組織の統制には順番がつぎもの。老齢の功績賞で優先される連中を除けば、ボンゴレ本邸を訪れる客のうち、一番最初に車を出せるのは次代の主人である沢田綱吉。

「お、手ぇ出したのな」

「動き、やがった。他所のボスのイロに、いい度胸してやがる」

「抱きしめてるぜ。チューすんじゃねぇか?」

 次が九代目の養子でヴァリアーのボスでもあるザンザス。その男が車に乗り込むのを、前の車に先に乗った沢田とお供の獄寺・山本は興味津々に眺める。ご多分に漏れず黒塗りの高級車の窓には濃いシールが張られている。バックミラーはモニター映像で、運転席の山本は搭載カメラを手元のパネルで操作して、よく見える角度に画像を修正した。

 長方形に切り取られたモニターの中では長身の男が正面中央からそれ、自分の次の迎えの車のそばへ近寄る。その車のドアを開けるべく添っているのは長髪の銀色の鮫。今はヴァリアーでなくキャバネーロに出向し側近を務めている剣豪。

「こーやって見てると、アレだ。デルモかマネキンみたいだな、ロンゲヤローは。ありゃザンザスも気になるだろーぜ」

 気になるどころか、目線を合わせるだけでは足りず、自分の車と迎えを無視して歩み寄る。暫く立ったまま何か話していたがやがて腕を伸ばす。

「うわ」

「仲いいのなー、相変わらず」

 差し出された腕の中へスクアーロは自分から飛び込む。貞操を要求されるファミリーのボスの情人、いや愛人、殆ど正妻のような扱いをされている身の上で、こちらもいい度胸をしている。

「のもりはみずやきみがそでふる」

「ん?獄寺、お経か?」

「バカは黙ってろ」

「あったね。なんだったっけ」

「あ、はい、十代目。むかし、兄弟ドンブリした女が居まして。最初は弟の愛人で後から兄貴のモノになったんですが、兄貴のモノになっちまった女に弟が手ぇ振って、その返事ですよ。いまの男が見てるのに昔の男に手ぇ振られて、困りながら自惚れてる女の気持ちです」

「おお、抱き合ってる抱き合ってる。情熱的なのなー」

「ディーノさん、そろそろ出てくるよね」

「もう来てるんじゃありませんか。柱の裏、あたりで止まってんだと思います。自分のオンナに触られたところでザンザスが相手じゃ跳ね馬は、正面きって文句も言えないでしょう。そもそもあいつらが愛し合ってなきゃ、鮫に人質の価値はないんです」

「チューするか?するかな?」

 周囲の、戦慄を伴う注視の中、男のコートの中に包まれるように抱き合った銀色の鮫が嬉しそうに、笑っているのがモニターの中に写った。

「拡大、かくだい」

 山本が大急ぎで手元のボタンを押す。男の腕にぎゅっと抱きしめられて、安らいだ表情で目を伏せている剣豪の表情に。

「すっげー、なんかコーフンするのな」

 刺激され足をバタつかせる山本。

「見てるこっちが苦しくなるぜ」

 正視しきれず目をそらす獄寺。

 対照的な二人の反応を眺めながら、沢田綱吉は。

「ザンザスは写らないか?」

 そちらを見たくて口を挟む。山本が何箇所かの車載カメラを切り替えて確認しようとしたが。

「無理だ、ごめん。スクアーロが隠してる」

 背の高い男に抱きしめられながらも伸ばした腕と肩に、鮫は主人の頭を隠している。狙撃されない用心は同時に、男の内心を庇う効果もあった。

「やるなあ、スクアーロさん。さすがだ」

「あいつらいつまであんな風なんですかね。なんかだんだん、年々、ひどくなってってますが」

 年に数度のパーティーにザンザスは欠かさず姿を現す。らしくない行動の目当ては皆に分かっている。キャッバネーロの跳ね馬が連れて来る銀色の鮫。会場までは伴われずお供や運転手たちの控え室で『主人』を待っているが、車の順番が前後しているせいでこうやって顔だけは見れる。

