Exterminate……害虫駆除
大学の広い学食は昼時のせいでひどく混雑していた。
しかし史浩は捜し人を見つけるのに困りはしなかった。女たちの視線を辿っていけばその人物に辿りつく。金茶の髪と長身と、野性味の強い顔立ちを持つ彼。
今日はまた一段と目線がキツイ。その顔つきだけで史浩は、何の話か、見当がついた。
車やチームに関することならば峠で話をすればいい。なのにこっちまで出てきたということは、よほど緊急かつ重大な用件。こいつにとってそんなのはたった一つ。いや一人しかない。
「……で?」
人目の多い学食から中庭に移動して話を促した。
「ラブ・タカハシ」
「は?」
「っていうメールがさ」
「メールがどうかしたのか」
「どんどん入ってくるんだ。五分に一回だぜ」
「もてるな、お前」
「俺じゃない。アニキ」
「涼介がどうした」
「アニキにメールがだよ」
「ラブ・タカハシ?」
「そう」
「そりゃあ、ちょっと……」
違和感を感じて史浩は眉を寄せる。あの美貌の友人に、ラブとかそんな軽いノリは似合わない。
「タカハシ、ってきたんなら車関係者じゃないな」
走り屋関係なら弟の啓介の事も当然、知っているはずで、そうすると宛名は「ラブ・リョウスケ」でくるだろう。
「パンピーのオトコだ」
目の据わっている啓介は、まるでその不埒なオトコが目の前の史浩であるかのように憎々しげに断言した。
「なんで分かる」
「勘」
「あんまり聞きたくないんだが啓介。お前どうして、涼介にきたメールを知ってる?」
「チェックしたから」
「……」
何も言うまいと、史浩は自分に言い聞かせた。嫉妬のきつい彼氏のような真似をするなよとか、兄弟だってプライベートはあるだろう、とか、思いはするが涼介が言わない以上、自分がいうわけにもいかない。……思うだけにしておこう。
「心当たり、ねぇか」
「あるようなないような……。野郎にももてるヤツだからな、あいつ」
史浩の言葉に啓介は目を剥く。
「もてるって、男にか」
「そう言っているだろ」
「聞いてねーぞ、そんなの」
「お前だってそれなりにもててるだろ。ケンタとか」
「なんて名前だよその変態野郎ッ」
「今時、ホモだけで変態扱いは出来ん。確信できるまで個人名は出せない。とにかく、気をつけておく。涼介自身はなんて言っているんだ?」
「なんにも」
どうやらそれが一番気に入らないらしい。啓介のその顔は、今日で一番、不愉快そうだった。
「お前は涼介になんて言ったんだ?」
「……」
「なんにも言っていないのか……」
と、いうことは、涼介本人にバレないようさぐらなければならないのか。苦労性の男はため息をつく。しかし、この弟の行動は、本当はいいことなのだ。誰にも知られず致命傷を受けて、死にいたる出血を滴らせながら平然と歩いていそうなのが涼介。無関心というか、鈍感というか。だから気のつく弟がコマゴコと情報をくれるのは助かる。……、こともある。
啓介とは中庭で別れ、次の授業のある校舎へ向かう史浩の耳に、聞きなれたFDのエンジン音が届く。
教室の前列に座席を確保して、史浩は自分の携帯を取り出し、メールをチェックしていく。そして幾つかを消去した。その動作はかなり長く続いた。
「涼介と俺のメル番を知っていて、啓介を知らない一般人の、啓介の勘を信じれば男、か」
五分に一度という頻度ではないが、一日に30件は確実に入ってくる迷惑メール。涼介とは大学でも一緒に居る事が多いので、女の子から邪魔にされ男から見当違いの嫉妬を向けられることに、慣れてはいるのだが。
「ラブ・タカハシ、ねぇ」違和感。可愛らしい件名とは裏腹の、気味悪さを感じる。いっそ、「コロシテヤル」なんてストレートな脅迫の方がどれだけ、清々しいだろう。
目を瞑って史浩は、自分と涼介の共通の友人のリストをチェックする。
温和で茫洋とした外見に似合わず、鋭い頭脳を持ち合わせた男が、該当人物を絞り込むのにさして時間はかからなかった。
その晩も啓介はノックもせずに兄の部屋へ行き、机の上に放り出されたとノートパソコンを手にとる。涼介は振り向きもせずデスクトップのキーボードを叩き続けた。
