瓦解・5

 

 

 

 海が荒れて港は大騒ぎだ。大型商船は衝突を恐れて湾内の深い場所へ移って碇を下ろし、小型船の繋留場所は足りなくて軽量の船は陸へと引き揚げられた。

入港中の船の乗組員や地元漁師、港湾関係者に混じって体躯のいい男たちが岸壁を駆けている。日本人租界を牛耳る、もと真撰組の面々。腕はたつが暦とした侍上がりは少なく、そのことがかえってこの集団を変化に強いものにしている。現在も海育ちの隊員が各所で指図をして、数度の戦場を経て殆ど有機的なほど、息のあった連携で港の混乱をさばいていく。

港の他にも函館山に続く大通り両面に並ぶビルを来訪し、本土から傍受した天気図を撒いて周辺海域に持ち船の出ている貿易商たちにはひどく感謝された。

「っかれサマっしたぁー!」

 本格的な嵐の来訪の前になんとか処置は終了し、総指揮をとっていた責任者が会館へ引き揚げると、留守番の隊員が深々と頭を下げた。頷き、差し出されるタオルを受け取って、風に巻き上げられた海水と雨で濡れた頭をぬぐいながら。

「坂の上に電話」

「はッ」

 防水の外套を脱ぐうちに、続々と隊員たちが帰ってくる。幾人かはこの地で妻帯したがまだ殆どは独身で、日本人租界の中にそれぞれ居を構え、会館へ通っている。

電話を掛けようとした隊員の手元でそれより先に呼び出し音が鳴る。函館で最もあがりのいい港を押さえる日本人租界の元締めへ。

「沖田副長、仏蘭西租界から人数を十人ほど貸してくれと言ってきてます」

 かかってくる用件が多くて、三本ある電話がなかなか繋がらない。

「待機の連中に声かけて二十人貸してやれ。指揮は斎藤にとらせろ」

 真撰組はもと特殊警察、要するに機動隊だった。災害時の救出活動も隊務のうちで、その頃からの習性で隊員たちは、非常時には非番の連中も自主的に集まって待機に入る。そのへんのゴロツキ集団には出来ない芸当だ。

「英吉利租界からも同じことを言ってきました」

「断れ」

 隊員たちも、もともとは腕の立つゴロツキどもだった。それを纏め上げ一流の戦闘集団に、仕込んだ男は、今ここに居ない。

「十九時の天気図でました。低気圧は函館をかすめて大陸に抜ける様子です。ヤマは今夜でしょう。ただ風が遅いので、完全に抜けるのは明後日の昼になります」

「函館日本人貿易商会から、酒が届きました」

「外国人商会連合からも」

「欲しいやつでわけろ。ただし」

「分かっています。明後日の昼までは禁酒ですね」

 自分たちが一流だという自意識は男という生き物にとって何よりも甘く、今頃ばたばたと騒ぎ出した余所を内心で笑いながら、市民たちにさすがという目で眺められる快感に浸る。開拓地の気質が残る国際港で、もてる男の要件はまず強いことだ。江戸では芋侍扱いされることもあった連中が、ここでは色町の女たちに流し目をくれられる。

「分かった。今日の当番隊と前後を除いて待機に入ってよし。港のサイレンが聞こえる場所に居ろ」

 聞こえたらすぐ来いと、念を押す必要はない。特に用事のない連中は当番以外でも泊り込むつもりで、倉庫にさっさと寝袋を取りに行く。

非常用の水と食料も倉庫から出される。備蓄はそれぞれ二週間分あるが、賞味期限の問題があるので、こういう時に、食べてしまうことにしている。カンパンだの氷砂糖だのは今時なくて、サラダや肉・魚の缶詰に紐を引けば暖かくなる真空パック弁当、真空パックの焼きとうもろこし、カップ麺、という類が殆ど。

「電気止まる前にメシ食っとくぞー、チンするヤツ急げー」

「お湯沸いたぞー、ラーメン食うヤツ、もってこいー」

「使った割り箸、捨てんなよー」

 ノリは殆どキャンプだ。楽しそうにさえ見える。髪を拭い終わった総責任者は会館の従業員が煎れたコーヒーのカップを片手に、くつろいでいたが、そこへ。

「……坂の上の、様子を見てきましょうか」

そっと、もと十番隊の隊長だった原田が近づいてきて、囁く。囁かれた指揮官が返事をする前に、

「沖田副長、電話繋がりました!」

 災害前で混乱する回線を、ようやく繋げた隊員が告げた。

「もしもし、オレです。ソッチ大丈夫ですかい」

 電話の向こうの声は聞こえない。が、大丈夫そうなのは返事を聞く指揮官の表情で分かった。

「応援に出した連中が帰ってきたら行きます。十一時くらいかな。メシ食っててくだせぇ。……旦那が居るなら代わってくれませんか」

 暫くの沈黙。そして。

「まぁ季節モノですがね。旦那が連れてきたんでしょう、江戸から」

 電話の向こうが誰に代わったのか、古い連中には分かった。江戸の屯所に居た頃から馴染みの万事屋。昨日ふらっと尋ねてきて、夕べは沖田副長と飲み明かした、白髪頭の。

「まだ万事屋やってるって昨日言いましたね。なら仕事頼みたいんですよ。そこの人の警護を。色々、ヤバイもんで。……そっちの連中はともかく、賞金首狙いのバカどもが」

 坂の上にある薬局の周辺は港を中心とした日本人租界に暮らす地元民の居住区で、観光客や外国船の船員は近づかない。だから普段は見慣れない顔が近辺を歩いていればすぐに分かる。中でも薬局は会館に巣食う旧真撰組たちの重点警備対象で、いつもさりげなく、周囲を隊員が巡回しているが。

「こういう天気の日はヤバイ」

 暗殺は大抵、大雪や大雨、嵐に火事、といった天災の混乱に乗じて行われる。

「土方さんには言わねぇでくだせぇよ。見栄っ張りだから」

 自分が『護衛』されていると知ったら嫌がるだろう。

「……ヨロシク」

 電話の向こうは承知したらしい。沖田副長はもう一度頼んで電話を切った。