ヒキコモリ、と、ザンザスはよく揶揄される。仕事の時だけは動くが、他は誰がなんと言っても頑としてヴァリアー本部の自室から動こうとしない。他人と会いたがらないのは昔からだったが、篭る頻度は以前より増した。
本邸へ尋ねてくる客にも滅多に姿を見せない。年に一度、九代目の誕生日にイタリアへやって来る澤田綱吉とだけは辛うじて会うけれど、会ってどうするということもなく、一杯だけの茶を飲んで終わる。何年もそんなことが続いて、ただでさえ表舞台に立つことのないヴァリアーは、ボンゴレ内部でも伝説上の存在になりかけている。
九代目の誕生日は真冬の寒い日。その日は何人かにとっては別の意味を持つ日だ。一人の青年が同じ日に死んだ。以来、ずっと、黒しか着ない男は今年も、養父の誕生パーティーには行かず自室から庭を見下ろす。雪がうっすら積もったその庭は人の背丈を越す常緑樹が植えられており、この寒さの中、雪と見まがう白い花と血のように鮮やかな赤いを咲かせている。
日本から贈られた寒椿。アジア原産でヨーロッパでは滅多に見ない、真冬に花を咲かせるツバキとサザンカの交配種。
一本の木だが珍しい相生で、二色の花が咲く。中には白と赤が混じった花もあり、ルッスーリアが大変に気に入って、年中手入れしている。
もとは熱帯および亜熱帯に自生する品種だ。イタリアの冬を越すのは辛いことだろうが、晴れの活性の波動を持つルッスーリアのおかげが葉の緑色も冴えて、贈られた時は腰のあたりまでだったのが、実にすくすくと育っている。たてより横に育ちやすいというが、成長しきればそれでも四メートルに達するというから、そうなったらザンザスの私室の窓にも届くだろう。
ツバキと違って一枚ずつ散る花びらが枝の先端から落ちる位置には墓がある。ティアラの王子様がボンゴレファミリーの敷地から奪い取ってきた棺が、墓標もなしにそこに埋められている。相生の花がその代わり。棺の主の名を知る者は少ない。
少ないうちの一人が早朝からやって来ている。昼も近いというのにまだ立ち去らない。背後に控えた側近のロマーリオはひやひやしている。早く出発しないと九代目の誕生パーティーに間に合わないし、それに背中が、時々氷を押し付けられたように冷たくい落ち着かないのだ。
ザンザスの部屋の窓は当然、全てが防弾のマジックミラーになっていて、昼間は外から室内を伺うことは出来ない。だが見られていることは分かる。背中がぞくぞくと冷える。ボス、と、ロマーリオは少々情けない声をあげた。そろそろ、戻ろう。命日のこの墓の前をいつまでも選挙していることも出来ないだろう。
「そうだな」
金の跳ね馬は口では答える。でも足は動かない。風もないのに花が散って黒いスーツの肩に花弁が散る。そんなに嘆くなと、確かに言われたような気が、ロマーリオにさえした。
優しかったオンナの墓の前から、オンナを愛した男が離れがたいのも無理はなかった。
「今年も、駄目か」
「ボス?」
「うん」
金の跳ね馬が振り向き、振り仰ぐ。その向こうには魔王が立っているだろう大きなガラスの窓を。
そこに立っている男が頭を撃ち抜いてくれるのを、命日のたびにずっと待っている。もう許してくれないだろうか。許して、楽にしてくれないだろうか。そんなことを考えながら毎年、背中を向けて、一年に一度だけこの墓の前に立つ。
「無茶言うな、ボス。そんなことになったらボンゴレとキャバッローネは最後の一人が死ぬまでの戦争だ。アリエネェ」
「そうだな」
ようやく諦め、金の跳ね馬は墓前から離れた。後ろ髪を引かれる思いというのをまさに実感しながら。一年、また一年。不在が長くなって時間が流れても、寂しさは癒えない。深くなっていくばかり。
あの姿がこの世から消えて、殆ど自分の人生も終わってしまった。復讐ならこれほど見事で効果的なやり方はないと思う。でも多分、あの銀色の鮫にはそんな邪気はなくて、ただ、もう、耐えられなかっただけ。
苦しんでいることには気づいていた。承知の上で苦しむ姿を愉しみさえした自分を覚えている。誰を恨むことも出来ない、悪いのは自分自身。なくしたら何もかも終わるのにどうして、あんなことをしたのか。
理由を本当は分かっている。自分のものにならないならいっそと、思ったことは何度もあった。いっそ壊して、誰のものでもなくしてしまいたいと。バカだった。かなり直接、この手で殺したのに、結局、焦がれた相手は好きな男のもとへ引き取られた。