メールチェックされることを受け入れたわけではないが、咎めても言うことをききゃしない弟だ。最近はメールの整理をさせているのだと思うことにしている。
「アニキ、こっち来て」
ベッドに腰掛けた弟から隣を示され、涼介は少し警戒した表情。
「まだ押し倒さないから、とにかくおいで」
「そこで言え」
「これ、なに」
「これってどれだ」
「アイラブユーだよ」
「ちょっと前のウィルスか?」
「ふざけてると、今押し倒すよ」
「ウィルスチェックしてから開いて、内容を見て、不必要なら消去しておいてくれ」
「だからその、内容が問題なんだってば。……ピアス」
ぴくっと眉を寄せ涼介は振り向いた。その耳元に穴はあいていない。あけられたのは、もっと奥。彼の左の胸元に飾られた、この弟の、紋章。
「誰かに見せたのかよ」
「どんな内容なんだ」
とうとう涼介がベッドへ近づいて、弟の手元を覗き込んだ。
文章を読んでいく表情がだんだん、真剣になっていく。その表情を啓介は、触れれば避けそうに鋭い目で見ていた。
「……お前からか?」
「ナンで俺がわざわざメールでアニキにラブコールすんのさ。直に言うよ、直に」
言葉ではなく身体に訴える事が多いけど。
「更衣室、仮眠室……、気をつけたつもりだが」
「僕の為にピアスまでつけてくれて、とか書いてあるよ。誰かにそう言ってやった?」
須藤京一とか、と、耳たぶを噛みそうな近さで啓介が囁く。でもあいつ、僕ってガラじゃないか。
返事もせずに押しやりながら、涼介はメールの発信者を確認した。署名はナシ。場所は群馬大学のPCルーム。
「心当たりがあるんなら早めに吐けよ。どうやったって喋らせるぜ。もっともスナオに喋っても躾け直すけど」
暗い目をして更に絡もうとする啓介を本格的に押しやり涼介は立ち上がった。
「逃げられると思ってんの?」
啓介も立ち、部屋のドア側にまわりこむ。
「一緒に来るか?」
「ドコに」
「大学」
台詞が短くなったときの涼介は怖い。啓介は頷き従った。白と黄色の車体が夜の市街地を駆け抜け大学の駐車場へ。
そのまま涼介は医学部のロッカーへ向かう。啓介もついてくる。
ロッカー室と更衣室は別にあるが、そちらは女子が専用で使っているので涼介を含む男子生徒はもっぱらロッカー室で着替えている。ネームプレートにタカハシと書かれたそこから本や衣服を全部出して、涼介は内部を改める。
啓介はぐるりと天井を見回した。たてかけてある椅子に上ってロッカーの上部も。箱を手に取り開けてみる。靴が入っていただけ。そこでふと、
「あれじゃねぇ?」
不審な物体に気づいた。啓介が指差した先には明らかなカメラ。
「それは警備用だ。医療施設だからな」
「でも上に、ナンか載ってる」
涼介が会議用の組み立て式テーブルを持ってきた。長身の二人はそれに昇れば天井に手が届く。
「ビンゴ……」
大きな監視カメラの上に、ちょこんと乗せられた掌くらいの平べったい函。そっと開けると中には小型カメラ。向きは涼介のロッカーで、ちょうど斜め上から俯瞰の構図で写る。
「啓介」
名前を呼ばれ、
「はい」
思わず良い子の返事をしてしまう、それくらい、その時の涼介は怖かった。
「先に帰ってろ」
「アニキは?」
「宿直の助教授と話をしてくる」
その日、啓介は涼介の部屋で涼介のベッドで、一人寝を余儀なくされた。
翌日は土曜日。授業のない啓介は一階のリビングで兄を待った。ここは吹き抜けの玄関に通じているし、家中のモニターと繋がっているから、ガレージが開いてもすぐに分かる。
兄が帰ってきたのは日が高くなってから。時計は辛うじて午前中。
「お帰り、アニキ」
「……ただいま」
出て行ったときの服のまま、疲れた様子で兄は帰ってきた。
「どうなった、なぁ」
「史浩にお前、メールの事を話してたって?」
「あ、うん。ごめん」
「いや。お陰で解決が早かった」
「犯人、わかったのか。誰?」
「ゼミの先輩」
「処分は?ちゃんとそいつ、クビになった?」
「厳重注意だ。表沙汰にしたくもなかったし」
疲れたよ、と呟いてソファーに座る兄の靴下を啓介は脱がせてやる。遠い浴室まで行ってタオルを絞って、顔を拭ってやる。一度崩れてしまってからは立ち上がることさえ億劫そうな兄の手を拭き、さいごに足を拭いた。
