「キスしろ」

「命令かぁ?」

「そうだ」

 素直に銀色は、金髪に縁取られたディーノに顔を伏せくちづける。重ねるまでは待った跳ね馬だが、触れた瞬間、背中に回した腕に力を篭め自分から引き寄せた。

「ん、……、」

 噛み合う深さのキス。運転中のロマーリオが気を利かせて電動の仕切り板を閉じる。密室の中で狂おしく、跳ね馬は腕の中の銀色の唇と感触を貪った。

「……は、ぁ」

 解放された時、銀色は少し息が荒かった。

「スクアーロ」

「ん……」

 シートに押し倒される。座面が倒れる横長のシートは、フラットにするとせミダブルほどの幅のベッドになる。自分に逆らわずおとなしく、ネクタイを毟られてもシャツのボタンを外されてもされるがままの相手の。

「考えるな」

 形のいい頭を押さえつけ、散らばる銀色の髪を背中に敷かないよう、首筋から持ち上げシートの下へと流してやりながら。

「ザンザスのことは考えるな」

 ひどく硬い声で言った。命令かと尋ねるまでもなくそうだということが分かるような。

「いいな」

「おぅ」

「適当に答えるな」

「って、ねえ……、いて、噛むなおいぃいぃ」

 感じのいい口元の内側に並ぶ、歯並びのいい前歯に鎖骨を音がするほど齧られて銀色の鮫が悲鳴を上げた。

「オマエが嘘をつくからだ」

「ついて、ねぇぞぉ」

「嘘をつくな。オマエがザンザスのことを考えていない筈がないじゃないか」

「嘘じゃねぇ。お前のこと考えてた」

「そんな筈がない」

「んと、だって、あいててて、いて、イテェ、よせぇ」

 今度はのど仏。皮膚のすぐ下が骨になった急所を狙われて組み敷かれた細い体が跳ねる。

「ホントだ。お前が、一番ひどい目にあってる、って、考えてた、ぞぉ、ッ」

 口先だけの言い逃れとは思えない台詞だった。

「……俺が?」

 優しさ、に近い、気持ちが篭っていた。

「どこが?」

「全部、お前が一番、ひでぇことされてっじゃねぇか。なぁ」

「オマエじゃなくて?」

「オレは自業自得ってヤツだぁ。ザンザスもなぁ」

 確かに、二度の反逆の罰としては命を助けられているだけでも相当の温情。でも。

「かわいそうなのはオマエだろ。好きな男と引き離されて、好きでもない男のところに行かされて、俺に抱かれて、セックスさせられて」

「お前はなんにもしてねぇのに、こんな恥かかせられて、なぁ。ひどいことされてんなぁ」

「……」

 ディーノはその言葉は否定しない。大事にしているオンナに触れられて、それで文句も言えなくて、恥辱といえばこれ以上はない。

「分かっているなら、少しは」

 しかもその恥は公開されている。キャッバネーロの若いボスが、ザンザスに自分のオンナを抱きしめられて足を止め、しばらくの時間を立ち止まっていたことは同盟ファミリーの幹部たちの注目の的だった。

「オレはなぁ、九代目のジシィとは、直に喋ったこともねぇんだけどよぉ」

「オレのことも考えてくれ。俺がどんな気持ちでお前を、アイツの前に連れてきていると思う」

「いまのこれ、何のバツなんだあってたまに考えるぜ。なんでお前だけこんな目にあわされてんのかってーと、よっぽどジジィ、お前が俺を助けたのが気に入らねぇんだろうなぁ」

「違う。俺は九代目の名づけ子でお気に入りだ」

「ジジィにとって、俺すげぇガンだからなぁ。俺がザンザスそそのかしたと思ってやがんだあのモーロクは」

「九代目は俺が可愛いんだ。だからこそずっと欲しかったオマエをザンザスから取り上げて俺にくれたんだ」

「せめてあんまり人前で、俺を気に入ってる素振り見せんな。あと、できれば別にいい女囲え。若くてまっさらのを。それだけで随分、傷は浅くなる」

「ふざけるな、スクアーロ」

 跳ね馬は本気で怒ったらしい。剥いた裸の肩を押さえつける掌が熱くなった。

「ザンザスの背中も九代目も、人目も、そんなもの俺にはは大したことじゃない。俺を傷つけているのはオマエ自身だ」

「……」

 銀色の鮫は口を閉ざす。慰めるように金の頭を撫でていた手を止める。

「オマエが、俺より」

 別のオトコを愛している。それはでも、銀色の鮫自身にももう、どう仕様もないこと。

「せめて嘆け。悲しんで憎め。噛み砕いて逃げようとしてみろ。俺を、まるで、ちょっとは好き、みたいに、笑うな」

「……」

 銀色の鮫の右手がまた、金の髪を撫でようとする。

「触るな……ッ」

「そうやってなぁ、オマエがマジに、なるたびに、なぁ」

 本当に、これは一体、誰に対するどういう罰なのか。

「俺にはハクがついてくだけだぁ」

 それが本音。何も隠さない実感。

好きでもない男とセックスさせられて悲しいとかいう気持ちは心の中に見当たらない。好きでもなくない、からだろう。相手とは以前も関係が、それも自分が手を引く形であった。極上の金色に情熱を篭めて抱きしめられるのは全然、嫌なことではない。

