エンドレス・ラブ 5

 

 

 

 同じ日の、夜。
午後八時二十分、セントラル指折りの格式を誇るホテルのメイン・ダイニング。の、奥の個室の、腰が埋まる椅子に男女が向き合って座った。奥の上座には栗色の髪の美女、入り口に近い席には黒髪の、この国の最高権力者。
「シェフのお勧めでフルコース。この子は生のトマトとキュウリが食べられないから、それだけ抜いてくれ」
「デザート何があるの?」
「メニューから好きなだけお食べ。食前酒はキールでいいかい?そのあと、私はピンクシャンパン。この子はグレープフルーツ・ジュース」
「ナイト・ジェントルマンがいいわ」
「……?」
 聞きなれない単語に黒髪の権力者が首を傾げ、老練な給仕に解説を求め振り向く。しかし給仕も知らないらしく、申し訳なさそうにかぶりを振る。
「それは、どういう……?」
「知らないの?ロイらしくない。昔は流行に強くて、いつもおしゃれなプレゼントをくれたのに」
「最近、どうも世上に疎くなってね」
「そんな風じゃ政策が的外れになるわよ」
 給仕は背中に冷や汗をかいた。この権力者は優しく整った顔立ちをしているが、優しいのは顔だけという定評もある。楯突く者には容赦なく、強面で強権を維持してきた。施政にはかなりの成果をあげ文官も頭を垂れていて、その権勢は前代のキング・ブラッドレイ全盛期をも、凌ぐ。
「歳をとったからね。鈍くなるのも仕方がないさ」
 やや悲しげに溜息をつく横顔は、そんな言葉がまるで似合わないほど若々しい。照明は暗く、テーブルの中央に置かれた切子のグラスの中で蝋燭が瞬くたびに睫毛の蔭がゆらめいて、白い美貌をシンプルな艶やかさで彩る。
 明るい昼間見れば確かに少し歳をとって、地位相応の威厳もついている。が、国軍きっての二枚目だった切れ長の目尻の切れ味は、少しも衰えていない。
 むしろ、増した。
「カクテルの名前よ」
「どんな?」
「ベースはコーラだと思うわ。黒くて甘くて、でもすっきりしてて、いま人気なの。どんな店によって味が違うけど、わたしはカルティエ通りの『サルーテ』のが一番すき」
「ふうん」
 権力者がふたたび給仕を振り向き、給仕はなんとかいたしましょう、という風に頷く。伝統と格式は流行に弱くて、最上階のバー・メニューに、女子大生達が好む新種のカクテルの名が連なっているとも思えないが。
「わたしにも同じものを」
給仕が出て行った後で少しだけ待たされた。それは遅い、とクレームをつけるほどではない、ほんの少しだけ、こんな店にしては遅れた、という程度で。
 やがて運ばれて来たのはその名の通り真っ黒な、カクテルとしては奇抜な色合いの液体が満たされたグラス。レモンピールが縁に飾りつけられ、色をあわせた黄色いストローが浮かんだ氷の中に立てられている。
「美味しいでしょ?」
「そうだね。……アクアスタム・コーラに、ジン。香りづけにチェリーのリキュールがほんの一滴。酸味はレモンでもライムでもないな。……、柚子か……?」
 もと遊び人の面目にかけて、黒髪の大総統はグラスの中身を分析した。それはシェカーを使わないロングスタイルだったから、構成が分かれば素人にも作れる。レモンピールをこれ見よがしに飾ったのが秘密の鍵。
「淋しくなったら大総統府まで、いつでも食事をしにおいで、エリシア。朝でも昼でも夜でもいい。同じ味のを、わたしがが用意しよう」
「まるきり錆び付いたわけでもないのね、ロイ」
「昔取ったナントカでね。若い頃に遊び歩くのは、そう悪いことじゃなないと思うよ。だが」
「はい」
「なんだい?」
「どうぞ、って言ってるの。お説教して。お尻ぶたれてもいいわ、ロイなら」
「あまりもう、危ない遊びは、しないでおおき」
「昨夜のこと言ってるの?」
「そうだよ」
 権力者と向き合う娘は本当にまだ若くて、ピンと張りつめた顔立ちにも肢体にも崩れの気配はない。こんな美女が『最後まで立ってたたっていた人の部屋に泊まってあげる』、なんて夜の街で口走れば、聞えた男たちの間で乱闘が始まるのはごく当然の成り行き。
「わたしが居るうちはわたしが最後に立っていてあげれるが、もうそれが出来なくなる」
「お部屋に連れて帰って、ロイ。わたしをそばに置けば、古臭くならないですむわよ」
「もう手遅れだ」
「そんなことないわ」
「どんな風に言おうか、ずっと考えていたんだが」
 グラスの中の黒を揺らしながら、黒髪の権力者が少し俯く。ひどく優しい目の色を隠すように。
「君には正直に、本当のこと離そうと思う」
「どうぞ。なんでも、聞くわ、ロイ」
「君とはセックスできないよ、わたしは」
「どーして?」
「君のパパの、愛人だったから」
 形のいい唇の隙間からすらりと、こぼれた言葉に茶色の、アーモンド型の目が見開かれる。内容はとぉに知っていた。でもそれをまさか、自分で告白するとは思わなかった。
「君はあいつの子供だから、君とセックスは出来ない」
「……分からないわ、どこで繋がるのか」
「近親相姦な気がする」
「どうして」
「君を自分の子供みたいに思ってるからだよ」
「ロイ」
「君をあいつの身代わりにした事はなかった。あいつはあいつで、君は君だ。君を愛してるけどセックスは出来ない」
「わたしより、パパを愛してるから?」
「順番がね、仕方ないね。君よりもさきにあいつと寝た」
「わたしのことも愛してよ、ロイ」
「愛してるけど、セックスは出来ない」
「それじゃ愛してることにならない」
「心から愛しているよ。君のパパが君を愛してたみたいに」
「ロイはパパじゃないわ」
「そうだね。それだけが、少し残念だ」
 オードブルが運ばれてくる。娘は気丈にフォークを手にしたが、指先が震えて、フォークがカタカタ、藍と金の縁取りが美しい皿に当たって硬い音をたてた。
「本当に大好きだよ、エリシア」
「……、うそ……」
「グレイシアと仲直りしなさい。せめて許してあげなさい。彼女の怒りも無理はない。結婚前から、あいつは妻を裏切り続けていた」
「傲慢よ、ロイ。あなたがそんなこと、言うのは」
「違うよ。わたしがグレイシアより愛されていたという話じゃない。わたしもひどく、何度も裏切られた」
「ロイのこと、好きなの」
「あいつに純に愛されていたのは君だけだ、エリシア」
「パパとは無関係に、わたしロイのこと愛してるの」
「ごめんね」
 かつて。
 国軍きっての、タラシとして知られていた男は。
「わたしは君を、あいつの娘だから愛してる」
 切り落す、やり方はみごとで、切れ味は。
 少しも鈍って、いなかった。


