瓦礫の下・5
赤城の峠はギャラリーに埋まっていた。
啓介を乗せたFCがカーブを曲がるたび、手をふられ声があがる。慣れない雰囲気に啓介は居心地の悪い気分を味わった。
「どっからこんなに人が集まるんだよ……」
苦情じみた言葉に、
「週末だからな」
涼介は答える。
「俺も最初は驚いたよ。群馬どころか、県外からも来てるらしい」
「自分が集めてんだろ?」
「もともと俺は、サーキットで走っていたんだ」
初めてまだ一年に満たないが、関係者の間では驚異的な新人として噂されている。走行会なんかで会う連中に峠の走り屋が多くて、その関係で誘われて一般道を走るうちに、いつのまにかこんなことになった。
「……史浩は?」
自分が知らなかった兄の事を知っていたあの幼馴染も、実は気に入らない。
「迷惑かけてるよ」
その言い方もかなり。
頂上の広場には、かなりの数の走り屋使用の車が停まっていた。相手はまだ到着していない。涼介がFCから降りて近づくと彼らは嬉しそうに集まってくる。口々に今日の応援や、気をつけろというアドバイスをかけられ頷く兄。人の輪から放り出された形の啓介を、
「人気者だな」
後からついてきていた史浩が拾う形になった。
「なに、あれ」
「こっちの味方。相手が大所帯で来るから一応、数集めたんだ」
「それにしちゃナンか、目つき違うくねぇ?」
嬉しさに溢れてにこにこしている。
「涼介はいままで、誰かに声を掛けるなんてしなかったからな。あいつがチームに入らない以上、自分で作るつもりだってのは、すぐに分かるし」
今日、集められたのはその場合、声をかけてもらえるだろう候補者たち。いろんなチームに所属している、または単独で走っているが実力のある連中。別のチームの次期リーダーまで簡単に出てきた。それは、涼介からの誘いがかかれば今のを捨てるという意思表示。
「連中には向こうと二人一組でカーブに立っててもらうが、お前は俺と組んでコース全体の調整だ。いいな?」
「あ、あぁ」
そう言われてもなんのことだかよく分からない。史浩が人垣をかきわけて、
「涼介。俺は啓介と一緒に、先にコースを一回りしてくる。ギャラリーの車がかなり、あちこちに出っ張ってたからな」
「いいのか、啓介?」
涼介が問うと人垣の全員が振り向いた。視線の集中砲火を浴びて啓介は内心で少し、怯む。好意的とはいえないが敵意がある訳ではない、敢えて言うなら好奇心と、若干の嫉妬の混じった視線だ。
「弟なんだ、涼介の」
気のきく史浩が紹介した。
「家で暇そうにしてたから、これも人手だと思って引っ張ってきた」
へぇ、と今度は全員が啓介を取り巻こうとする。君も車に乗るのか、早いのか、どこで走っているんだ、何に乗っているんだ、矢継ぎ早の質問に、
「まだ高校生だぜ」
涼介が助け舟を出し、身体で庇うようにして救出。そのまま啓介は史浩の赤いフェアレディーに乗り込む。
「びっくりしたろ?」
慰めるように史浩が言う。いや、別にと啓介は答えたがかなり驚いた。取り巻かれることも騒がれるのも慣れてるが、あんな風に好意的なのは慣れない。
「好かれてるからな、涼介。シンパっていうかファンっていうか。アイドル、ヒーロー、そっちが近いかな」
「史浩は?」
「俺が、なんだ?」
「なんでこんなに一生懸命なんだよ」
この男が兄の事をアイドルともヒーローとも思っている筈はない。
「だって涼介は凄いぜ。ドコまでいくか分からないヤツだ」
「アニキが何処までいったって史浩じゃねーじゃん」
史浩がチラリ、隣に視線を走らせた。
「いいことなんかあるのかよ」
「一生懸命になったことないヤツのたわごとだな」
温和な顔してにっこり笑って、容赦のない言葉を放つのが得意技の男。
「いい事あるかとか、損得とかは関係ないんだよ。一生懸命ってのは、それだけで凄く楽しいことだ」
俺は楽しいよと、もう一度、史浩は繰り返す。