「何を、言っているのか、分からない」

「ヴァリアーのボスとキャバローネのアタマ、両方喰ったオンナなんか今までいねぇだろぉ。話だけ聞いたらどんな美女かと思うぜぇ。まさか自分がそうだとか、信じられなくって笑っちまう」

 時々本気で分からなくなる。これは一体、誰に対する、どういう罰なのか。ヴァリアーから引き離されて仲間とボスとに会えないことは寂しい。けれど同時に、それがなんだという気もする。一人前の男が独りなのは当たり前のことだ。八年間の眠りのように別々の時間を刻むわかれならともかく、同じ国の同じ闇の中ですごして、年に何度かは顔を見れる。

「十四の頃から、俺ぁメスイヌやってかっらなぁ。お前みたいないー男にこんなにされて、わりぃ気はしねぇぜぇ、正直」

 触れてくる掌が熱い。重なった腰はドクドク鼓動を伝えてくる。

「アイツはなぁ、ホントはそんなに、俺を好きなんじゃねぇんだ。ただお前があんまり俺にご執心だから、今になって惜しい気がしてやがるだけだぁ」

 苦しさがない、理由はそこにもある。自分は愛しているけれど愛されている訳ではないから裏切りの自覚がなかった。愛している男に気にされて腕を伸ばされるのは嬉しいが、気まぐれをいまひとつ、信じ切れていない気持ちもある。

「演技、なのかもしれねぇしなぁ。俺に人質の価値があるっていう、パフォーマンスかもしれねぇだろぉ?」

「スクアーロ」

「まーそっはどうでもいいがぁ、俺がアイツのお古なのはもう、みんな知ってんだからよぉ。どうしょーもねーんだ。後はオマエが俺を、人目につくようには扱うな」

「まっさらを囲えって言ったな?」

「口惜しそうにすんな。俺とアイツが何しても、鼻先でせせら笑ってろ」

「さらの女の子はこの世に幾らでも居る。探せば中には、俺を好きになってくれるコも居るだろう」

「お前を気に入らない女を捜す方が難しいぜぇ」

 地中海の光を集めたような金の髪、輝きを移したような青い瞳、すらりとした体躯は着痩せする性質で抱きしめれば意外なほど胸も腕も逞しく厚みがある。女たちが夢見る白馬の王子様そのものの容姿。

「しかもセックス、すげぇ上手いしよぉ。あー……、キモチいい、ぜぇ……」

 カラダを擦り付けられて銀色の鮫はきつい目つきの目じりを融かす。あの男への愛情とは別の次元で、刺激されればキモチがいいのは健康な成人として当然のこと。それを嫌悪するほど青臭くもなかった。

「でも俺のまっさらは一度きりだ」

「お?」

「お前の手形が押してある。真っ赤だ」

「まさか」

「覚えがないとは言わせないぜ、スクアーロ」

「……ねぇよ」

「忘れたのなら思い出せ。雨が降ってた」

「チェリー、でもなかっただろうが、てめぇ」

「素人童貞だった。売り物じゃない肌に触れたのはオマエが最初だ。その前にも、ずっと、前から」

「やめろ、跳ね馬」

「オマエを好きだった」

「……」

 知っている。よく分かっている。そして信じている。向けられる愛情の純粋さにはちゃんと気づいている。だからはだけた股間を擦り合わせられても、嫌な気持ちにはどうしても、ならない。

 これは、本当に、なんだ。

「なぁ、いったい……」

 強く抱きしめられながら思う。誰に、どういう罰だろう。

 

 

 

 トントン、と。

 車のドアを、外から軽く、ロマーリオは叩いた。

「起きてるぜぇ。開ける」

 言葉とともに後部座席のドアが内側から開く。その隙間にシャツとスラックスを差し入れる。内側にそれらは引きこまれる。ドアが閉まる。煙草を一本吸い終わるころ、身支度を整えた銀色の鮫は再び自分でドアを開け車から降りた。長い脚で地面を踏み膝を伸ばすといきなり瀬が高くなるのはここのボスと同じで、脚が長くてスタイルがいいから。