「そうだね。最初の頃は、頷きあうだけだった」

 二人の逢瀬を毎回、眺めているのは沢田綱吉も同様。

「そろそろ許してやりゃあいいのに。長く手元に置いてりゃ置いてるだけ、跳ね馬も苦しくなるでしょう」

「え、もうディーノさんのじゃねぇのか?」

「の、ってナンだか知んねぇが、アレがそんな風に見えんのかよテメェにゃ」

「でも一緒に暮らしているんだろ、ディーノさんと」

「ヤレなくなったら乗り換えるてめぇみてーな男ばっかじゃねぇんだよこの世は」

「ひでぇ。俺をそんな風に思ってたのかぁ」

「きれいだね、スクアーロさんは」

 沢田綱吉が感嘆する。カメラはオートで基本設定に戻って、男の腕の中で優しい顔になっている銀色の鮫の姿を映し出す。

「ああいう人とゆりかごの前からの仲じゃ、いまさらもう、別れられないだろうね」

「俺もそう思います十代目。あのツラ見慣れてたんじゃ、次を見つけるのは苦労するでしょう」

「なに、獄寺、おまえキレイ系好みだったっけ?」

 山本武がにこにこ笑いながら相棒の言葉を咎める。獄寺隼人の言葉は主人である沢田綱吉に同意したものだったが、それでも熱の篭もり方が面白くなったらしい。

「俺の趣味の話じゃねぇ。個人的にはアイツのツラ見るとブーツの踵のガツン思い出してムカつく」

「あはははは、確かに。あのふぁーすといんぱくとはキョーレツだったのなー」

「俺だけじゃねぇ。おめぇも同様だろ」

「俺どっちかっていうとその後の、雨戦が強いのな」

「あぁ、かもな」

 側近二人の言いたい放題を面白そうに聞きながら、沢田綱吉はモニターをじっと眺めている。金髪の跳ね馬ディーノが立て直したキッバネーロはリング戦後も躍進を続け現在はボンゴレ同盟ファミリー随一の勢いを誇っている。地元の観光協会の相談役という表のカオも手に入れ、ザンザスに続く若手ナンバースリーに自力でのし上がった。

 その男が、我慢の限界を迎えてやがて、現れるだろう。

「ザンザスが」

 俺は獄寺の方がキレイだと思うとか、てめぇフザケタこと言ってやがると蹴り出して置いていくぞとか、じゃれあいつつ話していた側近二人はビタリと口を閉ざした。沢田の言葉にはそういう重さがあった。

「連れて逃げそうな気配を見せたらドアをすぐに開けろ」

「はいッ」

「ロケットスタートだなッ」

 運転席で山本が姿勢を正し、ギアに左手を掛け右足をアクセルに乗せた。ドアの開閉を捜査するコントロールパネルに獄寺が指を当てて三人、揃ってモニターを眺める。緊張の時が過ぎる。

「ディーノさんだ」

 サブモニターを見ていた山本が言う。一気に車内の緊張が高まる。男の決断をかたずを飲んで見守る。

 しかし。

「……ヘタレめ」

 後部座席の独立シートで頬杖をついていた沢田綱吉が低く呟く。

 三人の、ドキドキの期待は裏切られてしまう。

 解かれた腕、離れた体、男はキャッバネーロの迎えから離れ、玄関の正面に横付けされた自分の車へと向かう。

 ドアを開けたのはオカマでマッチョな格闘家。乗り込む間際に振り向く。ディーノのためにドアを開けるべく待機しているスクアーロが名残に微笑む。男がどんな顔をしていたかはモニターに映らなかった。

「根性入ってやがりませんねぇ、ザンザスは」

「出すぜぇツナ。今度も目の保養だったなぁ」

「性格わりなヤマモト。俺ぁ見せられったびに胃が痛くなる」

「だって他人事じゃん?」

「てめぇが面白そうなのは、自分を振ったオンナが不幸になってくのを、見るのが満足なんだろう」

 獄寺が横目で凄みながら言った。かなりはつきりした敵意を篭めて。それは嫉妬の甘さではなく、繁殖期以外はオスを警戒し嫌悪する肉食のメスの獣のように、銀色の鮫にも劣らぬ麗しさの全身の毛並みを逆立てている。

