葬儀はキャバッローネが出した。おおがかりなことは出来ず、牧師を呼んで安息を祈りながら納棺しただけ。死者がこの世で一番愛した男は間に合わなかった。日本に来ていたからだ。そして荒天で成田の国際線が止まりボンゴレのジェットも発着出来なかったから。

 天気が納まった頃には知らせが沢田家光にも届いて、九代目の専用ジェットをザンザスに使わせることに難色を示した。沢田綱吉がソウル発の直行便を手配して、それで戻った。知らせを受けて以来、殆ど表情を動かさなかったザンザスだったが、ソウルまでのチャーター機に乗り込む途中、沢田綱吉に向かって会釈した。珍しい、というより初めてのことだった。

 ザンザスは一人だった。九代目が日本へ来る旅の介添えとして同行させられていたから自分の側近は連れて来れなかった。世話役の隊員は二名つけられていたが、『あの』ザンザスの近くに寄るだけでビビッて腰がひけるような根性なしで、緊急時にはなんの役にも立たない。

 心配したボンゴレ次期十代目の名代としてザンザスにはボンゴレ雨の守護者・山本武がつけられた。無神経に近いクソ度胸の山本は相手がローマ法王でもザンザスでも緊張するということがない。だから顔色を蒼白にして震えているのはザンザスが怖いからではない。

「な、んかの、間違い、なんじゃ、ね?」

 沢田綱吉の指示に従って、秘書のようにザンザスに寄り添い荷物を持ちながら、そっと問いかける。

「なぁ、ホントはあんたら、死んだってことにしてナンか企んでんだろ?実はディーノさんもグルで、スクアーロのこと自由にする為に、死んだってことにしたんだろ?」

 そうだって言ってくれよと告げる山本の必死の表情にもザンザスは返事をしなかった。それどころではなかった。二人がイタリアに到着し、ザンザスがディーノに墓に案内された時、山本は同行しなかった。

日本に残った沢田綱吉と連絡をとりあうのに忙しかったしイタリアに到着して以後のザンザスにはティアラの王子様がぴったり隣についていて、付き添いの必要はなくなっていたから。だからザンザスの投身自殺未遂を、山本はボンゴレ本邸の一室で聞いた。驚愕、した。

 日本の沢田綱吉へ連絡。そこからまだ日本滞在中の九代目へ報告がなされる。折り返し、厳重な暗号通信で齎された情報は九代目が心臓発作を起こして倒れたというもの。万一のことがあれば、弱冠にも満たない十六で沢田綱吉はボンゴレのドンに就くことになる。沢田綱吉は蒼白になった。大騒ぎだった。

 九代目はやがて回復し、ザンザスも辛うじて一命をとりとめる。イタリアへ戻る九代目には沢田綱吉が付き添い、キャバッローネの若いボスが出迎えた。そこでディーノは九代目と居並ぶ幹部たちの前で家光に失態を叱責され面目を失ったが、一言の反論もしなかった。

 

 

 山本が帰ってきたのは出発から十日後。たった十日で人相が変わるほどやつれて。

「……大丈夫か?」

 普段、張り合って喧嘩してばかりの獄寺隼人が自分から近づき、肩に掛けられたボストンバッグを受け取ってやるほど。

「しっかりしろ。てめぇが死人みたいな顔色してるぞ」

 ほら報告しろよと、獄寺が山本を促す。沢田綱吉はさっきから心配そうな顔で山本を見つめていた。

「え、っと。山本、とにかく座りなよ。お茶、飲む?」

 椅子を珍しく、本当に珍しく獄寺が引いてくれる。その椅子に山本は腰かけ、そのまま、崩れ落ちた。

「おい、山本」

「しっかりしてよ、ねぇ」

 主従も立場も忘れた二人が山本の肩と膝を抱く。背中を震わせて声を忍んでの号泣が、見ているだけで苦しい。

「スクアーロさん、やっぱり亡くなっていたの?」

「ザンザスのヤローはどーしてる?ヴァリアーの他の連中は?」

「九代目は?」

 質問に山本は答えようとして顔を上げるが、涙で濡れたそれはまたすぐ、伏せられる。表情を隠す掌の上に自分のそれを重ねて、獄寺が珍しく、相棒のことを優しく撫でてやる。

「……愛してたのか?」

 死んだ美形のことをと尋ねる。聞きたいことをきくより先に、言いたいことをいわせてやるべきだと判断して。こくりと山本が頷いたのはこの二人の関係においては裏切りの告白だった。けれど。

「ムリもねぇなぁ。アイツ、チョービケイだったからなぁ」

 てめぇはメンクイだしなあと獄寺が言う。聞きようによってはチョー自惚れの台詞だったが口調と表情に嫌味がなく、本当に死者を悼んでいるように見える。

「死に顔、どうだった?見れたか?」

 山本がかぶりを振る。よしよしと、抱きしめ胸の中、腕で包んで、慰めてやる獄寺は本当に優しい。暖かさにじわっと山寺がまた涙を流す。愛惜と、そして、後悔の。

「オレもあの、ツラと腕前はキライじゃなかったなぁ」

「……好きだった」

「だなぁ。オマエずーっと、あの鮫狙ってたなぁ」

「ん、じゃない……。好きだった、けどだから、じゃなくって」

 こんなに悲しいのは。

「さ、しくして、くれたんだ……。優しく……。あんな風に、してたくれたのは、この世で親父と、スクアーロだけ、だ……」

「だったなぁ。あのビケイ、オマエのことすっげぇ気に入ってたもんなぁ。勝負の相手と自分の技、映像にして教えてくれるなんざ滅多にない好意だぜ。ってーか、フツーやんねぇぞ。盃かわした師弟でもねぇのによぉ。オマエの何処そんなに見込んでくれたか知んねーけどよぉ、マジびっくりだぁ」