「ボスは私室だ」

 キャッバロー寝の本拠地。ボンゴレ本邸とは規模が違うが城と呼べる規模の屋敷。

「俺に行けって言ってんのかぁ、それはぁ」

「あんたのことをとても心配してる。顔だけでも見せてやってくれないか」

「今日の仕事時間は終わりだ。寝るぞ俺はぁ」

 早足ですたすた歩いていく銀色の鮫の背中が少し、ふらついていることにロマーリオは気づいたが目をそらした。今は見栄で真っ直ぐに立っている。でも人目がなくなった瞬間、へたり込むかもしれない。

「じゃあせめて、ボスに伝言を何かくれねぇか。頼むから」

「あんたも大変だなぁ」

 ボスのお気に入りの情人はボスの部屋で寝起きすることも多いが私室も持っている。最上階のフロア全体を占めるボスの『部屋』へ続く階段のすぐ手前、テラスつき日当たりのいいそこは以前、ボスの母親の住まいだった。ファミリーのトップが大切なオンナを置いておく場所。

「おやすみ、って言っとけぇ。それでいいだろぉ」

「ありがとう。伝えておく」

「おやすみ」

「それは俺にか?」

「他にいねぇだろぉ」

「ありがとう」

 ロマーリオは少し照れて笑う。金色の跳ね馬がへなちょこだった頃から仕えている忠義で感じがいい男は、この銀色のことも少年時代から知っている。

「あんたはいつもうちのボスをちょっとずつ大人にする」

 十三か四の時には眺めるだけだった。その後には少し、深く関わった。さらにリング争奪戦の時は救出活動に奔走し、身柄を預けられてからの距離は近い。ボスの世話役のように近くに居るから自然と、ボスのオンナにも近くなる。

「あ?」

「おやすみ」

 部屋の前までついて来て、ドアを開け中へ入ったことを確認してからロマーリオは自分のボスにそれを報告に行った。部屋に入った銀色の鮫はばさばさ、服を脱ぐ。室温は壁に通ったスチームパイプによって快適に保たれていて肌に寒さは感じない。それ以上に内側からの熱が素肌にまとわりついている。

 ファミリーの『中』に存在できるのはボスが一番大事にしている一人だけ。その一人の為に用意されている部屋は広い。現在のボスの母親が亡くなった後で何年も閉鎖され、新しい住人のために内装は全て変えられたが、天井に描かれたマリア像だけはナントカという有名な画家の作品だとかでそのまま残されている。

 その下をのし歩いてバスへ向かう。二十四時間、適温の湯が給水されている風呂だへ。途中の姿見に写った自分に、銀色の鮫はふと脚を止めた。

 歳をとったな、と、全裸を自分で、まじまじと眺めながら思う。

 じき二十四の誕生日を迎える。痩せぎすなのは昔からだが、十代の頃はそれでももう少し手足は丸みを帯びていた。今はそれも失って皮膚の下の彫るの形が分かりそう。手袋を外して左手の義手を眺める。禍々しい金属の塊。

 自分の肉体が性的な意味においてどれだけの価値を持つのか、銀色の鮫はよく分からない。メスイヌを十四からしてきたことは確かだが、オスの立場の嗜好はノーマルで、男を抱く趣味はなかった。

「……」

 あの、男に。

 コートの内側に包み込まれるように、服の上から抱きしめられた感触を思い出し口元が緩む。

子供の頃、わりと甘やかされていた時期さえ人目がある中で、あんな風に触れられたことはなかった。ボスとしての資質に恵まれたあの男は情人の扱い方も上手で、表ででかい顔をさせない代わりに部屋とベッドの中では優しくしてくれた。外で偉そうにふんぞり返った男が中では屈んで撫でてくれるその落差にくらくら、痺れていたのだから自分もめでたいガキだったなぁと思う。

それが今さら今になって、どうしたんだろう一体。あの謝罪はどういう意味だろう。腕の中に包まれながら小さな声で囁かれた。騙してすまなかった、と。何を騙されていたんだろう。

 思い当たることはないでもない。あの男がボンゴレの血をひいていないことを知ったのはゆりかごの後。知ってはいけないあの怒りの意味を知ってしまったと思った。悪いコトをしたような気がした。だからあの男が目覚めた後も知らないふりをしてそばに居た。騙していたというならお互い様だ。なのにいったい、何を謝られたのだろう。

 少し気になった。が、あの男のことが分からないのはいつものことなので、考えることを止めた。それより気になるのは自分のカラダだ。カラダの抱き心地だ。どうっだっただろう。

 生身の右手で自分の左肩に触れる。目を閉じる。あの男の掌を思い出す。たまらなくって、その場にしゃがみこんだ。殆ど十年ぶりの体温。思い出しただけでくらくらする。愛しい。何かの為の演技でもウソでも、そんな、理由や動機はいまさらどうでもいい。あいつの気持ちが分からないのは昔からだから構わない。

 自分はどうだっただろう。

 それだけが、心臓がおかしくなるくらい、狂おしく気になった。