瓦解・7
「バッカじゃない?」
へらっと、白髪頭は、ヤバイ感じに笑う。
「そんなつまんないことで死ぬのはバカだよ」
「馬鹿馬鹿しくても、他に方法がないだろ。触らせんなって総悟に言われてんのにヤられたら、申し訳には喉突くしか」
「……そんなことでさぁ、死ぬのは、バッカだよ……ッ」
低い叫びは、血を吐くように、苦い。
「バカでも、そうしなきゃ分からないだろ」
「言えばいいんだよ口でさぁ、ナンにもナシで知らないうちに、勝手に死なれるこっちの身にもなれってんだ」
昔の戦争の時に、このオトコは。
「あわせる顔がない、ってことも、ある」
避難先で陵辱された婚約者に自害されている。
「俺そんなに信じられなかったか。あんた本気で、俺があんたを連中に売ると思ったのか」
押し倒された黒髪の美形は、それを承知で言うのだから、ずるい。
「……用心する必要があったんだ。許せ。おめぇのことだから三日もすりゃ、俺の顔なんか忘れると思ってた」
「せっかく会いに来た返事が帰れだもん」
「それは撤回しないがな」
「トシちゃんもう銀さんが邪魔になったの?」
「遊ぶ余裕が、なくなった。帰って別の、いいオンナ捜せ」
「銀さんトシちゃんのこと気に入ってたみたいなの。別のはまだちょっと、探すキモチにはなれないねぇ」
「光栄だが、なんかイマイチ、信じらんねぇな」
「あんなに愛し合ったの忘れた?」
「覚えてるが、セックスそんなに重要じゃないだろ、お前」
「トシちゃんがさぁ、生きててよかったよ、ホント」
「おめぇがこんなに、情が深いとは思わなかったな」
「銀さんは深いよ。それでよく自分がおぼれるから、いつもは底上げしてあるの」
「なるほど」
「キスもだめなのかなぁ」
「ダメだ」
「……けぇち……」
抱きしめられながら、男の言い様に笑った。この相手にぎゅっと、抱きしめられるのは嫌なことではない。骨格がいい具合にハマってぴったりで、特にこんな寒い日には。
「……つれて逃げてあげるよ?」
「誰にもの言ってんだキサマ」
抱擁にうっとりしかけた表情のまま、声は低く掠れる。
「沖田君にイジメられてるみたいじゃない」
「あいつは苦労、してる」
「可愛がって、もらえてないんダロ?」
オトコの声に舌の音が混じる。掌が熱を帯びて、重なる胸まで、厚くなった気がした。喉をそっと、オトコの固い、指先が這う。
「いい加減もぅ、オッサンだからな、俺は」
「こんなにツヤツヤしてて、なにほざいてんだか」
「お前みたいな馴染はともかく、若いやつには、性的魅力がないさ」
「寂しくないの、カラダ」
「セクスレスも、慣れると気楽でいいもんだぜ?」
時々、思い出したようにペッティングじみた接触は仕掛けられるけれど。
「嘘つき。寂しいくせに。あんたのこのへん、すっげぇ寒そうだよ」
艶やかな黒髪の、うなじをそっと、オトコの掌が撫でた。
「あっためてあげたいなぁ」
「キモチだけもらっとく」
風でガタガタ、窓枠が揺れる。嵐が本格的になってきたらしい。
「なに考えてんの?」
抱きしめたまま動かない相手に、男が尋ねた。
「総悟が途中で、怪我しなきゃいいが」
「……ふぅん……」
暴風雨の中を風に逆らって歩いたせいで、いつもの倍近い時間がかかった。
格子戸の隙間から手を伸ばし、在店中の張り紙をはがす。開いていたくぐり戸から店内にするりと入って、とぼそを落とし、鍵を掛けた。
「……土方さん?」
名前を呼ぶ。答えはない。代わりにひらひら、カウンターの中から持ち上げられた、手だけが見えた。
「どうしまし……」
近づいて覗き込む。どうしたもこうしたもなかった。黒髪の店主は床に横たわり、目を閉じて寝息をたてている。護衛の白髪頭の、男の膝に頭を預けながら。
「……」
安心しきった、安らかな表情。声にも気配にも目覚めず、深く。
「やっぱ旦那が、イイんじゃないですかい?」
カウンターを廻って近づいてきた若い男は、端正に整った寝顔の、唇に触れながら呟いた。そのまま指先をぐい、っと、やや乱暴に、艶やかな唇に押し込む、と。
「ン……ッ」
喉まで犯されそうな苦しさに瞳が見開かれる。光彩に若い男の像が、写った瞬間、店主は少し笑った。会館からここまで、無事に来たことを察して。
「真面目に、舐めろ」
柔らかく微笑まれて緩みかけた自身の気分をもろともに、叱咤する口調で若い男が要求。応じて店主は舌を蠢かした。甘噛みして唇で吸って、濡れた舌の先を絡める。口淫を連想させる、行為。