そうしておいて、抱き締める。
「お疲れ様。ヤなメにあったな」
「……慣れてる筈、なんだが」
自分自身を嘲笑するように、涼介は笑った。
「性的な対象にされる事には、ガキの頃から慣れてる筈なのに、二十三にもなってイチイチ傷つく、馬鹿だな、俺は」
「ンなこと、ねぇよ」
気色悪いさ、どう考えても隠し撮りなんて。
ロッカーで後ろから襲われたとかいうんなら、肘で離して蹴って殴って、土下座させて終わりにするのは簡単なことだけど。
「手の届かない場所から見てるだけなんて、卑怯で馬鹿にしてるぜ。オリの中の猿の交尾見てるみたいじゃねぇか」
「そうだな。やっぱり少し、嫌だったよ。お前や京一や」
「いっしょにすんなよ」
「藤原や三村や藤里や木下や田上や瀬戸口に」
「……」
「そういう目でみられたりキスをされたり、パンツの中身を想像されてても平気なのに、今回はキツかった。なんでだろう」
「……俺らの方が、追い詰められてるからさ」
あんたを好きで欲しくって苦しんでる。俺だけは他と違って、想像じゃなくって回想だけど。
「真剣なんだ。同じオリの中に居る」
涼介は返事をしなかった。そのまま啓介の肩口に額を寄せる。滅多にしない仕草を歓ぶより先に、どれだけ傷ついたんだろうと思うと可哀相で、切なくなってしまう。
じっと抱き合っていると、涼介の懐で携帯が鳴った。
「……出てくれ」
「留守録になってるだろ」
「史浩かもしれない。俺は眠ったがありがとうって、言っておいてくれ」
「わかった」
兄の上着のポケットから取り出した携帯の受信を押す。もしもしと、言う間もなかった。
『高橋君?まだ怒っているのか』
それを聞いて、啓介が。
咄嗟に思ったのは、宿直だったとかいう助教授だろうか、という事。高橋君という呼び方には親しみと、目下に対する愛情、気配りなんかがあったから。兄に携帯を渡そうかと思う。しかし。
『でも他人に言ったのは君のペナルティーだよ。びっくりしたんだろうけどね。没収されたテープの代わりにビデオを撮りたいんだ。今から出て来れるかい?』
弟の様子で察した涼介は耳を寄せ一緒に聞いていた。それからそっと携帯を弟から取り上げて、
「もう、二度とかけないで下さい」
疲れきった様子からは想像も出来ない厳しい声を出す。
「今度、されたら訴えます。そのために証拠は教授に渡さずに、こちらの手元に置いているんです」
『君がもっているのか。じゃあ、テープは返してくれるね』
「つきまとい防止法の適用に性別はありませんよ。ご存知でしょうね」
『つきまといじゃないよ。僕は君を好きなんだ』
「今度かけたら訴えます。二度同じ事は申し上げません」
パチン、と音立てそうに強く、涼介は通話を切る。
「……番号、変えるか?」
啓介の提案に、
「どうして俺がそうしなきゃならない」
涼介は反論した。その通りだった。
「反省だけなら猿でも出来る、とかいうけどさ」
何をどう言えば兄を慰められるのか分からないまま、啓介は思った事を口にする。
「やっぱ大事なことだよな。自覚がないヤツにな言うったって、ききゃしやがらねぇ」
「……」
「俺だったら、あんたにあんな声、出されたら死ぬよ」
明らかに、敵と認識された声。
「……そうなんだ」
ため息と共に涼介の唇から、とうとう零れた、弱音。
「俺が何を言ってもにやにや笑っているんだ。お前もたまに、俺の言うことをぜんぜん聞かないけど」
「いや、あれはさ」
「あれは聞く気がないだけで聞こえてないんじゃない。無視しようとする意思は感じるから」
「ごめん」
「俺から怒鳴られても罵られても平気で、それで俺を愛してるなんて、よく言う……」
低い嘆きに困って啓介は背中を撫で続けた。
「上、行こうか」
涼介がその助け舟を出してくれるまで。
受け入れる、つもりはあるのに身体はうまく開かなくって。
「ごめん」
自分から誘っておいてのていたらくに謝ると、
「疲れてんだよ。寝てないんだろ?」
いつも言ってるいい訳を逆に言われて、慰められる。
「いいよ。その代わり手でやって。ほら」
「ん……」