「少し休めよボス。顔色がわりぃぜ」
車に乗り込む。ドアを閉める前にロマーリオが、運転手から受け取った毛布を膝にかけてくれる。礼を言って頭から被った。ほんとうに有り難かった。
憎んでいたのかもしれない。多分そうだ。子供の頃から焦がれていたのに目の前で別の男を何度も選ばれた。手が触れたと思ったら逃げられ、捕らえたと思ったら裏切られた。
受け取ってもらえない愛情が胸の中に堆積して腐って憎しみになっていた。でも憎まれたことはない。多分ないと思う。最後まで、オマエはお気に入りだよと優しく抱いてくれた。別の男に全部捧げていて欠片もくれなかった愛情の代わりに、優しさはいつも分けてくれた。
最後の夜も。陰惨なセックスで快楽を奪い取った後も。強張って辛そうな体を抱きしめて左胸に吸い付くと右手で髪を撫でてくれた。左胸のトップには外れないピアス。キャバッローネの紋章の入ったチタンの輪ごと、唇に含んで舐めながら眠った。
足腰立たないようにして、手の甲も顎もキスマークで埋めて。体中に消えない痕跡を施して、他の男にソレを見せる気かよと嘲笑った。宝物のように大事にしていた時期があって、その頃は全身が艶々と美しかったけれど、その美しさを別の男に差し出されて頭にきた。アイツを誘惑するために磨いてやった訳ではないと思った。心から憎んだ。
最後の会話はベッドの中と外。ムチャをしすぎた翌朝に寝込んでしまったオンナが心配で出発前に様子を見に行き、毛布の中で開いた瞳に誘惑されるままキスを繰り返した。銀色の鮫には少し熱があって、最初ぼんやりしていたがはっきり目を覚ましてからも大人しく受けてくれた。
行ってくる、と言ったらうん、と返事をしてくれて。部屋を出て行く背中に声を掛けてくれたのが最後。いろいろ気をつけろよ、というそれがどんな意味だったのか、今となっては、もう分からない。
体調を崩して寝込んだボスの愛人に、厨房は心得て消化のいい食事を出したが、その日は昼食も夕食も殆ど食べなかったらしい。凍死の原因は気温の低下とアルコールの他に空腹もあっただろう。胃の中に食べ物が入っていないと人間は気温が十度あっても凍死することがある。
可哀想に。腹をすかせて、凍えて死んだ。なにもそんな死に方を選ばなくてもいいのに。いや、選んだかどうかは分からない。食事をしないまま夜中、ワインを一本あけて部屋着のままベランダへ出た。それだけは分かっているけれどどんなつもりで出たのすかは分からない。何もかもイヤになったのかもしれない。もしかしたらほんの少しだけ酔いをさまそうとして、そのまま眠ってしまったのかもしれない。月が綺麗な夜だった。
それきり居なくなってしまった。事実をまだ意識は受け入れきれていない。冷たくなったカラダを腕に抱いて、ロマーリオたちに宥められるまで抱きしめていたのに、あれから五年もたったのに、まだ。
「ボス。……大丈夫か?」
心配した部下が声を掛けてくれる。眠ったふりで答えなかった。
早朝、というよりも殆ど、夜明けにやって来たキャバッローネの若いボスは昼前まで、墓の前で立ったり座ったり、うなだれたり話しかけたり、そうやって何時間も過ごしていた。
「いつも朝からそんなに飲んでるの?」
ザンザスの私室からはそれがよく見える。窓から見下ろせる中庭に棺を埋めたのだ。そしてその部屋には来客が居た。キャバッローネの若いボスとちがって朝の十時という常識的な時間ではあったが、中庭に立つディーノに姿を見られないよう車を遠くに止めて歩いて、裏口から訪問し主人の部屋へ通った。
「それとも今日だけ?特別な日だから?」
「いいからてめぇもそろそろ出てけ。ジジィのお誕生をお祝いに来たんだろ?」
窓辺の椅子に座るザンザスの手元には生のままのウィスキー。毎年の訪問に少しは慣れて、昔よりは沢田綱吉と普通に口をきく。色々、借りがあるからだ。主に中庭で眠る棺について。その棺をボンゴレの墓地からここへ移動するにあたっては色々と便宜を図ってくれた。
「よくないよ。そんなに飲んだら身体に悪いだろう。っていうか、アル中一直線?ヴァリアーのボスが酒に溺れて錆付いているなんてイヤだよ。お酒、やめない?」
「やめねぇ」
心配そうな沢田綱吉に、見せ付けるように琥珀色のグラスを干す。喉が動くのを悲しそうに未来の十代目は眺める。ザンザス、と、呼びかける声の色が深い。
「死んじゃうの?」