「お酒、やめない?」

「やめねぇ」

 心配そうな沢田綱吉に、見せ付けるように琥珀色のグラスを干す。喉が動くのを悲しそうに未来の十代目は眺める。ザンザス、と、呼びかける声の色が深い。

「死んじゃうの?」

 尋ねた部屋には招きいれられたものの待遇は悪い。沢田綱吉はさっきから自分で茶を煎れては持参の菓子を食べている。飲み物食べ物は出さないぞ、とは、初めて来たときに言われたことだった。ボンゴレの後継者を争って命の遣り取りをした仲だ。無用な疑いを招かないために。

「オレにはキミが必要なんだ、ザンザス。オレだけじゃない。ボンゴレには君のちからが要る。白蘭の牙の音が君にも聞こえるだろう。連中は、キミのことを凄く気にしてる」

 五年前と少し前に一度だけ、地脈の竜を動かしてパーティー会場ごと幹部たちを圧殺という、大掛かりで大胆な攻撃を一度うけた。それ以来、沈黙を続けている静けさが恐ろしい。反撃をしたボンゴレが見せたちからを見せ付けられて一旦は手を引いたが、それで諦めたとも思えない。次のチャンスを、こっちの隙を、じっと待たれている。そんな気がした。

「キミに何かあったら、一気呵成に、奴らはウチに攻め込んでくるよ。キミの潜在能力だけが今、ウチを守ってる」

 沢田綱吉の言葉をザンザスは鼻で笑う。傲岸な態度だが未来の十代目はそれを許している。

「行かないでよ、ザンザス。ボクは一人で白蘭を防ぐ自信がない。キミが助けてくれなきゃムリだ」

「あんとき、みたいにか?」

「うん。あれステキだった。思い出してもゾクゾクする」

 白蘭の術士たちの仕掛けた地脈の律動を封じ込めた瞬間。白い光で天地を貫いた一瞬だけは、神に近づいた気がした。戦慄のカタルシス。大胆不敵な攻略を仕掛ける白蘭が、さすがに怯んで、以後の手出しをやめたほどのちから。

「こっちは思い出すたびにムカムカするぜ。二度も三度も、食われてたまるかよ」

「食わせて」

 正直な欲望を、傲慢を許し仕立てに出ての来訪を繰り返す意図を沢田綱吉は認める。その正直さがザンザスの気持ちの何処かをかすかに溶かして、おかげで現在、仲良しとは言えないが友好的な関係は保っている。

 多分、ザンザスがボス気質だから。キャバッローネの若いボスもそうだが、必要とされることへの欲求が強い。求められなければ生きていけないくらい。怒りの挙句に二度のクーデターを起こしたり、部下が居なければ階段から落ちるようなヘタレになったり、形は違うが二人には似たところがある。沢田綱吉には欠けている資質だ。

「食いたいときにキミを食わせてくれ、ザンザス。代わりにオレは、オマエが欲しいものをやる」

「ねぇよ、そんなモノは」

 この世にもう欲しいものはない。敢えて言うなら琥珀色のアルコールだけ。それだけが痛みを麻痺させてくれる。

「なあ、ザンザス。オレの父親はろくでなしだ」

 沢田綱吉の言葉に、新しく注いだ酒を飲みかけていたザンザスの口元が笑う。沢田家光はザンザスにとっては仇敵、その息子というのでこの相手のことを憎んでいた時期もあった。それが少しずつ崩れたのは、この息子が父親を愛していないとことごとく、態度にも言葉にも出すから。

「家庭は省みない、妻子に嘘はつく。最低の男だ。なのにそんな男を、オレの母親は凄く愛してる。何処がいいのか俺には分からなかった。今も分からないんだけど、この前、母親が少し体調を崩して寝込んで、それで、その時」

「……なんだ?」

「あのロクデナシの方が死にそうだった」

「ほぉ」

 ザンザスが、ウィスキーを飲みながら珍しく笑う。

「あの家光の弱点はてめぇの母親か」

「そうみたい。帰ってくるなりかぁさんの枕元に座って、痛くて唸るたびに臨終かってくらいにビクビクしていた。八つ当たりでオレにも怒鳴り散らした。病気には違いないけど食あたりだぜ?それにあのロクデナシがふらふらしてた間、看病してたのはオレなのに、サバのアレルギーがオレのせいかって、不服だった」

