エンドレス・ラブ 6
記憶の中じゃ、いつでも雨が降ってる。母さんのの天気は覚えてないけど、幼なじみを埋めた時は大雨だった。隣に居た弟がぽつり、水が飲みたかったんだねと呟いた。
その二ヵ月後、弟の鎧の『遺体』を埋めたのは梅雨で、細かい霧みたいな雨が降ってた。簡単な葬式が終わっても、死者の兄は墓前を動こうとしなかった。そのままずっと、もう動かないで、いっそ一緒に埋められてしまいたかった。
『……鋼の』
別人みたいにやさしい声で、葬儀には仕事で参列できなかった焔の錬金術師が花束とともに、宵闇の中、現れるまで。
『濡れるぞ。風邪をひく』
『……せぇよ……』
悪態を長く続ける気力さえなかった。墓前に白百合の大きな花束を供えた黒髪の上官は暫く隣に、黙って佇んでいた。
その時に、なんにも言われなかったけど。
慰めてくれている、ような気が、して。
嫌いな相手だった。反発して反感を抱いて、油断できない悪党で、嫌いな軍人だった。でも戦争させりゃ凄腕で、歳のわりには歴戦の場数を踏んでいて、頼りに、なった。
嫌いな相手だった。でもいつも撫でてくれようとしてた。その手に懐いたことは一度もなかった。好意を信じられなかったから。無理用しようとしてるだけ、だと、ずっと思って、いつてもそいつには突っ張ってきたのに。
『……鋼の』
その、日は、もう、気持ちはぐちゃぐちゃで。
優しく呼んでくれる声が耳に、甘く切なく響いて頭の中で反響した。たとえそれが本当の名前じゃない、国家錬金術師としての呼び名でも。
『うちにおいで』
優しさを、それが偽善でも同情でも、拒むことなんて出来なかった。むしろ縋りついた。
墓の前に跪いた泣き顔のまま、隣に立ってた大人を見上げると、見上げられた『大人』は、まるで子供に話し掛ける時みたいに、濡れた地面に、一緒にしゃがんでくれて。
『心配だから、わたしのうちにおいで』
腕を伸ばして、抱きしめてくれた。
その優しさにおちた。自分がとうとう、このタチの悪い相手におとされたんだって分かった。でも気持ちが崩れて行くのを止められなかった。縋りついて泣いた。雨の中で、多分、長い間。
心配したのは、人体錬成の禁忌をまた冒すんじゃないかって、そんなことだったかもしれない。
あの時、意気沮喪して戦意喪失されて、戦線離脱、されるのが怖かったのかもしれない。
それでもよかった。縋りついた肩も胸も腕も温かくて、もう、それだけでよかった。
「最初に寝た時の約束、まさか忘れてねぇだろな?」
士官学校の制服姿の写真をアルバムに挟んで、金髪の将軍は腕の中に抱いた、黒髪の大総統の髪を撫でる。外食のために整えられた前髪を手櫛で下ろしてやると、表情が和んで優しく見えるから、好きだ。
「あんたは言った。アルとウィンリーと、師匠の代わりに、俺を愛してくれるって、自分から言った」
無くしてしまってもう戻らない、暖かさの名前。本当にもう居ない。みんな遠くに行ってしまった。二度と会えない場所へ。
表の世界での戦争、そうして表沙汰には出来ない場面での、ホムンクルスとの死闘。軍隊の戦争には関知しなかった師匠が、ホムンクルスとの決戦には手を貸してくれた。それは嬉しいことだった。自分が正しいことをしてるんだと思えた。でも、死んで欲しくなかった。
誰にも、誰一人。
「俺が巻き込んどいて、こんなこと、いうのは卑怯だけど、さ。俺はホントに、誰にも……」
ホムンクルスたちに狙われる確率の高い幼なじみをシンへ避難させようとしたのは自分の発案。弟を護衛につけて、安全なところに逃がしたつもりだったのに。
キャラバンに同行させた旅の途中、砂漠で襲った、砂嵐。
商隊は全滅、幼なじみは弟の鎧の中でなんとか生き延びたが、砂漠を脱出する途中で水も、食料もなくて。
『ごめんなさい、兄さん』
なんでかあいつが、謝った。
『助けてやれなかった。ごめんね』