 獄寺の言葉は山本をますます泣かせた。泣かせたが涙が流れるたびに、胸を締め付ける苦しみはほんの少しずつ薄らぐ。気に入られて愛され優しくされた記憶は甘い。

「ちからを、よぉ。くれるってのが、一番の愛情だぜ。俺らの世界ではなぁ」

 山本は泣き声を押さえきれなくなる。獄寺のシャツに縋りつきながら、嗚咽というより高い悲鳴を漏らす。サカラ綿の高級仕立てのドレスシャツを汚されしわくちゃにされても、獄寺は珍しく文句を言わなかった。クリーニングに出すたびに黒蝶貝のボタンを十二個、自分で外しているほど気に入っているものなのに。

押しつけられた顔から流れる涙で濡れる胸が熱い。ホンモノの嘆きの様子に、後ろ髪を撫でてやる。沢田綱吉がおろおろしながらそれを見ている。獄寺に任せておけば大丈夫だとは思ったが、それでも心配で、二人の周囲をクマのようにうろつく。

「アイツの本命が実はオマエだったってオチでも、俺ぁ驚かねぇぜ。そんぐれぇ、おまえ可愛がられてたからなぁ?」

「……、っ、……、ぁ」

「ひでぇオンアダ、しやがって」

 獄寺が軽い口調で言った。本当にさらっとだったが山本には死ぬほど効いて、また、悲鳴が高く上がる。今度はぎゅうっと、山本の指が獄寺の背中にたてられる。痛みに耐え切れず掻き毟るような仕草。

「知ってたくせに見殺しにしたんだよな、オマエ」

「……ッ」

「獄寺君」

「苦しんでるのを笑っていやがったろ。助けてやろうと一度もしなかったな。助けるどころか十代目に頼んでもやらなかったよな。オマエは恩知らずのひでぇ男だ」

「な、泣かないで山本。オレも同じだよ。オレだってまさかスクアーロさんとザンザスが、そんなに辛かったなんて思わなかったもん」

 泣かないで、と、山本の背中を沢田綱吉は椅子ごと後ろから抱いた。泣きじゃくる痙攣がびくびくと伝わってくる。深い嘆きに感染して未来のボンゴレ十代目も泣きそう。

「オマエが見殺しにしたんだ。その気になれば助けてやれねぇことはなかったのに、苦しんでるとこ面白がってたオマエのニヤケヅラ、オレはまだ覚えてるぜ」

「……、ッ!」

「こんなヤロウの何処がよくって、あの鮫、オマエを、あんなに可愛がってくれたんだろぉなぁ?」

「あ……、ぁ、あ……」

 山本武の背中が波打つ。悲しみに悲鳴が裏返る。おろおろと戸惑いぎゅっと抱きしめることしか出来ない沢田綱吉と対照的に、アッシュグレーの髪をした獄寺は落ち着き払っている。

「二十、四か?アイツ。惜しいなぁ。あんな才能ギラギラの上玉を、そんな歳で殺しちまうなんざ勿体無いにもホドがある。ああいう教えたがりのウンチクヤローは本人の腰が曲がってヨイヨイになっても、弟子の指導させりゃあガミガミうるせぇ鬼師匠になって、組織にとっちゃあそうとう役に立つのになぁ。あと五十年は十代目の為に働いて貰えたってのに、惜しいこったぜ」

「う……、ぁ……」

「オマエもすっげぇ親切に指導してくれる貴重な先達なくして、先々不安だなぁ?」

「獄寺君、そんなに……」

 傷口に塩をすり込むようなことを畳み掛けて言わなくてもと、沢田綱吉は顔を上げる。けれど止める言葉を途中で言えなくなった。獄寺は、山本に対しては滅多に見せない、もしかして初めてかもしれないくらい優しい顔で相棒の後ろ髪を撫でている。

 そしてひどいことを言われている筈の山本は、ひどいことを言っているはずの獄寺のシャツの裾が全部、スラックスから抜けてしまうほど必死に、それだけが救いのようにしがみ付いている。

悲しみに溺れ死んでしまいそうな気持ちの、たった一つだけの希望といわんばかりに。

「あんなに愛してくれた超上玉を、見殺すなんざ、どーゆー了見だ。まったく理解に苦しむぜ。バカにも限度がある」

「……、う、ぁ……」

「全くオマエ、これからどーすんだよ。ボンゴレ守護者っても俺らはまだガキだし、オマエの親父はイケてっけどファミリーにとっちゃ部外者だし、ナンかあったときにオマエが駆け込める先ったらアイツだけだったんだぜ?」

 剣士としての腕も名声もほぼ世界水準、業界内ではトップを突っ走ってきた誉れ高い銀色。

「なんてバカなヤローだ。そんなにアレか。あの鮫がザンザスと仲良くしてんのがイヤだったのか。やきもちやいて金の卵産むニワトリ絞め殺しちまったのか。テメーはホントーに、救いようがねぇバカだ」

「ごく……、でら、ぁ……」

「あいつあんなに、オマエに優しかったのになぁ?」

「あ、ぁ……、ぁ……」

 胸の中で号泣する相棒を獄寺隼人は抱きしめながら、その揺れる頭越しにボンゴレ十代目・沢田綱吉を見た。そして。

 右手を、そっと、外して宙に上げて人差し指を立て。

 そして。