「なに言ってんだ。俺にはオマエだけだって」

「どっからそんな白々しい嘘が出てくんのか、いっぺんハラ掻っ捌いてみたいぜ」

 二人の囀りを聞きながら、沢田綱吉はバックミラーをまだ見ている。後ろに続くザンザスの車は距離をとっていて、運転席のもと雷の守護者と助手席の格闘家の派手な髪の色だけが辛うじて分かる。

 後部座席のザンザスの姿は仕切りで遮られ、様子は何も分からない。あっちの車のバックミラーにはキャッバネーロの助手席が映っているだろう。また何ヶ月も会えない相手のことを、男も今頃、じっと見つめているのかも知れない。

「オレなら連れて逃げっけどなぁ。ザンザスなんで、そーしねぇのかなぁ」

 ボンゴレ本邸の敷地は広い。ほぼ山一つ分、何十万坪という広さだ。暫くは一方通行の山道が続く。見事な運転技術で急カーブの続く道を下りながら山本が首を捻る。

「てめぇみてぇなノーテンキにゃ分かんねぇ事情があるんだよ」

「どんな事情があるか知らないけどさ、ワケごと棄てちまやいいんじゃね?オレはちゃんと連れて逃げてやっからな、獄寺」

「で、二人して蜂の巣か。ジョーダンじゃねぇ」

「ザンザスは知りすぎている。ボンゴレと九代目を」

 後部のシートで沢田綱吉が口を開く。ぴたり、前の二人は口を噤んでボスの発言を聞いた。

「生き抜くのが第一、っていうアイツの判断は正しいんだろう。だけど卑怯で臆病だ。情人を辛い目にあわせておいて、自分がオレのものになることを怖がる」

「はは。……ツナはちょっと、怖いとき、あるぜ」

「自分が負けると分かっているんでしょう、ザンザスは」

「でもツナはザンザス狙いなんだよなぁ。シブイなぁ」

「あっちを狙えばもう片方も、残りもついてくるからね。迎え入れることになったら賛成してくれるか、獄寺、山本」

「歓迎します。十代目の右腕はオレで肩甲骨はコイツですが、あいつらもまぁ、全く役に立たないことはないでしょう」

「おおっ、オトナになったじゃねぇかよ獄寺!オレも歓迎するぜ。あいつら面白いしな!」

「そうだ、おもしろい」

 シートに深く腰を掛けなおして、沢田綱吉はバックミラーから諦めて目を離した。

「オレは彼らの熱が欲しい。ボンゴレの歴史とか伝統とか言うけど、皮一枚捲れば大企業病が絶賛蔓延中だ。ボスへの忠誠だけが価値基準じゃ外に向かって勝てないんだよ。忠誠なんて、馬鹿の代名詞じゃないか」

「ま・オレも野球馬鹿やってっけど」

「そういう覚悟の伴った馬鹿ならいいんだけどね」

「十代目、お気持ちはよく分かります。十代目のお役に立てそうな人材の少なさに危機感を抱いているのは俺も同様です」

「……うん」

 右腕を自称する旧友に、沢田綱吉は素直に頷いた。

 外には嵐が来ている。敵が近づいてきている。強い敵だ。なのにボンゴレの名を頼むこちらは動きが重くて鈍い。やる気があるのか、餌になる気かと、若い次代が雰囲気を尖らせるほど。

「でもさぁ、ザンザスがスクアーロ連れて逃げてきたら、九代目とディーノさんからツナに文句が来るのな?」

「来ても跳ね返せるのは、この世で十代目だけなんだよ」

「そんな格好いいことは出来ないけど、泣き真似とお願いを繰り返して時間を稼げば、そのうち解決するさ」

 九代目に来るべき時が来てしまえば、後は沢田綱吉の天下だ。

「ディーノさんの方には申し訳ないけど、あの人には失恋の傷心がよく似合うよ。強く生きてもらおう」

「ツナ、ひでぇ」

「そうですね。オレも同感です」

 

 

 

