銀色の鮫が十六歳の頃。

 眠りについたザンザス。残されたヴァリアーは門外顧問の意地の悪い視線を背中に感じながら、便利使いされていた時期。

 時を同じくして金色の跳ね馬の、父親が倒れた。ディーノは父親がだいぶ高齢になってからの一人息子で、孫といってもおかしくないくらいの年齢差があった。

息子の成人までは自分は生きていられないだろうと父親は思い、そのせいもあってボンゴレ九代目に名づけ親を頼んだ。イタリアの習慣で名づけ親と名づけ子は肉親に準じる結びつきとされる。次代を巡って揺れるキャッバネーロの本邸へ、ボンゴレ九代目はヴァリアートップの腕利きを御曹司の護衛として差し向けた。たった十四で剣帝と呼ばれた男を倒した傑物を。

「おぉおおぉおおぉい、御曹司。いい加減にしとけぇ!」

 守られる御曹司は銀色の鮫を含む護衛たちに手を焼かせた。アルコバレーノの家庭教師がつく前、まだへなちょこで、自分の血も運命も受け入れられず、マフィアを毛嫌いしていた時期。

「俺らに黙ってうろうろすんじゃねぇ。会いたい女が居るンなら会わせてやっから素直に言えぇ。黙って病室抜け出すんじゃねぇ、分かったかぁ!」

 管や針で機械に繋がれた父親のそばから御曹司は度々抜け出した。行く先は屋上、空の病室、給湯室。まだそのあたりならいい。

 管理上、キャッバローネのボスが入院しているのはボンゴレの息がかかった郊外、というより山中の療養所。そこには慢性的な疾患に苦しむ病人が多く、長く滞在している。敷地は広い。というより、どこまでが病院の庭でどこからが林なのかよく分からない。そんな山中をふらふら、遭難者のようにさ迷っていることも一度や二度ではなかった。

「……」

「ンだぁ?言いてぇことがあるンなら言えぇ。オジンどもに言えねぇことがあンなら聞いてやるぜぇ」

 行方不明になったへたれた金色を見つけるのは大抵、鼻の利く銀色の鮫だった。最初からそばにつけていればへなちょこは抜け出すことも出来なかっただろうが、そうはいかない事情が存在した。

九代目からの命令で来たとはいえ札付きの暗殺者をキャッバネーロは警戒し、普段は御曹司のそばに寄せつけない。控え室で面白くもない雑誌を読んだり素振りをしたり型を繰り返したりしながら時間を潰している。そして金色の御曹司が行方不明になって騒ぎが起こった時だけ部屋の窓から外へ出る。

八方手を尽くした挙句に見つけられなかった側近たちが、仕方なく客分の控え室へ行くと中はもぬけの空、窓だけが開いてそこからは疲れ果てた御曹司を銀色の鮫が肩に担いで戻ってくるところが見える、という構図が、二度も三度もあった。

「一体なにが、そう面白くねぇ。親父がキライなのか?」

 今日の探索は手こずった。雨が激しくて、ヘタレな御曹司が山道の赤土で足を滑らせ崖を滑り落ちるというアクシデントがあった。どういう視力をしているのか、夜の山中でその痕跡を見つけた鮫は同じ場所から斜面を滑り落ち、がけ下の川原で足をくじいて身動きのとれない御曹司を発見した。持ってきていた携帯で無事の知らせは病院に入れたたが、さすがの鮫にも熊笹の生い茂る濡れた急斜面を、一人ならともかくほぼ同じ体格の御曹司を担いよじ上ることはさすがに危なくて、夜が明けるまで崖の下で雨を避けて、ここで過ごすことになった。

「だんまりかよ。いーけどなぁ、とにかくその服、いっぺん脱げ。絞んねーと風邪ひくぞぉ」

 季節は初夏。でも山中の夜は冷える。しかも大雨。張り出した崖のおかげで直接の水滴は当たらないが、くじいた足を伸ばした金色の爪先のすぐ近くにはざぁざぁ、崖の草を伝って流れ落ちている。

 銀色の鮫も濡れていた。ヴァリアーの隊服をばさばさと脱ぎ、スラックスを絞って履きなおし、上着は同じようにして左手から外した刀に掛けた。夏だからその下はタンクトップ一枚。無駄な肉を限界までそぎ落とした細いけれどしたたかな体。白い腹も肩も腰も薄いが皮膚の下にはバネのような張り詰めた筋肉、得物を狙う肉食上が草原に伏せるような静けさで潜んでいる。