遺体は鎧の中で持ち帰られて、きれいなまま埋葬してやれた。でもそんなのはなんの救いにも気休めにもならない。それから弟はムチャな戦い方をするようになって、罰を求めるようにホムンクルスと、相打ちで『死んだ』。血印を抉られて動かなくなった鎧だけ残して。
「あんただって、そーだろ」
「そうだね」
誰も死なせたい訳ではなかった。慕ってくれた部下たちの誰一人、失いたくはなかった本当に。けれどもそう、それを言う権利はなんのかもしれない。戦いの場所に連中を率いたのは上司だった自分で、自分の戦いの、犠牲にした事実は厳粛としてそこにある。
間違っていた、とは思わない。けれど。
失いたくはなかった。今でも思い出すと惜しくて、悲しくて痛い。
「俺に最後のババ引かせない、よな?」
表の戦争と裏の死闘の、指揮官だけが、生き残り。
「あんたは俺を、棄てて行かないよな?」
本当に、骨が震えるほど、本当に孤独で『二人ぼっち』。
いい歳した軍人、それも最上とそれに次ぐ権力者がこんなことを言えば人は笑うだろう。でも本当にこの世に、もう、仲間は他に居ない。あの戦争を一緒に生き抜いた仲間だけが本当の『同族』。
「まだ足りてねぇよ。あんた俺にガキも産んでくれてないし、アルみたいに、そばに居てくれてもいない」
「子供は無理だ。諦めてくれ」
「俺のガキじゃなくたって、いいぜ」
呟く声は低く、本音の響きがあって、抱きしめられて身体を委ねていた黒髪の権力者が顔を上げる。
「……、エドワード?」
「あんたのガキなら、愛してやるよ。あんたが死んだ恋人の娘、ずーっとダイジにしてきたみたいにさ」
俺も出来ると、真剣に囁く。大好きな黒髪の隙間、形のいい耳朶を舐めるような近さで。
「せめて俺に、ガキのこしてけよ。エリシアなら、あんたも文句もねーだろ?あんたが好きだった男の娘だ。これで完全に、あんたは奥さんから、あいつのこと取り戻せる」
「子供なら」
「出来ないんなら、俺もつれてけ」
「もう、居る」
「はは。……さぁすがぁー。いいぜ、黙ってたこと怒らないでやるよ。どこに居る?幾つ?まさか俺とそう変わらない歳とかじゃねーよな?女に育てさせてんのか?」
「ここに、居る」
ぎゅと抱き返されて金髪の将軍は口を閉じる。
「わたしが見つけて、わたしが育てた。鳳に育ったけれど、見つけたときはまだ雛だった」
「ろ、イ」
「血の繋がりだけが絆じゃない。君は分かっているだろう」
「……わ、かってるよ。……、けどさ……」
淋しい。
「俺を、一人に、しないで。ダイジだよ、ダイスキ。なぁ、今からでも大事にしたら、長もちしたりしない?」
「君は優しかったよ」
「痛いとこ、ドコ。どこでも舐めてやるから、言え」
「……避妊」
「してやるよ。かきっこだけでも、いーぜ?」
「しなくていい。ナカで出していい。顔にかけてもいい。きみ、やりたがってただろう」
「昔話のお人形みたいにさ、エッチしなかったら長生きしない?してよ」
「こんなことになるって分かっていたら、わたしもね、君をそばから離さなきゃよかったって」
「……ホントだぜ……」
「なんでもしてあげるよ。なにして遊びたい?」
「ながいき、して」
「愛してるよ」
「じゃあ長生きして」
「いまはきみを、一番愛してる」
「なら一緒に連れてけよ、俺も」
「君は本当に誠実で優しかった。約束を果たしてくれて、感謝してる」
「……、なに、それ」
「私より先には死なないと言っただろう?」
「言ったっけ、そんなの」
「ヒューズに言った。ちゃんと伝言を聞いたよ」
「忘れた」
「みんな同じ事を言ったけど、みんな嘘だったんだ。みんな私を置いていったけど、君だけが約束を果たしてくれた」
「そーいやあの人、俺に言ったぜ。あんたも俺も長生きするさ、って」
「当たったな」
「足りないよ」
「なぁ、エドワード。君を本当に大好きだ」
「百歳まで生きて」
「私より長く生きてくれるのを、君の愛情だと思うよ。信じてる」
「独りぼっち、やだ……」
また、泣いた。
十五年前みたいに、十五年前と同じくらい無力に。