 可愛い弟分とその腹心たちから、まさかそんなことを言われているとは知らないキャッバローネのボスは。

「スピードを落とせ」

 運転手に命じた。命じられるまでもなく相当の車間距離をあけていたのだが、更に速度をおとしてカーブ二つ分、ヘッドライトの光も届かないほど、先行する車から離れる。

「そもそもなんで、オレがザンザスの後なんだ。あいつは後継者から外れたのに、息子だからっていつまで、オレの前に立ち続ける気なんだ」

 いつも笑顔で気のいいキッバローネの若いボスだが、ボンゴレ本部でパーティーがあった後だけは機嫌が悪い。車内には運転手のロマーリオと助手席にスクアーロが居たが、二人とも返事をしなかった。

「どう思う、スクアーロ」

「オレぁコメントする立場じゃねぇなぁ」

 一応はまだボンゴレ本邸の敷地内。車内でもきちんとネクタイを締めているスクアーロだが、隠れて見えないシートの下では既に足を組んでいる。

「オマエがどう思っているか聞きたいんだ」

「順番きめんのはお前でもザンザスでもなくて九代目だろ。ジジイに直接に言えぇ。ジジイの名づけ子でお気に入りなんだろ?」

 スクアーロは確かに一言多かった。だが。

「うるさいッ」

 ボスに怒鳴りつけられるほどではない。怒鳴られても肩を竦めるだけでスクアーロは気にした様子もない。気にしたのは怒鳴ってしまったボスの方。あきらかに傷ついた表情で俯き黙り込む。

「ボス」

 ロマーリオが気を使い声を掛ける。優しくしてやってくれよ、というような顔で隣の美形に視線を流す。流されても美形は何をすることもなく、外の景色を眺める。

「……スクアーロ」

 その様子は確かに、先行する車のテールランプを探しているように、見えなくもなかった。

「後ろに、来い」

「あぁ?」

「隣に来い」

「おいおい、なに言ってやがる」

「膝に来いって言っているんだ、早く」

「命令かぁ?」

 ふん、という顔で嫌味を投げつけた美形に。

「……命令だ」

 そう答えるキャッバローネのボスはひどく苦しそう。

 なら仕方ねぇな、という顔で美形はシートを後ろに引く。突発時に備えてシートベルトは最初からしていない。背をかがめてシートから中腰で立ち、長い足で後部座席との仕切り板を跨いで後部座席へ移る。ディーノが座っているのは独立シートではなかった。男三人が楽に座れる、横一線に繋がったロングシート。

 膝に来い、という命令に忠実に、美形は跳ね馬の膝を跨ぐ形でシートに、向き合って座る。

「ザンザスに……」

 金色の跳ね馬がその腰に腕を廻す。長い銀色の髪が逞しい腕に絡まる。ロマーリオからはバックミラーでも二人の顔は見えないが背中を掻き抱く手つきだけで自分たちのボスが切ない嫉妬に苦しんでいることは知れる。

「おい」

「会えて、嬉しかったか?」

「わりぃツラしてるぜ、お前、いま」

「答えろ」

「ホントに答えて欲しいなら答えるどなぁ、も一回、考えてから、命令しなおせよぉ」

「……スクアーロ」

「お前はいい男だけどなぁ、跳ね馬ぁ」

 銀色の鮫の台詞は世辞ではない。声にはウソをついている響きの虚しさはなくて、縋りついて来る相手をなんとなく抱き返す手つきが優しくないこともないのも、演技ではない。

「だからって、どうしようもねぇんだぁ、俺には。お前がアイツを越して二番目になっても、一番目に上がってボンゴレの十代目になるとしても、正直、関係ねーってぇか、知ったこっちゃねぇんだぁ」

 分類すれば愛情の範疇に含まれるキモチが、銀色の方にもないでもない。けれど。

「スクアーロ」

「なぁおい、落ち着いて、よく考えろぉ。俺はそんなに芸達者でも凄腕でもねぇぞぉ。ホントのところは意地になってるだけじゃぁねぇか、お前ぇ」

「キスしろ」

「命令かぁ?」

「そうだ。」