「……触るな」

 見つかってから、否、再会からずっと、喋らなかった金色は伸ばされた腕を跳ね除けながら言った。

「残念、てめぇに拒否権はねぇんだぁ。俺ぁ九代目からお差し向けの護衛だからなぁ。職務上必要なことはてめぇのご意思に反してでもやるぜぇ、御曹司」

「止めろッ」

「ンなにイヤなら辞めちまえよ、キャッバローネの家を出て普通人になるって宣言、しちまやぁいいだろがぁ。一人で世間に出て働く覚悟もねーくせに、マワリ煩わせんなぁ」

「俺に説教するな。離せッ」

「大人しくしとかねぇとマジ縛るぞてめ……、ぇ……」

 体術でも力でも相手にならないへなちょこを銀色の鮫は容易に押さえ込む。上着を奪って乱暴に脱がせ、ジーンズの前に手を掛けた瞬間。

「……」

「……」

 硬いデニムの生地ごしに、触れた意外な現実に銀色の鮫がさすがに黙る。金色のへなちょこは、いたたまれずに俯く。いっそ泣きたい。そんな気持ちだった。

「……、まぁ……、気にすんな……」

 まるで、何かの、なんでもないちょっとした事故のように言われて。

「無茶言うな……ッ」

 金色のへなちょこが叫ぶ。そのまま立ち上がって逃げようとする。くじいた足ではうまく踏み出せず、すぐに背後から伸びてきた腕に捕らえられる。

「落ち着け。暴れんな悪化するッ。足首ひねったのをバカにすんじゃねぇこじらせっと一生、引き摺るハメになるぞッ」

「関係ないだろう、お前にはッ」

「おおありだっ。てめぇの身の安全の全部が俺の責任範囲なんだよッ。ああもぅ、暴れんなッ。どうすりゃ満足だお坊ちゃん。抱いて寝てやりゃ言うこと聞きやがるかッ?」

 その、台詞に。

 びく、っと背中を強張らせて、暴れていた動きをとめて、代わりに震えだした背中が。

「……とにかく、落ち着け」

 可愛くない、ということはもちろんなかった。

「……スクアーロ」

「ズボン脱げ」

「俺のこと、覚えていないのか?」

「覚えてるぜぇ。その金髪妬かれて、苛められてたヘナチョコが居たくらいはな」

「じゃあなんで初めましてなんて言った!膝なんかついて、手の甲にキスなんかした!」

「お前んとこのが居並んでやがったからだ。仕事で来てンのにタメだった頃の気配見せたら総スカンじゃねぇか。もっとも、どーも、無駄だったけどなぁ」

 それには二つの意味がある。金色のお付きの方に覚えられていたからしらばっくれても無駄だったということと、お約束の礼儀を守ってみてもつまはじきにあうのは同じだったということ。

「オレは……ッ」

 濡れて色を濃くした金色の髪が、足を引き摺りながら自分から顔を近づける。カチャカチャ音をたてながら濡れたジーンズを、銀色の鮫は脱がせようとするがぴっちり腿に張り付いたそれはうまく剥がれない。

「おい、自分で脱げてめぇ」

「どう、してたんだ。ザンザスに」

 その名前を聞いて腕を強張らせたのは、今度は銀色の方。

「オマエさらわれて、連れて行かれて、剣帝とのことを聞いて、お前それきり、学校に帰ってこなくて」

「……見りゃ分かるだろぉ」

 どうしていたか、なんて。

 剣帝を倒してヴァリアーに入って、今現在、その制服を着てボンゴレ九代目の命令でここに居る。途中に人生を覆す大事件があったが。

「ザンザスは?一緒じゃないのか?」

「……今はな……」

 最後の瞬間まで、一番奥までは一緒に行った。そこで別れて、それからずっと独り。

「ザンザスは……」

「おい、それ以上、こっちの事は訊くな」

 同盟ファミリー、名づけの親子、それでもキャッバレーノにボンゴレの中枢部のことを、話せないのは当然のことだった。

「ザンザスとは、もう付き合ってないのか?」

「……」

 もともと付き合ってねぇよ、と。

 肺から吐き出したくなった台詞を辛うじて、舌の付け根のあたりでとめた。

「スクアーロ、オレは、ずっと」

「なんだぁ?」

「ずうっと、……お前のこと思ってた……ッ」

 抱きつかれる。逃げなかった。冷え切った肩を右手で抱いてやる。濡れたジーンズを着たままの足が冷たい。暖めないと風邪を引く。健康を含めた全てに責任がある。今は別の仕事で手が離せない九代目お気に入りのヒットマンがこの金色の家庭教師に来るまで、無傷で、守らなければならない。