「舌、いつもよりあったかいですね。旦那となンかしましたかぃ?」
「寝起きだからでしょ。ナンにもしてないよ」
「どうだか……」
信用できない、という風にうっすら、笑って若い男は指を引いた。絡む唾液は粘度が低い。濡れた指先をそっと、自身の唇に当てながら。
「風呂はいった?」
「いや」
唾液のこぼれた口元を拭いながら美形の店主は答える。
「俺が居るから、入ってくれぱ。停電する前に」
「あぁ」
頷き、素直に、店の奥へ消える。
「昼間さぁ、温泉に誘ったらお断りされちゃったよ」
後姿を目を細めて、白髪頭の客が見送った。相変わらずそそる腰つきだ。ただ、普通に歩いている分には分からないが、やっぱり肩が、右足を踏み出した瞬間少し揺れる。
「当たり前ですぜ。風呂ン中では丸腰ですからね」
「お尋ね者はつらいねぇ」
「まぁ、あと二週間くらいの辛抱ですよ」
「そうか。冬季は連絡船が止まるんだっけ」
「週一の定期便だけに」
なる。奥地へ通じる陸路輸送も途絶え、街路には雪が降り積もり、蝦夷地全体が冬篭りに入る。そうなってしまえば本土からの刺客も間諜も函館へ入り込めず、春まではやや平穏な日々が続く。
「あぁじゃあ、二週間したら、一緒に露天風呂に入れるねぇ」
「入らせませんぜ、一緒の風呂になんか」
「そうだねぇ、俺が覗きに行かないよーにそこで、仁王立ちしてるぐらいだもんねー」
言われて気がついた。自分が、店から奥への入り口を塞ぐように立っていることに。言われないと気づかないくらい無意識だった。
「でもさぁ、トシちゃんは風呂除かれるのなんか平気だと思うよー。女の子じゃないんだから。……女の子みたいに長湯だけど」
「それぐらい俺だって知ってますぜ」
若い男は癇をたてた。自分の「オンナ」の湯癖を、他の男から聞くのは不快だった。そいつの方が情交は長くて、知っているのは風呂のことだけではないから。
「怒るぐらいなら、優しくしてやればいいのに。うーん、薬局ってけっこう、ナンでもあるねぇ、便利」
店主が居ないのをいいことに、客人はまた棚を漁っている。医薬品ではなく健康食料品や、ハンドクリームといった類の棚だったが。
「俺に見せつけたかったんなら、指舐めさせるよりキスの方が効いたよ。それも優しくて甘ったるいヤツが。でね、護衛の、報酬なんだけど」
「旦那。早めに、こっから出て行ってくだせぇ」
「ここって、この店?それとも函館から?」
「どっちも。旦那が居ると、落ち着かねぇんですよ」
「そうだねぇ。トシちゃんは落ち着き払ってるけど、総悟君はまだ正直だよねぇ。でも苦しそうなのはトシちゃんもだねぇ」
「……言われなくっても分かってますよ」
痛そうで苦しそうなのは見ているから分かってる。でも手離せなくて、せいぜい距離を置くくらいしか思いつかなかった。普段は我慢できるギリギリまではこの店に寄り付かない。二日も三日も連続で顔を出すのは、珍しいことだ。
「ふぅん。でねぇ、護衛の報酬だけど」
本当は、毎晩ずっと、引き寄せて肌を合わせて。
「抱かせろってんなら俺と決闘ですぜ、旦那」
暖かさを感じて。
「そんな趣味のわるいことは言わないよ」
なんともいえない艶を潜めた、目尻を舐めて。
「俺の代わりに復讐してよ沖田君。俺になんにも言わないで居なくなった薄情者に」
かき抱いて。
「乱暴しろって、言ってんじゃないよ。ひぃひぃ言わせてやって。会うたびあんなに、俺のこと気に入ってるような様子だったくせに、あっさり棄ててくれやがった復讐にさ」
薄く、笑う、男の頬に、刃のような、凄み。
「よがり泣かせてやって」
「……、ちょっと、自信がありやせんね」
「出来るって。俺がついてるよ。あんな風にさ、しらっとされてちゃ、俺の立場がない、でしょ?」
「旦那の立場をとりあえず、聞かせてもらえますかい」
「ここに居るってことで分かんない?」
「土方さんが、そんなに恋しかった訳ですかい。カラダの具合が?」
「んー、まぁそれもあるかな。けっこう長かったし」
「他には、なにが?」
「心配したのに、気にもかけられてなかった。全然信用がなかった。声もかけてかなかった」
「そりゃあんたが昔、維新派だったから」
「俺にはなんにも頼んでいかなかった」
「旦那が一人ぼっちなのは土方さんのせぇじゃないと思いますが」
「……うるさい」
「支払いますよ、報酬は。ただ、ついててくだせぇよ?」
「あぁ」