「おかえりー」
 夕食を外で済ませて帰って来た権力者に部屋の中から声が掛けられる。自分の部屋なのに自分以外からそう告げられるのが、少しくすぐったい。
「ただいま」
 そんな返事をするのは久しぶりだ。もうずっと前、まだ若かった頃、同じくらい自然にお帰りと言ってくれる女が居た。
「遅かったじゃん。食われたかと思ったぜ」
「若い子は体力があると思い知ったよ」
「あ?食われて帰って来たのかヨ」
「二時間泣き続けられた。さすがに十代だ。二十代半ばから上の女性では泣き声が、あぁは続かない。驚いたな」
「ンだよ、俺の十代の頃ワスレタ?」
 長く伸ばした金髪を背中に垂らした将軍が、チラリと大総統に剣呑な視線を向ける。受け流して、ふと。
「何をしているんだ?」
 クッションを背にして床に座り込んだ、その膝前に広げられたファイルに気付く。
「あんたの写真、整理してやってんの。いろいろ出て来たぜ。これなんか幾つン時だよわっけー。十五?六くらい?」
 摘み上げられて見せられる、そこには短髪をきちんと制帽の下に収めた姿の、大昔の時が焼き付けられて。
「……十八だ。士官学校の入学式」
「はぁー、アッきれるー。美少年とおりこして美少女だぜ。禁欲的なトコそそられる。こーゆーの押さえつけて、無理矢理剥いてヤって泣かせたらたのしーだろーねぇ」
「君が露悪的な挑発を仕掛けてくるのは」
「貰っていい?枕もとに飾って、アタマん中で毎晩ヤってやるよ」
「泣くのを我慢している時だ。どうした?」
「もってくぜ、これ」
「いいとも。欲しいならなんでも持っていきなさい。写真だけじゃない。全部」
 優しい言葉に、金色の将軍がひくっと、喉を震わせて。
「君の役に立ちそうなものは別に取り除けているが、他にも好きなだけ全部、君が最初に選んでいいよ」
「……、ナンでも、かよ?」
「あぁ」
「ホントだな?」
「きみ、昨日からしつこいぞ」
「だったら、コレ」
 立ち上がり、手を伸ばす。最初は生身の左手、それから機械鎧の右手も使って。
「……ほしい」
 抱きしめると、一呼吸措いて、きゅっと抱き返してくれる。
「チョーダイ。大事にするからさ……」
 本当は、ずっと大事だった。
「あんた俺を愛してくれるって言ったよ」

 相手の腕の中に崩れ落ちながら、呻く。