「涼介は凄い。俺はあいつの走りにベタ惚れだ。何処まで行くか、凄く楽しみで、是非とも一緒に、何かしたいと思ってる」
はっきり過ぎる言い方に、腹も立たなかった。
「すいません、このへんで抜くかもしれないから、車、ガードレールの内側に寄せてもらえるかな」
「すいません、危ないから、もうちょっと内側に立っててくれるかい?」
「すいません……」
礼儀正しさを忘れず、しかし有無を言わせず史浩はコース上にはみ出したギャラリーたちを整理してゆく。彼ほどうまくはてせきなかったが、
「ごめん、奥、ちょっと詰めてくれよ」
啓介もせいぜい手伝う。途中でスキール音が聞こえてきて、
「おいでなすったぜ……」
笑う史浩は、温和でも温厚でも、やっぱり若い男。
「乗れ、啓介。全員揃ってお出迎え、するぞ」
「俺もいいのかよ」
関係者でもないのに。
「お前は特別さ。なんせ、今日の主役の弟君だ」
生まれた時から高橋涼介の弟だった。けっこう比べられて、比べられれば太刀打ちできなくて、それが嫌な言葉だった記憶の方が圧倒的に多い。けど。
「ん……」
史浩の言い方は嫌ではなかった。いっそ嬉しかった。少しだけドキドキも、した。
勢ぞろいして相手を出迎え、二人一組でコーナーごとに散っていく。啓介は相変わらず史浩と組んで、というよりも史浩のした働きとして、コーナーごとに連絡や確認を入れていく。
一通り報告が揃ったところで最終確認のためにコースをまわる。その前に啓介はスタート前のひと時を白い車体にもたれて過ごす兄に近づき、
「今度は手加減するなよ」
念を押してみた。ん?、という風に兄の美しい眉が上がる。
「俺が居るところまでも待つな。ぶっ千切れ」
「それじゃ見ていて楽しくないだろう?」
弟の眼前でサービスするつもりだったらしい兄が笑った。
「全然。何秒差がつくか、数えてるからな」
「何処に居るんだ」
「わかんねー。史浩と一緒」
「多分中腹の待避線だな。……七秒」
「マジ?」
「約束する。必ず。もっとも向こうが焦ってクラッシュした日には」
くすくす笑いながら涼介は弟の肩ごしに相手を見た。つられて啓介も、こちらは明らかに挑発をこめて睨む。
反発するより先に相手は、明らかに怯む。そうしていると兄弟は、よく似た狼に見える。大きくて俊敏で見目のいい肉食の、獣。
「応急処置してやらなきゃならないが」
「待ってるから」
「うん」
じゃあなと手を振って啓介はフェアレディーに乗り込んだ。
「……車欲しい」
ぼそっと、車内で呟いた。
「免許取ったら買ってもらえるだろ。お前んとこなら」
兄が買ってもらっている以上、弟にも当然、その恩恵は与えられるだろう。
「あと、半年か……」
啓介の誕生日は五月だ。
「お前の高校、免許はどうなんだ。禁止か?」
「とるのは自由。とったあと、卒業までは学校に預けなきゃならねぇけど」
「今から教習所に行って、仮免とっといて、誕生日過ぎたら試験受けたらどうだ?ちょうどいいだろ」
大学受験とも重ならないしと、史浩。
「大学行くのかよ、俺が」
「行かないのか?」
「考えたこと、ない」
「涼介とそんな話はしないのか」
「まともに話ししだしたの最近だから俺ら」
「手がつけられなかったもんな、お前」
他のヤツからそんな風に言われたら、ただではすまさなかったろうけど。
「うん……」
史浩だったから素直に同意した。
「行けよ、どこか。それで四年間の猶予を得て、せいぜい、俺を手伝え」
「俺でも大学、行けるのかな」
兄や幼馴染のせいで、大学生、学業優秀、将来のエリート、お坊ちゃん、という連想が出来上がっている啓介だった。そのお坊ちゃん二人が、違法な公道レースに夢中なことは眼中にない。
「学費さえ出せば行けるところはいくらでもある」
史浩の断言に、
「うん……」
大人しく啓介は頷き。
そしてその夜、涼介は赤城の新しいコースレコードを出した。