エンドレス・ラブ 2
「すまない」
二時間ほど前、部屋を出て行ったままの姿に黒髪の大総統は戸惑い、とりあえず謝った。室温は快適に保たれて居るとはいえ下着も身につけないバスローブ一枚きりの格好。
テーブルの上のオードブルとサンドイッチ、チーズとフルーツの皿も手をつけられていないままで乾いている。冷やされしっとり汗を帯びていた白ワインもゆるんで、美味しく飲むにはまた三時間、冷蔵庫の下段に入れておかなければならないだろう。
「新しいものを持ってこさせよう。お腹がすいただろう?」
必要以上に優しい声が、出てしまうのは後ろめたいからだ。長年の、本当に長い付き合いのせいで傾向を知り尽くした金髪の将軍は大総統の気配りを、
「居らねぇよ。もー減りすぎて、感覚なくなった」
言下に拒む、口調は威嚇的、かつ傲慢でさえあった。そうしてゆっくり立ち上がる。大総統は怯んだが、逃げようとはしなかった。むしろ。
自分からも歩み寄る。肌が触れるほどの距離になってから、指が伸ばされる。キスだと思ったから目を閉じ、捉えやすいように顎まで浮かして待った、のに。
「……、ッ……」
硬い指先は無慈悲に、黒髪の大総統の唇を抓る。ふざけているのではない本気の力で。
「イタ、エド……、イタイ……」
苦情を言って目を開けると、近点の限界に近い至近距離で金髪の将軍が微笑む。ひどく禍々しく。
「はれてるぜ、くち」
公用車の中でまだ十八の、もう少女とはいえないが乙女に、散々弄られた唇。
下唇を力いっぱい捻られて黒髪の大総統は再び目を閉じた。痛みに耐えるために。目尻に薄く涙が滲むりを見てようやく、金髪の将軍は指を離す。
「俺を待たせて、オンナにヤられてんじゃねーよ」
「そんなことはしていない。それにこれでも、急いで帰って来たんだ」
「あと五分遅かったら、クーデター起こして大総統に成り代わってやるところだったぜ」
「そんなことをしなくても、やがて君のものだ」
「ばぁか。尋常な譲渡と簒奪じゃ、ぜんぜん違うんだよ」
片腕を廻して金髪の将軍は奥の寝室に、もと焔の錬金術師をエスコートしていく。その仕草には馴れがあった。部屋も相手も知り尽くしているという自負が。
「主にあんたの境遇が、な。譲渡なら隠棲で悠悠自適だけど、簒奪なら鎖で繋いで監禁だ。……俺のベッドに」
「怖いな」
「昔みたいに毎晩、二発ずつヤってやるよ。前からと後からと。時間があるときゃクチも犯してやる」
「エドワード」
「ドサ周りさせやがって。いつまで俺を遠くに置いとく気なのあんた。早く呼び戻さないと、セントラルに攻め込むぜ」
「エ……、ん……」
天井の高い寝室の奥のベッド。男が二人、どころか三人並んでも余裕の広さがある。敷かれたシーツは糊のきいたリネンではなく、織りの粗い綿で、それは金髪の将軍の好みだ。
「一応、待ってはいたんだな」
シーツに情人を仰向けに横たえ、髪に触れながら囁く。
「待っていた、とも。……、ン……」
「メシ、先に食ってたくせに」
「夜行で、着くと言った、から、てっきり、君も、たべて、る、と……ッ、ひンッ」
「薄情者」
恨み言を囁きつつ、両手をシャツの上から胸元と背中に輪を描くように這わせる。生身の左手と機械鎧の右手との感触の違いに、撫でられる体の肩が揺れる。優しい気持ちの時は左手で胸を撫でてくるが今夜はそうではないらしい。冷たい鋼の感触が胸元を苛む。
「……、エド……」
愛撫を受け入れながら、それでも苦しくて目の前の肩を掴む。この肩がまだ細かった頃からセックスを繰り返してきた。大総統の地位を得るために。そうしてその地位を維持してゆくために。
絶対的な支持と盲目的な服従の代償。
……だったのは、昔の話で、今は、もう。
愛情と呼べないこともない優しい気持ちを抱いている。恋人と呼ぶにはやや甘さが足りないが、似たようなものだ。憎まれ口を叩きつつ長い年月、よく尽くしてくれた。引き換えだったセックスは年ごとに価値をなくし、最終的には地位と権力の譲渡で、その忠誠に報いるつもり、なのに。
金髪の将軍は受け取ろうとしない。
「そんなもので俺と手ぇ切れると思ったら甘いぜ?」
冗談めかして、でも目は、少しも笑っていない。
「俺があんたより偉くなったら、あんた死ぬまで幽閉だ。それでいいなら、好きにしな」
言葉の意味がよく分からない。とりあえず相手を受け入れるために身体の力を抜いて膝を緩めた、のに。