「もっと前に知ってりゃ良かったな」

「今からでもヤルなら今度はキミの味方だけど、かあさんには手を出さないでね」

「ヤんねぇよ」

「そんな元気はない?」

 沢田綱吉が悲しそうに呟く。あんなに生き生き、覇王の鮮やかさを漂わせていたこの男が焔を自分の身の内に納めてしまったのが寂しい。

「まぁとにかく、その時にちょっとだけ、キミのことを思い出した。スクアーロさんに居なくなられて、一緒に消えたがってる、キミは純情なんだなぁ、って。オンナの人にはそれがたまらないのかもしないって、思ったよ」

「アイツと混ぜんな」

「うん。ごめん」

 口先だけの謝罪。酔いがゆっくりまわり始めているザンザスに、沢田綱吉は近づく。

「居なくなったら生きていけないとか、歌とかマンガではよくあるけど、現実はなかなかそんな風にはいかないじゃない?生きるっていうは本能だし。なのに、ホントにあっさり、死んじゃおうとしたキミは凄いよ」

「沢田綱吉、もう帰れ。喋り過ぎだ」

「時間、稼いでるから」

 腕時計を見ながら次期ボンゴレのドンが言う。ひやり、ザンザスの背を冷たい戦慄が走る。

「……なにか企んでやがるのか?」

 やや身構える。でも真剣ではない。どうなってもいいというのは本音。投身自殺が未遂に終わった後で部下たちの号泣に負けて二度は企てなかったが、だからといって生きていく気持ちになったのでもなかった。どうとでもしろ、という自暴自棄は本物。

「うん。なんとか十年を五年まで縮めたんだけど、誤差が難しくて。凍死ってどれくらいで死ぬのかな。知ってる?」

「……あ?」

「キミが欲しいものをあげる。要らない、とは、きっと言わないと思う。あ、出てきた」

 ザンザスの座る椅子に手をかけ、並んで、沢田綱吉は一緒に中庭を見下ろす。館から長身の男が出てきた。後姿だが背に携えた刀でそれが誰かはすぐに分かる。ボンゴレ雨の守護者、山本武。銀色の鮫がその才能を見込んで可愛がっていた相手。

「うちの山本って、スクアーロさんのこと好きだったんだよ。恋人はちゃんと他に居るんだけど、男の恋って別枠であるみたいで、五年前に帰ってから暫く、わんわん泣いて暮らしてた。ボクはまだそんな別離の体験はないけど、好きな人と永遠にさよならなんて、考えただけで悲しいよね」

「……おい?」

「うん。十年バズーカの改良型。覚えてる?リング争奪戦でランボが使ったヤツ」

「てめぇ……ッ」

「五分だけじゃないよ」

 椅子から立ち上がろうとするザンザスの、肩をぐっと、沢田綱吉は押し戻す。チカラは強い。掌にはボンゴレの焔が宿っている。瞳がオレンジに輝く。リング争奪戦から七年を経て、大空のリングを所有する次期ボンゴレドンの実力は格段に上がっている。

「またオレに食われて何日も眠りたくなければ動くな」

「なにしやがる、気だッ」

「キミにプレゼント。生きていく力を」

 受け取らない、という選択は許さない。

「酒を止めろ、ザンザス」

 今度の言葉は願いではなく命令。

「もとに戻れ。昔のオマエに。リング争奪戦でオレとやりあった頃の鮮やかなオマエが欲しい。約束するなら、オマエが無くした愛情をとりもどしてやろう」

 本物の悪魔が囁く誘惑。

「憎いならその手で殺してやれ。愛しいならその手で抱きしめてやれ。オマエの自由だ。……、って、はは。……ムリだよね」

 肩を押さえつける沢田綱吉の手を憤怒の焔で弾き飛ばして、散った火花にボンゴレ十代目が怯んだ隙に、散らしたザンザスは部屋から飛び出した。足音はしない。ブーツを履いているのに石畳を蹴って、どうして音もなく走れるのか、沢田綱吉にはイマイチ分からない。

 しりもちをついてしまった絨毯の床から起き上がり、自分も中庭へ向かうため歩き出す。むかしの古い、恋歌を小声でうたいながら。