入り口に背中を向けていた若者が声に振り向き、懐の隠し武器を掴んで立ち上がろうとする、肩を。

「おめぇも番茶からだな」

 押さえつけ椅子に戻して、黒髪の色男はふらふら店内に入ってくる男に向って言った。

「なんでもいーからクスリくれぇ、フツカヨイ……」

「いい歳して若いのと張り合うな。負けるのは分かってるだろうが」

 真撰組一番隊長として江戸で名を馳せた若者は今年で二十歳になった。オンナには失敗しがちだが酒は一番、強い時期。

「ほらよ。飲んだら、帰れ」

「宿とってないでーす。帰るとところがありませーん」

 かなり真剣に睨み付ける沖田総悟に、得意の軽さでへらっと笑いかけ隣の椅子に腰かける。

「江戸まで、帰れ」

「来たばっかりなのに冷たいんじゃねぇ?」

「これ以上居ると首を貰わなきゃならねえんだ」

 食塩入のぬるい番茶で胃を暖めてやりながら怖い台詞を告げる、目尻の艶に、白髪頭の男がまた笑う。

「分かるな?」

「銀さんバカだから分かりません」

「説明してやるヒマはない、わかれ」

 ちゃき、っと、音が、したと思う間もなく。

 二尺八寸の、目立つ長剣の抜き身がぴかり、白髪の頭上にきらめいた。

「あんたもいい歳してさぁ、すぐにダンビラ振り回す癖は直らないねぇ」

 わき腹には隣の総悟が抜いた匕首が押し付けられて。

「いやホントいい歳して、どうよと俺だって思うんだけど、年甲斐ないのが男の常ってやつ?」

「旦那、もぉね」

「いますぐ帰れ。攘夷派の息がかかってる奴に蝦夷の地面は踏ませねぇ」

「その人、俺のなんですよ」

「ホント年甲斐なくってさぁ、会いにきちゃったの銀さん。あきれるね」

「全くだぜ。どーした、おめぇらしくもない」

「ちなみに今は副長もオレです。負けたオンナは勝った男のモノになんのがお約束でして」

「いやホント、オンナってつえーよ」

「聞いてますかぃ、旦那?」

「聞こえてるけどちょっと待ってくれや。まずさきにこっちと話しつけないと」

まったくその通りで、疎外されたオンナはすぐ拗ねる。男同士の話し合いがオンナに有利なことになった試しはない。

「息はかかってない。ヒモもついてないよ」

「だが過去は口紅の跡とは訳がちがう。風呂に入ったからって消えるモンじゃねぇ」

「セックスの跡も風呂に入っても消えないねぇ。馴染みのフク……、トシちゃんが恋しくってさ」

「昔は攘夷派で俺らとかかわりがあった、キサマは間者に最適な立場だ」

「身元は柳生の九ちゃんにじゃばじゃば洗われたよ。それで教えてくれたんだから過去は漂白済みです。昔言われた台詞をマンマで返すけど、アンタ艶福だねぇ」

「知らなかったのか?」

「潜伏してんじゃないかってあんたの故郷に行ったら、あんたらの身内連中にさらわれてさぁ、蔵の梁に吊るされそーになった」

「日野にか。命知らずだな」

 そこで少しだけ、もと真撰組幹部の二人が笑った。武芸の風が濃く、字侍の伝統を引き継ぐ自営農が多い土地柄の故郷。

「皆さん乱暴でしたけど、随分と愛されてるねぇ、トシちゃんらは」

 幕府が瓦解して将軍をはじめとする幕閣が新規召抱えの真撰組を見捨ててしまった今も尚、真撰組を故郷の誇りとしている。蝦夷への逃亡の家庭もその後も、随分と助けられた。

「用心棒に雇って」

 白刃をおそれもせずに目の前の相手を口説く、度胸はさすがに、一目おかれるべき。

「要るかよ、かえって物騒だ、帰れ」

「トシちゃんが居ない江戸なんかつまんないよ」

「戦争に負けりゃ何もかもひっくり返る。きさまもそれは経験済みだろうが」

「昔ね。色々変わったけどかわれなかったところもあって、桂とは縁が続いてて高杉のヤローには憎まれてて、いや俺なんかより桂が    大変なんだけど、まあそんなのはいいとして」

「長州萩藩江向藍場川沿い百五十石取り、川筋御用組所属」

「あぁ、うん。よく調べたね。二回も戦争があったからさぁ、もぉ、大昔のことなんだけど」

「俺はいざとなったお前も利用する腹だった」

「銀さんには利用価値ないんだ。情報の一つも流してやれなくって、悪かったよ、あの時は」

 幕府が大政を奉還し、混乱する政情の中で。

「ヤクタタズでごめんなさい」

「おめぇなんざアテにしてなかったから安心しろ。さっさと、帰れ」

「銀さんはトシちゃんと違うよ。トシちゃんは銀さんが遠くに行っても、追いかけて来ないだろーけど」

「当たり前だ」

「銀さんは恋しくて来ました。斬りたきゃ斬れよ。こんな素っ首、欲しけりゃくれてやる」

「素っ首だな、確かに。一文にもなりゃしねぇ」

 かつて高杉・桂という面々は賞金首だった。今ではもと真撰組幹部たちに、それに勝るとも劣らない懸賞がかけられている。

「銀さんはトシちゃんのことを、どうも好きだったみたいです」

「上で寝ろ」

 パチン、と、白刃が鞘に収められる。舌打ちしなが゛ら仕方なく、沖田も匕首を引いた。

「夜になったら帰れ」

「んじゃまぁ、寝かしてもらうけどその前に返事は?」

「なんべんも同じこと言わせんじゃねぇ」

「江戸に帰れっていうのはお返事にならないよ」

「ならとびきりをくれてやる。お前のことなんざ知ったこっちゃねぇ」

「多分そう言うだろうとは思ってたけどさ」

「さっさと上に行け。朝っぱらからこれ以上、店ンなか酒臭くするんじゃねぇ」

「男の執念は怖いよ?」

「総悟、お前もだ」

「へいへい、旦那、行きますぜ。あっしが見張りでさ」

「総悟君身軽に動くねぇ、酒はもう負けたなぁ。ホントにやっちゃったの?」

 店の裏から二階へ続きく、急な階段を上りながら。

「昔よりトシちゃんに素直だね。童貞捨てて大人になったかな」

「旦那、イナカを舐めちゃいけませんぜ。日野あたりじゃ十四・五で褌シメはじめの時に、村のアニキ衆が

飯盛り買いに連れてってくれんですや」

「いいなぁ、そういう村に生まれたかったよ」

「初体験が玄人、ってのは善し悪しですがね」

 二階はきちんと片付けられていた。慣れた様子で総悟は布団を、一つは奥に、一つは階段の手前に敷く。物干し場に通じるサッシは階段の先にあるから、奥の間は小窓が開いているだけの塗り込め。

「どうぞ」

「どーも」

 よろよろと、奥に敷かれた布団に横たわって。

「ここで狩ってるのか、旧幕臣の追捕に来た奴らを」

「まぁそんなところです」

「副長が沖田君なら人事権もあるんだ?俺も仲間に入れないかい?」

「腕は文句ないですがね、旦那に人が殺せるとは思えねぇ。俺らがやってんのは相変わらずの、汚れ仕事ですよ」

「もう人殺しさ」

「それがイヤになって昔の組織を抜けたんでしょう?そういうヤワさじゃ、俺らの仲間にゃなれねぇ」

「そういえば侍ってそういうもんだったねぇ」

「旦那みたいなのはすぐに弾かれますよ」

「そういえば、昔もそうだったよ」