「……なに考えてる?」
低い声で凄まれてしまう。なにも、と答えるとますます激昂させることは知っていたから、少し考えて、そして。
「あいつが生きていたら、反対しただろうな」
「……俺とのこと?」
「そう。君への地位の譲渡。もと国家錬金術師が二代、続けて大総統になるのは、きっと反対した。錬金術師じゃないとトップに立てないと皆が思うのは軍内のモラールに関わる、とか、言い出しただろうな」
「……俺サァロイ。大人になっただろ?」
問われて、大総統は改めて相手を見る。
「もう何年もあんたのこと殴ってないし」
関係の最初の頃、この将軍はまだ思春期で言葉を知らず、意思の疎通に失敗しては手が出ていた。セックスして以来、一対一で向き合う時は怯えたような態度になる情人にイラついた。もやもやしたその気持ちが悲しみ、淋しさの裏返しだということにも気づけないままで。
「すきっ腹で駆けつけてきたのにあんたに先にメシ食われてても、風呂上りにあんたに出て行かれても我慢したぜ」
迎えに行った女の子に食いつかれた痕跡を唇に残して戻ってきても。
「あんたのタチが悪くても、俺より先に勝手にイっちまっても我慢してやる。でもさ、あんたが俺以外の奴を思い出してんのは、我慢できねーよ」
殴るのか、と、黒髪の大総統は思った。目を閉じ奥歯を噛み締めて覚悟する。けれど触れて来た指は優しく、今度こそ、そっと顎にかかって上向かせ、優しく唇が重なる。
「……ん……」
甘い声を漏らすまで熱心に舌を弄られて、熱い息をつくまで胸元を弄られて。
「帰る」
なのに、金髪の将軍は唇を離すなり立ち上がる。そのまま離れていく。口数少なく、出て行こうとする。
「待て、エドワード」
ベッドに仰向けのまま顔だけドアへ向けて、部屋の主人は男を引きとめた。胸の突起は立ち上がり、下肢の狭間も、既に萌している。こんな半端で放り出されるのは苦しい。
「君も今年は大台だろう」
「だから、ナンだよ」
「そろそろ新しい境地を開拓してみないかね」
「あぁ?」
「戻って、私を慰めろ」
「……」
「慰めてくれ。苦しい」
男が振り向く。シーツの上で、シャツを乱された権力者は目を閉じる。
「胸が苦しいんだ」
「……昔の男、思い出して、か?俺の方を愛してるってんなら撫でてやるぜ」
「比べられないよ。君とヒューズは違う」
「嘘でもいいから、俺を百万倍くらい好きだって言えよ」
「君の方がそれくらい、わたしには優しいがね」
「それ問題発言だぜ。俺あんたに優しくした覚えなんかないど?」
愛していることに間違いはない。でも男の愛情は優しさとは別の行動に繋がりやすい。
「それでも俺の方がマシってのは、前のにどんなメにあったんだよ」
「君は知っているだろう」
「あんたに残ってる遺品のことぐらいは」
「あいつは酷い男だった。乱暴で勝手で」
「最後はあんたのこと置いて死んだし?」
「そうだ」
「そのせいで手駒が足りなくなって、ガキにカラダ、食わせる破目になったし?」
「それはまた、別の話だがね」
「……ふぅん……」
曖昧な声を漏らしながら、金髪の将軍はベッドへ戻って来る。あらためて髪に触れ、頬を撫でると気持ちがいいらしい。撫でられた相手は目を閉じ、くつろぐ表情を見せる。目蓋が青いのにそこで初めて、気がついた。
「……あんたさぁ……」
実は相当まいっているんじゃないかと、問い掛けた言葉は。
「……」
言わないでくれ、という風にかぶりを振られて途切れる。
代わりに。
「体調は?」
「問題ない」
「その気は?」
「ある」
「俺のことは?」
「好きだよ」
「ホントかよ。……ヒニン、して欲しい、か?」
最後の言葉に黒い瞳が薄く開く、すぐに閉じられ、かすかに顎が動いてうん、と頷く。
「今夜だけだぜ。明日はしないからな」
「明日は、ダメだ。エリシアと約束をしてきた」
「メシだけだろ。まさかベッドも込みの約束なら、ンなにしらっと、俺に言わないよな?ここで待っててやる」
「あぁ、そうか」
本当に初めて気づいたらしい黒髪の権力者が納得する。とぼけた額にキスを繰り返しながら、
「明日も俺とは一緒にメシ、食ってくれない気なんだな、あんた」
本気の悲しみが零れて。
「ハクジョーモノ……」
「……ごめん」
権力者は自分を抱こうとする男に自分から腕をまわして、短く詫びた。