく。指先で胸を撫でられる。銀色の鮫は目を閉じる。それだけの刺激で自分の狭間がじんわりと潤んでいくのが分かる。バカだと思わないでもないが事実は受け入れるしかない。この男に濡れるほど愛しているという現実を。

「ん……」

 セックス、は。

 男が勃った、三日前から、支障なく遂行できた。

 あんまり簡単に繋がったから悲しかったくらいだ。メスの役目をする為に自分のカラダが仕込まれている事実も思い知った。食事をしている間に整えられたベッドの枕元へ腕を伸ばし、枕を手にして腰の下に敷く。肉付きの薄い自分の尻はそうした方が、男が愉しみやすいことを知ってる。

「ん、ン……、ッ、ん……、ッ」

 覚えているより男は性急で、楔を早く打ち込もうと焦るのに合わせてカラダをゆるめる。熱が内腿に触れる。舐めた方がいいかなと思ったが、十分過ぎるほどそっちももう、水気が滴っていた。押し付けられて覚悟をした。

「なに、しかめツラしてやがる。イヤか?」

 寸前で男にそんなことを尋ねられてしまう。そんな顔をしていただろうか。息がもう荒い男に気を使わせてしまうほど?

「ぜんぜん、イヤじゃあ、ねぇ」

 嘘ではない。イヤどころか心から望んでいる。好きな男の欲望を包み込んで、愛してやるのは気持ちがいい幸福なことだ。

 ただ。

「なんで……、ッ、あ……、ッ」

 犯される。合意の上だが、それで衝撃が弱まる訳ではない。侵攻される間は苦しくて息も出来ない。必死で受け入れることしか出来なくなる。ぬちゃ、と、潤滑剤の滑りを借りているとはいえ、圧倒的な質量に胎を満たされる。身動きも出来ない。

「はぁ、あ……、あぁ……」

 ずしりという重量感。

「う、ぁ……、ぅ……」

 馴染むまでは快楽どころではない。キツイ、苦しい。小刻みに震えながら目を閉じていると、男の硬い掌が宥めるように髪を梳く。頭を左右に振って耐えていたせいで背中に敷きこんでしまった髪を左右に流してくれた。優しい。

「な、んで……」

 その優しさに、つい、恨み言が、唇からこぼれる。

「もっと……、った、……のに」

「あ?」

「待って……、た、……、のに……」

 一度、言ったら、もう止まらなかった。今こんなに優しく抱いてくれるくらいならどうして、戻ってきたときに、せめて一口、齧ってくれなかった。八年も待っていたのに。お前だけずっと、待って、本当に一人でいたのに。

 途中で懐いてくる可愛い金髪を撫でてしまったことはある。でもアレは、あの時点ではお遊びの範疇を超えていない。女とは何回か寝たが、ほんとうに数回、黒髪で唇のふっくらとしたセクシーな玄人に、気に入られて誘われたことがあっただけ。

「……、のに、よぉ……」

 お前を待っていた。お前のためにずっと独りで居た。八年の眠りから目覚めたこの男に、何度か、何度も、わりと露骨に、抱いて欲しいと望んだ時は冷たく拒んだのに。

 気まぐれでよかったからあのとき、一度だけでも、触れてくれていれば、空白の八年間はその一度だけで全部、報われていたのに。

「……」

 責められて男は言葉を捜す。組み敷いてひらかせて貫いたオンナの白い腹の上で。オンナが身動きするたびに繋がった場所が蠢いて気持ちがいい。馴染むまでの、マテの時間さえ、この肌を抱きながらだと気持ちがいい。

「いろいろ、間違った」

 肘を折って胸を重ねながら男が言う。これが本当のことを知っていたことを知らなかった。これが本当に自分を愛していることを知らなかった。このきらきらな髪にムカついていた自分の衝動が性的欲求だということも分かっていなかった。知っていた欲望とは違いすぎて、てっきり嫌悪だと思った。セックスでこんなにゾクゾクすることがあるとは思わなかったから。

男がカラダをぴったりと重ねる。ひく、っと、その動きに刺激されたオンナが竦む。可愛い。そして美味い。腹も肩も重ねて、手首を掴んで腕を広げさせ自分の首へ運ぶ。掴まれという申し出ではなく抱きしめろという要求。いい匂いの首筋に顔を埋め息を、肺いっぱいに吸い込む。

「ひ、でぇ……」

 オンナは男の要求どおりに腕を廻し、腰を抱き取られ膝を広げながらそう言った。そんな一言で済まされるのはあんまりだと思ったのだったが。

「知ってただろ」

 決め付けられて納得。そうだ、知っていた。そんなこととっくに承知だった。知っていて愛したのは自分だ。文句を言うのは間違っているかもしれないと、素直すぎる頭でそう思った。

 思ったのが男にも伝わる。なんて単純なバカだと呆れながら、膝を掬って、さらに披かせる。

「ひんッ」

 関節のかみ合う角度のせいで浮き上がった腰に、楔を更に飲ませる。奥の場所を先端で押してやると殺されそうな悲鳴を上げる。昔より歓びが深いかもしれない。昔とは歳が違うから、これで当たり前なのかもしれない。よく分からない。

「ん……、ッあ、ぁ……、ぅあ、……、」

 ゆっくりと、嬲る。高い声を上げながら仰け反る肩を許さず引き寄せる。違う男に熱烈に望まれて身柄を引き取られた先で、どんな風に暮らしているかは見れば大体、見当はついた。男の膝の上で眠って掌の上から食事をして、暇さえあれば喉や背中を撫でられ毛並みを整えられて、そんな風でなければ有り得ないほど顔も髪も体も内側からうすく発光して見える。

「キャバッローネの駄馬が」

「ざ……、い、ヤダ……」

 止めてくれ、とかぶりを振られる。その話は止めてくれそれに触れないでくれと、何度目かの哀願。哀しそうな目尻に唇はくれてやったが、言葉は止めないで。

「ナニしてやがっても、大して気にはならねぇ」

 慰めたつもりの言葉だったのだが。

「……ひ、でぇ……」

 傷つけてしまったらしいことに、男はしまったと、珍しく後悔。細い腰を抱いた腕にチカラを篭め、律動をリズムに乗せながら補完する言葉を捜す。包み込み絡みつき絞り上げてくる粘膜の心地よさに頭に血が昇って思考がうまく纏まらない。

 結局、何も言わないまま最後まで犯した。腹の中に欲望を注ぎ込んでやるとアツイと泣きじゃくる。その瞬間に男の胸に、チリッと、何かが燃え上がる。

「……、駄馬のはつめてぇのか?」

 それが嫉妬というものだったかもしれない。

「……、から……」

 あの見目でアクマなら一種完璧だなと、見事な金髪を思い出しながら男は喉の奥で笑う。

「ゴム、使ってっ、から……」

 もちろん熱いが、ナマの粘膜に直接に撒かれる、この衝撃はない。相手の体のことを気に留めないマナー違反、考えようによってはオトコとして最低な行為、なのに。

「はっ。ママゴトしてやがる」

 惚れて眺めるオンナの目には剛直に写る。写ってしまう。それが錯覚であったとしても本人にとっては真実。

「……、うん」

 そうだなとオンナが薄く笑って、救われたような目をした。