逆らわず、どころか自分から指先で捕らえて絞ろうとする、途中。
「ちょ、アニ……」
ふと思いついて半端に開いた脚で挟んでみた。腿の内側で。途端に啓介の焦った声があがる。くすくす、涼介は笑いながら、全身を使って搾り出した。ひどく、あっけなかった。
「ハヤイんじゃないか?」
「あ、あ、あんたなぁ」
男の純情引き絞りやがってと、訳のわからない責められ方をする。くすくす、涼介は笑い続ける。
不意をつかれて本当にあっけなく終わらされかなり真剣に傷つきはながらも啓介は、兄の楽しそうな笑い声が嬉しかった。たとえそれがものすごく意地悪な声でも。
一通り笑い終えて涼介はよこを向いた。心がほぐれて、ようやく睡魔がきたらしい。とろんと、表情が緩んでいる。
「……痛いの?」
左胸のピアスの上に添えられた右手。庇うように隠された胸元を啓介が見咎める。
「痛いっていうより、冷たい。もう秋だから」
感覚の鈍い耳たぶではない、敏感な胸の先端、心臓の上に刻まれた金属の烙印。
「外して」
啓介に言われて仕方なさそうに涼介は胸を晒した。細いプラチナの輪と、それに通された小さな札。Kのイニシャル。札を啓介は、そっと舐める。
「ナニ」
「あっためてやるよ」
「ン、いい。眠るから」
「寝てろよ。冷たいと眠れないだろ?」
暖かな口内に包まれる金属は熱を涼介の、身体の内側にまで染ます。
「……っ、ア」
隠せるはずがない。こぼれた嬌声も腰奥に生じた熱も背筋を駆け抜けた電流に似た衝撃も。我が意を得たように、獣のしたたかさで攻め込んでくる弟に、
「……イヤ」
抵抗は、口先だけだった。
そうやって、柔らかくだきあっていたところへ。
もう一度、かかってくる電話。啓介が手を伸ばした。発信者がさっきと同じな事を確認して兄に手渡す。脱ぎ捨てた服を素早く着込みながら。
「何処にいるか、聞けよ」
何をする気だ、という視線に啓介は笑ってやる。
「二度同じことは言わないんだろ?」
訴えるとか、そんな手間をかける必要はない。殴り殺してやるよと啓介がうそぷく。涼介は頷き、通話ボタンを押した。
その日の夕方、史浩はため息をつきながら、ゼミの先輩に電話を掛ける。俺はこういうキャラクターじゃないんだが、と心で呟きながら。
荒事は嫌いだ。話せば分かる、というのは彼の人生の指針のつもりである。が。嫌いであって苦手ではない。それは勿論、啓介や須藤京一辺りと比べられると困るが。
先輩の平気そうな顔が史浩には気になった。あの迷惑で勝手で我儘で傲慢な友人が本気で怒っていた。二度とあの友人にあんな顔をさせたくない。……させない。
回線が繋がってもしばらく、向こうは口を開かなかった。
「どうも。史浩です。せんぱ……」
『史浩?どーしたんだよ』
聞こえてきた啓介の声に、
「殺してないだろうなッ」
史浩は即座に反応した。
先輩の携帯に啓介が出る。
最悪の状況を史浩は想像した。
血まみれで転がる死体、身元不明にするために衣服と所持品を取り上げる啓介。
『うん。まだ大丈夫。そろそろヤバそうだけど』
「早まるな。お前、いまドコに居るッ」
『アニキぃ、史浩が早まるなってさぁ』
その言葉に、史浩の全身から力が抜けた。
「涼介もそこに居るのか……」
最悪を通り越して最終。
制止する手段は……、ない。
「二人がかりかよ」
『あ、それ嫌な言い方。一対一だぜ。俺は運転手しただけ。指一本、触っちゃいねぇよ』
「何処に居るんだ、お前ら」
『飛騨の……、あ、ごめん。万一のことがあるから喋るなって、アニキが』
「万一って」
……神様。
「いいか。殺人だけはさせるな。死にそうになったら止めろよ」
『うん。全然人気がないおくまで来てるから、埋めてりゃ分からないって』
啓介の声が不自然に大きい。聞かせているなと、史浩は気づいた。
「ならいい。その携帯も、ちゃんと始末しろよ。万一のときは自殺しそうに前非を悔いていたって、言っておく」
『アニキ、史浩も証拠隠滅手伝うって』
「殺すなよ」
最後にもう一度、念を押して史浩は通話を切った。
見上げた空に夕日が染みて、見ているうちに、笑えてきてしまった。
そうだ、あの友人の、名前は高橋涼介。
群馬で一番、ヤバイヤツ。