 ヴァリアーは解散寸前まで追い込まれた。目覚めない男を待ちながら男が嫌いぬいた権力者たちに頭を踏まれ腕を使われる日常が、ストレスでない訳はなかった。そして。

 マフィアをキライだボスなんかならないとほざきつつ大勢に囲まれた快適な豊かさを手放そうとはしないキャッバネーロの御曹司。九代目の寵愛を受けて選りすぐりの家庭教師をつけられ、多分将来、その手足になるだろう、甘ったれのガキを、心の底で不愉快に思っていないことももちろん、ない。

「ゴム」

「ザンザスが姿を見せなくなって、いろんな噂を聞くたびに、オマエはどうしているかって、オレはそればっかり……ッ」

「持って、ねぇよな、てめぇは」

「?。なんのゴム?」

「セックスすっ時に後腐れねぇよーにつけるゴムだぁ」

「……ッ!」

 トマトのように真っ赤になったお坊ちゃんの目の前で、見せつけるようにわざとゆっくり、銀色の鮫は生身の右手を左の脇に挟む。それがなんの為の仕草か、理解しない坊やには何の挑発にもならなかったけれど。

「ペッティングまでだなぁ。どっちみち夜が明けりゃてめぇのお供が集団で来やがる。キスマークつけて返す訳じゃいかねぇ」

「……、く、っても……」

「あ?」

「あと、つけなくっても……」

 ごくり、と。

 目を見開いて、喉を鳴らして、濡れて重くなったスリムのジーンズを脱ぎながら、じっと自分を見据える青い瞳にオスの欲情を見て、曖昧だった好きだという言葉の意味を銀色の鮫は正確に理解する。

「できる……、だろ?」

 その視線の強さにほんの少し、戦慄を感じていた銀色は、形だけは凛々しい唇がこぼした言葉の最後、頼りない確認に思わず笑ってしまう。笑われても金色は怒らない。むしろ銀色の鮫の、思いがけない上機嫌に息を呑む。オンナの銀河いいのがオトコに好都合だということくらいは知っていた。

「お前の足が悪くなっても困る」

「スクアーロ」

「ワガママ言うな、御曹司。本番はベッドじゃねぇどヤだぜ。背中がいてぇ。こっちの身にもなれ」

 言われた言葉に金色は相手が、『抱かせて』くれるつもりなんだと理解して。

「……、スク……ッ」

「脱いだら寝ろ」

 少しは乾いて丈も長い自分の上着を、掛けていた剣から手にとる。肩に引っ掛け呆然と自分を見つめる若い御曹司に近づく。

「……」

 世界は暗い。雨の音に閉じ込められた崖下の冷たい空間。月も明かりもなく、発光したように見える白い身体と銀居の髪を、抱きしめて掻き毟った。暖かな手に狭間を触れられてたまらず何度も、擦り付けながら零した。

「……、はぁ……」

 興奮しすぎて記憶は朧、夢だと言われればそう思ったかもしれない。

あの一言がなければ。

髪を引っ張ってもムチャなキスをしても文句を言われなかった。我慢できずに、白い肩を齧っても。おかしいくらい大人しくて従順だったのは銀色の鮫で、途中から金の御曹司は、白いカラダの上で主人らしくさえ振舞った。その方が悦ばれたから、嬉しそうに肌をやわらげてくれたから。

 頬を寄せるとくすぐったそうに肩を竦めた。でも嫌がられなかった。生身の右手を握ってキスしてやった。義手でそぉっと背中に触れられながら、愛しそうに、耳元で。

「……ザンザス」

 小さく、てもはっきりと、多分、相手も混濁していたのだろう意識の中、大切そうに呼ばれた別の男の、名前の記憶さえなければ。